022 結局のところ



「ケンカしたの?」


 ミレーユの方が上手くいかなくて不機嫌になっていた冒涜者ブラスフェミアは、こうしてたちまち上機嫌になった。

 夕月とおれがギクシャクしちゃったの、どこからか嗅ぎつけてきたらしい。実に嫌らしくニタニタ笑いながら頬杖をついて、訊いてくる。


「うん、まあネ、いつものことだけど」

「そうかな? いつもだったら僕のところに話は回ってこないじゃない」


 あー、そうきたか。しくった。そう考えても顔に出さないようにしてたのに、ヤツはそれを悟ったらしく、口の端をさらに吊り上げる。


「うん。夕月言ってたよお、オムレツおにいちゃんとケンカしちゃったあ、って」

「……それで?」

「この際だから隠してること全部教えて、って」


 嫌な予感は案の定。盛大に吐き出したいため息を無理矢理飲み込みながら、続けた。


「……それでおまえ、どうしたんだよ。バカしょーじきに全部教えてあげたわけ?」

「うん。とは言っても意地悪にはしてないよ、ひとつひとつ丁寧に、ここまでは大丈夫? ってちゃーんと区切ってあげながら」

「そしたらどーなったの、夕月」

「さあ。通話だったからわかんないな、ずっとうんうんってだけは言ってたけど」

「嘘つけ。わかってんだろ」


 夕月が目に見えて傷ついたこと。

 責めるような視線を送っても、まだ飄々と笑っている。ふっと鼻から軽く抜かす息を吐いて、冒涜者ブラスフェミアは睫毛を伏せた。


「どうだか。傷つけてたのは皆々様、お互い様でしょ? 教えてもらえなくて傷ついてたんだから、どっちにしたってこうなってたよ。むしろ僕がすっぱりトドメ刺してやっただけ温情じゃない?」


 そうして、マグカップに注いだコーヒーの黒い水面を眺めている。ごく暗い赤の、空気に触れて傷んだ血液みたいな瞳の色。それがなぜだか、一度光をぼやかして、穏やかに憂うような気配を帯びた。


「結局のところ兄さんだってミレーユだって傷つきたくなかっただけでしょ。夕月を傷つけちゃった、その手応えを感じて、嫌な気持ちになりたくなかった。そのせいで夕月はもっと苦しむ羽目になるのに。……だから僕がやっただけ、誰もやりたがらないようなこと、恨まれてでも引き受けてやったんだから。偉いでしょ?」


 なにも言い返せなかった。全部その通りだったから。そうして何か悟ってしまう、この女は、そういう役を引き受けがちな気質があると。

 昔からそうだった気がする。掃除当番をサボった子をおれにチクってきたり、お使いで無駄なものを買ってこなくて気の利かないヤツって言われたり。

 ……だからなんだって話でもある。現に愉快げにやらしくニヤニヤしてんだし。今はたぶん、いたずらに面白がってるだけだろ。

 そーいうこと色々考えて黙り込んでたら、ヤツは水面に息を吹きかけ、軽い波紋を起こしながら微笑んだ。


「まあ、そこら辺はどうでもいいよ。重要なのはここから先でしょ? 適当に慰めてやるのが兄さんの役目。そういう面倒臭いのは僕やらないから」


 あとよろしく。ひらひら手を振る。……なるほどだからおれの分のコーヒー出してくんなかったのね、と理解する。めんどくせーから返事は言葉にしないで、手を振りかえしてさっさと退散した。


 とは言われても、まずは探すところから始めねーといけないんだよナ。バカとナントカは高いところによく登るってゆーから大抵どっか高いビルに登ってたりするけど。……バカの方をナントカにしなくちゃいけないんだっけ? まあいいや。

 そんなこんなでこの時間でも侵入できる街のビルをいくつか回って、そのうち本当に見つけることができたんだからおれの妹ってマジわかりやすいわ。

 声をかける。無視される。隣に立つ。無視される。だから、話しかけた。


「そんなにショックだった?」


 冒涜者ブラスフェミアとは違って鮮やかな彩度を保った赤い瞳が、ちらとこちらを見やって、すぐに逸らされた。


「……なんか、意外と、よくわかんない」

「実感が湧かない?」

「そうかも。やっぱ、言葉で教えてもらっただけじゃ、ふーんそうなんだ、くらいの気持ちにしかならない」

「鮮明に思い出したい?」

「……わかんない、けど」


 夕月は階下に広がる夜の街あかりを見ていた。パチパチ瞬く人工灯のかがやきを一身に受け止める瞳は、はじけるラメを帯びたように明滅する。絶望に澱んでいる色合いではなかった、ただ、そこにあるものをそのまま映しているだけの眼。


「そういう風に殺されたあたしって、そんなに可哀想に見えた?」


 それを訊きたい相手ってもしかしなくてもおれじゃねーだろ、とは思った。思ったけど、とりあえず返答してやることにする。せずにいたから、こんな面倒臭いことになったんだし。


「まあ、そう見えない人ってのもそーはいないんじゃね」


 それに対する返答はなかった。ただ一度だけ、失望したみたいな、煮え切らない速度のまばたきを残して、夕月はその場から去っていった。

 おれはしばらくそこに立ち尽くしていた。なるほど確かに、こーいう気分の時、チラチラ動く街を見下ろしているのって暇潰しにはなる、ということがわかった。

 それから、どうするのが一番よかったのかなって思った。おれがしなきゃいけない道理なんてないんだけどサ。それにしても、あーあって思っちゃうから。

 街はずっと眠らないまま明滅を繰り返していた。たとえおれが何もかんも上手くできなかったとしても。


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