020 上手いから



「消された?」


 来てと言われたから行った、直後。

 案の定ニヤニヤと厭らしい笑顔を浮かべて出迎えた冒涜者ブラスフェミアは、にわかに信じがたい事実を口にした。


「そう。消されちゃったの、夕月の……確認はしに行かない方がいいよ、跡地にウイルスがたくさん仕掛けられてるから」


 言いながら、使い慣れたマグカップをおれに手渡す。温かいインスタントコーヒーを、ブラックで一杯。帰ってきたときに必ずしてもらえること、今回もしてもらえた。

 でも、飲む気にならない。すぐさま側にあったテーブルの上に置いて、ソファに座った。向かいの席にミアが座る。彼女もまた、お揃いのマグカップを持ってきて、ことんと置いた。長話をしたいらしい。


「誰がそんなことしたのか。気になるでしょ?」

「……ミレーユ? だったっけ。その人だったりする?」

「なーんだ、兄さんも知ってたんだ。そうだよその人、女装家の男の人……会ったことある?」

「ねーけど……」


 夕月が言ってた。おそらくミア自身も想定していたのだろう答えを返すと、話が早いと言わんばかりに笑われた。

 亀裂のような笑みだった。口元が横にぴいっと裂けて、端が釣り上げられる。この女は、そういう奇妙な笑い方をする。暗赤色──ぶち撒けられて放置された後の血液みたいな澱んだ色の瞳が、それでも爛々と輝いていた。


「消される前ね、僕も彼と喋ったけど……なんか変な感じだったんだよ。てゆーかその前から変だった、夕月と会わせてからずっと。なーんかやたら気に入ったみたいで、仲良くしてたみたいだし……」

「うん」

「で、動画のこと教えてあげたらこんなことになっちゃったんだけど……変なんだよね。義憤に駆られて行動するようなタイプの人じゃないし。むしろ仕事として側の人ですらあると思うんだけど」

「へえ」

「だから、多分きっとんだよ。彼と夕月の間に。僕たちが知らないことが、何かある……なければこんなことにはならないと思うわけ」


 亀裂はどんどん深くなっていく。三日月の形に歪められていく唇の隙間に、底知れない深さの闇が広がっている。次にそこからどんな言葉が発せられるか、考えなくてもすぐわかる。けれどこちらからそれを言うのは嫌だったから、答えを急いた。


「だから?」

「うん。だから……兄さんに、探ってきてほしいの。二人の間に何があったのか。できる範囲でいいから。知りたいの。単純に、夕月のこと、僕のかわいい被造物おにんぎょうとして、知り得ることは知っておきたい」


 手伝ってくれる?

 そう言われるのが一番きらいだった。断れないから。こいつの被造物おもちゃとして。兄として。

 断れないと知っていて、こいつは敢えてそういう風に言う。楽しそうに。広がりきった亀裂の笑みで。

 おれは席を立った。結局、コーヒーは一口も飲まなかった。


「わかった」




 繁華街からひとつふたつ離れた通りにある雑居ビルの4階のそこそこ設備のいいネカフェの完全個室になってるVIPルーム群の角部屋のドアを2回・3回・3回・2回の順番でノックしたら、そいつに会えた。

 女装家と聞いていたからいろいろと覚悟していたけど、そう聞かされていなければ素直に女と見間違える程度に整った容姿の男だった。暗いピンクのシャドウで囲った青い瞳を瞬かせ、きょとんとしているそいつに声をかける。


「話聞いてなかった? 冒涜者ブラスフェミアのおつかい」

「ああ、……そっか。ごめんなさい、中へ入って」


 身をかがめてドアをくぐる。ブース内は好き放題改造されていて、少しビビる。どこぞのブランドのレディースルームウェアに身を包んだミレーユとやらは、よろりと自分の座椅子に腰掛けた。


「ごめんね、びっくりしちゃった……あなたみたいな大きな男の人が来るとは思ってなくて」

「夕月が来ると思ってた?」


 適当な場所に胡座をかきながら訊くと、ミレーユは動作を止めた。そしてこちらをじっと見つめてくる。決して攻撃的な視線ではなかったが、一手間違えればすぐに詰ませにかかってきそうな剣呑さを纏っていた。


「そうだね……だからこんな格好での応対になっちゃったんだけど、気を悪くしたなら謝るよ」

「いや。でも、部屋着で会えるような仲なんだネ」

「うん、まあそれなりに仲良くさせてもらってる」

「それなり、それだけ? 動画、消すまでやったのに」


 だとして、それで斬られても死ぬようなタマじゃない。単刀直入にこっちから斬りかかる。ミレーユの見返す瞳が丸くなり、瞬きの残滓に青く輝くラメを零した。……少しの沈黙のあと、口を開く。ローズのリップがつやっと光る。


「それだけだよ。なに、ボクみたいな人間がトモダチを無惨に殺して笑い者にするような輩にキレてみせたら、いけないわけ?」

「いけなくはないケド……珍しいなって。そーいうキャラのヒトって聞いてなかったから」

「いいじゃん別に。ボクだってたまにはそういう気分になったりもするよ」

「まー、そこら辺は本当にいいんだけどサ……」


 ため息を吐いてを切り出す。そう、ぶっちゃけミアのお願いなんかそれほど聞いてやる気なんかなかったのだ。できる範囲でいいって言われてたし。

 おれ的には、問題はそれじゃなかった。今までのことは、もう仕方ないからどうでもいい。のことだ。これ以上仲良くなられて、いろいろ面倒なことになっては困る……っていうかなんてゆーか。

 とにかくおれは、おれと夕月がどのような性質のバケモノであるかをミレーユに説いた。ミレーユは静かに聞き続けていたが、形良い眉はだんだんと歪められ、最終的に完全な顰めっ面をされた。


「……つまり、夕月がボクに好意を持つようになったら、まずいことになるかも……ってこと?」

「そう。十中八九、冒涜者ブラスフェミアが面白がって引っ掻き回すヨ」

「……完全に信じてはいないけど、……だいたいわかった。でも大丈夫だと思う、ちょっかい出されたら、殺して終わりにしちゃうと思うし」


 さらりとすごいこと言われたけどそれはそれで困るからやめてほしいんだよナー。あはは、と乾いた笑いを溢しながら言おうとしたら、ミレーユはふっと顔の力を抜き、自嘲するように笑ってみせた。


「それに……夕月がこれ以上ボクのこと好きになる、とか、そういうのはないと思う。そういうの……上手いからさ、ボクって」


 ひとりぼっちにされた薄汚い子猫みたいな顔してそんなこと言われてもサ。

 ぜってー嘘。こいつ絶対そーいうの下手だし、夕月の方もこーいうヤツを好きにならないの、ぜってー無理。

 なんだっけこーいうの、割れナベに……フタ? みたいな。ぜってーもっと発展しちゃうじゃん、どーしよ。的な感じで、おれは内心頭を抱えていた。


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