014 もちろん



『なんか』

『最近しゃべってなかったから』

『気になって』


 努めて気軽に話しかけるよう心がけていたつもりだけど、やっぱりなんとなく緊張しちゃってるみたい。なんでもないような一文をこうやって分割して送ってる。数十秒くらい、数分には満たない空白のあとに既読マークがついた。忙しくはないらしい。メッセージを送信した先、ミレーユさんの呼吸音が聞こえるような錯覚を抱いた。


『げんき』

『最近いそがしくて』


 そして、緊張しているのは相手も同じことだと理解した。ぎこちない文字列が途切れ途切れに送られてきて、なんだかおかしいと思うけどお互い様だ。

 さて、ここから先は問い詰めていくしかない。そうわかっていても──どう切り出せばいいか、やっぱ迷っちゃう。ストレートに言っちゃえばいいじゃない、とジェーンさんは言ってくれたけど、すぎるのもどうかと思うし。

 ……文字でやりとりするから、こんなぎこちなくなっちゃうんじゃないかな。そう思って通話を持ちかけ、発信ボタンを押したあと、そうでもなかったかもしれないと思い直した。無機質な呼び出し音を数秒聞いているだけでも、なんか、心臓に悪い。


『もしもし』

「もしもーし。ごめんね、いきなり通話お願いして。今大丈夫?」

『大丈夫。今日はオフ』


 スピーカーモードにしてスマホを枕元に置き、寝転がる。大きく表示される相手のアイコンを見て、やっぱ可愛いなあって思う。くりっとした瞳のお人形さんみたいな顔、いま、どんな表情してるのかなってぼんやり考えた。


「忙しかったんだね。どんなお仕事だったの? あ、言えなかったら勿論ノーコメでいいから」

『……そうだね。教えても、そんなに愉快にはならない類のお仕事を……後片付けまで含めて、……大変だった』


 どんどん澱んでゆくミレーユさんの語気、きっと表情も少し曇ったんだと思う。同時に、突っ込んでいくならここしかないと悟った。少し怖い。でも。……一呼吸おいて、精一杯声が震えないよう努めて、なんでもないような口ぶりで。


「それって、もしかしてあたしに関すること?」


 ────沈黙。

 ここで切られちゃうような予感もした。けれど、ミレーユさんは何も言わないまま五秒、十秒、もっとずっと黙り続け、かすかな吐息の音をこちらに寄越した。

 きっと精一杯言葉を考えてくれている。だから急かしたりしちゃいけない。同じように黙って待っていた。点滅しないアイコンの可愛らしい笑顔を見つめて。……ややあって、ミレーユさんはも一つため息を漏らした。


『……うん、そう。やっぱり、わかっちゃうよね。こんなに怪しかったら』

「ん……だって、ミレーユさん、様子がおかしかったもん」

『そりゃそうだよね……あはは、下手くそだよなあボク。おかしいな、普段はもっと上手くやれてるのに』


 自嘲するように笑うミレーユさんは、それでも何かを吹っ切るように語り始める。自分に語りかけるような口調。だからあたしは、黙っていた。


『夕月、キミのね……覚えてない過去のこと。知っちゃったんだ、知ろうとしたわけではないけど。それで……キミは、相当ひどい目に遭っていた』

『だからボク、いろいろ許せなくなっちゃって……せめてその溜飲が下がるまで、いろいろやってたってわけ』

『……どうしてなのか、わかんないんだよな。ボクにとっても。どうして、許せないだなんて思っちゃったのか。おかしいよね。キミとボク、こうやってちょっと通話する程度の仲でしかないはずなのに。ひどい目に遭ってる人なんて、今まで星の数ほど見過ごしてきたはずなのに……』


 そう、それはあたしも疑問に思っていた。失礼だけど、ミレーユさんは義憤とか正義感とか、そういうのからは縁の遠い人だと思ってた。だからあたしがどんなにひどい目に遭っていようと、素知らぬ顔で見過ごすことを選べたはずだ。なのにどうして、なんてことは今問い詰めなくてもいいのだろう。現に本人もわからないって言ってるし。

 だから訊くのは別のこと。未だ靄がかって隠されている部分に、おそるおそる突っ込んでいく。


「……あたしが過去にどんなことをされて、ミレーユさんは何をした、っていうのは……教えてくれないの?」


 また、沈黙が降りる。今度はそんなに時間はかからなかったけど、それでもミレーユさんは迷ったらしい。数秒のちに切り出す口調は、重ったるく沈んでいた。


『そう、だね……キミには知る権利があるし、ボクも教える義務があると、思うけど』

「けど?」

『……心配なんだ。今のキミにこれを伝えて、キミが……落ち込むというか、傷つくというか、立ち直れなくなってしまうような気がして』

「……、そっか」


 思ってた通りの回答が返ってきて、落胆はしなかった。むしろ少し安心する、ジェーンさんの言ってた通り、ミレーユさんはあたしを思っていろいろ配慮してくれてたんだって、わかって。

 今度はあたしが息を吐く番だった。通話口の向こうで、ミレーユさんがそれに怯えたりしないことを祈る。決して、呆れちゃったからついたため息なんかじゃないから。ひとつの区切り? みたいなものがついてスッキリしたから、気分を変えるためにやったものだし。


「ううん……ありがと。ミレーユさんが、あたしのこといろいろ考えてくれてたのがわかって、うれしいよ。ちょっと残念なのはホントだけど、でももう大丈夫……だと思う」

『……本当に?』

「うん。あーでも……いつになるかはわかんないけどさ、あたしにを伝えても大丈夫かなって、思えるようになったら。あたしに覚悟とか、度胸とかそーいうのが見えるようになったらさ、その時は教えてほしいな、やっぱり気になるものは気になるし」


 何気なく言った。……つもりだったのに、みたびの沈黙が横たわってしまったので少し焦る。寝返りを打ってうつ伏せに。上半身だけ少し起こすような体勢でスマホを覗き込んでいると、ややあってミレーユさんが、小さな声で訊いてきた。


『……それまで、一緒にいてもいいってこと?』


 ……。吹き出した。そんな今更なこと訊く? って感じで。あと、ミレーユさんの語気がやたら弱々しくて、怒られないか心配してる子供っぽくて、可愛かったのもあって。

 だから次の言葉は、なんにも努めなくても今日一自然に、明るい声でスッと出た。


「もちろん!」


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