009 あなたともあろう人が



『昼間はごめんなさい』


『なにが?』


『化粧直しの時』

『よくないことを言って怒らせちゃったの』


『ああ』

『別にいいよ』

『慣れてるし。もうそんなに怒ってない』


 メッセージアプリのトークルームはしばらくこんな感じで、華々しいスタンプもなく無骨な文字列のみが流れていく。あたしはスマホを両手で包み込むように持ちながら、唸っていた。

 ショッピングから帰って、夜にはもうブロックされているものだと思ってたから、そうじゃないってわかったときにはだいぶビックリした。まだ繋がれたままでいられるなら謝っとくべきかなと思ってメッセージ送ったけど、あたしの気にしすぎだったのかもしれない。

 はーっとため息を吐いて寝転がる、トーク相手のちっちゃなアイコンをじっと見つめる。アプリで加工した自撮り写真は笑ってんだか憂いてんだかよくわからない表情をしていて、真意が読み取れない。本当に怒ってないなら、いいけど。毎日毎日些細なことで病んで泣いて通話かけてくるくせに、こういうことでは動じないのかな。動じてないフリして、どっかあたしの知らないところで吐き出してるのかもしれないけど。

 ……まあ別にそれでもいい。厄介な人だなって思い続けてるのには変わりない、だから縁が切れてもそんなに困らないし……。あ、いや困るのかな、一応仕事相手でもあるわけだし……。

 なんか、いろいろ考えすぎて疲れちゃった感ある。向こうもそんなに大事として捉えてないっぽいし、もう悩まなくてもいいかなって思ってスマホを投げ出した。寝返りを打って見上げる天井は、ラブホ特有の装飾に塗れて鬱陶しいから、目を瞑ってぜんぶ消す。このまま寝ちゃおうって決めたときにはもう眠くなってて、パジャマに着替えるのも面倒臭くって、────、





『へぇ。そんなに気に入ってくれてるの、うちの夕月のこと』


 ネットカフェ、VIPルームの一室にて。店全体で使われている回線がその部屋にだけ適用されておらず、代わりに使われているのは魔術式防護の為された専用回線。それに乗せて紡がれるはたった一つの通話だった、この部屋の主人と、ここにいない誰かの内緒話。

 部屋の主人──「何でも屋」のミレーユは、部屋着のジェラートピケに肌を預け、くつろぐ姿勢で端末をつついていた。カメラを介さない音声だけの通話。その相手として、液晶に表示されている名前は「Blasphemia」。ミレーユの取引先にして、夕月のである人間の名だ。


「うん、気に入ってるよ。こんな業界にいるのに素人臭くってさあ、付き合ってて新鮮味があるの。ちょっと失言したくらいでわざわざ謝ってくるようなの、この子が初めてだったし……」

『まあ、そういうのに飢えてるなら面白い子だよねえ……。いつまで経ってもお仕事に馴染まないの、それがいいところなんだけどさ』

「ふふ。……どうしてまた、そんな子を使ってるの? 冒涜者ブラスフェミアともあろう人が」


 備え付けの灰皿にブラックデビルを押し付ける。この部屋はもともと禁煙だったかもしれないがミレーユにとってはどうでもいいことだった。甘ったるい紫煙を吐き出して、液晶の向こうに笑いかける。


そんな踏み入った質問してくるのも、面白い話だね。そんなにあの子のことが気になるの?』

「まあ、そうだね……。興味がないって言えばウソになる。純粋に、ああいう子がキミのような人の使いっ走りになってる状況が不思議っていうのも、あるけれど。……なんだか、」

『なんだか?』

「……、……あの子、どこかで顔を見たことがあるような気がするんだよね。会ったことがあるとかそういうわけじゃないんだけど……こう、こっちが一方的に見ただけ、そういうことが、あったような……」


 そこまで言ってミレーユが沈黙に陥ると、同じようにしばし押し黙っていた冒涜者ブラスフェミアがかすかな吐息を溢す音が聞こえた。そして──それはいつしかふつふつと弾けゆくような笑い声に変わる。最後にはケラケラと大きく笑われる羽目になったのだが、声に嘲るような仄暗い色合いは含まれず、ミレーユはそれを怪訝に思った。


『あはははは! さっすが何でも屋さん、勘が鋭い? アンテナが広い? って言うのかな……。でもすごいよ、多分それはだから。見たことあるんじゃない? 出回ってちょっと流行ったのは昔の話だけど、今でも全然見られるから……』


 ただ純粋に愉快であるとでも言いたげに無邪気に笑い続ける冒涜者ブラスフェミアは、軽い通知音と共に一文のテキストチャットを投げつける。ふたつの単語を空白記号で繋げたそれは、検索エンジンにかけてサーチするためのものに見えるし、実際そうなのだろう。

 なおも怪訝そうな顔をし続けるミレーユは、通話しているのとは別回線──手持ちの、誰でも使えるようなプライベート用スマホでそれを調べた。一番上に所謂まとめサイトと呼ぶべきものが引っかかる。「検索してはいけない」。……インターネットに多少慣れてきた若者が度胸試しに利用するような、けれどミレーユほどのには子供のお遊びにしか見えないサイト。無視して、その下──あまり一般的には使用されない動画サイトへのリンク。

 なにか、あまりよくない予感がした。それでもミレーユは、震えぬ親指でそれをタップした。切り替わる画面、三角形の再生ボタンの下で誰かが目を見開いているサムネイル。「制裁」の単語が踊るタイトルとそれを交互に見て、深く重く息を吐き──再生ボタンをタップした。





 痛くて苦しくてつらくてもう嫌でやめてください助けてください許してくださいって何度叫んでもそれで喉が張り裂けそうになってもゲロ吐いちゃっても何してもやめてもらえなくて本当にもう嫌でつらくてつらくてつらくて今すぐぜんぶなくなってほしくて楽になりたい

 ──って夢をよく見る。ひどい悪夢ってこと。それで飛び起きたときにはいつもぐっちょり気持ち悪い汗をかいていて、息がぜいぜい上がっている。

 週一か二くらいのペースでよく見る悪夢なのに一向に慣れる気配はなくて、いつだって目覚めは最悪だ。しかも目を開けて一番最初に見えるのがラブホのうるさい天井なんだからもう本当に最悪なんだけど、かといって新しい住処を探すのも面倒臭い。

 繰り返し見続けるこの夢は、きっとあたしの生前の記憶というやつなんだろうと思う。創造主ブラスフェミアが言うには、あたしは相当ろくでもない死に方をしたあと蘇生してもらった身であるらしいし。だからって、こんな中途半端な思い出し方なんかしたくないし、そもそもこんなにキツいなら一切思い出したくないんだけどな……。

 いろいろ振り払いたくて頭を軽く振り、乱れた髪をぐしぐし掻いていたらスマホに通知があったことに気づく。いつものメッセージアプリ、ミレーユさんから通話が一件。当然寝てたから不在になってたけど、……なんだったんだろ。よくわかんないけど今かけ直す元気もないから放っておく。気持ち悪い汗を流したいから一回シャワーでも浴びて、それからいろいろ考えることにした。


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