008 化粧直し
水曜日、午後にほど近い午前の駅前は空いている。
それなりに栄えた街の中心駅の西口を待ち合わせ場所にしたけど、人通りはそんなに多くない。だからすぐに見つけられた──ってのは、多分違うんだろうな。
ミレーユさんは、端的に言って浮いていた。もちろん物理的にというわけではなく、世俗的なものからって意味で。まばらに行き交うスーツ姿のサラリーマンとか、低彩度の服を着て「なんとなく」お出かけに来てる人たちとは全然違う。詳しくなくてもわかる、ハイブランドの上等なロリータファッションに身を包んだ背の高い女の人ってそれだけでも目立つ。そこによくお手入れされた艶々の黒髪を流して、要所要所がバラ色に染まった美しい顔がプラスされるから、なおさら。
一瞬で見つけることができて、一瞬で帰りたいって気分になった。だってあんなガチガチの装備で来られると思ってなかった、あたしの格好なんてオーバーサイズのスウェット一枚なのに……辛うじてブランドロゴが胸元にプリントされてるやつだけど、それにしたって。化粧もしてこなかったわけじゃないけど、バチバチってわけでもないし。
「────……あ、来た来た。夕月!」
とかなんとか考えてちょっと鬱になってたら速攻見つけられるし。あたしのアタマ、目立つもんな。キンキン彩度の高い真っ赤な髪、これで地毛って言ったらだいたいの場合いい色だねって褒められるけど、個人的にはこーいう理由であんまり好きじゃない。目立ちすぎるの。
キャップ被ってくるかどうかで迷った末にめんどくさくて置いてきたのを後悔した。そういうあたしの内心とかなんにも考えてくれてないのか、はたまた察した上でどうでもいいと思ってんのかは知らないけど、ミレーユさんは上機嫌そうに笑っていた。数日前の病みきった通話なんて嘘だったかのように。
「うふ、10分前に来てくれた。けっこうマジメなんだね、ボクなんかは楽しみすぎて30分前にはここに来てたけど……。さて、じゃあ行こっか。デパートで適当にショッピングしたいなって思ってんだけど、先にごはん食べたい? お腹空いてる?」
「食べようと思ったら、食べられますけど」
「じゃ、今はあんまり空いてないってことだ。だったらもう少し後にしよう」
ふんわり広がるスカートのフリルを規則正しく翻し、てくてく歩き始めたからそれに追従する。あたし今相当な厚底靴履いてるからそれなりに背が高くなってると思うんだけど、それでもミレーユさんには届かない。だったら彼女の身長は少なくとも170センチはあるっぽい、ちらっと足元を見たけどバカみたいなハイヒール履いてるわけでもなさそうだし。
そのまま、ふんふん鼻歌を歌いながらご機嫌そうに歩く横顔をじーっと見つめていた。相変わらず綺麗な顔してる、筋はしゅっと通っているけどイヤミったらしい先端の高さだったりキツいカーブの見当たらない、大きすぎず小さすぎずの形よい鼻。くりっと丸く大きい目には不自然な切開の跡も濃ゆく引かれたラインもないのがずるい、上も下もばっちり長いまつげに縁取られているのも。ふっくらした頬にはバラ色のチークがほんのり咲いていて、リップはそれよりだいぶ濃い色だけど浮いてないのが羨ましい。
自分の髪が目立つのも嫌だけど、同行者が綺麗すぎて目立つのもそれはそれで嫌だなって思いながらとぼとぼ歩いてたら、ふと目が合っちゃってビビる。「そんなに見つめられたら照れちゃう」とはにかまれるけど、明らかにそういうのに慣れてそうな顔してたからしれっとスルーした。
そんな感じで不躾にもじろじろ観察してたら……なんか気になるっていうか、なんとなくどこかに違和感を感じちゃったんだよね。整形を疑ってるわけじゃないんだけど、なんだろう? 顔じゃなくて、なんかこう……身体、骨格? 背が高いだけじゃなくて、がっしり……とまではいかないけど、けっこうしっかりしてる感があるっていうか……。
「──もう! いつまで見つめてんのっ、ボクが可愛いのはわかるけどさぁ!」
デパートに着いてまでなおジロジロ見つめていたら流石に怒られちゃって、あわてて視線を逸らした。ワンフロア全体が化粧品売り場になってる階、あたしたちはいろんなブランドのテスターを試していた。あたしはミレーユさんの買い物に付き合うだけのつもりで自分は買う気なかったんだけど、ミレーユさんはそうじゃなかったらしい。自分の分も見繕いはするけど、たまにこれ似合いそうって言って、あたしの手にもいろいろ塗りつけてくる。それで気が晴れて病まなくなるなら全然いいし、不快ってわけでもないから好きにさせていた、けど。
ロリータ特有のフリフリした袖口から伸びて、あたしの手によく触れるミレーユさんの手はなんだか大きかった。大きいだけならまあ、背も高いしそうなんでしょうね、で終わるけど。なんか、……骨? 筋? っぽくて、かたい。ここであたしの違和感は疑念に変わり、そこから連想ゲームが始まった。
そういえば手だけじゃなくて骨格全体がしっかりしてるよな。そういえばロリータファッションって、そういうのを隠すのに都合のいいシルエットをしてるよな。そういえば。今日も、初めて出会った日も──太めのチョーカーしてたよな。そうならば、そうなのかな。
疑念をみずからの内のみに燻らせておくのが限界になったのは、お昼ご飯を食べた後だった。
「……ミレーユさん、あのさ、こういうこと言うのめっちゃ失礼かもだし、気にしてたら本当ごめんって感じなんだけど」
「ミレーユさんって、…………男?」
別の階、レストランフロアで適当な洋食屋さんに入って、ミレーユさんはパスタ、あたしはオムライスを食べて店を出たあと。化粧品はだいたい見たから次はお洋服を見ようと決めてエスカレーターへ向かおうとしてた時、あたしはついに、そう訊ねた。
ミレーユさんは──きゃはきゃは笑うのをやめて、足も止めて、じっとあたしを見ていた。そして理解しているようだった、今日あたしがやたらジロジロ見つめてきた理由を。彼女(彼?)の瞳が静かに冷えていくのを見て、さすがに不躾が過ぎたかなって思って、慌てて言葉を重ねようとして、
「あっいや、違うんだったら勿論謝るし、それを気にしてるんだったらなおさら……。あの、でも、もし本当にそうだとしてもあたし別に気にしないよ、なんか最近流行りじゃん? ジェンダーレス……? とかなんかそーいうの、だからあたしミレーユさんがオカマでも全然変だと思わな」
そこで話を途切らされた。手首を掴まれ、ずいずいどこかへ連れて行かれる。有無を言わさず強引にあたしを引きずることのできる腕力は、間違いなく男の人のものだった。
怒らせちゃった、そりゃ怒るよな、どうしよう、謝るしかない。慌ててるのか冷静なのか自分でも判別のつかない思考に溺れてる真っ最中、連れ込まれたのは多目的トイレだった。鍵をかけられて完全に二人きり、このままじゃ少しヤバいかもってようやく思い始めて、でも肩をがっちり掴まれてるから逃げられない。
とさ、と軽い音を立てて地面に落ちるショッパーたちのうちから一つを拾い上げ、器用に片手で中身を探りながら、ミレーユさんは語り始めた。
「そうさ、ボクは男だよ。それに気づかれることも別に嫌じゃあないし男扱いされるのもそこまで嫌じゃない。だけどね」
「その呼ばわり方────オカマって言われるのは、どうしてもアタマに来ちゃうんだよなァ」
彼女──いや、彼がまるでナイフを弄ぶようななめらかな手つきで取り出したのは、一本のルージュだった。イエローベースの肌色に馴染む暗いオレンジ色のそれをあたしに突きつけ、切先で肌一枚のみを切り裂くような繊細さで、あたしの唇に滑らせた。
ぴくりとも動けなかった。というか、動いたら殺されそうな雰囲気があるから動かなかった。それは単に男の膂力で押さえつけられているからという理由だけでなく、もっと別の、蛇に睨まれた蛙の心理が働いているような。とかく、あたしはミレーユさんの青い瞳に射抜かれて、死んでいた。やがてルージュが唇をぐるりと一周滑り終わると、それからも開放されたんだけど。
「……さ。これで化粧直しは終わりだね、ショッピングの続き、しよ?」
今までの剣呑さが全部冗談であったかのようにミレーユさんはパッと笑って、封のあいたルージュをあたしに握らせると、鍵を開けて外に出て行った。
「それ、元からキミへのプレゼント用に買ってたの」。にこやかに振り返りながら指差すルージュは確かにブルーベース肌のミレーユさんには似合いそうもない代物だった。だからといって、あたしこれ、別に欲しいとか思ってなかったんだけど。
……抜けた腰をどうにか支え直して、あたしもトイレを後にする。今夜全てのSNSをブロックされて関係が終わるような気がしていて、安心すればいいのか悲しめばいいのか、よくわからないまま後のショッピングに付き合っていた。
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