006 気が合うのかもしれないね
「じゃあはいこれ、ご注文のお品」
そう言って渡されたのは、一本の口紅だった。デパートで売ってるようなハイブランドの、一番人気の色のやつ。箱もショッパーもきちんと作られた一品であり、その中に件のチップが隠されているのだとすぐわかった。
ひとつ簡潔にお礼を言って、これを持って帰ればあたしのお仕事は終わり。……なんだけど、このまま帰ろうとしたらかえってウザく引き止められる雰囲気を敏感に察知している。だから、せめて大きな溜息を吐いて、さっきドリンクバーから持ってきたホットココア入りの紙コップを手に取った。これを飲み干すまではここにいます、のジェスチャー代わり。すると、目の前の人はみるみるうちに機嫌良さそうな表情になった。
「いやさあ、こんなお仕事してたら、若い女の子とお喋りできる機会なんてそうそうないから。せっかくだからたくさんお話したいなって思って。ゆっくりしていってよ。ボクはミレーユ、キミもお名前から教えて欲しいな」
「
地雷系が服着て歩いてる系の人こと、何でも屋さんのミレーユさんは缶のエナドリにピンクのストローを挿して飲んでいた。ゲーミング座椅子の肘置きにもたれ掛かって、フリルの袖口を遊ばせながらあたしを見つめて、品定めをしているらしい。
こういう風に物珍しげにジロジロ見られるのも慣れていた。
「そう、ユヅキ、夕月……。どうしてこんな仕事をしてるの? っていうのはお互い気になるだろうから、お互い秘密ね。じゃあ他に……うーん、夕月の方からボクに訊きたいことはある?」
「え? えーっと……じゃあ、どうしてここに住んでるんですか?」
「あは、住んでるわけないじゃん! お家は他にもいくつかあるよ、ここは別荘の一つってだけ」
「別荘……。じゃあここは、パソコン系のお仕事をするための場所って感じ?」
「あっははは! んなわけないでしょ、こんなところのパソコン使ってたらすぐ足がついちゃうもん」
……。なんかいちいちムカつく感じの返答をする人だな、って思った。楽しげによく笑ってるけど、そのすべてがあたしを小馬鹿にするための嘲笑だ。思わず眉を顰めつつ聞き流して、そういえば見た目ほど甘ったるく甲高い声はしてないなってふと思う。どちらかと言うとハスキーに分類される声っぽくて、よく見たら
見つめていたら、見つめていたことを気付かれる。すっとすました顔をして微笑まれるから、やっぱりこの人もこういう風に見られることに慣れてんだな、と思う。
「じゃあなんで、こんな場所を別荘にしてんですか?」
「うーん。単純に、雰囲気が好きだからかな。綺麗に整頓されたホテルより、ちょっと雑然としてて小汚い、こういうスペースの方が居心地いいの」
「あ、それはちょっとわかる……」
「でしょお!?」
同意を示すと露骨に喜ばれた。わかりやすいなと思うけど、何かしらの演技かもしれないしそんなに反応はしない。けれどミレーユさん的にはそれで十分だったらしくて、嬉々としてパソコンに向かい直って高速でなにやらカタカタキーボードを打ち込んで、エンターキーを押した先の画面をあたしに見せつけてきた。
「いやー! ボクたち結構気が合うのかもしれないね! ってことでこれボクのSNSアカウント、これを機にフォローしてってよ! アカウントくらい持ってるでしょ!?」
「え、あ、はい」
「使い方よくわかんないならボクがフォローのやり方教えてあげる、とりあえずアプリ開いてそしたらボクがこのアカウントのホームまで行くよう操作するからハイ出来た! あとはこのフォローボタン押すだけ! ほら押したからココ、ここの数字が1増えたでしょ? 見える? これでキミがボクをフォローできたってことになるの。やり方覚えた? じゃあ折角だしボクのサブアカでおさらいしてみなよはいこれがIDね。はいここに飛んでフォローボタン押す、完璧! これでサブアカもフォロー完了! ……、……こんな機会めったにないからもっかいやって完璧に覚えて帰った方がいいね、特別にボクの裏アカも教えてあげる、鍵アカなんだけど……ハイこれねこれも今までのと一緒でフォローボタン押したらよくて、でも一つだけ違うから覚えて帰ってほしいのがコレ鍵アカだからボクが承認しないとフォロー完了にならないってこと、ハイ今承認した! これで見れるでしょ!? うんうんオッケー完璧!」
「あ、あ、あ、あ、あ……」
今何が起こったのかよくわかんない。SNSアカウントのフォローの仕方くらい知ってるに決まってんじゃん流石にバカにしすぎでしょって言おうとした間に3つ、みっつものアカウントをフォローさせられてしまった。自撮りアイコンのアカウントとそれとは別角度からの自撮りアイコンのアカウントとやたら古いアニメキャラアイコンの鍵アカウント、ほとんど企業アカウントしか並んでないあたしのフォロー欄に並べてしまった。
もしかしてこの人話し相手じゃなくて新しいフォロワーが欲しかっただけなんじゃないのって思ったけど違うっぽい、呆然としながらホームボタンを押すあたしの指先を目敏く見届けて「あっメッセージアプリも同じの使ってるじゃん! これもID交換しとこうね!」って言われて即友達申請されちゃった。こうなってはもうブロックも出来なさそうだと悟った、こういう人はフォロワーがいくらでもいるくせに一人でも欠けたら瞬時にそれを見つけちゃうタイプだ。
「うふふっ、これでバッチリ繋がれたねっ夕月! ボク結構メッセ爆撃しちゃうタイプだけど返信はマメにやらなくてもいいからね、聞いてくれるだけでいいから!」
いや絶対そんなことない。1分でも既読無視したら爆速で他の人に泣きつき爆撃するタイプの人だと思う。今が初対面だけど、初対面でここまでされたからよくわかる。
すっかり忘れ去られた品物を震える手つきでなんとか手繰り寄せ、ぼろぼろの声で帰りますって言ったらニッコリ笑って「じゃ、またね」って言われた。アカウントをがっちり握れたからもうそれで満足しちゃったんだろう、あっさりと帰してくれた。けど、この日の深夜からさっそく爆撃が始まるんだから、あたしの平穏な日常は二度と失われたも同義だ。そこから塒までの足取りがどんなものだったか、帰り着いてベッドの上に転がったときにはもう、全部忘れてしまっていた。
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