005 エルジューダの香りがした



 繁華街からひとつふたつ離れた通りにある雑居ビルの4階のそこそこ設備のいいネカフェの完全個室になってるVIPルーム群の角部屋のドアを2回・3回・3回・2回の順番でノックしたら、取引相手に会える。

 指示メッセージにそう書いてあった時点で、今回はもうパスしようかと思ってた。けど、極端にめんどくさいだけで難しいこともないし、楽そうではあったから受けちゃった。ネカフェに住んでいるという「何でも屋」から、今後必要になる情報のたっぷり詰まったメモリーチップを入手する。それが今回のあたしのお仕事。

 取引相手がいるVIPルームの隣の隣あたりの部屋を借り、自分の荷物を置いてから、重い足取りで目的地へ向かう。終わったあとはここで好きなだけ遊んでいいと言われてるけど、あたしは別にネットにどっぷりのナードってわけでもないし。そもそもネットなんかスマホでアクセスできる分だけ触れれば事足りてる。ネトゲの類をやってるわけでもないし、パソコンの画質で見たい動画も特にないし、多種多様なドリンクバーだってファミレスで頼めばいい。つまるところ、あたしはこの場に適した人種じゃないのだ。

 だから、ノックする手つきは重たくのろのろしていた。かといって乱暴に叩きつけるようにしたわけじゃないから、決して失礼な感じにはなってないはず。ややあって「どうぞ」と帰ってきたから、だるい手つきでノブに手をかけて、ドアを開けた。


 ──入って一瞬でドン引いた。そこに半分住んでる人だと聞いてたから多少想像はしてたけど、それにしたって部屋の中が、好き勝手いじられすぎてる。さすがに壁紙とか天井を張り替えてるほどではなかったけど、ポスターの2、3枚は余裕で貼ってあった。なんかよくわかんない外国の映画? の、オシャレなやつ。それが貼ってある壁の向かいには、お洋服がたくさん掛けてあった。ファー付きのコートだのフリルたっぷりのワンピースだの……系統としては、ロリータ? あ、ロリィタって書くんだっけ。とにかくそういう系のお洋服が見せつけられるよう並べられてて、持ち込まれたのだろうミニテーブルとか、照明付き三面鏡とかの小さな家具は白で統一されてる。卓上に転がってるのは全部ハイブランドのコスメとか香水、有名なパッケージのものばかり。床に並べられたクッションや毛布も店で配布されてるものじゃないピンクのふわふわしたやつだし、極めつけに配置されてるゲーミング仕様の座椅子も絶対店のものではなくて、これまた白とピンクの配色かつ、うさみみの装飾付きだった。

 そんな感じで部屋全体を白とピンクでゆめかわいく装飾した張本人、座椅子に座って呑気に萌え系アニメ配信見てる人、この部屋の主で今回の取引相手であるその人は──振り向いて、にっこりあたしに微笑んだ。


「や。どうもお疲れ様──キミが冒涜者ブラスフェミアのお使いの人?」


 振り向いた余韻で靡いた長い黒髪は毛先までうるっとまとまって、エルジューダの香りがした。ぱっつんに切り揃えた重めの前髪と横顔をカバーする姫毛は垢抜けたスタイルではないけれど、それを有り余らせて顔がいい。ぱっちり丸い碧眼はカラコンの不自然さがないからたぶん裸眼で、でっかい丸眼鏡で芋っぽく装ってもなお派手な長さと量をした睫毛は誤魔化されない。ほっそり通った鼻筋は長すぎず、ていうか顔全体に余白がない。すべてのパーツが理想的なサイズをして、理想的な位置に収まってるからこれ以上弄りようがないんだと思う。それらをまとめる肌もこれまた綺麗なんだよな、つるっと瑞々しく輝いて、毛穴の毛の字も見当たらないの。

 総合して、欠点のひとつも見当たらない完璧な美貌ってヤツだな、とは思う。思うんだけど、なんだろうな、拭い去れない地雷臭ってヤツがする。かわいいんだけど、仲良くなったら十中八九ヤバい関係性になっちゃうんだろうな、みたいな……。そんな感じの女の人。そーいう人が出てくるなんてみじんこほども思ってなかったわけだから、しょうみビビって、ちょっとの間黙って立ち尽くしてたんだけど──先に向こうが破顔して、静寂が弾けた。


「あは、きゃははッ。ごめんごめん、拍子抜けしちゃって──キミの上司? 冒涜者ブラスフェミアサン、ビデオ通話したから顔は知ってるんだけど……こんなこと言うのも失礼だけどさ、典型的なダーク・サイエンティスト! みたいな見た目してるじゃない? そんな人のところから、こんな普通の女の子がやって来ると思ってなくて……」

「……あたしも、取引相手が、こんな……きれいな女の人だなんて思ってなかったから、びっくりしてます」

「きゃは、うふふっ、そお……。そう言ってもらえたら嬉しいな。さ、立ち話もなんだし、座って座って! 飲み物は何がいい? ドリンクバーにあるものしかないけど……」


 えらく機嫌よく迎え入れられた、そんな感触がした。なんかイヤな感じで長話になりそうという予感もしたので早めに切り上げたかったけど、そう行きそうにもない。こういう時だけあたしの勘はよく当たるので──諦めて靴を脱ぎ、シートに足を踏み入れた。

 「いい靴履いてるんだね」って褒めてくれたけど、そういうのはどうでもいいから帰りたいなって、早くもそう思っていた。


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