#11 もうこの気持ちに嘘はつけない、だれより美しく、愛しい人……
ラフレスに到着した晩、メイベルは国王との短い思い出をたどるように、あの小部屋に向かった。扉を開け、アンティーク家具の匂いをかぐだけで、気持ちが落ち着いてくる。
あの晩、いまは亡き国王が愛おしげに触れていたロッキングチェアの前に行き、美しく磨き上げられた腕の部分を指でなぞっていった。
ふと、その背後に小ぶりの本棚が置かれているのが目に入った。
メイベルは興味を引かれ、本棚に近づいた。側面に、小さな文字が刻まれている。
その文字を見つめているとき、部屋の扉が開いてロランドが入ってきた。
「やあ。やっぱりここにいたね」
「ええ、この部屋、すごく好きなの。落ち着くから」
ロランドがロッキングチェアに近づき、どすんと腰を下ろした。
「これは祖母のお気に入りの椅子だな。よくおぼえている」
「すてきなおばあさまだったんでしょうね」
「そうだな。とてもやさしい人だった」
ロランドがロッキングチェアの腕を懐かしそうにさするのを見て、メイベルはずっと前から気になっていたことをたずねてみた。
「亡くなられた国王――あなたのおじいさまは、とてもアンティークを愛してらしたようだったけれど、なぜかあなたはあまり関心がないのね」
ロランドは視線を遠くに据えたまましばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「古いものとか伝統は、たしかに大切だと思う。でも、それにこだわってばかりいることには疑問を感じるんだ」
「アンティーク家具を愛するのが、伝統にこだわってばかりいることになるの?」
「さあ……でも、新しいもののよさもあるはずだ」
「もちろん、そうね」
「王族は、古いものや伝統にこだわりすぎている。伯母がいい例だ。一族に平民の血が入りこんだことにひどく腹を立て、母やぼくにつらく当たってばかりだ。もうそんな時代ではないというのに」
「あなたにもつらく当たるの?」
ロランドがはっとしてメイベルを見つめた。
「伯母はだれにでも辛辣だからな。しかし、いずれ王座に就くぼくに平民の血が流れていることをよく思っていないのはまちがいない。そう思っているのは伯母だけではないだろう」
いつも自信たっぷりのロランドがそんなことを気にしていたとは、意外だった。
「伯母さまのプライドと、アンティーク家具とは関係ないと思うけれど。それにおじいさまは、お母さまのことをかわいがってらしたんでしょう?」
「そうだが、祖父も伯母の母にたいするいやがらせを止めようとはしなかった」
メイベルはロランドの目に傷ついた表情が浮かぶのを見て驚いた。プレイボーイの敏腕ファドマネージャーにも、こんな気弱な一面があったのか。
「おじいさまにしてみれば、伯母さまもかわいい娘に変わりはなかったのね、きっと」
メイベルは先ほど目にした本棚の前に立った。
「でもね、ちょっとこれを見て」そういって、本棚の側面に刻みこまれた小さな文字を指さした。
ロランドはその文字を読もうと目をこらした。かなり昔に刻みこまれたようだが、かろうじて、「ママ、だいすき」と読むことができた。
と、脳裏に記憶が蘇った。
あれはまだ寄宿学校に行く前のことだった。例によって伯母のいやがらせを受けた母が隠れて泣いているのをたまたま目撃したロランドは、ショックを受け、傷つき、そのやるせない気持ちをどこにどう発散したらいいのかわからず、部屋の本棚に母への愛を刻みつけたのだった。
ロランドは驚いてメイベルを見つめた。
「こんなものがまだ残っていたとは」
メイベルがにこりとした。
「やっぱり、あなたがつけた跡なのね」
「そうだが……」
「あのね、この程度の傷を修復するのは簡単なの、腕のいい修復師なら」
ロランドはメイベルのいいたいことがわからず、黙って彼女を見つめていた。
「ほかの箇所の状態からして、この本棚に修復師の手が入っているのはまちがいないわ。でも、この刻みこまれた文字はそのまま残っている」
「……」
「きっと、おじいさまがあえて残したのよ」
「祖父が?」
「ええ、そうとしか考えられない。おじいさまは、たしかに古いもの、伝統的なものを愛してらしたのでしょう。でも同時に、そこに刻みこまれた新たな思いも大切にしてらしたんだわ」
ロランドはぼう然としたまま、なにもいえなかった。
「伝統を守りながらも新しい風を受け入れ、家族の歴史を積み重ねようとしてらしたのね。なんてすてきなおじいさまかしら。あなたにも、その血が流れているはずよ。わたしみたいな下々の血も混じっているとはいえ」
最後の言葉は冗談のつもりだったのか、メイベルがくすりと笑った。
その笑みを見て、ロランドは胸のあたりに大きな衝撃を感じた。
伝統を守る……新しい風を受け入れながら……。
それこそ、自分が目ざすべき道ではないか?
ロランドは思わずメイベルを抱きよせた。
いきなり抱きすくめられ、メイベルはびくりとした。それでも、例によってロランドの腕のなかは心地よく、やがて力を抜いて彼の肩に頭を預けた。
そのとき、窓際に置かれたサイドテーブルに注意を引かれた。
なにかがおかしい――そんな気がしてならなかった。
このままロランドの腕のなかにいたいという気持ちとしばし格闘した結果、職人としての興味が勝り、メイベルはロランドの胸を強く押した。
「ごめんなさい、ちょっと失礼」
そういって彼の腕をすり抜け、サイドテーブルに近づいた。
やはりおかしい。まわりのアンティーク家具のなかで、妙に浮いているのだ。
手で触れてみた。
ちがう――見た目はいかにもアンティークだけれど、これはちがう。まがいものだ。
でも――
「この部屋にあるのは、すべておじいさまのアンティーク家具?」
「そのはずだが」
ロランドが不思議そうな顔で彼女を見つめた。
「でも、これはちがうわ」
メイベルはそういうと、部屋にあるほかの家具も確認してまわった。
結果、ほかにもいくつか不審な家具が見つかった。そのことを告げると、さすがにロランドも警戒心を抱いたのか、険しい表情を浮かべた。
「わかった。調べてみるよ。さすが腕のいい修復師だけあるな。ありがとう」
そのとき、扉をノックする音がした。
「殿下、お電話が入っております」
侍従のドナルドだ。
ロランドはメイベルにあきらめたような笑みを向けると、「おやすみ」といって部屋から出て行った。
ひとり取り残されたメイベルは、大きなため息をついた。
それにしても今夜はロランドの意外な一面を見た気がする。人間らしさ、とでもいおうか。そこに愛おしさを感じなかったといえば嘘になる。
王族といえどもしょせんは人間――そんなロランドの言葉が頭のなかで渦巻いていた。
* * * * *
婚約発表を翌日に控え、またしてもアグネスによって用意された衣装がメイベルの部屋に届けられた。前回着させられたのと同様、色気も女らしさも華やかさも感じられない、かちこちのテーラードだ。
あの人、どこまで意地が悪いの? ひどい……。
さすがのメイベルも腹が立ってきた。やがて、頬を涙が伝いはじめた。
なに泣いてるの? わたしったら。どうせ偽の婚約者じゃないの。なにを着たって同じよ。
でも……でも……ロランドのために、せめて婚約発表の席では美しくありたかった。
いえ、ロランドの前では、つねに美しくありたい。でも、どうして?
そのとき、ドアを小さくノックする音がした。
「はい?」
メイベルはあわてて頬の涙を拭い、応じた。
「どうぞ」
ドアがそっと開き、王妃エレノアがするりと入ってきた。その手には、白いドレスが抱えられている。
「陛下」
メイベルは軽くひざを曲げて挨拶した。
「ご挨拶が遅くなりました。今回もお招きいただきまして、ありがとうございます」
「そんな、やめて。それより、あしたはこれを着てちょうだい」
「え?」
エレノアが抱えていたドレスをさっとベッドの上に広げた。
シンプルな白のドレス。どこかで見た記憶が……え、もしかして!?
「これ、あの有名なドレスでは? 写真を拝見したことがあります」
「ええ、そうよ。このドレスのおかげで、わたしはモデルとして世界的な名声を得たの」
「たしかデザイナーの方は……」
「そう、10年前に亡くなったわ。もはや伝説的な存在ね」
「これを、わたしに?」
「そう、着てちょうだい。あした、婚約発表の席で」
でも王妃はスタイル抜群の元モデルだ。わたしに入るはずがないのでは?
メイベルの不安を感じ取ったのか、エレノアがやさしく笑っていった。
「だいじょうぶ。少し直したから。とにかく着てみて」
「はい」
こうなったからには、いちかばちか試してみるしかない。
幸い、背中のジッパーはすっと最後まで上がった。メイベルは部屋の大鏡の前に立ってみた。
「うわ……」
サイズはぴったりで、自分でも信じられないくらい女らしさが引き立てられている。
「よかった。思ったとおりだわ。ウエストの部分を少ししぼったから、ますます似合っている」
メイベルはエレノアをふり返った。
「ほんとうにいいんですか? わたしなんかが、こんなすてきなドレスをお借りして」
「なにいっているの」
エレノアがやさしく笑った。
「あなた、もうすぐわたしの娘になるのよ。これくらい当然だわ。あなたに着てもらえたら、わたしもすごくうれしい」
そういって抱きしめられ、メイベルは、泣きたいような、笑いたいような、複雑な心持ちになった。
うれしい。うれしくてたまらない。でも、もし王妃がほんとうのことを知ったら? これが偽の婚約だと知ったら……?
* * * * *
「お待たせ」
母エレノアの声に部屋の入口をふり返ったロランドは、一瞬言葉を失った。
そこには、エレノアにともなわれたメイベルの姿があった。
純白のドレスがメイベルの女らしいからだのラインを美しく浮かび上がらせている。メーキャップは上品で、少しほつれたまとめ髪には白いシャクナゲの飾り。
その姿は、美しいという言葉だけでは表現しきれなかった。凜としながらも思いやりにあふれるメイベルの個性が全身からにじみ出ていた。
「すごく……きれいだ」
メイベルは一瞬はにかんだようにうつむいたあと、やがて顔を上げてきらきらとした目でロランドを見つめ返した。
「ありがとう」
ロランドは口のなかがからからに渇き、それ以上言葉を発することができなくなった。腕を差しだしてメイベルを近くに引きよせたとき、甘美な香りがふわりと漂ってきた。からだの芯がいっきに熱く燃え上がる。
ロランドはメイベルを見つめたまま、しばらくその場を動けなくなった。
なんて美しいんだ。
「ロランド、気持ちはわかるけれど、みなさんお待ちかねよ」
母の声でわれに返ったロランドは、ようやく歩きだそうとして、ふたたび足を止めた。タキシードのポケットから小箱を取りだし、メイベルに差しだす。
「きょう、きみにこれをつけてもらいたいと思って」
小箱のなかの美しい指輪を目にすると、メイベルは感激の声を上げた。
「すてき!」
「ぼくのひいおばあさまの指輪だ。婚約指輪にしろと、祖父が贈ってくれた」
「まあ……でも……?」
メイベルがロランドに問いかけるような視線を向けた。
「きみは、これをつけるにふさわしい女性だ」
ロランドはメイベルの左手の薬指に指輪をはめた。
「ぴったりじゃないか」
「ありがとう」
メイベルの輝くような笑みに、ロランドはますます魅了された。婚約発表の場に向かう途中も、横にいるメイベルから目を離すことができなかった。
だれより美しくて……愛しい人……。そして、大切なことに気づかせてくれた賢い女性。
会場に到着すると、いっせいにフラッシュが焚かれた。たがいに熱いまなざしを向けるロランドとメイベルの姿を、大勢の記者たちがカメラにおさめていく。若いふたりの姿は、新しい王室のイメージそのものだった。
ロランドは記者たちの問いににこやかに応じるメイベルを見つめるうち、もはや自分の気持ちに嘘をつけないことを悟った。
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