#9 アマゾネスと王子の恋!?

 もうそろそろ朝食の席に行かなければ。

 翌朝、メイベルはそう思いながらも部屋でぐずぐずしていた。

 ゆうべの出来事を思うと、気まずくてしかたがなかった。しかしロンドンへの出発時間も迫っており、ついにはあきらめて朝食室に向かった。

 部屋では国王とロランドの両親、そしてロランド自身が席に着いていた。メイベルの姿に気づくと、ロランドが立ち上がって迎え入れてくれた。

「おはよう」

「おはよう」

 メイベルはうつむき加減でそう応じたあと、国王とロランドの両親に向かって頭を下げた。

「おはようございます。遅くなって申しわけありません」

「さあ、こちらへ」

 国王がやさしい笑みを浮かべて手招きした。

「今朝、発つと聞いたが」

「はい。仕事がありますので」

 メイベルは国王の前に行き、軽くひざを折って挨拶した。

「そうか、残念だがしかたがない。また遊びに来てくれるね?」

 国王が手を差しだしてきたので、メイベルはその手をそっと取った。温もりが感じられたが、ごつごつと骨っぽく、やせ細った手でもあった。

 やはり体調を崩されているのだろうか? 偽の婚約者であることが、とても心苦しい。こんなにやさしい国王なのに。

「はい、また必ずまいります」

 メイベルは国王の目をまっすぐ見つめて答えた。

「待っているよ」


     * * * * *


 朝食が終わり、いよいよ王宮をあとにする時間になった。

 玄関前で黒塗りの送迎車が待ち構えるなか、ロランドと両親が見送りに出てくれた。

「またロンドンで会おう。ぼくも数日後には戻るから」

 ロランドがそういって、メイベルの頬に軽く口づけした。それだけでメイベルの胸は高鳴り、頬が熱くなってくる。

 いやだ、わたしったら。

 メイベルは動揺をごまかすようにロランドの両親に向き直り、深々と頭を下げた。

「ほんとうにお世話になりました」

 エレノアが一歩近づいた。

「会えてうれしかったわ。またすぐ遊びに来てちょうだいね」

 そういって、メイベルをぎゅっと抱きしめる。

 メイベルの胸が熱くなった。なんてやさしい人なのだろう。

「それまで元気で」

 アレクシスが言葉を継いだ。

「はい、ありがとうございます」

 メイベルはくるりと背を向け、送迎車に乗りこんだ。

 どんどん離れていく王宮を車窓から見つめながら、メイベルは複雑な思いを噛みしめていた。

 国王も、ロランドのご両親も、みんないい人だった。あの人たちを裏切るなんて。それに、自分の気持ちも……?

 でも、しかたがない。そういう契約なのだから。


     * * * * *


「出てきたぞ!」

 玄関ドアを開けた瞬間、そんな叫び声と同時に閃光が弾け、メイベルは思わず顔を背けた。

「な、なに!?」

 顔の前に手をかざし、おそるおそる視線を戻してみる。

「メイベル・ワデルさんですね!?」

 見れば、タウンハウスの前に10名ほどの男たちが集まっていた。みなずっしりとしたカメラを手にしている。ふたたびフラッシュが焚かれた。

「ちょっと!」

 メイベルは抗議の声を上げた。

「いったいどういうことですか?」

「オアシス氏との挙式の日取りは?」

「知り合ったきっかけは?」

「どんなプロポーズをされたんですか?」

「ラフレス国王からのお言葉は?」

 メイベルはあまりのことに口をあんぐり開けたまま、男たちを見つめるばかりだった。

 そのとき背後からジュディスが顔を出し、事態を把握すると、メイベルの腕を引っ張って家のなかに引き戻した。

 玄関ドアをばたんと閉め、鍵をかけたあとも、メイベルはなにがどうなっているのかわからず、ぼう然としていた。

「まずいことになったわね」

 ジュディスが玄関わきの小窓から外のようすを確認しながらいった。

「あれ、パパラッチよ」

「パパラッチ?」

「そう」

「でも、どうして?」

 ジュディスがあきれたように天を仰いだ。

「あたりまえでしょ? あなた、ラフレスの王族と婚約したのよ。まあ、偽の婚約だけど。しかも祝祭で、公衆の面前で濃厚なラブシーンを演じたっていうじゃないの」

 メイベルは頬をまっ赤に染め、うつむいた。

「だって……」

 ジュディスは、半分おもしろがっているようだった。

「だってもなにもないわ。とにかく、今後は服装にも気をつけたほうがいいかもね」

 そういって、例によって作業着姿のメイベルをじろっとにらみつけた。

 メイベルも自身の姿を見下ろした。

「たしかに、王族の婚約者には見えないかも」

「だわね」

 ジュディスがくすりと笑った。

「でも、これがほんとうのわたしだから、しかたがないわ」

 メイベルもあきらめたように笑った。

「まあ、いずれ婚約が流れたってことになれば、騒ぎもおさまるわよ」


     * * * * *


 しかし翌日、思っていた以上に事態が深刻であることが判明した。

 三流紙が、ラフレス王族の婚約者ながらダサい作業着姿の大柄なメイベルについておもしろおかしく書き立てたのだ。

「アマゾネスと王子の恋?」

「男勝りの婚約者」

 そんな見出しが紙面を飾った。

 だが問題はそこではなかった。なんとメイベルの家族にまで取材がおよんでいたのだ。「田舎者一家から玉の輿」

「婚約者の父を直撃!」

 等々。

「嘘でしょ!?」

 記事を読んだメイベルは思わず大声を上げた。

 ジュディスが肩越しにのぞきこんできた。

「家族まで巻きこむなんて、ほんとさもしい連中よね。相手にすることないわ」

 ジュディスはふんと鼻で笑った。

 ところがメイベルが真っ青な顔で突っ立ったままなので、ジュディスは元気づけるようにいった。

「だいじょうぶよ。連中も大衆も飽きっぽいから。ロランドとの婚約がおじゃんになったとなれば、なんでもなくなるわ」

「でも、両親を傷つけてしまう……」

 メイベルはぽつりといった。

「むしろご両親は状況を楽しんでるんじゃないかしら? こんな機会、人生でめったに味わえないもの」

「いえ、そうじゃなくて……」

 その不安げな表情に気づき、ジュディスはメイベルをソファにすわらせた。

「どうしたの? ほかにもなにかあるの? あなた、必死でお金を貯めている理由について、なにも話してくれないけれど、ひょっとして、それってご家族となにか関係があるの?」

 メイベルはジュディスの心配そうな顔を見つめたあと、ふうっと大きなため息をついた。「じつは、そうなの」

 もう話してしまおう。そのほうが、気持ちが楽になる。

「わたしに姉がいることは話したかしら?」

 メイベルはたずねた。

「ええ、学生時代になんとなく聞いたことがあるかも」

「5歳離れた姉がひとりいるの。フィリー。その姉が、5年前、つき合っていた男にだまされて、悪事に手を染めてしまったの。詐欺行為よ。それが発覚したあと、姉はその男と一緒に逃げてしまった」

「そんな……」

 ジュディスが表情を曇らせた。

「幸い、父が全額返済するという条件で、告訴は取り下げられた。でも、当時地元で経営していた会社と家を売り払っても、まだまだ足りなくて。もちろん、姉からはいっさい音沙汰なし。問題はお金のことだけじゃなくて、詐欺師の親ってことで両親は地元にとどまっていられず、田舎にいまの小さな家を買って引っ越さざるをえなかったの」

「お姉さん、ひどい男に引っかかったのね」

「ええ。被害者の女性……もう年配の女性だったんだけれど、その人は事情を理解してくれて、少しずつでも返してくれればいい、って待っていてくれたの。わたしももう仕事をはじめていたから、両親と3人でこつこつと返済してきた。でも、その女性が最近亡くなってしまって。そうしたらその息子夫婦が、すぐにでも借金を全額返済しろ、って……」

「親に似なかったのね、その息子」

「そうね。どうやらギャンブルで借金があるみたい。だから先方も必死なのよ。とにかく、そういうわけですぐにでも大金が必要だったから、ロランドの提案はある意味とてもありがたかったの」

 メイベルはそこでいったん言葉を切り、深いため息をもらした。

「でもこんなふうに新聞でわたしや家族のことが取り上げられたら、姉についても調べられてしまうかもしれない。そうなれば、また両親は恥辱にまみれて、いまの場所にもいられなくなってしまう。これまでさんざんつらい思いをしてきたのに、さらにそんな思いをさせるなんて、とても耐えられない!」

 そこまで話すと、メイベルはがっくりとうなだれた。

「そうだったの」

 ジュディスがメイベルの肩に手をかけた。

「知らなかった」

「ちゃんと説明しなくてごめんなさい。でも、とてもいえなくて」

「そんな! 友だちじゃないの、わたしたち」

「そうね、ごめんなさい」

 こうなったからには、もう引き下がるべきかもしれない。ロランドとの契約を解消すべきなのかもしれない。

 メイベルはきっと顔を上げ、ジュディスに宣言した。

「ロランドとの契約は解消してもらう」

 ジュディスが驚いた顔をした。

「王族のアンティーク家具はあきらめるの? 将来のコネも?」

「両親を守らなきゃ。いま解消すれば、家族の秘密もきっと守られる。ロランドにきっぱり断るわ」

「そう……」

 ジュディスが探るような視線を向けてきたが、メイベルはなにもいわなかった。しかし、心の奥底でなにかがうずくのを感じた。いや、痛みというべきか。

 でも、どうして? 最初から、これは偽の婚約だったのだから、傷つくはずはないのに。そうでしょう?


     * * * * *


「ちょっと! メイベル!」

 メイベルはジュディスの大声に叩き起こされた。

「んんん……なに? いま何時?」

「五時」

「朝の?」

「あたりまえでしょ! それより大変なニュースよ!」

「ずいぶん早起きね」

「早起きしたんじゃなくて、いまさっき帰ってきたところ」

「そう……で、大変なニュースって?」

「ラフレス国王が亡くなったの!」

「え!?」

 メイベルはベッドからがばっと起き上がった。

 そんな、つい先日会ったばかりなのに!

「見て!」

 ジュディスが携帯を目の前に差しだした。そこにはラフレス国王崩御を伝える速報が表示されていた。

 メイベルの脳裏に国王のやさしい笑みが蘇った。ほんの短いひとときではあったが、とても温かい言葉をかけてくれた。もうあの笑みを目にできないと思うと、悲しみがこみ上げてくる。

「でもね、ニュースはそれだけじゃないの」

 ジュディスが携帯をいじり、ふたたびメイベルの前に突きつけた。

 その画面を見て、メイベルは仰天した。

「どういうこと!?」

 そこには、次期国王となるのはそれまで兄だと信じられていたフレデリックではなく、ロランドの父アレクシスだと報じられていた。

「つまりね、ロランドのお父さんは、いままで発表されていたように次男じゃなくて、じつは長男だったのよ」

「そんなことって……」

「どうやらラフレスでは昔、ふたごは不吉とされていたうえに、長男は災難に遭うことが多かったらしいの。迷信だろうけれど、とにかくふたごが生まれた場合、兄と弟をあえて逆にして育てるっていうしきたりがあったそうよ」

「そう……えっ、でもそれって!?」

 メイベルははっとして顔を上げた。

「そうなの」

 ジュディスが大きくうなずいた。

「アレクシスが次期国王ってことは、つぎの王位継承者はロランドってこと。ロランドは王太子になるのよ!」

 メイベルはあ然とした。

 そんなこと、ロランドはひと言もいっていなかった。

 いえ……。メイベルは記憶の糸をたぐりよせた。

 そういえばあのとき、なにか「こみ入った事情がある」といっていた。これがそのことなの? こみ入ったどころか、重大極まりない事情じゃないの!

 わたしは、次期国王の婚約者ということになるの? いえ、次期国王の、偽の、、婚約者……。

 やはりこの契約は解消しなければ。すぐにでも!

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