#8 平民にはねずみ色のスーツがお似合いよ
「ロランドの婚約者として、あなたにもぜひわれわれと一緒に祝祭の席についてもらいたい」
朝食のとき国王からそう告げられたメイベルは、あわてふためいた。
「でもわたし、なにも準備をしていません。今回はご挨拶だけだと思っていましたので、祝祭にふさわしい服も持参していませんし」
持参どころか、そもそも持ってもいないが。
「だいじょうぶよ」とエレノアが口を挟んだ。
「わたしたち背が同じくらいだから、手持ちのドレスをお貸しするわ」
その言葉には、メイベルのみならずそこにいた全員が驚いた。
トップモデルだったエレノアの服を、メイベルに? エレノアはいまでも抜群のスタイルを誇っている。
「いえ、至急取りよせますから、母上」とロランドがいった。
「だいじょうぶ。わたし、前々から娘がほしかったの。娘と服を共有したりするのが夢で。その夢が叶うなんて、うれしいわ。さあ、わたしの部屋にいらして」
エレノアが顔を輝かせてメイベルを連れ去ろうとした。
「お待ちなさい」
全員が声のする方向をふり返った。アグネスが口もとをゆがめていた。
「メイベルはロランドの婚約者なのですよ。ならば、彼女の着る服を選ぶのは、王族として生まれたわたくしをおいてほかにはいないでしょう。平民の出の者には、わからないこともあるのではないかしら?」
アグネスはエレノアに見下した視線を送った。
エレノアは蔑みを受けてうつむいた。
アグネスはエレノアのようすを見て勝ち誇った顔をした。そしていかにもいい伯母を演じるかのように、にこりとほほえんでみせる。
「それに、わたくしには娘がふたりおりますもの。メイベルと同年代の娘が。王族の血を引く娘です。ですから、服選びはわたくしに任せなさい」
アグネスはエレノアから奪うようにしてメイベルの腕を取り、部屋を出ていった。
あとに残された全員が、深いため息をもらした。
* * * * *
「さあ、どれにしようかしら?」
そういって不敵な笑みを浮かべるアグネスを、メイベルはまじまじと見つめた。
こんなことって!?
アグネス御用達の格式あるテーラーが持ちこんできたのは、メイベルから見てもまるでさえない服ばかりだった。女らしさなどみじんも感じられない、かちかちのテーラード・スーツばかりだ。ばりばりに活躍するビジネスウーマンならともかく、王宮の祝祭の席に出る女性にふさわしいとはとても思えない。
「あなたならきっと似合うわよ」
アグネスの蔑むような態度を見て、メイベルはこれがすべて彼女の策略であることを知った。
ロランドがいっていたように、この人は王族の血に平民の血が入ることをよしとしないんだわ。彼の婚約者として、どうあってもわたしを認めたくないようね。
どうせ偽の婚約者なのだから、認めようが認めまいが、関係ないけれど。ほんとうに結婚するわけでもなし……。
しかしそう思うと、なぜか気持ちが沈んでしまう。
いえ、ちがう。落ちこんでしまうのは、目の前にあるこの服のせいよ。
それに、べつにかまわないじゃないの。偽の婚約者だし、ロランドに恋しているわけでもないのだから、どんな服を着て、どんなにダサく見えようと。
とはいえ、なぜかロランドの前では女らしい格好をしたいと思っている自分がいた。
「あらー、いいじゃないの、お母さま!」
アンナとイーディスがそういいながら部屋に入ってきた。
「わたしが選んであげるわね」
アンナが地味なねずみ色のスーツをメイベルのからだにあてがった。
「そうね、それがいいんじゃないかしら、お姉さま。じゃあ、わたしがヘアスタイルとメーキャップを担当するわ」とイーディス。
アグネスがわざとらしく時計に目をやった。
「あら大変、もう時間がないわ。急いでちょうだい」
というわけで、メイベルに有無をいわせず、祝祭に向けた準備がはじまった。
一時間後、メイベルは鏡のなかの自分の姿にげんなりした。
色気のかけらもない地味なスーツ。ぴっちりとひっつめた髪。アクセサリーらしきものすらひとつもない。というか、これでは参加者というよりは、進行管理の業者か秘書のようだ。
こんなの、耐えられない……。
「すごく身持ちの堅い、いいお嬢さんに見えるわよ。おほほほほ」
アグネスは娘たちとひとしきり笑い声を上げたあと、メイベルを祝祭が開かれる大広間へ案内した。
メイベルは泣きたい気分だった。こんな姿でロランドに会いたくない!
ところが大広間の入口で待ち構えていたロランドは、メイベルの姿をひと目見るや、ぱっと顔を輝かせた。
「すてきだよ、メイベル」
「え、ほんとうに?」
自分ではとてもそうは思えなかったが、ロランドが心からうれしそうな笑みを浮かべるのを見て、気持ちがすっと軽くなった。
「さあ、行こう」
ロランドがメイベルの手を取り、祝祭の席に向かった。
途中、さまざまな人にメイベルを紹介するたび、まるでほんとうに愛おしく思っているかのようなやさしい視線を向けてくる。そしてメイベルにたいする態度も、あくまで紳士的だった。
なんだか、ジュディスの家ではじめて会ったときとは別人みたい。あのときは酒浸りの遊び人に見えたけれど、いまはまさしく高貴な出の紳士そのものね。
メイベルは不思議な気持ちで思った。
ロランドは、まさに王の血を引くものとしての堂々とした威厳をそなえている。
そんなことを考えているうち、ついぼうっとロランドに見とれていることに気づいた。
いやだ、わたしったら!
でも……。
この胸のときめきを、いったいどう解釈したらいいの?
ロランドは緊張気味に人々と挨拶を交わすメイベルを横目でちらちらと観察していた。地味なメーキャップのおかげで逆に美しい瞳が強調されている。それに、あのやわらかくふっくらとした唇。そしてあたかもこちらのからだに合わせてつくられたかのように、胸のなかにしっくりとおさまる肢体。
アグネスの策略により、王族の婚約者としてはずいぶん地味な格好をさせられていたメイベルだが、少なくともかちこちのテーラード・スーツを着ていてくれれば、あのティーパーティのときのように男たちの不埒な視線を受けずにすむ。
そう思うと、なぜか心が弾んでくる。ロランドはエスコートのために握ったメイベルの手を、いつまでも離すことができなかった。
人々への紹介がひと区切りついたとき、メイベルがほっと肩の力を抜くのがわかった。ロランドはいったん周囲を見わたし、自分たちが人々の注目を浴びていることを確認すると、彼女のからだをすっと抱きよせ、かがみこんで唇を合わせた。
あたりでちょっとしたどよめきが起きた。
「まあ、お熱いこと」
「若い人はいいですな」
「お式はいつかしら?」
ロランドはすぐに唇を離し、メイベルを見つめた。共謀者として目で合図を送るつもりだったのだが、頬をかすかに赤らめ、はにかむような、切ないような彼女の表情を見て、いきなり欲望がこみ上げてきた。
ロランドはふたたび唇を重ねると、さらにキスを深めていった。頭から周囲のことが遠ざかり、やがては消え去った。もはやメイベルとふたりきりの世界だ。そこにどっぷりと浸かっていた。
このまま、彼女のなかに溶けてしまいたい……。
と、いきなり足に激痛が走った。
「痛っ!」
顔を上げると、してやったりといわんばかりの笑顔があった。そして右足の上に、メイベルのかわいらしい左足が強く押しつけられていた。
「調子に乗らないでね」
メイベルが口角を上げたまま、ロランドにささやきかけた。
その茶目っ気のある表情に、またしてもロランドの心がときめいた。
* * * * *
まったく、どういうつもりなの?
その夜、メイベルはまんじりともせず、テラスで風にあたっていた。
祝祭の席で気絶しそうなほど濃厚なキスをするなんて!
おかげであのあとはなにをするにもぎこちなくなってしまい、一度などテーブルに置かれたグラスを倒してしまったじゃないの。
なのにロランドのほうは、なにごともなかったかのようにふるまっていた。
彼にしてみれば、あの程度のキスなんて日常茶飯事なのね、きっと。
メイベルはむっとして思った。
彼のほうに深い意味はなく、わたしがほんとうの婚約者であると周囲に信じさせたかっただけのこと。だからキスのあとも、あんなふうに冷静にふるまえたんだわ。
メイベルは大きなため息をもらした。
なのにわたしったら、思わずキスを返してしまって。
あのときの自分の反応を思い返すと、いまでも頬がほてってくる。唇だけでなく、からだ全体が、からだの奥深くにいたるまでが、震えていた。もっと、と求めていた。
ばかみたい……。
祝祭そのものは楽しかった。
華やかなパレード、豪華な食事……しかしそうしたものを楽しみながらも、ずっと頭のなかではロランドとのキスを再生していた。
あしたはもう帰らなければ。大量の仕事が待っている。
本来ならほっとすべきところだというのに、自分がひどく落胆していることに気づき、メイベルは切ない気分になった。
そのとき、背後から声がして、メイベルは跳び上がった。
「だれ?」
テラスの出入口からロランドがひょいと顔をのぞかせた。
「ロランド!?」
「しーっ!」
ロランドが口の前に人さし指を立てたままメイベルの前にやって来た。
「王宮じゅうに響くような声を出さなくてもいいだろう?」
「だって、びっくりしたから」
「悪かった」
ロランドが小さく笑ったあと、いきなり真剣な顔をしたので、メイベルはどきりとした。
「昼間のことをあやまりたくて。すまなかった」
「ほんとうにすまないと思ってる? ずいぶん図々しい態度だったような気がするけど」
「いや、きみがあまりに魅力的だったから、つい……」
「え……?」
思いがけないロランドの言葉に、メイベルは目を上げた。ロランドの視線とぶつかり、はっとする。
これもプレイボーイの一面? それとも……。
動転したメイベルは話題を変えようとした。
「ところで、あなたは一族のなかでもずいぶん人気者みたいね。国王陛下にもほかの親族の方々にも、あそこまで大よろこびされるとは思っていなかった」
「それだけきみが気に入られたってことさ」
「またそんな……でも、まるで将来の王妃を迎えるような歓迎ぶりで、ほんとうにびっくりしちゃったわ」
メイベルとしては状況を冗談めかしたつもりなのだが、ロランドが一瞬表情を曇らせた。
「どうかした?」
「いや」
ロランドはいったん目をそらしたあと、ふたたびメイベルに向き直った。
「いまは話せないが、じつはちょっとこみ入った事情があるんだ。そのせいで、みんな少し態度がおかしかったんだろう」
「そう……」
どういう事情なのかは、さすがのメイベルも訊けなかった。
「でも、みんなをだましていると思うと、なんだか気が引けてしまうわ」
たしかにそうだ。
ロランドも周囲のよろこびようを見て、少々うしろめたさを感じはじめていた。
たんなる王族の一員として過ごした日々が長かっただけに、ついなにごとも気楽に考えてしまいがちだった。
自分のことはともかく、メイベルを巻きこんでしまったのは軽率だったかもしれない。なにしろ一族は彼女のことをほんとうに将来の王妃と見ているのだから。一般市民のメイベルには負担が大きすぎる状況だ。
じゃあ、ここでやめるか?
いや、それは……なぜか気が進まない。
ロランドはメイベルの姿を見下ろした。
いまのメイベルはかちこちのテーラード・スーツを脱ぎ去り、ラフでシンプルなシャツとスパッツ姿になっている。ひっつめていた髪も下ろし、肩のあたりで美しい茶色の巻き毛が踊っていた。
ロランドはその素朴でくつろいだ姿にさらに魅せられた。月明かりに照らされた化粧っ気のないメイベルは、このうえなく美しかった。
「きみは、ほんとうに魅力的だ」
ロランドはゆっくりと彼女の手を取り、その甲に口づけをした。
気がつくと、唇を重ねていた。そうせずにはいられなかった。はじめは固くなっていたメイベルのからだから、しだいに力が抜けていく。
ふたりはいつしかぴったりとからだを合わせ、たがいにキスを返していた。それがやがて貪るようなキスへと変わり、ロランドの右手がメイベルの豊かな胸を包みこんだ。
そのとき、月が雲に隠れ、近くの木立からばさばさと飛び立つ鳥の音が響きわたった。
ふたりははっとからだを引き離した。魔法がとけてしまったのだ。
ロランドは夜の闇でもわかるほど頬をまっ赤に染めたメイベルをしばらく見つめていたが、やがてなにもいわずにその場をあとにした。
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