#7 おじいさま!? つまり、国王陛下!?

「ここにわたしが泊まるの?」

 メイベルは声を上げた。

 そこは、メイベルにとって〝豪華〟という言葉を遙かに超えていた。実家の総面積よりも広そうな部屋だった。

 天井にはシャンデリア、金が施された繊細な彫刻で飾られた壁と柱、真紅のベルベットのカーテンに絨毯、そして5人は楽に横になれるのではないかと思われる巨大なベッド!

 視線がベッドのところで止まり、すぐ隣にロランドがいるという事実に思いあたったとき、メイベルの鼓動が突如として速まった。

「ここにあるものは、なんでも自由に使ってもらってかまわない」

「あ、ありがとう……」

「それに落ち着いたら、この迎賓棟のなかを好きに歩きまわってもらってもかまわないから。きみがアンティーク家具専門の修復師で、王宮内の家具を見てまわるかもしれないと、あらかじめみんなに伝えておいた」

「うれしいわ」

 本心だった。長い歴史を刻んだラフレス王宮が所蔵するアンティーク家具を見てまわれる機会など、今回を逃したらもうないはずだ。

 これが最初で最後の訪問になるのだから。

「ほんとうなら、ぼくが案内してまわりたいところだが、しばらくここを離れていたから仕事がたまっていて」

「もちろんよ。わたしならひとりでだいじょうぶだから、どうぞお仕事してちょうだい。自由に探検させてもらうわ」

「よかった。じゃあ、またあとで来る」

 ロランドはそういい残すと、すたすたと扉に向かった。

 すっとのびた彼の背筋と長い脚にしばし見とれたあと、メイベルはふたたび部屋をぐるりと見わたした。

 すごい……。さすがは王宮ね。

 そこらじゅうに貴重なアンティーク家具があると思うと、いても立ってもいられず、メイベルはさっそく探検に乗りだした。


     * * * * *


 小一時間ほどかけて目についた家具一つひとつをていねいに愛でたころ、メイベルは比較的小さな一室にたどり着いた。

 扉を抜け、部屋に足を踏み入れる。

 この部屋、なんだかとてもいい感じ……。温もりがあるというか。置かれている家具はどれも貴重なアンティークのようだけれど、どれも使いこまれていて、手入れも行き届いている。使っている人間の愛情が感じられるわ。

 ふと気づくと、部屋の片隅に老人がすわっていた。手にした小箱を鹿革でていねいに磨いている。

「あ、ご、ごめんなさい!」

 メイベルはあわてて声をかけた。

 老人が驚いたように顔を上げ、メイベルを見つめた。

「いや、かまわんよ、お嬢さん。これを磨いていただけだから」

 メイベルは老人の前に行き、その手のなかにある小箱を見下ろした。どうやら宝石箱のようだ。すぐわきには道具箱が置かれており、ちらりとのぞいた印象では、どの道具もしっかり手入れされているようだった。

 出入りの職人さんかしら?

 メイベルは老人が着ている作業着から、そう察しをつけた。

「お手入れですか?」

「ああ、こいつはお気に入りのひとつでね」

 メイベルは部屋を見わたした。

「ここの家具、あなたがみんな手入れしているんですか?」

 メイベルの言葉に、老人がふふっと小さく笑った。

「そうだな。いまじゃ家具の手入れが趣味のようなものでね」

 老人はおもむろに立ち上がると、部屋の家具について、いちいちメイベルに説明していった。

 家具の手入れが趣味ってことは、引退した職人さんなのね。アンティーク家具のこと、すごく詳しいもの。

 メイベルは老人の説明に熱心に耳を傾けながら、感心していた。

 それに、この人の言葉には……ものすごく深い愛情が感じられる。

 メイベル自身、古い家具に大きな愛情を感じ、それを現代に蘇らせることをライフワークと考えていることから、その老いた職人の言葉には強く共感することができた。

「――いいだろう、これなんか?」

 老人が部屋の奥にあるロッキングチェアを指さした。優雅なカーブを描くマホガニー製のアンティークだ。

「持ち主が毎日のようにここでくつろいでいたものさ」

「ほんとうにすてきな椅子ですね。それで、その持ち主って――」

「ここにいたのか!」

 ドアのほうからロランドの声がした。

 メイベルが入口をふり返ると、ロランドが早足で近づいてくるところだった。

 ロランドは老人に顔を向け、にこりとした。

「おじいさまもいらしたんですね。お加減はいかがですか?」

 お、お、おじいさま!?

 それって、つまり、ラ、ラ、ラフレス国王陛下!?

 メイベルはさっと老人、いや、国王をふり返り、目を見開いた。驚きのあまり、言葉も出てこない。

 やがてはっとわれに返ると、あわててあとずさり、ひざを曲げて頭を下げた。

「大変失礼いたしました! まさか陛下とは知らず、無礼な態度をとってしまいました」

 国王は声高らかに笑うと、近くの椅子にゆっくり腰を下ろした。

「いやいや、きょうはなんだか気分がよくてな。たまには、ばあさんの宝石箱でも磨いてやろうと思っただけさ。ちょっと退屈しかけていたところへ、お嬢さんが来て、話し相手になってくれて楽しかったよ」

「おじいさま、ご紹介が遅れました。彼女はメイベル・ワデル、ぼくの婚約者です」

「おお、彼女が噂の女性か!?」

 国王が顔を輝かせた。

 う、噂って?

 メイベルはそう思いつつ、さらに深く頭を下げた。

「はじめてお目にかかります、陛下。このたびは王宮にお招きいただき、大変光栄に存じます」

「いやいや、堅苦しい挨拶は抜きだ。それにしても、ずいぶんアンティーク家具に詳しいんだね」

「彼女はアンティーク家具の修復師なんです」とロランドがいった。

「ほう、そうかね?」

 国王が興味深そうに眉をきゅっと上げた。

「はい。じつはロンドンの別宅にある家具も、いま彼女に修復してもらっているところなんです」

「おお。ようやくおまえもアンティーク家具のよさに目ざめたか」

 国王がメイベルににこやかな顔を向けた。

「あなたのおかげなのだろうね」

「いえ、そんな……」

「ここにもたくさんのアンティーク家具があるが、残念ながら、ただ飾られているような状態だ。しかしな、家具というのは人が使ってはじめて生きてくるものなんだよ。よかったら、ここの家具もあなたの力で日々の生活に採り入れられるようにしてはもらえまいか?」

「王宮のアンティーク家具を、ですか?」

 メイベルは目を輝かせてさっと顔を上げたが、ふたたびあわてて下げた。

「そ、そんな、畏れ多いです!」

 しかしそういいながらも、ラフレス国王がアンティーク家具にたいして自分と同じ考えを抱いていることがうれしくてたまらなかった。

「ははは、ぜひ頼みた――」

 国王がいきなりゴホゴホと咳きこんだ。

「おじいさま!」

 ロランドが駆けより、国王の肩に手をかけた。

 国王が彼を手で制した。

「だいじょうぶ。ちょっと疲れただけだ。そろそろ部屋に引き上げるとするか」

「お送りします」

 ロランドが国王の手を取った。

「きみはひとりで部屋に戻れるか?」とメイベルを見やる。

「ええ、だいじょうぶよ。ありがとう」

 国王はお加減が悪いのだろうか。

 メイベルの胸に不安がよぎった。

 しかし国王の腕を取り、背中に手を添えるロランドの思いやりあふれる姿には、つい笑みがこぼれてしまう。

 図々しいところばかりだと思っていたけれど、意外とやさしい人なのね。

 メイベルの胸がほんのりと温もった。


     * * * * *


 国王を部屋に送り届けたあと、ロランドはひとり廊下を歩きながら考えこんだ。メイベルが婚約者だと告げたときの、国王の顔が脳裏に蘇る。

 あんなにうれしそうな顔をした祖父を見るのは、久しぶりだ。それに、メイベルのことをずいぶん気に入ったようだった。

 ひょっとしたら、この婚約話が病気にもいい影響をおよぼすかもしれない。祖父には精いっぱい幸せな気分でいてもらいたいものだ。

 それに……。

 ロランドは、自分が声をかける前に祖父と会話を弾ませていたときのメイベルの顔を思いだした。目を輝かせ、きらめくような笑みを浮かべていた。口角がきゅっと上がった、あの美しい笑み。あのふっくらとした唇……。

 ぼくにもあんな笑みを向けてもらえたら……。

 そう思ったところで、はっとした。

 なんと、いったいなにを考えているんだ? これは偽の婚約だ、彼女は偽の婚約者なんだぞ!


     * * * * *


 その夜、ロランドは国王に呼びだされて寝室に向かった。巨大なベッドのまんなかにいるためか、祖父は以前にもまして小さく、弱々しく見えた。ロランドの胸がふたたび痛んだ。

 国王は孫息子の姿に気づくと、うれしそうにベッドに起き上がった。

「おお、待っていたぞ。こちらへ」

 そういって手招きする。

 国王がベッドサイドテーブルの引出を開け、なかから小箱を取りだした。

「メイベル、といったな? おまえの婚約者は。すばらしい女性じゃないか。それで――」

 手のなかの小箱を開く。

「――正式な婚約指輪はまだなのだろう? これを使うといい」

 箱のなかには、みごとなアンティークの指輪がおさまっていた。

「わしの母親がつけていたものだ」

 ロランドはうやうやしい手つきで箱を受け取った。

「でも……よろしいのですか? そんな大切なものを?」

「もちろんだ。ロランド、メイベルはすばらしい女性だ。アンティーク家具の真の価値がわかる人間は、そうはおらん。そしてそういう人間に、悪い人間はおらん。なにしろ、このわし自身がそうなのだからな」

 祖父はそういって笑った。

 ロランドはしばらく指輪を見つめていたが、やがて一歩あとずさり、深々と頭を下げた。

「ありがとうございます、陛下」

「うん。わしもうれしいよ。幸せになるんだぞ、ロランド」

 またしても、ロランドの胸がちくりと痛んだ。


     * * * * *


「なんですって!?」

 ロランドに祖母の高価な指輪が贈られたことを侍女から聞かされたアグネスは、激昂した。一方の侍女はよけいなおしゃべりを後悔しつつ、そっと部屋から出ていった。

 冗談じゃないわ。

 アグネスの怒りはおさまらなかった。

 あの指輪は自分の娘のどちらかに贈られてしかるべきもののはず。それがどうして、あんな平民の女に!?

「お母さま?」

 娘のアンナとイーディスが部屋に入ってきた。

「どうなさったの?」

 アンナがたずねる。

「どうもこうもないわ」

 アグネスは娘たちに指輪の件を伝えた。

「ええ!? あの指輪はわたしがいただけるものと思っていたのに!」

 アンナが大きな声を上げた。

「そうよね、お姉さま」

 イーディスも同調する。

「わたくしだってそう思っていたわ。まったく。いったいどうしてくれよう……」

 この婚約は必ず解消させてみせる――アグネスはふたたびそう心に誓った。

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