#3 報酬は弾む、だから修復をしてもらえないか?
キッチンカウンターに置かれた携帯がブルルルと震動した。
ジュディスはカウンターの前に行き、発信元を確認したあと、ふうっとため息をついて電話に出た。
「もしもし?」
「ロランドだ」
「どうも」
ぶっきらぼうに応じる。
「……ゆうべは、申しわけなかった」
「ずいぶん酔っ払っていたみたいだけれど、ちゃんとおぼえてるの?」
一瞬、間があいた。
「……たしか、マイクがテラスで家具を壊して……で、きみの友だちかな? 背の高い女性が、かんかんになって……気がついたら、顔にシャンパンをぶっかけられていた」
ジュディスは、ふふ、と笑った。
「彼女はメイベル。学生時代からの友だちで、ルームメイトでもある」
「そうなのか……だが、きみの友だちとしては毛色が変わっているな」
「ありがたいことにね。それはともかく、あやまるのなら彼女に直接あやまって。メイベルはアンティーク家具の修復師で、あの椅子を仕上げたばかりだったのよ」
「アンティーク家具の修復師?」
ロランドは少し驚いたようだった。しばし口をつぐんでいたが、やがてぽつりといった。「……そうだったのか……マイクのしたこととはいえ、そもそもぼくが連れていったんだし、申しわけないことをした。反省しているよ」
「メイベル、ほんとうにかわいそう。あんなに一生懸命はたらいてお金を貯めているのに。お客さまから預かった品物を直すどころか壊しちゃったんじゃ、元も子もないわ」
アンティーク家具の修復師か……。
ロランドは、前夜、激しく噛みついてきた大柄で地味な女性をなんとなく思い浮かべた。
なるほど、いかにもそんな職に就いていそうな感じだった。それに、仕事の成果をだいなしにされたんじゃ、あんなふうに怒るのも当然だ。
修復師、か……ふむ……。
ロランドは、メイベルの仕事ぶりを褒めちぎるジュディスの言葉になんとなく耳を傾けつつ、思考をめぐらせた。
服装のセンスもなっていなかったし、全体的にひどくもっさりとした印象だった。だがことによれば、むしろああいうタイプの方が適任かもしれない……。
それに昨晩、ほんの一瞬ではあるが、彼女の瞳に惹きつけられたような気も……。
ロランドは最後にもう一度ジュディスに謝罪したのち、電話を切った。
* * * * *
数日後。ジュディスの留守中に玄関のベルが鳴った。
メイベルが応対に出ると、長身のすこぶるハンサムな男性が戸口に立っていた。
「はい?」
メイベルはとっさにそういったものの、その気品あふれる雰囲気からして、これはどう考えてもジュディスを訪ねてきた客にちがいないと踏んだ。
「ええと、ジュディスはいま出かけているんですけれど」
男性はひと呼吸おいたあと、口を開いた。
「……先日は失礼した。ジュディスから、あれが客から預かった大切な品物だったことを聞いて――」
「あっ!」
あのときの!
メイベルは、目の前にいる男性がパーティのときシャンパンを顔にぶちまけた相手であることに気づいた。
「い、いえ、こちらこそ。あの椅子を壊したのは、あなたじゃなかったんですってね」
メイベルは恐縮して頭を下げた。
「いや、ぼくが連れてきた仲間のしたことだ。それに、ぼくも失礼な態度をとってしまった。ひどく酔っていたとはいえ、ほんとうに悪いことをしたと思っている」
メイベルはあらためて目の前の男性をつくづく見つめた。
あのときは頭に血が上っていたため、ここまでハンサムな人だとは気づかなかった。
軽くウエーブのかかった金色の髪、彫りの深い顔立ち。吸いこまれてしまいそうな深みのある青い目。ギリシャ彫刻のモデルと見まがうほどの美形だ。それにジュディスの話によれば、ラフレスの王族とか……。
「ぼくはロランド・オアシス。自己紹介が遅れてしまったが」
「あ、メ、メイベル・ワデルです」
メイベルはちょこんと頭を下げた。顔を上げると、ロランドがにこやかにほほえんでいた。
どんな女でもころりとやられそうな悩殺スマイルだ。メイベルは頬がかっと熱くなるのを感じた。
「じつは、おわびにと思って、これを持ってきた」
悩殺スマイルを浮かべたまま、彼が玄関わきに置かれていたものを持ち上げた。
「え!?」
メイベルは目を疑った。それは、先日無残に破壊されたのとまったく同じ犬用のアンティーク椅子だった。
「……どういうこと? あの椅子は、めったにない珍品のはずなのに」
ロランドが椅子を見下ろした。
「そうなのか? でも、いまぼくが住んでいる祖父の別宅には、こういうのがごろごろ転がっている。だからおわびにプレゼントするよ。これで客が満足するかどうかはわからないが、もしなにか面倒が起きそうだったら、連絡してくれ。先方にぼくの名前を出してもらってもかまわない」
ロランドはそういうと、さっと名刺を差しだした。ロンドンでも有名な投資銀行の名刺で、シニアファンドマネージャーの肩書きがついている。
メイベルはぽかんとした顔でロランドを見上げていたが、やがてはっとわれに返ると、首をふった。
「で、でも、これ、すごく高価なものでしょうし……」
「気にしなくていい。だれも使っていないから、置いておいてもしかたがない。そもそも、こちらが弁償すべきものだ」
「そう……ですか……」
少し迷ったが、メイベルは素直に受け取ることにした。
椅子の表面をそっと指でなぞってみる。少々埃をかぶってはいるものの、こちらの椅子はかなり状態がよさそうだ。少し手を入れれば、すぐにつくられた当時の輝きを取り戻すだろう。お客さまには事情を説明したうえで届けよう。
「ありがとう。助かります」
メイベルは、自分たちが玄関に突っ立ったまま話をしていることに思いあたった。
「気がつかなくてごめんなさい。どうぞ入って」
「それから……」
リビングに入り、ソファに腰を下ろすと、ロランドがふたたび口を開いた。
「じつはいま、ちょうどアンティーク家具の修復師を探しているところなんだ……家にはこれと同じようながらくたがたくさん転がっているものだから」
メイベルはロランドをきっと見やった。
「
ロランドは少し驚いた顔をしたが、先をつづけた。
「どれも長年放置されていたので、あちこち痛んでいると思う。ぼくにはその価値がよくわからないが、手入れを怠るな、と顔を合わせるごとに祖父にいわれるので、そろそろなんとかしたいと思っていたところなんだ。だから、きれいに修復してもらえると助かる。報酬は弾むつもりだ」
ロランドがふっと苦笑した。
「まあ、修復したからといって、使うつもりはないんだが」
みるみるうちに、メイベルの表情が険しくなっていった。
「家具は使うためにあるのよ。放置するためにあるんじゃないわ」
「え?」
「見てよ、この椅子だって、ものすごく精巧なつくりをしているでしょう? 職人が長い時間をかけて、こつこつとていねいな作業を積み重ねて、やっと完成した作品なのよ。なのに、ほったらかしにしたうえに、がらくた呼ばわりするなんて。つくった人にたいする侮辱だわ!」
ロランドは、あっけにとられながらもうなずいた。
「そう……だね」
メイベルははっとして口に手をやった。
「やだ、ごめんなさい。わたしったら……」
「いや、いいんだ」
「ごめんなさい。でも、わたしの夢は、何百年も前につくられた家具を現代に蘇らせることなの。ただ蘇らせるだけじゃなくて、現代の生活のなかで息づかせたいと思っている。使ってはじめて、家具は生きてくるから。そもそもアンティーク家具っていうのは……」
ロランドは目の前の大柄な女性をまじまじと見つめた。真剣な表情でアンティーク家具論を展開している。
先日抱いたイメージと変わらず、華やかさのかけらもない女性だ。化粧っ気なしの顔。ぼさぼさの髪。だぶだぶの作業着姿。取り柄があるとすれば……真面目なところくらいか。自分のまわりには、まずいないタイプだ。
いいぞ――ロランドは内心ほくそ笑んだ。
ただし、メガネの奥の瞳にはやはり心惹かれるものがある。瞳の色は……トパーズ色?
ふと気づくと、メイベルが黙ってこちらをじっと見つめていた。美しい瞳に見つめ返され、ロランドは柄にもなくどぎまぎした。
「それで?」とメイベルがいった。
「え? それで?」
「さっきの話だけれど?」
「あ、そうか。だからそういうがらく――作品を修復してもらえるとありがたい。いつも頼んでいた修復師が2年前に亡くなってしまって、ほかにいい職人がなかなか見つからなくて困っていた。ジュディスの話では、きみはなかなか腕がいいそうだから」
メイベルは胸を高鳴らせた。
王族が所有するアンティーク家具の修復? そんなやりがいのある仕事、ほかにある?
先日のパーティ以来、暗く落ちこむ日々を送っていたメイベルだが、ようやく心が晴れてきた。
あのときの酔っ払いぶりを思うと、この人に不信感をを抱かないではないけれど、こうして代用品を手に謝罪に訪れてくれたことを考えれば、それなりに誠実なところがあるのかもしれない。
それにこうして落ち着いて話してみると、とてつもなく魅力的な男性だわ。ジュディスの知り合いのなかでも、とりわけ住む世界の異なる人ではあるけれど。
いえ、仕事の依頼なのだから、依頼主が魅力的かどうかはまったく関係ない。とにかく、こんないい話を断る理由はないのでは?
「おもしろそうなお仕事ね。まずは作品を見せてもらえるかしら」
「了解。じゃあ来週の月曜10時に、さっきわたした名刺のオフィスに来てくれ。よろしく」
そういうと、ロランドは立ち上がってさっさと玄関に向かった。メイベルは、こちらの予定も訊かれなかったことに少しむかつきながらも、提案された仕事そのものには強く興味を引かれた。
そして、ロランドという男性にも。
* * * * *
愛車の運転席にすべりこんだロランドは、メイベルという女性が思っていたとおりのタイプであることに満足した。彼女はこれまでつき合ってきた軽薄な女たちとはちがう。ちがうどころか、正反対だ。いかにも地に足の着いた、堅実な人物。
そんな女性を「婚約者」として紹介すれば、いくら伯母でもこちらが本気だと思うにちがいない。しかも、ジュディスの話ではメイベルは必死に稼ごうとしているところだという。ついでに別宅のアンティーク家具を修復して祖父をよろこばせることができるのなら、願ったり叶ったりだ。
ロランドは口もとにうっすら笑みを浮かべ、愛車を発進させた。
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