#2 目をさましなさいよ、この酔っ払い!

 ジュディスが主催するパーティの夜。


「これでオッケー」

 メイベルはリビングの長テーブルに料理を運び終えると、エプロンを外し、両手を腰にあててテーブルセッティングをざっと確認した。

 これくらい準備すれば、もうだいじょうぶ……なはず。客はせいぜい20人くらいと聞いているし。

 それにしても、リッチなフラットよね。

 メイベルは部屋を見まわした。

 とにかく広いリビングだ。いま両親が住んでいる家がすっぽり入ってしまいそうなくらい。

 ここならパーティ客50人は収容できるだろう。

 しかも、つくりがとにかく豪華ときている。

 革張りのソファーセット。大理石のテーブル。テラスへとつづく巨大な窓。そのテラスにしても、数十人はくつろげそうな広さがある。

 全体が白で統一されているので、ともすれば無機質になりがちなところへ、ジュディスの抜群のセンスが発揮されたファブリックアートやフラワーアレンジメントが鮮やかな彩りを添えている。

 メイベルは小さくため息をもらした。

 ジュディスはほんとうに気の合う親友ではあるけれど、こと住む世界にかんしては、あまりにちがいすぎる。


「あ~、セットしてくれたのね! ありがとー!」

 飲み物を準備していたジュディスがキッチンから姿を現し、左右の手にシャンパンのボトルを握ったまま抱きついてきた。

「ほんとっ、感謝!」

 メイベルはにこりとした。

「いいのよ。じゃあ、あとは楽しんでね」

「やっぱりあなたも参加して! ね? 少しくらいならいいでしょ?」

 メイベルはジュディスから身を引き離し、手にしたままだったエプロンをたたむと、ドアに向かった。

「わたしがパーティって柄じゃないの、よく知ってるでしょ。だから遠慮しとく。仕事もあるし」

「え~、ほんとにぃ? 残念すぎる」

 メイベルはそんなジュディスににこやかな笑みを向けたまま、ドアを抜けてアトリエに向かった。


 アトリエで例によってもさっとした作業着姿に着替えたメイベルは、さっそく作業に取りかかった。

 作業に没頭するうちに部屋に熱気がこもってきたので、メイベルは少し風を入れることにした。窓を開けると、リビングのほうからパーティのにぎやかな音が漂ってきた。

 グラスを合わせる音、だれかに呼びかける声、軽やかな笑い声、そこにときおり加わる地響きのような笑い声。

 リビングとはテラスでつながっているため、テラスに出てくつろぐパーティ客の姿がカーテン越しに見えることもあった。

 なかなか盛況のようね。さすが、人気者のジュディスのパーティだけある。

 メイベルはそんなことを思いながら作業に戻っていった。


 しばらくすると、ジュディスがドアから顔を出した。

「やっぱり気は変わらない? ほんとうにこっちに来る気はないの?」

「ええ、この書き物机、早めに仕上げなきゃならないから」

「ふーん」

 ジュディスは不満げだったが、メイベルが気にせず作業をつづけていると、やがてあきらめたのか、リビングに戻りかけた。

「あ、ジュディス」

 メイベルはジュディスを引き止めた。

「お客さんには、テラスに出しておいた犬の椅子に注意してもらってね」

「だいじょうぶ。〝触るな〟って書いた紙を貼っておいたから」

「ありがとう」

「こちらこそ、お料理ありがとうね。助かったわ」

「パーティ楽しんで」


     * * * * *


 リビングに戻ったジュディスは、飲み物や料理、そして客たちのようすをざっと目で確認した。みんな楽しんでいるようでなによりだ。

 集まった客は25人。

 思っていたより多めだけれど、メイベルが料理をたっぷり用意してくれたし、お酒もまだまだ余裕があるし、問題なしね。

 そう思ったところで、玄関のベルが鳴った。

 他にもまだ招待してた人、いたかしら?

 ジュディスがベルに応じてドアを開けると同時に、数人の男たちが騒々しくなだれこんできた。

「え!? ちょ、ちょっと!」

 ひときわ背の高い男がさっとジュディスの前に立ちはだかり、彼女の両肩をぐいとつかんで顔をのぞきこんできた。

「久しぶりだな、ジュディス」

 ジュディスは目を見開いた。

「ロランド? 招待したおぼえはないけど?」

 ジュディスはやや警戒の色を浮かべた。

 ロランドは整った顔を崩してにやりとしただけで、ジュディスの肩を放して勝手に奥へと入りこみ、取り巻きをしたがえてリビングに向かった。

 全員、すでにかなり酔っているようだ。

「ラフレス王国よりロランド殿下のお越しー!」

 取り巻きのひとりがおどけた声でいうと、パーティ客がいっせいにふり返り、大きな歓声を上げた。女たちの熱い視線をまともに浴びたロランドは、気取ったようすで深々と頭を下げた。

「すっかり盛り上がっているようだな」

 ロランドは近くのテーブルからシャンパングラスをつかみ取ると、中身をぐいと飲み干した。取り巻きも同じようにグラスを手にし、あっというまにのどに流しこんでいく。

 たちどころに華やかな女たちが群がってくる。なにしろハンサムな王族というだけでなく、ロンドンの投資銀行でトップクラスのマネージャーとしてはたらく頭脳明晰な男だ。

 もちろん、財産も半端ではない。おまけにその放蕩ぶりはロンドン社交界でも知れわたっており、女たちが放っておくはずもなかった。

 ジュディスはロランドのようすをうさんくさげに見つめていた。ロランドは社交界の人気者ではあったが、取り巻きを連れてあちこちのパーティに顔を出しては度の過ぎた騒ぎを起こすことでも有名だったのだ。

 わたしの家で騒ぎはお断りよ――ジュディスはそう思いつつロランドをにらみつけた。

 そのとき、先ほどロランドの到着を声高らかに告げた取り巻きのひとりが、グラスを手にふらふらとテラスに出ていくのが視界の隅に入った。

 不安をおぼえたジュディスは、あとを追ってテラスに出た。千鳥足の男が両手を広げて星空を仰いでいる。

「最高の夜だぜ!」

 いまにも倒れそうだ。

 ジュディスはあわてて男に近づいた。

「ちょっと、もうぐでんぐでんじゃないの!」

 ジュディスは男の手からシャンパングラスをもぎとろうとした。

「なんだよっ!?」

 男がグラスを奪われまいと勢いよくのけぞった。その拍子にバランスを崩し、よたよたと数歩あとずさる。

 男のすぐうしろには、ニスを乾かすために出してあった犬用椅子が!

「ちょっと、気をつけ――」

 ばりばりっという不吉な音がテラスに響きわたった。パーティのざわめきが一瞬鎮まった。

「ウソでしょ!?」

 ジュディスは大あわてで駆けより、うめく男を乱暴に押しやると、椅子を確認した。

 無残にも、脚が三本折れていた。コンクリートでこすったのか、座面の美しいビロードには大きなすり傷がついている。

「なんてことしてくれたの!?」

 ジュディスは思わず大声を出した。

「おいおい、マイク、なにやってんだ? 困ったやつだな」

 ふり向くと、テラスの出入口にロランドが立っていた。酔った顔で笑っている。マイクと呼ばれた男がのっそりと立ち上がり、へらへらと笑った。

 かっとなったジュディスは、マイクに食ってかかった。

「ちょっと、自分がなにしたかわかってるの? この椅子は――」

「ちゃんと弁償するから気にするな」

 ロランドが口を挟んだ。

「そういう問題じゃ――」

「なに!? どういうこと!?」

 その場にいた全員がいっせいに口をつぐむほどの大声だった。

 ジュディスが顔を向けると、すぐ前にメイベルがいた。椅子の前にしゃがみこみ、その無残な姿を見つめている。

「ああ、メイベル、ごめんなさい。注意してたつもり――」

「そんな……そんな……」

 メイベルがそれでなくとも大きな目を見開き、ぼう然としているのを見て、ジュディスはそれ以上なにもいえなくなった。

 パーティ客はたがいに顔を見合わせたり、肩をすくめたりするばかりだった。

 メイベルは震える手で壊れた椅子の脚を拾い上げた。

「信じ……られない」

 しゃがみこんだまま身動きができずにいるメイベルのうしろに、いつのまにかロランドが立っていた。

「だから、ちゃんと弁償する。心配するな」

「はぁ……?」

 その軽い口調が気に障り、メイベルは勢いよく立ち上がると、くるりとふり返った。

「あなたなの? あなたがやったの?」

「え……い、いや……」

 ロランドは、メイベルの思わぬ反応にたじろいだ。

「この椅子を修復するのに、どれだけ時間がかかったと思ってるの? 自分のしたことがわかってる? この仕事がわたしにとってどれだけ大切なものか、あなたにわかる?」

「だ……だから……」

 彼女の剣幕に、ロランドは思わずあとずさった。


 なんだ、この女?

 いきなり現れて、なにをいっているんだ?

 女性にいいよられることはしょっちゅうあっても、怒鳴りつけられることなど皆無だったロランドには、目の前の事態がにわかには飲みこめなかった。

「だから、弁償するといってるだろう」

 たかが椅子ひとつの話だ。

 それにしても、ずいぶんもっさりとしたさえない大女だな。ジュディスのパーティ客とは思えない。しかし、メガネの奥の瞳はなかなか――

「目をさましなさいよ、この酔っ払い!」

 パーティ客のあいだから、はっと息をのむ声が上がった。

「え……?」

 自分の顔にシャンパンが浴びせられたことをロランドが理解するまで、一瞬の間があった。

 そのあとは大騒ぎになり、なにがなんだかわからなくなった。

 連れてきた取り巻きが大声を出したかと思えば女たちが先ほどの大女に突っかかり、ジュディスが「もうパーティはお開きよ! 帰って!」と叫んでいた。

 怒鳴りつけた大女が壊れた椅子を抱きかかえるようにして去っていく光景だけが、酔いのまわったロランドの脳裏に焼きつけられた。


     * * * * *


 アトリエに駆け戻ったメイベルは、壊れた椅子をそっと床に下ろすと、その場にへなへなとすわりこんだ。

 どうしよう……どうすればいいの……?

 ああ、なんなのよ、さっきのあの男!

 にやけた顔して、「だから、ちゃんと弁償する」ですって!?

 お金さえ払えばなんでも解決できるとでも?

 これだからお金持ちというのは……腹立たしいったら!!

 ジュディスのおかげで、せっかく実入りのいい仕事を手にしたと思ったのに、こんなことになるなんて。これじゃ報酬を手にできないどころか、弁償させられてしまう。

 報酬を手にできない……猶予は、あと少ししかないというのに……。

 メイベルは絶望的な気持ちで壊れた椅子を見つめた。

 さらに時間をかけて、無料で修復する?

 でも、わたしにはそんな時間も余裕もない。

 どうしよう!?

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