【漫画原作】王子が恋した偽りの婚約者 ― Prince and his Fake Fiancee ―
スイートミモザブックス
#1 伯母さま、花嫁はすでに決まっております
ヨーロッパ、ラフレス王国内、国王の豪奢な私室の居間。
「――というわけだ。そしてこれからは、それぞれの新しい立場でラフレス王国の繁栄に力を貸してもらいたい」
集まった王族たちは、たったいま国王から告げられた真実に、愕然としていた。
ロランド・オアシスも、驚きのあまりすわっていた椅子から腰を浮かしかけたが、すぐにすわり直した。
隣にいる父、プリンス・アレクシスをさっと見やる。
父アレクシスも驚いたように目を見開き、国王であるロランドの祖父を凝視していた。
室内の大鏡に映しだされた眉間の険しさにふと気づいたロランドは、いつものクールな外見を取り戻そうと、優雅に脚を組んでみせた。
すらりと長い脚。輝くばかりの金髪。彫りの深い顔立ち。吸いこまれそうなほど深みのある青い目。ギリシャ彫刻のモデルでもおかしくないほどの美しさだ。
しかしその胸にはさまざまな思いが渦巻いていた。
「陛下、それでは、つぎに王位を継ぐ王太子は、フレデリックではなく、アレクシスだとおっしゃるのですか?」
アグネス伯母が、冷たい表情の眉間にしわをよせ、凍りつくような声を上げた。
「そうだ。ほんとうの長男はフレデリックではなく、アレクシスなのだからな」
「ではいずれ、このエレノアが王妃の座につくと?」
アグネスがロランドの母エレノアを射抜かんばかりの目つきで見据えた。エレノアはその冷酷な視線に耐えきれず、顔をそらした。
「アグネス、おまえがエレノアの出自にこだわっているのは知っているが、わしも、いまは亡き王妃も、すでに認めたことだ」
「でも、お父さま――いえ、陛下――王族に平民が入りこんだだけでも許しがたい事態ですのに、その者が次期王妃になるなど、けっして許され――」
またか。
ロランドはうんざりした。伯母はいつまで母をいびりつづけるつもりなのか。
しかし、目下の問題はそこではない。
ロランドはしつこく国王に食い下がるアグネスに蔑むような視線を投げかけつつ、頭ではべつの思いをめぐらせていた。
これまで、父のふたごの兄フレデリックこそが、王位を継ぐ長男だとされてきた。ところがたったいま、ロランドの父アレクシスのほうが長男だと告げられたのだ。
王族の歴史のなかでふたごは不吉なものとされ、過去には、王位を継ぐ長男にたびたび厄災が降りかかったという。そこでほんとうの長男を次男とし、王位継承者を守ろうとしたのだ。
83歳になる国王は、自らの健康状態を思い、もう先は長くないと考えた。そこで未来を息子たちに託そうと、いま真実を明らかにしたのだ。
だが、問題はそこでもない。
ロランドにとっての問題。それは――父が王太子ならば、それに次ぐ王位継承権を持つのは、この自分ではないか!
いずれ自分が国王の座を継ぐなどとは、考えたこともなかった。次期国王は伯父フレデリックであり、そのあとは伯父のふたりの息子のどちらかが継ぐことになる。そう思っていた。
ロランドはふたりのいとこに視線を向けた。ふたりとも、やはり驚きを隠せないようすだ。いや、ショックを受けているといってもいい。
あたりまえだ。彼らはこれまでずっと真面目に王族としての務めを果たしてきた。将来は自分たちが国を背負って立つことになると信じて。
一方のロランドは、ロンドンでやり手のファンドマネージャーとして腕を磨きつつ、社交界でさまざまな浮き名を流すなど、王族でありながらも自由を謳歌してきた。
それに――
ロランドは憤怒の表情を浮かべた伯母をちらりと盗み見た。
この伯母がことあるごとに思いださせてくれるように、ロランドの母は平民の出身であり、その血はロランドにも流れている。自分では気にしていないつもりでも、周囲からどこか冷ややかな視線を感じたことがないといえば嘘になる。
それでもいままでは、自分は王位とは関係のない立場なのだから、と割り切っていた。そのぶん、好き勝手な生きかたをさせてもらってきたのだ。
もちろん、いずれは国の機関を支えていくつもりだった。幸い、ふたりのいとことはうまくやっている。だから将来、いとこのどちらかが国王に就任した暁には、補佐役に徹し、王国の繁栄に陰ながら貢献したいと思っていた。
ところが、まさかこの自分が王位継承権の筆頭になろうとは!
いとこたちの気持ちを思うと心が沈むと同時に、両手の指のあいだから「自由」がさらさらとこぼれ落ちていくような気がした。
ふと顔を上げると、国王が父と伯父に語りかけていた。
「アレクシス、これからのことを頼んだぞ」
国王はそういうと、反対側にすわるフレデリックに顔を向けた。
「フレデリック、これまで培ってきた知識を生かしながらアレクシスと力を合わせ、王国をさらなる繁栄に導いてほしい」
「陛下」
ふたりが立ち上がり、うやうやしく頭を垂れた。
ロランドはその光景をながめながら、人知れずため息をもらした。
と、鋭い視線を感じた。アグネスがなにかいいたげにこちらを見つめている。ロランドはぞっとした。
平民出身の母が次期王妃であることは、伯母がいくら抗議しようが、いまさらどうにかなるものではない。しかし――
「ロランド」
伯母が不気味なほど甘ったるい声で呼びかけてきた。あごをつんと上げ、いつもの尊大な表情を浮かべたままつかつかと目の前にやって来る。
ロランドは礼儀正しく立ち上がり、一礼した。
「伯母さま」
「あなたも父親に似て平民の女に目がないようだけれど、こうなったからには、せめてあなたにはふさわしい血筋の娘を娶ってもらわなくてはね」
そういって、アグネスは隣にいるエレノアを横目でにらみつけた。
「あなたの代で、わがラフレス王族を高貴な血筋に戻してもらわないと」
冗談じゃない。
ロランドはむっとした。いままで母をさんざん苦しめ、こちらを蔑んできたうえに、今度は花嫁選びに口を出そうというのか?
と、そのとき、ひらめいた。
そうだ、この高慢そのものの伯母の鼻をへし折ってやろう。
ロランドは美しい顔に温厚すぎるほどの笑みを浮かべてみせた。
「伯母さま、残念ながら手遅れです。もう心に決めた女性がおりますので」
* * * * *
「完成!」
メイベル・ワデルはニスの刷毛を握りしめたまま、ぐっと背中を反らせて思いきりのびをした。
「ふぅー、長かったーー!」
仕事に没頭していたためにぼさぼさになった栗色の髪が、ふわりと肩にかかる。
ちょうどアトリエに入ってきたジュディス・ド・マクベスが、メイベルのようすに気づいて歓声を上げた。
「終わったの? やった! これでしばらく自由の身? 遊べる?」
メイベルはジュディスに切なげな笑みを向けた。
「無理。わかってるでしょ? 貧乏ひまなしよ」
「ねえ、ちょっとくらい息抜きしてもいいんじゃない? 来週、パーティを開くの。少しは羽根をのばしたら?」
「それって、また料理を担当しろってこと?」
「わかった?」
「お見通しよ」
ふたりしてひとしきり笑ったあと、メイベルはふうっと息をつき、完成させたばかりの犬用にしつらえられたアンティーク椅子をつくづくながめた。
「なかなかいい感じに直せたと思う」
ジュディスもメイベルのわきに立ち、椅子を見つめた。
「たいしたものよね。あんなにボロボロだったのに。ほんとうに器用ね、メイベル」
「これが専門だもの」
「尊敬しちゃう。さすが大学を首席で卒業しただけあるわ。親友のわたしも鼻が高い」
ジュディスはわがことのように胸を張った。
「あ、そうそう、このあいだの伯爵家のテーブル、すごく評判よかったわよ。わたしまで感謝されちゃった」
「そう、よかった」
仕事の成果を褒められるのが、メイベルにとってなによりうれしいことだった。
「でもね」
ジュディスがメイベルに向き直った。
「いくら腕がいいからって、あなた、ちょっと仕事しすぎだと思うの」
ほらきた。
メイベルは軽く天を仰いだのち、道具を片づけはじめた。悪気はないとはいえ、ジュディスのお説教にはうんざりだった。
没落貴族出身のジュディスは、金髪に気位の高いエメラルドの瞳の持ち主。美しく華やかで、ファッションや生活スタイルのセンスが抜群だ。幅広い人脈を駆使して、高級住宅を専門に扱う不動産エージェントとして活躍している。社交界にも知り合いが多く、パーティにも足繁く通っていた。
一方のメイベルは、おしゃれにも化粧にも関心ゼロの地味な職人気質だ。背が高く、いつもだぶだぶの作業着姿で、髪はぼさぼさ。作業中の怪我を避けるためにも、かっちりしたメガネをかけている。まだ25歳なのに仕事一筋の毎日で、恋愛から遠ざかってすでに久しかった。
そんな正反対のメイベルとジュディスだが、大学で出会って以来なぜかうまが合い、生涯の友と呼べる存在になっていた。
いまメイベルは、ジュディスが一族の代表として管理人を務めるロンドンのタウンハウスに間借りしている。その一角をアトリエとして使わせてもらい、アンティーク家具の修復師として生計を立てていた。
メイベルの夢は、過去の職人が丹精こめて制作したアンティークの数々を現代に蘇らせ、それを日々の生活で活かしてもらえるような店を持つことだ。骨董ではなく、生きた家具として人々の日常に末永くより添ってほしいと思っている。
しかしいまはある事情により、とにかく稼がなくてはならなかった。
「あなた、素材はいいんだから、少しでもそれを生かさないと」
ジュディスが片づけをするメイベルをくるりとふり向かせ、メガネを外して髪をさっとまとめ上げた。
「ほら、こうするだけでいきなり美人の登場よ」
「美人になんてならないわ」
メイベルはジュディスの手をふり払い、髪をくしゃくしゃにした。
「それにいまは、仕事に専念しないと」
「どうして?」
「どうしてって……はたらかざる者食うべからず、っていうでしょ?」
「でも、はたらいてばかりじゃない」
「そんなことない」
「そんなことあるわよ。あのね、わたしみたいにフルに遊べとはいわないわ。でも女の子なんだから、たまにはおしゃれしてみたらどう?」
メイベルはジュディスをしばし見つめていたが、やがて思い切りハグをした。
メイベルはジュディスより10センチも背が高い。端から見れば、熊が人間に抱きついているように見えるだろう。
「ありがと。わたしのこと思っていってくれているのよね。でも、いまはとにかく仕事が楽しくてしかたがないの」
ジュディスがメイベルの下から抜けだすようにして身を引き離し、大きくため息をもらした。
「でもちょうどひと区切りついたところだし、今度のパーティには顔を出さない?」
そういったあと、ジュディスは茶目っ気たっぷりの表情でつけ加えた。
「せめて、お料理はお願い」
「そっちが目的でしょ」
メイベルは軽やかな笑い声を上げながら、仕上げた犬用椅子を窓からテラスに運びだした。あとは乾燥させれば納品できる。
「お料理は任せてちょうだい。ここに居候させてもらっているし、アトリエとして使わせてもらっているんだから。それにお客さまもたくさん紹介してもらっているし、それくらいは恩返しさせて」
部屋のなかに戻り、手についた埃をぱんぱんと叩く。
「ありがとう!」
今度はジュディスがメイベルに抱きついた。
「それじゃ、パーティで着る服を選ばなきゃ」
ジュディスが鼻歌交じりで部屋から出ていった。
メイベルはそのうしろ姿をにこやかに見送ったあと、ソファに倒れこむように腰を落とした。
料理を作るのはきらいではないし、おいしいといってもらえるのもうれしい。
それでも、ジュディスが開く華やかなパーティはどうにも肌に合わなかった。招待客はみんな、自分とは無縁のきらびやかな世界の人たちだ。家柄も容姿も抜群の、リッチな人たちばかり。
住む世界がちがうのよね……。
メイベルは立ち上がり、部屋の片隅に据えつけられた大鏡の前に立った。そこに映しだされたのは、色気などこれっぽっちも感じさせない女の姿。おまけに背だけは高いので、まるでもっさりした熊女だ。
メイベルは、ふたたび大きなため息をもらした。
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