カミノナイオトコ

福部誌是

第1話

「トイレから出られない」


 今の状況を端的に説明しよう。

 私はとある事情があって、とあるレストランのトイレから出られない。


 これ迄の文字を含めて1万文字以内でトイレから脱出してみせる。

 何故1万文字以内かって?それは作者の個人的な理由なので疑問にしないでくれるとありがたい。


 よって、1万文字以内で脱出しなければいけないのだ。

 時間がない。いや、文字数がない。


 まず、なぜトイレから出られないか、出来るだけ短く説明しよう。


 まず、私はつい先日付き合ったばかりの彼女と初デートでこのレストランに訪れた。

 昼食が運ばれてくるのを待つ途中、急に腹痛を感じてトイレに急ぐ。


 トイレの個室に駆け込み、用を足した所で重要な事に気が付いた。

 このトイレから出るために必要な物がそこになかったのだ。


 トイレに来る時に鞄を彼女に預けてしまったので、今持っている物は某有名な果物印スマートフォンだけだ。


 しまった。文字数を使い過ぎた。



 一旦、落ち着こう。深呼吸してトイレの中をグルっと1周見渡す。

 トイレットペーパーの替えもウォシュレットもないこのトイレに代用品なんてある訳がない。

 トイレは真っ白な壁と扉で4方を覆われている。まるで今の自分の心境を表しているようだ。まあ、トイレに閉じこもっているんだから当たり前か。




 今取るべき行動は1つ。

 それは外から助けを呼ぶ事だ。


 幸い先程書いたようにスマートフォンは持っている。画面右上に表示された現在の充電は4パーセント。


 文字数どころか充電もない。


 問題は誰を呼ぶかだ。

 ここで選択ミスをしたら私はもう助からない。一生この日の事を悔やんで生きていくだろう。

 それだけは何としてでも避けなければならない。


 候補は3人。

 1人目は外にいる彼女。

 いや、彼女だけは駄目だ。彼女に知られる事だけは絶対に避けなければならない。

 何故ならば今日は初デート。記念すべき初デートの日にこんな醜態を晒す訳にはいかない。

 一生後悔する人生を歩む事になるだろう。

 それは男のプライドが許さない。


 男のプライドまでトイレのように水に流す訳にはいかないのだ。



 ならば2人目の候補。

 それは中学からの大親友、タカシだ。

 タカシとは数々の事件を共に乗り越えた。例えばフライドポテト最後の1本争奪事件や同級生との海水浴学校指定の水着で来ちゃった事件。


 タカシならきっと助けに来てくれる。そんな願いを込めてタカシの電話番号を入力する。

 数回のコールの後にタカシが出る。


「もしもし」


 私は素早くトイレで困っている状況を伝えた。


「済まない。俺は今、自分の事を考えるので精一杯なんだ。俺は明日からどうやって生きていけばいいんだ」


 今の私より更に大きな問題を抱えているようだ。


「俺は今月支払いだった通販をすっかり忘れていた。通販の支払いは何とか全部払えたんだが、残りの生活費が非常に苦しい状況になってしまった。そんな時、俺の目にはとある建物が見えた。これが俺の運命を賭けた勝負の始まりだったんだ」


 よく分からないが災難な目にあっていることは理解出来た。自業自得な気もするが



「残りの少ない全財産を賭けた運命の大勝負にたった今、負けたところだ。あいつなら、あいつなら、あの馬なら勝てると思ったんっ」


 ピッ。電話を切った。

 奴は私のピンチを理解してくれなかった。残念だ。こんなところで友人がひとり居なくなるなんて。あの野郎にはまた今度、目の前で馬刺し食って笑ってやろう。


 さて、困ったな。3人目の候補に頼るしかなくなった。

 この店の店員を呼ぶ事だ。だが、ここで大声で助けを求め店員を呼ぶ事は彼女にもバレるリスクが高い。


 ならば電話だ。この店のホームページから電話を掛けて助けを呼ぶ。もう残された道はそれしかない。


 早速この店のホームページを調べる。

 なかなかお洒落で凝ったデザインのホームページだ。さて、この中から店の電話番号を探さなければならない。

 デザインがお洒落過ぎて見にくくて堪らない。


 ようやく電話番号を見つけたところでプツリと画面が真っ暗になる。充電が切れた。


 あのクズ野郎の下らないピンチを聴いていたせいで充電を使い切ってしまった。

 やれやれ、始末しなくちゃいけない人間が1人増えてしまった。


 まずい。もう1703文字まで来てしまった。急がなければ。



 さて、とりあえずこの状況をどうにかしなければならない。状況は振り出しに戻ってしまった。いや、思えば何も進んでいない。

 物語も1歩も発展していない。

 トイレの中から1歩出る事すら出来ていない。


 いや、むしろスマートフォンの充電も切れてしまったから後退してしまった感じまである。どうしよう。本当に困った。



 次の解決策に悩んでいると、ドンドンと眼前の扉が力強くノックされる。どうやら誰かが入って来たようだ。


 転機が訪れた。この人に代用品を持ってきて貰えば全てが解決する。



「すみません!」


 元気のいい子供の声がトイレの中に響く。その瞬間、私は絶望した。子供は駄目だ。何故なら騒がれる可能性が高い。そうすれば彼女に伝わる可能性が出てきてしまう。上げて落とされるとはこういう事か。


 まず、1度落ち着いて考えよう。相手は子供だ。返答を間違えなければ大した相手ではない。


「あれ?入ってないのかな?」


 やばい。このままでは最悪のパターンである親の召喚というイベントが起こってしまう。

 そうすれば間違いなく目立ってしまい、彼女にバレてしまう。

 早く返答しなければ。


 もう時間がない。返答はこれしかない。


「は、はいってまーす」

 蚊の鳴くような声で返答する。


「おとーさん。まだ入ってた」

 そこそこ大きな声でトイレから出て行った。


 これで一旦ピンチは乗り越える事が出来た。それに、あの子供のおかげで気付けた事がある。その点ではあの子供に感謝しなければいけないかもしれない。

 先程の子供は、まだ入ってた、と言った。


 つまり、私がトイレに入ってからそれなりに時間が経っているという事だ。スマートフォンの電源が切れてしまった為、現時刻を確認出来ない。


 トイレが長ければ彼女に心配される恐れがある。さて、ここでもう1つ問題が起こってきた。

 既に私はもう用を足してしまっているのだ。そして、ここはトイレである。密閉された空間に漂う異臭に私の鼻が耐えられなくなってきた。

 長時間流してなければそうなるのも当たり前だろう。


 いつか限界を迎えるのは目に見えている。

 出来るだけ早くこの状況を打開する為に1回落ち着こう。大きく息を吸って大きく吐き出す。


 ここで今までの状況を思い出してみよう。そうすればいい案が思い付くかもしれない。



 まず、私は彼女との初デートでこのレストランに訪れた。ここまでは順調だった。


 だが、急激な腹痛を感じてトイレに駆け込み、用を足した。そこで重要な事に気が付いたのだ。


 そう。在るべきところに在るべき物が存在していなかったのだ。トイレの中でこんなに悩む日がくるなんて思わなかった。



 私は焦った。



 この状況を打開する為に助けを求めようとした。だがクズ野郎のせいでスマートフォンの充電が切れてしまい、助けを呼ぶ事が出来なくなってしまった。


 そして、訪れた子供。

 子供に助けを求めれば騒がれていたに違いない。

 子供を適当にあしらって今に至る。

 というか、今までの状況を振り返っている時間も文字数もなかった。


 馬鹿な事をした。ただ時間と文字を浪費しただけだ。誤解しないで欲しい。決して私に浪費癖がある訳では無い。


 どうでもいい事だけど念の為にもう一度、敢えて言おう。

 決して私に浪費癖がある訳では無い。


 いやいや、こんな事をしている場合ではなかった。早くいい案を探さなければならない。そもそも、なんでこんな事になっているのか。


 急に感じた腹痛。その原因について考えてみよう。特に思い当たる節はなかったので次に行こう。

 そもそもスマートフォンの充電が4パーセントだったのがいけないのだ。もっと充電があればこんなにも悩む事はなかったというのに。


 何故あんなに充電が少なかったのだろうか。デートが楽しみで充電を忘れたのが原因だろうか?

 いや、恐らく違うだろう。というか絶対に違う気がする。


 そう。全ての原因は設定にあると思うのだ。スマートフォンの充電が4パーセントという設定が駄目なのだ。

 ここは設定を恨むとしよう。


 いや、恨んでいる時間はなかった。


 早くしなければ彼女が心配してトイレを覗きに来るかもしれない。もしかしたら、怒って先に帰ってしまうかもしれない。

 それは阻止したい。今日の初デートは何がなんでも成功させなければならない。

 今日の初デートで失敗しない為に私は自分の緊張を抑える必要があった。

 その為、朝から好物であるカップのアイスクリームを20個完食して来たのだ。


 その努力を水の泡にする訳にはいかないのだ。


 だが、いい案が思いつかない。こうしている間にも時間は過ぎていくばかり。

 何とかしなければ。


 もう3570文字まで来てしまった。

 というか、この情報は必要か?

 いや単なる文字数の無駄遣いのような気がする。

 もうやめよう。


 もうここは神頼みしかないのだろうか?

 他人に頼れない以上、神に頼るしかない。

 きっと、憐れに感じた神が必ず助けてくれる。

 どうやって?例えば私に特殊能力が宿るとか。



 この状況を打開する特殊能力。

 それこそ今の私に必要なものだ。


 例えば時間を止める能力。

 それさえあれば時間を止めて変わりの物を外から持ってこれる。

 そうだ。時を止める力が欲しい!


「時よ、止まれ!」

 何も起こらない。声の大きさが足らなかったのだろうか。


「時よ、止まれ!」

 数段声量を上げる。だが何も起こらない。

 どうやら私に宿った特殊能力はこれじゃないみたいだ。使えない神め。


 ならば、時を巻き戻す能力はどうだろうか。

 時を巻き戻せば、こんな状況になる事はない。


 いや、駄目だ。時を巻き戻せば私の記憶まで巻き戻る可能性がある。それでは何も解決しない。


 次だ。次の特殊能力は何があるだろう。

 他にこの状況を打開する特殊能力はどんなものがあるだろうか。


 いや、待てよ。

 いくら特殊能力を願ったところで神がそんなに都合よく能力を授けてくれるか?

 いや。そんな事はないだろう。


 つまり、私のこの行動に意味はあったのだろうか?


 よし。考えない事にしよう。


 うん。特殊能力が駄目なら普通に頼む事にしよう。


「神よ。どうかお願いします。私を助けてください!」



 願ったところで何も起こりはしない。当たり前だ。

 私は虚しく時間と文字数を浪費しただけだ。


 神様を信じるそこの貴方。どうか安心して欲しい。きっと、このトイレに神様はいなかったのだ。


 そう納得した所でまたしても眼前の扉が力強くノックされ、ドンドンと音が響く。


「まだ、ですか?」

 先程の子供の声だ。どうやらまた来たらしい。

 どうする。どう返答すれば親の召喚を避ける事が出来るのか。


「も、もう少し、です」

 再び蚊の鳴くような声で返答する。


「おとーさん。まだだって」

 子供はそう言いながらトイレから出て行った。


 どうやら親の召喚を回避出来たようだ。ところで何を考えていただろうか。この状況を打開する為の方法。子供に邪魔されたお陰で何を考えていたか忘れてしまった。


 頑張って思い出さなければ。何か重要な事を考えていた気がする。



 あ、神頼みしていたのだ。

 神は頼りにならなかった。いや、このトイレには神は存在していなかったのだ。


 使えない神に頼っていたら更に時間を無駄にしてしまった。ついでに文字も。


 まずいぞ。万策尽きた。

 神すら頼りにならないとは。もう自分の力だけで何とかするしかない。

 そうだ。神がいない以上、自分の力だけでこの状況から抜け出すしかないのだ。


 よし。自分の力だけで状況を打開してみせる。そして、彼女の元へ戻るのだ。


 そこへ、トントンと扉が優しくノックされる。


 どうやらあの子供がまた来たようだ。


「すみません。お店の者ですけど、大丈夫ですか?」


 違った。子供ではなかった。どうやら、この店の店員さんが心配して来てくれたようだ。


 もし、今ここで店員さんに助けを求めればこの状況は打開できる。

 自分の力だけで解決?

 そんな事無理に決まっている。自分の非を認めて受け入れる事も重要なのだ。


「すみません。アレが無いんですよ」

 恥ずかしさを押し殺して状況を説明する。


「あ、紙ですか?」


「そ、そうです」


「分かりました。急いで持ってきます」

 丁寧な口調でトイレから出ていく。

 先程の子供とは大違いだ。



 さて、店員さんは去り私は独りトイレの個室に篭もる。店員さんを待つこの時間が凄く長く感じる。


 本当にスマートフォンの充電が切れなければこんな事にはならなかったのに。


 設定さえもっとしっかりしていれば。

 もっとこの話は簡単だったのに。


 そこで慌ただしい声が私の耳に届く。


「お待たせしました!」

 トイレと天井の間から白い物体が姿を現す。私はそれを受け取る。肌触りのいい新品のトイレットペーパー。


 私はそこで自分のミスに気が付いた。

「すみません。この店に使ってないぼうしってありますか?」


 最早恥ずかしがっている場合ではない。

 勇気を振り絞って腹の底から出した声に返ってきた言葉。


「ぼ、ぼうしですか?」


「はい」


「ないですね」


 予想通りの言葉だった。きっと店員さんの頭の中は疑問でいっぱいだろう。


 トイレでぼうしを欲しがる客なんて私以外にいるだろうか


「すみません。もう少し時間がかかります」

 私がそう言うと店員さんは「分かりました」と言ってトイレから出ていった。


 まずい。本当にまずい。


 もう5408文字だ。あ、またやってしまった。

 さっき、もうやらないと誓ったのに。いや、そんな事を考えている場合ではない。


 愛する彼女が私の事を待っているのだから。

 そう、愛する彼女が待っているのだ。

 勿論、私も彼女を愛しているし、彼女も私を愛している。


 え、初デートだから付き合って間もないんじゃ?

 関係ない。

 愛とは時間ではなく深さ!


 つまり、私たちは相思相愛!

 ここで愛について考えてみよう。意外な突破口が開けるかもしれない。

 時間がない。文字数もない。


 無駄な事を考えるのは避けたい。つまり、愛について考える。

 例えば、恋人を大好きだという気持ち。

 これは愛だろう。

 他には親や子供、兄弟が大切だと思う気持ち。

 これも愛。


 つまり、愛とは人を想う気持ち。


 いや、そんな簡単に答えを出してはいけない。

 ペットを愛でる。物を大切に扱う。

 これらも愛である。




 愛さえあればこんな状況だって乗り越えられる。


 精神論において愛とは無敵なのだ。


 だから彼女を愛する気持ちがあれば自分が何かをしなくてもこの状況は打開される。

 きっと、その筈だ。


 つまり、私が取るべき行動はひとつ。

 ひたすら彼女を愛する事だ。



 そう。私は愛して待てば良いのだ。


 そうして私は便座に腰を下ろしたまま腕を組み目を閉じて彼女を愛する。


 私は今人生で1番、人を愛している!



 トントンと優しいノック音が耳に届く。どうやらまた誰かが来たようだ。


「すみません。次のお客様がトイレを待っておられます。後どのくらいかかるでしょうか?」


 先程の店員さんのようだ。


 私は黙ったまま待ち続ける。



 愛があれば他人を理解出来る。

 愛とは誰かと共に育んでいくもの。


 愛があれば出来ないことなどない。

 愛があれば奇跡だって起こせるのだ。


 きっと、奇跡が起こる。

 そう信じてその時を待つ。


 だが、いくら待っても何も起こらない。


「お客様?」

 店員さんが扉をノックしながらその言葉を連呼する。

 そろそろ返事をしなければ騒ぎになる。


「私は今、愛について考えてる。もう暫く待って欲しい!」

 胸を張って堂々と答える。


 店員さんの困惑するような声が聞こえるが、耳に届かない。

 愛があれば他人の嫌な所も受け入れられる。

 ん?待てよ。

 愛があれば他人の嫌な所も受け入れられる?


 そうだ。私の事を愛してくれている彼女のならば、ありのままの私を受け入れてくれるはず。


 酒癖が悪い私を許してくれた彼女ならきっと受け入れてくれる。

 この状況を打開するのではなく。


 このまま外に出る。


 これが答えではないのか?

 そもそも、愛する相手に隠し事をする事がバカバカしい。


 今まで何を悩んでいたのだろう。

 どうやら私はかなり小さい男だったようだ。


 心配ない。彼女なら受け入れてくれる。

 何故なら、私たちは相思相愛!



 結局ここまでの総文字数は6523文字だ。私の心のように余裕を持って終わる事が出来た。そこまで焦ることはなかったな。

 流石、私だ。


 そうして私はパンツとズボンを腰まで上げて水を流す。


 水に流され吸い込まれていく私のかつら。

 今までありがとう。これからは自分に自信をもって生きていくよ。

 私は恥じる事なく扉を開ける。


 そこには驚いた表情で私を見つめる店員さんの姿がある。


「長い間、待たせてしまってすみません!」


 ツルツルの頭を下げてから手を洗い、愛する彼女の元へ急いだ。







 後日。


 結論を言えば、私は彼女に振られてしまった。


 トイレで用を足した後、かつらが便器の中に落ちるなんて。誰が想像できるだろうか。


 ありのままの自分をさらけ出し、そんな私を見た彼女は言った。

「私、ハゲだけはどうしてもダメなんです!」



 私はあの日、髪の大切さと愛の儚さを知ったのだ。








 ※この物語はフィクションであり、実在の人物や団体とは関係ありません。

 実際にかつらを便器の中に落としてしまった場合は絶対に水では流さないで下さい。店員さんに報告するなどの対処をお願いします。

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