第10話 ともだち


 暦の上では、もう秋なのだが……とんだ裏切りの暑さを、未だに携えた九月初めの朝。片側二車線、合わせて四車線ある、わりと大きな道路に面した歩道に、シックで軽やかな夏の制服を着た二人の女子高生と、艶やかな毛並みのビューティフルな黒猫がいた。


 彼女たちの目指していたゴール、通いの月詠(ツクヨミ)学園はもう目の鼻の先!


 がしかし、非常に残念なことに、時刻はもうすでに午前9時20分近く。

 本日行われる始業式は、9時少しオーバーして5分の開始予定時間から、特段遅れることも無く粛々と進み、何人目かの、お偉いさんの退屈な話がとっくに始まっていた。


 すなわち彼女たちは、式のスタートには間に合わなかった。



 歩道を歩く女生徒の一人、眞元(サナモト)リナ。一学期までの彼女ならば、このような大遅刻という重大事態に陥っていれば、大いに焦りまくって、今のように悠長に歩いてなどいない。


 それが何故、のんびり泰然としている……か、のように振舞っていられるのは、ひとえに、このちょっとした朝の冒険のお供…と言っては叱られるが……の少女のお陰様である。


 その、もう一人の勇者、いや、謎職のプラチナヘアーのちっちゃな美少女は、転校初日という更におまけの乗った大遅刻の大ピンチの状況でも、神経細胞の一つ分も焦るどころか、ニッコリお目目をして高らかに「ガハハハ」と笑っている。


 彼女こそは、今朝、知り合ったばかりの不思議な転入生、美波羅 妹子(ビバラノ イモコ)。自身が言うには、美波羅家はとんでもないお金持ち、億万長者らしい。


 おかしいと思われるかもしれないが、リナはその点については、さほどびっくりしてはいない。どうしてかと言えば、彼女の通う月詠学園と言うのが、またとんでもないエリート校で石を投げれば、超大金持ち、大資産家のご子息ご令嬢に当たると言っても過言ではない学校だからなのだ。

 リッチな人種に免疫がある、と言ってもよいかもしれない。


 ただ、こんな耐性のあるリナが、妹子には数々の驚きを与えられた。明らかに、何かが他のお金持ちとは違うと、彼女のセンサーが告げる。



 まず妹子は、お金というモノに対しての感覚が異常にずれている。

 現に、さっき遅刻を避けるための手段として利用したタクシー代に、けた違いの金額を使った。時間にして10分ちょいと、距離にしてたかだか5キロ程度の運賃のために、300万円! を一切のためらいも無く支払った。


 お金持ち=金払いが良い、なんていう式が成り立たないなんてのは、みなさんご存じで、逆に、金持ちには、どれだけ財布が重くとも、1グラムたりとも軽くするつもりはこれっぽっちもないなんて心根の、いわゆるドケチな部類に入る者も多いだろう。


 さあ、もう一歩すすめて、考えてほしい、果たして、まったくケチではない太っ腹な性格、もっと言えば、真逆の浪費家だったとしても? 3万円なら分かるが……、30万、ましてや300万円をサラッと支払えるだろうか?


 特殊事情でこの学園に通うリナ自身は、家が貧乏であるがゆえ、どちらかと言えば節約志向が強く、なおさらのこと、妹子のような行動はとうてい取れないし、理解不能に尽きた。



 (まだ妹子ちゃんにはある! 普通じゃないダイナマイトなヒミツが!)

 リナは妹子の可愛さを目の前にとらえながら、心で断定する。


 何か不思議な感触を妹子から抱かされる。

 裏門前への駆け込みで、明らかに気が付いたこと……ポニャっとした小学生のようなちんちくりんな体形にそぐわぬ……身のこなし、体の力強さ。


 !、リナはピコンと思いついた。

 (あっ、もしかして……妹子ちゃんは……)


 先ほども言ったよう、わずか一時間にも満たない付き合いだというのに、リナは妹子に、ただの裕福なエリート層の出自と言うだけではない、いわば深みのある凄み、圧倒されるオーラのようなモノを時折感じていた。


 (そうだ……、自立……大人びた感じ。わたしや他の生徒には歴然とある、親離れしてないという雰囲気が、妹子ちゃんには全くないんだ……、そうかもしれない……)


 実は有名なプロアスリートなのではないか? 例えば……、ダンサー、それも激しい動きのブレイクダンスをメインとする選手。オリンピックの競技にも採用された新競技、ブレイキンで活躍するような世界的な選手なのでは? ならば、決して運動神経の悪くないリナも舌を巻く彼女の見せた身体能力も頷ける。


 (他にも、わたしの詳しくない、アクロバティックなスポーツが色々ある……。その何かのトップ選手で、世界中の大会で賞金を稼ぐようなプロフェッショナルなんだ! きっとそうだ)


 妹子はこの年齢で、一人で、腕一本で、自分自身の力で、大金を手に入れているのではないか? 親から貰っているのでも、先祖代々から相続したのでもない、自分で稼いだお金。その事が、他の学生たちとは違う迫力、自信、オーラとして放たれているのでは?

 

 (すごい……やっぱり妹子ちゃんはすごい……)


 リナは、正解を確かめたい気持ちもあったが、直接問うのはやめた。まず妹子が自ら言わないことだし、本当に、世間的に有名な選手であったなら、リナ自身が知らないことが、それはそれでたいへん失礼な話だと思ったからだ。



 男性をと言うより、観る者みんなを魅了する微笑みを弾けさせる妹子を、リナは優しく見守っていた。

 両親を早くに亡くし、最後の肉親である、兄さえも最近亡くし、もう誰もいなくなってしまったと言って、泣きじゃくった妹子だったが、今泣いたカラスがもう笑う、そんな言葉通りに笑っている。

 あまりの豹変、どうやら……名子役の、名演技にしてやられたという感が無くも無いが……、その大きな目に、ほんのりと赤みを残していることをリナは見逃さなかった。

 

 リナの心に、何かを突き動かす力が働く。


 こんな気持ちになったのは、生まれて初めての事。


 そんな明確な気持ち、そんな心の動きがあるのだという事を知ったのも、この瞬間だったのかもしれない。



 それは……。



 彼女と、友達になりたい。



 (分かってる……友達なんて……なりたいと言ってなれるものじゃない)


 リナ自身、この学園生活を通して振り返ってみても、ただのクラスメイトや部活仲間と言うだけの、ほとんど知り合いに毛の生えた程度の付き合いしかしてこなかったし、それでいい、別に友達なんて作らなくても困ったりはしない、そう思い、言い聞かせてきた。


 誰もが同意するところがあるだろう、学校という、ただでさえ関係を築くということが、実はなかなか難しい閉鎖社会の中、さらに彼女ゆえの特殊な事情もあり、どんなグループにも属しにくいという理由もあった。


 いずれ分かるが……しかもここは『月詠学園』である。



 タクシーの中で、妹子はリナを友達だと言った。

 きっとそれは、誰もが気軽に口にする『友達』にすぎない。

 それぐらい、リナは分かっている。


 (親友なんて分からない……でも、『ともだち』そう呼べるような子が…いたら…もし……もし……だけど……)


 ヒトの価値が数値で表されるなら、リナと妹子では桁違いだろうと理解していた。


 (妹子ちゃんには……わたしなんて……でも…でも)


 誰しも、スーパースターを前にして、圧倒的なカリスマを前にして、夢がかなうなら知り合いになりたい、お近づきになりたい、友達になりたいと思う。

 たとえ、あまりにも強い憧れの存在で、神聖視していたとして、そんなことを考えるなんて滅相も無いと口で言ったとしても、偽れない心の底にはある思い。

 そんな焦がれに近いものがリナの心を支配していた。



 リナは決断し、あることをしなければならないと知っていた。

 それはこの先へ進むための儀式ともいえる。


 (そう……分かってる)



 リナは行動に出た。

 まず一手目は、回り道の会話、から。



 重要な話に移る前の軽い露払い、その話。


 「ねえ、妹子ちゃん。さっきの門のところで…」


 「ん?」


 「また、なにかすごいこと考えたでしょ?」


 妹子は驚いた仕草で両目を少し開き、すぼめると、愉快そうに答えた。


 「フフフフ……さすが……リナ。分かっちゃった?」


 「ええ。あの大きなガードマンさんに……」


 うんうんと妹子は、こぼれる笑いを隠せずに頷く。


 「また、お金をたくさん渡そうとしたでしょ!」


 リナは自信満々で、そう言い切ったが……妹子の方はキョトンとしている。


 「……」



 (え? 違った?)


 妹子は呆れたように、掌を上に向けた両手を肩まで上げて鼻からふぅ~っと息を吐く。



 リナは今まで生きてきて一番真っ赤になった、顔全体が。


 「リナちゃんよ~、あたしがナンでも、お金で解決すると思ったら、大間違いだぜぃ」


 「ニャ~」

 ご主人に忠実な黒猫が合わせるように鳴いた。


 「ご、ごめん……なさい……」


 心から、どこかに隠れてしまいたいと体を縮ませ、蚊の羽音のような小ささで、何とか謝るリナ。

 妹子が伝家の宝刀ともいえるマネーのほかに、一体どんな秘策、打開策を用意していたというのか? リナには全く想像できなかった。



 特に腹を立てた様子も傷ついた様子も全く無く、ダメダメな生徒にやさしく教える先生の様に妹子はリナに語りかける。


 「あのでっかいおっちゃんは、な~んだ? ん? そうだぜぃ! 門を守る門番、あの入り口の番人でしょ?」


 妹子センセーは、いつもの可愛らしいポーズ、スーパーマンやスーパーヒーローが自信満々に大地を踏みしめ腕を組むポーズで、真っ白なお餅のような顎をちょっと斜めにして、生徒に答えを、至極簡単な解決策を披露した。


 「番人が立ってるなら~そいつさえポカポカっとやっつけてしまえば、問題なく通れるのだ! そんなの常識なのだ! それがルールというものなのだ」



 それを聞いたリナの赤かった顔は、シュッという音と共に白くなり、同時に目が点になった。


 「ア、ハハ…ハ…ハ」


 何とか、彼女のジョーク!? に付き合えるようにと、軽く笑い声を出す。


 「ま、またまた…妹子ちゃんったら……お、面白い冗談を……言うんだから」


 (まって、まって……妹子ちゃんが、とっても身軽なのはわかるけど……そ、そんな、あのガードマンさんを……た、倒す?? 隙をついて、さっきみたく門をよじ登るじゃあなく?? 柔道? あ、合気道?? ウソウソ! 無理だよ!! え、え~一体どんだけ体重差があるのよ? ちょっとまってよ……大人と子供どころじゃないよ……まさか!? す、素手で?? パンチ? キック?? なにかの格闘技?? 忍術??? え~、ゲームみたいに勇者の剣でもあるならまだしも……いやいやいや、それでも無理、ムリ!! せめて銃ぐらい無いと……)


 リナは心の中で、妹子のぶっ飛んだ非現実的な発想、普通なら明らかな冗談だと分かってるはずなのに、なぜだか知らないが、いろいろな角度で反論していた……。


 そう、なぜなら……、妹子の眼差しが……、そう言った妹子の態度が……、全く一点の曇りなく真剣だったから。


 「ガハハハッ」


 妹子は、ますます盛大に笑った。


 この場で、ご本人以外に真実を知るのは黒猫だけ。

 「ニャニャニャ…」


 結局リナは冗談だと受けとったが、これまた、べつに妹子は気分を害することはなかったようで、笑顔を絶やしてはいない。どうやら、面白いと言われたことを喜んでいる節がある。



 月詠学園の正門を目の前にして、足を止めている、女子高生二人と黒猫。


 たかだか二学期初日の通学のわずかな時間を、小冒険などと称して、いったい何時までリソースを費やすんだ!? と、そろそろお怒りの声も聞こえてきそうなタイミング。



 リナはスッと真顔に戻る。

 さあ、いよいよ、やらねばならぬことをする。


 もちろんまっとうな神経ならば、ただでさえ遅刻なのだから、こんな冗談を言い合って笑ってないで、さあ早く、小走りにでも校内へ向かおうと、ここらで言うべきだろう。


 だが彼女は足を止めてこう言った。


 「妹子ちゃん、さっきのタクシー代を払う」

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愛し薔薇色とうたう君、されど黄金たる輝きに眩むボクの虹彩 亜牙憲志 @KAPIHERO

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