第4話 猫


 「ビバラノさん?」


 前をてくてく行く少女との距離を、リナは思い切って縮めると、後ろから声をかけた。


 (制服は間違いない、けど……この子は、同じ二年生だと言った? ……でも)


 いくら個性的で、目立ち、カリスマを帯びたオーラを放つ生徒が、たくさん校内を闊歩している月詠(ツクヨミ)学園とて、さすがに妹子(イモコ)ほどの特異な容姿の生徒がいたのなら、気が付かないはずがない。


 「なに? 妹子でいいけど、リナ? 呼び方」


 そう言いながら速度を少し落とし、真横に並んだ。


 頭のてっぺんがリナの肩の下あたりなので、こちらを見上げるように、つぶらな可愛い目を向ける。

 茶色以上に、少し赤みがかった虹彩はシロウサギのぬいぐるみを想起させ、思わず抱き上げたくなるキュートさだ。


 これはもう同級生との登校というより、もし居ればという想像ではあるが、まさに妹の付き添いで送り迎えでもしている感覚。


 「い、妹子さん。……あの~、もしかしたら、転校生!?」


 リナには、この点についての知識は疎かったために、転校生だという推測に、そこまでの驚きは起きないが、月詠学園の歴史を知る者にとっては、このような中途半端の時期に転入など、異例中の異例だった。


 「そういう事、今日から」


 答えた後、妹子はさも困ったように何度か左右に首を振って、つづけた。


 「ったく『さん』はいらないぜぃ……でもさぁ、どうしても、このあたしを尊敬するってんなら……」


 ぐぃッと、親指を上げ、キュッと、ウインクして言う。


 「『おやびん』って呼ぶといいよ」



 「お、おやびん!?」


 「え? 知らないの? サイコーのソンケー語、おやび~ん」


 ガハハとまた笑う。


 苦笑いで、なんとか応じるリナ。


 「あはは……わ、分かった。……そ、それは遠慮する……妹子……ちゃん」


 唇をちゅっとさせ、ちょっと目を細める妹子。


 「まっいっか」




 そこから数メートルほど駅に向かって黙って歩く二人。


 しばしして、リナはどこか愉快な仲間意識のようなものを感じつつ言った。


 「遅刻だね……わたしたち」


 彼女の中では、妹子への好奇心が膨らむが、初対面だというのに知りたいことの質問ばかりするということは性格上、無理だ。



 リナは今までずっと無遅刻無欠席を誇り、真面目な月詠学園の生徒としては、この規律違反は相当なマイナスで、普通ならば現状を思うと、もっともっと気持ちが焦っていいはずだが、不思議とそこまでの焦燥感はない。



 「どこ行ってんだ? ……のやつ……。……もう一日早く用事を済ませたら、こんなことには……」


 実際にやっているのを初めて見る、おでこ辺りに手をかざして捜索するポーズをとって、妹子は周りを見回しながら何やら呟いている。


 「……でも、いたらいたで…うっとおしいからな……」


 「い、妹子ちゃん?」


 「いないほうが楽と言えば……楽……」


 「お~い?」


 (見た目通りに? 超、個性的な性格みたい……だ)



 「まだ、開始時間の9時まで、10分ぐらいあるんじゃないの?」


 妹子が見つめて聞いてくる。

 話を聞いていなかった訳ではないようだ。


 リナは少し慌て気味に鞄からスマホを取り出し時間を見る、確かに。

 『8:50:02』タイムリミットまで10分を切った。


 「で、でも、電車はもう無理だし、こっから学校まで5キロ以上あるでしょ? 走ってなんて……行っても……」



 ニャアオ!


 突然、耳に飛び込んできた鳴き声にビクッとして、リナはあわわと下を見下ろす。



 黒猫。



 二人の背後から、全く気配を感じさせずに近づいていたのだ。


 とっさに思ったのは、私たちが知らぬうちに、この真黒な野良猫のテリトリーにでも入り込み、お邪魔だから出て行けと威嚇されているのかしら?

 ……違ったようだ。


 すぐさま妹子の横に回り込み、白く短い脚に体を摺り寄せている。


 しばらく彼女と歩調を合わせて、スイングする。野良猫とは失礼な、そう言わんばかりの堂々とした歩き方。


 よくよく見れば、素晴らしい毛並みの美しい漆黒の猫、首輪も見える。



 妹子が立ち止まり、体をかがめて猫の頭をくしゃくしゃと撫でる。

 至極、幸せそうにゴロゴロと咽喉を鳴らした。


 彼女はピンと尖った耳元に何か話しかけるようにして、首の下をくすぐる。



 リナも立ち止まり、思う。

 (? 彼女のネコなのかな……)


 セリフの断片が聞こえる。


 (シツジ? ヒツジ? シツジちゃん!? 変わった名前を付けるなぁ……。でも…ペットの持ち込みは絶対禁止なのに……知らないのかな……言ってあげようか)



 妹子は、すっと体を起こして一言。


 「タクシー」


 最初何のことだかさっぱりだったが、先ほどのリナの言葉、二人のこれからの行動に対しての、彼女の出した答えだと気が付いた。


 「タクシーを呼べば、何処までも行けるぜぃ」


 「……」


 (そうか……言われてみると、ここは駅のすぐそば、タクシー乗り場はあるけど……)


 「ハイよ! 電車で行くっつ~のは、選タクシから消えた……なんちゃって。だ~がしかし! 遅刻したと決まったわけじゃない。あたしは、まだあきらめちゃあいないぜ、ベィベー」


 妹子はワイルドなガンスリンガーのさまで、拳銃のように指を振って言った。



 タクシーを利用する。

 裕福とは言えない貧乏人のリナには、普段から使い慣れない、縁遠い交通手段であったので、悲しいかな当たり前のように思い浮かぶ発想ではなかった。


 (ああ……そうよね)


 リナは小さな体にぴったりの制服を着て立つ妹子のフランス人形っぽい容姿を、改めてまじまじ観察する。


 月詠学園の普通生、つまり特待生のように特別な援助無く通う生徒にとって、制服は完全にオーダーメイドのようなもの、一人一人にサイズ等きっちりあつらえられる一品。

 つまり全然普通じゃない、数十万円もする服を着ているのだ。


 靴は? 予想に反して革靴ではなくスニーカーを履いている。

 意外と庶民的なのだろうか? ……そうではないだろう。

 きっと話に聞く、驚くべき値段の限定品のレア物か、特注のプラチナブランドオーダー品……下手をすると服より高かったりもする。


 (あれ? 左右で違う靴??)


 よく見るとデザインが違う。

 どういう事だろう、リナにはさっぱり分からなかったが、もしかして間違えて履いてきちゃったのかなどと、問いただすなんて勇気はなかった。


 なるべく失礼にならない程度の短時間で、さらに妹子の全身を見渡す。


 アクセサリーや時計などの装飾品は、頭のリボン以外、身に着けていないようだ。

 妹子が手ぶらな事にもここで気づき、少し驚く。


 (ううん、でも、……勝手に決めつけてはダメ。も…もしかしたら、わたしと同じ……特待生なのかもしれない……)


 自分と同じ境遇で、さらに彼女と気持ちを共感出来たら嬉しい、だけどそれは万に一つの無駄な願望というもの。


 彼女と出会って、わずか数分しかたっていないが、リナには分かった。

 自分とは違う、明らかな内から湧き出る雰囲気、学園でも時に感じる……別世界の風。


 (妹子ちゃんも、どこかのお金持ちのお嬢さんってことね……そりゃあそうでしょ……)



 タクシー移動という選択。


 ここから学校までの距離は、長距離運賃には当たらず、それを考えると割り勘で払えば、マックスを考慮しても学生二人で払えない額では全然ない。


 リナは、自分のひと月の小遣いを思い浮かべると、何気に痛い出費だったが致し方ないと思った。



 ただ、ここで一つの疑問が彼女の中で持ち上がる。


 タクシーを『待つ時間』もしくは『呼ぶ時間』がかかるのでは?

 仮に、この通勤時に駅前のタクシー乗り場に、今から行って、すぐに乗れるのだろうか? 先客が誰も待っていないという事があるのだろうか?


 もちろん彼女には分からない。


 スマホのアプリを使って呼ぶ? もちろんリナは使ったことも無い。

 じゃあ電話して呼ぶの? もちろん今までそんな経験はなかった。



 妹子のこっちをジッと見つめる笑顔を見て、さっき時間を聞かれたことを思い出した。


 彼女はスマートフォンの類を持っていない……。


 (も、もしかして、わたしがタクシーを? 呼ばなきゃならないの)


 急に、リナは緊張感がこみ上げてくるのを感じた。普段からタクシーを使いなれている社会人や、それこそ裕福な家庭の人には、想像できないかもしれないが、彼女にとってこれは結構ハードルの高い、初体験なのだ。


 (妹子ちゃん、どうせ、きっと、タクシーを呼ぶのに手間取ってしまう、ええそうよ、きっと数分、下手したら、わたしだと上手くやれず10分ぐらいロスしちゃう……だから、……絶対に間に合わない、もう遅刻するのは決まったのだから、ゆっくり次の電車を待ちましょう?)


 リナはあきらめの気持ち、楽な道を行きたい、そんな様々な混じり合った要素から、結論付けて、妹子にそう伝えようと口を開きかけた。


 「?」


 妹子がぴょんぴょん飛び跳ねている。


 「え?」


 一瞬何をしているのか分からなかった。


 車道の方に向け、大きなジェスチャーで手を振ってタクシーを呼び止める。



 何という幸運! こんな事もまあ、あるだろう? 偶然にも、タクシーが目の前を通行していた。流しのタクシーがナイスタイミングで! やって来たという訳だ。



 リナも隣でホッとしながら、少し遠慮気味ではあるが手をあげて、いたずらなどと思われないように意思を明確に示した。


 (ふぅ、あぁ…運が良かった。そうよね、こういう事もあるわよね)


 人生、別にご都合主義のドラマでなくても、タイミングよく行くことがある。

 少ない確率だから、これは、あり得ないだろう、多分無理かな? と思っていても、とんとん拍子でことが思い通りに運ぶことがある。


 彼女は、今までの自分の運の悪さが、少しは反転したのかな? と感じたが……。


 (いや! そんな訳ない、人生そんなに甘くない)


 リナは妹子のはしゃぐ様な後ろ姿を、急に冷めた気持ちで見つめ、ひとりごちた。


 「……あのタクシーは、きっと止まらない……」


 分かっていた。


 一瞬、期待させただけ。


 わたし達なんて無視して、駅前のタクシー乗り場へ何事もなかったかのように去って行く。


 リナの鋭い思考は、いかにも遅刻しそうな近所の学校の制服を着た二人、わざわざ短距離の客だと分かっているのに、あえてタクシーが止まる可能性は低いという事を推測できていた。



 タクシーは彼女たちの横を通り過ぎ……。



 ちょうど縁石とパイプ状のガードレールが途切れた少し前で、止まった。




 幸いにも? 乗車拒否されることなく止まってくれた。


 リナは軽い驚きと共に、何かが、上手く説明できないけれど、何かが、心の奥底でカチッと小さな音を立てて嵌った、そんな感覚がした。


 (あり得ないなんて……わたし、フフフ、決めつけてるのは……わたしじゃない)

 

 こちらの心の葛藤など、もちろんつゆ知らず、妹子は先頭を切ってタクシーへ、アトラクションに乗り込む子供の様にルンルンと駆け寄る。


 自動で後部ドアが開き、彼女が足を踏み入れようとしたとき……。



 今度は! 決して……、決してあり得ないことが起きた。



 「財布は、お持ちでしょうね」



 !?!?


 静かな落ち着いた、耳に心地よい男性の声。


 運転手?


 いや違う、こんな失礼なことを乗客に面と向かって問う者もいるまい。


 「もってないわ」


 なんだ? なんだ?! 妹子は自然に答えている。


 「なんと、それでは……」


 謎の登場人物!? に対して彼女は、その言葉を最後まで言わせず、被せるように、更に、うっとうしそうに言う。


 「ハイハイハイ、こんなこともあろうかと、ぽっけに少々のお札を突っ込んで来てます~……ったく。ご心配ご無用……執事ちゃん」


 (し、しゃべっている)


 「たまたま入れっぱなしになっていただけじゃあ、ありませんか?」


 妹子はタクシーに乗り込む。


 続けて、当たり前のように黒猫が乗車。


 (……しゃべってる……)



 中で妹子が手招きしてくる。早く乗れと。


 運転手も、歩道で立ったままぐずぐずしているリナに、肩越しに嫌な視線を送る。


 慌てて乗った。


 ドアが閉まる。バタムっ!



 「し、しゃべってた?」


 リナは見つめた。


 黒猫を。

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