4.戦端
あれから、僕は相変わらず毎日標的を撃ち続けていた。
しかしマチルドはといえばあの一件以降、トーチカの中から監視用の大型の望遠鏡でこちらを見てはいるが、外に出て来てはくれなくなった。
一度マチルドに手を振ってみたが、何も返してはくれなかった。
その日も、僕は午前中の定時狙撃のため石塁で準備をしていた。
スコープを覗くと、ポールがあくびをしながら歩いている。
「たるんでるぞ、ポール。さては昨日は派手に飲んだな」
そうつぶやいた時だった。
監視所のほうから、一発の銃声が響いた。
次の瞬間、スコープの中のポールの額から鮮血と肉片が吹き出し、ポールの姿は消えた。
「ポール!? 一体なにが……」
僕は訳もわからず狙撃銃を抱えて監視所へ向かう。
その間、もう一発銃声がした。
監視所を抜けて反対側の石塁に出ると、3人の兵士が揉み合っていた。
3人の横には、もう1人の兵士が倒れている。
「貴様、抵抗するな! 銃を離せ」
「俺はやったぞ! はっ、こんなお遊びやってられるか。俺が英雄になってやるんだ!」
1人に羽交い締めにされ、もう1人の兵士から銃を奪われようとしていたのは、このあいだ狙撃手を解任されたヤコブだった。
血走って瞳孔の開いた目が、奴が正気でないことを窺わせた。
「なにが起きたんだ?」
僕も加わり、ヤコブの銃を押さえる。
「敵陣を注視している時にコイツがこっそりやってきて、狙撃手を後ろから殴って勝手に撃ちやがった! しかも向こうの兵士をだ」
二人掛かりでようやくヤコブから銃を奪い取ると、マルコ少尉がやってきた。
「マズいぞ。早くそいつを監視所の中に――」
言いかけた時、遠くで銃声がした。
ぱん、と音がして、ヤコブの右目から側頭部が吹き飛び、赤黒い穴が開く。
「反撃です!」
僕達は身を低くして監視所へ駆け込んだ。
「ヤコブは置いておけ! 早く司令部にこのことを――」
電信管に取り付くマルコ少尉の近くで着弾した敵の弾丸が跳ねる。
その頃には、狙撃手ではない一般の当直の兵士達も、各自が石塁に隠れて敵陣に射撃を始めていた。
さらに事態に追い討ちをかけるように、警報のサイレンが鳴り響く。
「全将兵に告ぐ。我が塹壕都市守備隊は、現時点を以て第一次戦闘態勢に入る。総員上部石塁に集結の後、各部隊は速やかに敵陣への攻撃を開始し、これを撃滅すべし。これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない」
指令の檄が流れた後、続々と完全武装した兵士達が石塁へ向かって駆け上がってきた。
「はっ、これでようやく手柄をたてるチャンスがきたってわけだ」
「ああ、便所掃除からオサラバしてやるさ」
兵士達が口々に叫んでいる。
昨日まではほぼ訓練だけが任務で、訓練が終わればバーで酒を煽っていた連中とは思えない飢えた顔つきに変わっている。
僕は、毎日ヘルメットを撃ち合って誰も傷つかずに日々が過ぎるのならそれも悪くないだろうと思っていた。
しかし、そこから得られる戦功を甘受出来るのは僕のような一部の狙撃手だけなのだ。
命の危険はないからといって、上がり目のないゲームを延々と続けなければならない兵士……特に階級の低い者逹にとっては、この状況は密かに望んでいたものなのかもしれない。
それにしても、ほんの30分前までのあの牧歌的な空気がまるで夢のようだ。
話したこともないけれど、友達のように思っていたポールは死んでしまった。
そしてマチルド。
まさか君と戦わなければならないなんて。
こんなことを口にしたら懲罰房行きになりそうだけど、どうか僕の弾丸が君に当たりませんように。どうか、どうか無事で。
僕は天に祈ると所属する部隊に合流した。
望んではいなくても、兵として戦場にいる以上はその責務を果たさなければならない。
「マルコ、ハインツ、アドラーの各隊は砲兵隊の支援砲撃の後、正面より進軍する。残りの隊は迂回しつつマルコらを支援せよ」
中隊長の命令の後、部隊は砲兵隊ののろしを待つ。
やがて、後方から砲声が轟くと敵陣付近のあちこちで爆煙が舞い上がった。
「よし、各隊前進せよ!」
石塁を乗り越えて、兵士達が続々と突入していく。
僕は部隊から少し離れた最後尾から前進を始めた。
僕の役割は隊の後方にあって、銃座など隊の障害になるものがあれば狙撃により排除することにある。
しばらく前進した後、僕は手頃な遮蔽物をみつけて狙撃銃を構えた。
前方の部隊は、じりじりと前進を進めていた。
その間にも、散発的に僕の周辺でも敵からの銃弾が跳ね始めた。
この距離では小銃で狙って撃つのは難しいだろうが、それでも不幸にも流れ玉が当たった兵士が倒れ込むのが見えた。
部隊がさらに前進しようとしたその時、激しい炸裂音とともに地面のあちこちから土煙が舞い上がった。
伏せるのが遅れた数人の兵士が血を撒き散らして倒れる。
「機関銃か!?」
僕が標的を探していると、伏せた兵士の1人が10時の方向を指さした。
そちらにスコープを向けると、地面に設置した機関銃を乱射する敵の兵士が見えた。
僕はすかさず敵兵の頭部に狙いを定める。
映画にでも出てきそうな、端正な顔立ちの青年だった。
時間にして数分の1秒くらい、僕は躊躇した。
だが、引き金を引いた。
彼の頭は赤い水の詰まった風船のように弾けて、マッチ棒みたいになった肉塊だけが残った。
隣にいた兵士が彼だったものをどかせて機関銃にとりついた。
僕はもう一度引き金を引く。
その兵士も鼻から下を吹き飛ばして絶命した。
僕が手ぶりで障害を排除したことを伝えると、部隊は再び前進を始めた。
初めて人を撃った。
いとも簡単にこの手で命を握り潰した。
もちろん、以前は父と一緒に猟に出てたくさんの獲物を狩った。
だけど、それは糧を得るために感謝の心を持って引き金を引いていた。
今は、ただ殺すためだけにやった。
何の恨みもない人間同士が、ただ殺し殺される。
マチルド、これが戦争なんだろうか。
僕は、吐き気を覚えながらあまり部隊から離れすぎないように前進を始めた。
その後も、部隊の障害となるものがある度に僕は引き金を引いた。
ただの1発も外さず、障害を取り除き続けた。
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