3.麗しの君

 先日受領したばかりの最新鋭のスコープを覗きながら、僕は引き金を引いた。

 スコープの中で、吊られたヘルメットが火花を立てて揺れる。

 すかさずもう一発を撃ち込むと、再びヘルメットが揺れた。

 今日の任務も無事に終了だ。

 僕はそのまま銃口をずらして敵の歩哨の顔に照準を合わせる。

 スコープの中では今日もポールがこちらに手を振っていた。

「はは。ポール、君は鼻の下に大きなホクロがあったんだな」

 僕は思わず笑いだしてしまった。


 最新鋭のスコープの性能は大したものだった。

 これまではなんとか顔の識別が出来るぐらいだったが、今は相手のホクロに毛が生えてるのすら鮮明に見える。

 標的を撃つのも1メートル先の大鍋を撃つくらいに簡単だ。

 ただ、僕は任務のためにこのスコープが欲しかったわけではない。

 凄腕の猟師だった父に幼い頃から仕込まれた銃の腕に、僕は絶対の自信を持っている。

 以前のスコープでも標的を外すことなどまずあり得なかった。

 僕の目的は別にあった。


 ――いつもなら、金曜日のこの時間はいるはずなんだけどな。


 僕が素早くスコープで敵陣を見渡していると、トーチカの陰から1人の人物が現れた。

「おお、うるわしの君。そこにいたのかい」

 スコープの中に現れたそのひとは、軍服を凛々しく纏い、まとめた金色の髪の上に軍帽を被った敵の女性将校だった。

「ようやく君を間近で見れたよ。ああ、予想してた通りだ、なんて美しい青い瞳だろう!」


 彼女の存在に気づいたのは2ヶ月ほど前のことだ。

 その時は今ほど彼女の姿が鮮明に見えたわけではない。

 それでも、僕は彼女の美しさの虜になった。

 毎日の定時狙撃から、彼女が月曜と水曜と金曜に監視トーチカに現れることはすぐに把握出来た。彼女は真面目な性分らしく、自分が監視する日にはいつもトーチカの外に出て直接戦果の確認を行っていた。

 なんとか彼女を間近で見たい。

 そして、出来るなら僕の存在を彼女に知って欲しい。

 その思いで日々の任務にあたり、ようやく僕はその手段を手に入れたのだった。

 そういえば、新スコープの効果は他にもあった。

 何度か彼女を見ているうちに、周りの兵士の口の動きで彼女の名前を知ることができたのだ。


「マ、チ……ル……ド。マチルドか! 君に似合う素敵な名前だね。待っていて、マチルド。きっと君に僕のことを気づいてもらえるようにするから」


 僕はまるで好きなクラスの女の子の気を引こうとする小学生のように舞い上がっていた。

 翌日から、ある目的のために僕は慎重に標的を撃ち続けた。

 慎重になったのは、標的をあまり痛めないようにするためだ。

 鉄製の軍用ヘルメットとはいえ、毎日銃弾を浴び続けたら直ぐに破壊されてしまう。

 破損が進むと新しいものに変えられてしまうから、僕は細心の注意を払って精密な狙撃を心がけた。


 ――全てはマチルド。君へのサプライズのためさ。


 その機会は2週間後にやってきた。

 水曜日、午後3時の定時狙撃の時間になり、僕はいつもの位置についてスコープを覗いた。

 マチルドは既にトーチカを出て、自軍の石塁の中を歩いている。

 彼女はいつも外には出てきてくれるが、立つ位置はその日によって異なるため僕は狙いの位置に来てくれるのを待ち望んでいた。

 今日、マチルドが足を止めたのはヘルメットを吊した棒から左に約2メートルほど離れた場所だった。

 絶好の位置だ。

 僕は狙撃銃を構えると引き金を引いた。

 銃声の直後、ヘルメットが火花を吹いて軽く揺れる。


 ――よし。狙い通り一発目は浅く当てた。


 次の弾丸を装填すると、今度は慎重に狙い、引き金を引く。

 二発目を撃った次の瞬間には、僕はスコープをマチルドに移した。

 再び金属の弾ける音がした。

 マチルドの横を黒い物体が落下する。

 直後、マチルドはまるで小さな女の子みたいに可愛らしく飛びあがった。


「やった! 成功だ」


 さすがにここまでは聞こえないが、僕が撃ち落としたヘルメットはマチルドの足元でさぞかし派手な音を立てたのだろう。

 マチルドは側にいた兵士が拾い上げたヘルメットを受け取ると、肩を震わせながらそれを見つめ、小型の双眼鏡を取り出すと何かを探し始めた。


「ははは、マチルド! こっちこっち。僕はここだよ!」


 僕は立ち上がってマチルドに向かって手を振る。

 通常はヘルメットを撃たれた側が手を振るのだが、それはあくまで後付けの慣習であり、本来はどちらが振ってもいいことになっている。

 ひとしきり手を振ってからもう一度スコープを覗くと、マチルドは双眼鏡とヘルメットを交互に見ていたが、やがて、頬を紅潮させたままトーチカの中へと消えていった。


「あれ? ……しまった。彼女はこういうサプライズは嫌いなタイプだったかな」


 僕が監視所に戻ってくると、一部始終を見ていたマルコ少尉と兵士逹が大笑いしながら迎えてくれた。

 マルコ少尉は僕の行為を英雄的だと賞賛してくれたが、僕はまるで標的を外したかのようにうなだれていた。

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