2.狙撃手

 午後3時を告げる喇叭ラッパの音が鳴り響いた。

 僕は愛用の狙撃銃を抱えると、塹壕都市の上部へと向かう階段を上っていく。

 塹壕都市の上部――つまり地面の位置に築かれた石造りの監視所にたどり着くと、監視所の責任者であるマルコ少尉に敬礼した。

「ミハエル伍長参上しました、定時狙撃の任務にあたります」

「よし、今日も奮闘を祈る」

 僕は監視所を出ると腰のあたりの高さまで築かれた石塁の一角に腰を下ろし、狙撃銃を設置する。

 スコープを覗くと、約1キロほど先にある敵の塹壕都市の石塁が見えた。銃を軽く左右に振ると、石塁の裏を歩く兵士の姿が見える。

 スコープの絞りを調節すると見慣れた顔が目に入ってきた。

「おや。ポール、君か」

 それはよくこの時間に歩哨に出ている兵士だった。本当の名前はもちろん知らないが、僕は勝手にポールと呼んでいた。

「君には恨みはないがこれも任務なんでね」

 僕はスコープで標的を追いながら、風の向きや強さを肌で感じて銃口を微修正する。

「さて、それじゃ少し早いけど、良い夢を。ポール」

 僕は引き金を引いた。

 銃声に一瞬遅れて、遠くで金属が弾ける音がした。

「目標への着弾、確認!」

 監視所の兵士が望遠鏡を覗きながら叫ぶ。

 僕の標的――地上3メートルほどの高さの棒の先に吊られた軍用ヘルメットが反動で揺れていた。

 僕は弾丸を装填し直すと、続けてもう1度引き金を引く。

 再び金属音が響いた。

 スコープで標的の下にいたポールの様子を見ると、少しの間上空のヘルメットを見上げた後、こちらに向かって手を振ってきた。

 それはいつから定着した慣習なのか知らないが、狙撃成功を称える行為として両軍で行われているものだった。

 僕はそれを見届けると、監視所へと戻る。

 監視所ではマルコ少尉が出迎えてくれた。

「おめでとうミハエル。これで連続200回の狙撃達成だ。また勲章だな」

「ありがとうございます、少尉殿」

「それに引き換え、お前は――」

 マルコ少尉が視線を向けた先には、狙撃銃を携えた1人の兵士がうなだれていた。

「ヤコブ、お前は交代だ。明日からはヨハンに変われ」

「はっ……」

 ヤコブは悔しそうに敬礼をすると、階段を下りていった。

 その時、我が軍の石塁に掲げられたヘルメットが二度、甲高い音を立てて揺れた。

「敵の定時狙撃、完了です!」

 監視の兵士が望遠鏡を覗きながら敵に向かって手を振っている。

「よし、任務は完了だ。戻って休むといい」

「はっ、ありがとうございます」

 僕はマルコ少尉に敬礼すると、街への階段を下っていった。


「定時狙撃」は、この戦場で行われている唯一の戦闘行為だ。

 午前10時と午後3時の1日2回、両軍が互いの陣地に掲げた2つのヘルメットに対して、狙撃手2名が二発ずつの狙撃を行う。

 なぜそんなことが行われるようになったのかは諸説あるようだが、兵士の間では、対峙するだけで何の戦果もないのは中央の司令部に対して印象が悪いため、当時の両軍の司令官が密約を結んで毎日戦闘を行い、均衡を維持し続けることが目的だと言われている。

 僕は実物を見たことがないから真偽は不明だが、この数十年、総司令部への戦況報告は一文字も違わず「本日、敵への攻撃を行い損害を与えたり。我が方の損害軽微なり」だという。

 そんな事情だから、狙撃自体は命中してもしなくても特に問題はない。

 あくまで、の話だが。

 むしろ自軍においてはその成否は由々しき事となる。

 定時狙撃の狙撃手は、兵士の中でも特に射撃の腕が優れた者から選ばれた精鋭達だ。

 選ばれたこと自体が名誉であり、同時に昇進への唯一の道となる。

 階級が全ての軍においては、一つ階級が上なら神、逆に下なら家畜も同然の扱いを受ける世界だから、昇進は軍隊生活を送る上での最重要事項となるのだが、この塹壕都市ではもう何十年も敵軍との直接的な戦闘は行われていない。

 つまり、戦功を挙げる唯一の手段が、定時狙撃の狙撃手に選ばれることなのだ。

 しかし、狙撃手に選ばれたからといって、すぐに機会が訪れるわけではない。

 僕も狙撃手に選ばれてから、実際に任務につくまでは半年近くかかっている。

 狙撃手の定員は2名と決められており、交代があるのは、前任者が病気などで任務につけなくなった時か、場合のみだ。

 そう、定時狙撃の任務は、一度でも失敗するとその任を解かれる。

 任を解かれてもそれまでの戦功は消えないし、扱いが一般の兵士に戻るだけだが、狙撃手として得ていた特権は失ってしまう。

 まず、狙撃手は午前と午後の定時狙撃以外はほぼ全ての兵務が免除される。

 さらに塹壕都市内でのあらゆる場所で優遇され、将校しか入ることが許されない倶楽部にも出入りが許可されるなど、一般の兵士からみれば夢のような待遇を受けられるのだ。

 だから、狙撃手は憧れの存在でもありながら嫉妬の対象でもある。

 僕が前任者から狙撃手を引き継ぐ時、そのことを父に伝えると、父は「いいか、これからは寝る時も糞する時も、銃から片時も目から離すんじゃない。たとえ売春宿にいってもだ。そん時は銃を握ったまま寝っ転がって、女を上にして済ませとけ」と忠告した。

 その忠告は、今でも守っている。


 街への階段を降りてくると、ヤコブが青白い顔をして突っ立っていた。

 うなだれたまま、「誰かが、ちょっと目を離した隙に俺の銃を触りやがった、クソ、クソ!」とひとりつぶやいている。

 僕は、そのまま背を向けて狙撃手用の宿舎へと向かう。

 理由は何にしろ、奴が失敗したのは事実だ。

 僕はまだ狙撃手から外れたくない理由がある。だからまた明日から標的を撃つだけだ。 

 翌日、僕は200回の狙撃を成功させた戦功に対して、長銃狙撃銅章を受章した。

 褒賞の希望を聞かれて、僕は即座に激戦地の精鋭に優先的に配備されているという、最新鋭のスコープを希望した。

 司令官は任務への忠勤ぶりに満足したのか、褒賞を約束してくれた。

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