塹壕都市の狙撃手

椰子草 奈那史

1.塹壕都市

「俺の若い頃のいくさには華があったもんよ。それに比べると今のいくさは、ただ穴ぐらにこもって泥まみれで殺し合うだけで、なんにもありゃしねぇなあ」


 百まで生きた曾祖父ひいじいさんから、僕が子供の時に聞いた言葉だ。

 曾祖父さんの言う「穴ぐらにこもった泥まみれの殺し合い」のような戦争が始まったのは、僕の父が兵役についた頃だから、もう30年も前になる。

 隣国との間で始まった戦争の原因は、何百年も前から繰り返し争われてきた西部の国境問題が原因だったという。

 国境線をたかが1キロか2キロ相手方に動かすためだけに、過去、第何次か数えるのも億劫なほどの戦争が行われてきたが、その時は少しこれまでと状況が違っていた。

 科学と技術といったものが飛躍的に向上したその時代は、これまで存在していなかった兵器が次々と生み出されていったのだ。

 銃はより遠く正確に大量の弾丸を撃てるようになり、石の城壁をも破壊する爆薬や、吸い込めば死に至る毒煙など、効率的な殺戮を追求したありとあらゆる兵器が投入され始めた。

 その時点で曾祖父ひいじいさんの言っていた「華のあるいくさ」なんてものはこの世から消滅した。

 無理もない。方陣を組んで行進なんてしてたら部隊ごと機関銃の十字砲火で屑肉の山に変えられてしまうし、騎兵の突撃も鉄線で足止めを食らう間に、人馬仲良く木っ端微塵に吹き飛ばされるのがオチだ。いつ撒かれるかもしれない毒煙まである。

 こうして、兵の悲惨な損耗を恐れた両軍は、塹壕ざんごうという名前の長大な溝を戦場のいたるところに掘り、そこから散発的な戦闘を繰り返しながら対峙し続けた結果、損害がなくなった代わりに戦果もあがらなくなった。

 やがて、戦場にありながらあまり命の心配をする必要の無くなった兵士の一部が、塹壕の拡張を始めるようになった。

 塹壕は所詮ただの地面に掘った溝だから、深さと幅はせいぜい1~2メートル程度で雨風は吹きさらしだし、夏の暑さや冬の寒さをしのぐものはない。もちろん水道や下水道なんてものもない。

 最初は命令されたわけではなく、兵士が自らの居場所の環境を改善するためにいわば勝手にやり始めたことだったが、前線の衛生状態の改善や、補給の運搬に効果があるとわかると、司令部は積極的に塹壕のを行うようになった。

 こうして、塹壕は徐々に深く広く拡張されていった。

 数年後には、素堀りだった壁はレンガで覆われ、その壁を横堀りした地中にはレンガで固められた沢山の居住空間が作られるようになった。

 それらは当初は兵舎や弾薬庫に使われていたが、いつの頃からか兵士を相手にする売春宿ができ、さらには散髪屋、雑貨屋、バーといった店も現れ始めた。

 やがて市も立つようになり、その後も徐々に街としての体裁が整えられ、いつしかこの街は塹壕都市と呼ばれるようになった。

 今では学校もあれば手紙も普通に届くし、10年ほど前にはこの塹壕都市で生まれ、育ち、兵役についた初めての兵士も現れたほどだ。

 我が国の塹壕がこんな発展を遂げているころ、敵である隣国はどうしていたかといえば、実はほぼ同じ経過をたどり今では同じような都市が出来ているらしい。

 こうして、国境線を挟んで2つの塹壕都市は数十年もの間対峙してきた。

 僕が父から2代に渡って兵役につき、塹壕都市にやってきたのは一年ほど前のことだった。

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