宵宮 〜妖刀使いの髪飾り〜

K

宵宮 〜妖刀使いの髪飾り〜

 夕涼みに使ったタライを片付けていると、宮の方からお囃子はやしが聞こえてきた。


 その笛や太鼓の音に混じって、的屋の気合に入った口上や楽しげな子供の笑い声、それをたしなめる親の声と、人それぞれに違う下駄の音もする。


「そらきた。また雪香ゆきかがうるさくなるわ」


 浜谷雪子はまやゆきこは庭先の井戸で手を洗いながらそう呟いた。


 七つの娘に暑いと言われりゃタライに井戸水を張り、甘いものが欲しいと言われりゃスイカを切ってやり、ようやく彼女の手が休まったわけだが、後ろから母として呼ばれると、溜息もそこそこに立ち上がり、振り返りざまにたすきを解きながら、縁側に寄った。


「はいはい、どうしたの」

「髪、結って。お祭りなんだから」


 縁側に座り込み、くるりと背を向ける娘はフリルの付いた派手な浴衣に身を包んでいた。


 その月光のような銀色の髪は、まったく彼女の地毛である。この娘は女同士で契る秘術によって生まれた子だから、雪子が驚く事はないが、娘の体に巻かれた帯を見て目を見開いた。


「この帯……銀箔……金箔も⁉︎」

「そんなわけないでしょう、ばか」


 その声は上からした。見上げると、すっかりめかし込んだ夢神鈴香ゆめがみすずかが束ねた金髪を弄りながら立っていた。そのべっ甲の髪留めの位置を気遣う丁寧さを、もう少し説明に割いてくれればいいものを、鈴香は、


「作り物よ。さすがに本物はまだ早いわ」


 とだけ言って、まだいつもの着流しの雪子を見やると、


「早く着替えて」

「いいわよ、あたしはこれで行く」


 だが、鈴香が仁王立ちで腕組みをすると、雪子は溜息を吐いた。結婚当初は尻に敷いたはず──否、最初からこういう奴だったかしらんと雪子は観念した。二人は幼馴染でもある。


 渋々ながら縁側に上がると、雪香から見えない角度で鈴香は雪子の顔を包むように持ち、頬を引っ張った。笑え、とばかりに。そしてこう耳打ちした。


 雪香は千代ちよに任せてある、と。


「千代が? でもあの子、こういうの好きじゃないでしょう?」


 千代もまたこの二人の幼馴染で、夢神家の食客しょっかくだ。訝しがる雪子に鈴香は親指と人差し指で丸をこしらえて見せた。なるほど、さすが名家のお嬢である。もっとも千代も千代で名家の出なので生半可な額では承諾しそうにないが──と、思案しているとまさにその人物が現れた。


「ごめんやでぇ。お待たせやなぁ、雪香ちゃん」


 黒交じりの金髪を結い上げ、こちらもフリルをあしらった浴衣に身を包んだ千代は、手に紙袋を提げていた。雪子は得心した。彼女は無類の甘党で、懇意にしている菓子屋があるのだが、紙袋はその店のものだった。


「千代姉ちゃん、遅い。なにしてたの?」

「んー? お仕事よぉー?」

「嘘。お菓子買いに行っていたんでしょ!」


 唇を尖らせる雪香だが、千代がその場に正座してぽんぽんと手前の畳を叩くと、サッと走り寄って背を向けるように座り込んだ。千代は懐から櫛を出して雪香の銀髪を梳いてやりながら、雪子を見上げると、


「ま、こういうわけやさかいに。鈴ちゃんと仲良うしたって、な?」


 最後の、「な?」は有無を言わさぬ凄みがあった。

 こうして雪子は茶の一杯も飲ましてもらえず、女物の浴衣に着替え、四人揃って夢神邸を出る事になった。途中から千代と雪香は出店巡り、雪子と鈴香は宮参りとなった──。

 

 鳥居の前で黙礼を済ませ、苔むす薄暗い石段に足を置くと、すぐに雪子は鈴香に手を差し伸べた。鈴香にはそれが嬉しくてならない。


 新調した雪子の浴衣は桃色の帯を締めて、金魚鉢そのままを纏うかのような逸品で、本人は「派手すぎる!」と言ったが、こうして闇の中に佇む彼女を見れば、全然そんな事はない。


 石段は一応、左右の木々の枝に引っ掛けるように一定間隔で提灯ちょうちんが設けられているが、ここはその光が届かない処だった。


 右手やら左手やら、鈴香が迷っても、雪子は決して慌てず急ぎもしない。ただ自身の右手を差し伸べ続けるだけの姿は、何年経とうと変わらない愛の表れだった。


 だから、なるだけ大事にその手を取り、互いに指の股を掴み合うように繋ぐ。心地よい繋ぎ方は互いの手が覚えていた。


 出店の喧騒が遠ざかるのを聞きながら、あるいはお参りを済ませてすれ違う人らに会釈しながら、二人は石段を登る。


 りんご飴や綿飴の甘い匂いが遠ざかる。だが鉄板で踊っているイカ焼きの煙は風に乗って漂い、土の匂いに交じっていつまでも香ばしかった。


 石段を蹴る四足の下駄の音と、時折、繋ぎ直す手と手が会話のように二人の間を埋めていた。夏の夜らしい湿っぽい暑さで滲み出す汗さえ心地よく、左右の木々を渡る夜風に肌を撫でられれば、すうっと涼しくなる感覚が何とも愛おしい。


 しかし鈴香は自ら計画しておきながら、一年ぶりの夏祭りと夫婦水入らずがこれほど心躍るものだとは思っておらず、胸の鼓動を感じて立ち止まった。


 当然、もう一人の下駄の音も熄んだ石段は、静寂と、わずかな提灯の灯る赤い闇に閉ざされる。


「疲れた?」

「べつに」


 素っ気ない応答にも、雪子は気を悪くするどころか、人のいないのを見てから来た方向を向くように石段に腰掛けた。


「ばか、浴衣が汚れるわ」

「だからじゃないの。ほら、誰もいやしないわ」


 閉じた太ももを叩き、雪子は誘う。座れ、と。そして雪子が汚したくないのは、鈴香の浴衣なのだ。深紅の帯を締め、白地に花柄のそれは鈴香の金髪と相まってよく似合っている。


 だが、それはお互い様だと思えばこそ、鈴香は憎かった。憎いくせに手を引かれると、雪子の膝に尻を乗せる。ちょうど赤子を抱くような格好になった雪子は、鈴香の顔を間近で見るなり、くくっ、と吹き出した。


「なによ、失礼しちゃうわね」

「口紅も頬紅も変えたでしょう?」

「く、暗いからね」

「ありがとう」


 鈴香はたまわず笑顔になりそうになる自分を隠すように、その胸にもたれかかる。


 雪子は誰よりも彼女を知っていたから、その背中を撫でてやり、耳打ちで口づけを申し出た。その是非は、まさしく口づけで返ってきた。それから左右の頬に首筋と立て続けに三回、その度に口紅の跡を親指で消しながら。


 だが、浴衣の前を少しはだけさせて、鎖骨の下の柔肌を強く吸って、そこだけはくっきりと跡を残した。紅は消えても、歯を当てながら吸ったそこだけは残り続けるだろう、せめて今宵の内は。


 雪子もまた同じように自らの跡を鈴香の肌に残してやり、襟を直していると、川の方から花火の音が聞こえてきた。その幾重もの炎の輪が、左右の木々に遮られる事なく、二人を照らすように輝いていた。


「特等席ね」

「ほんと。よく見えるわ」


 雪子は花火でなく、腕の中の鈴香を見る。

 今宵はふたり水入らず。花火の音に重なるのは、ふたりがまた恋に落ちる音だった。


(了)

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