~追憶~

「若、…若!お待ちください!!どうか!!」

「俺は最初に待たぬと言ったはず。…どうだ成実。」

「おう!準備万端!!」

「大殿に…何と申し上げる御心算です!」


「何も言わぬ。」


その日。

伊達家は再び、騒然としていた。


「前に行った時もそうであったのだろう。俺の戦を、また俺が嗾けるのだ、異論などあるまい。」

「そうやって先日、堂の端から端に吹っ飛ばされたでしょうが!!」

「はっはっ、それが一番、興味深い。過ぎた事を申すな。言ったはずだぞ、は知らん。」

「若!!!」


「殿と呼べ。景綱かげつな。」

「なーんだかな、まだ信じらんないんだけど。中身が違う、とか?確かに変な貫禄は出てるけどなぁ。」


「見た目はいつもの藤次郎だし。」

言いながら成実も、不思議そうに政宗の後ろ姿を一瞥した。


───────


「俺を…独房に繋げ。―――ただし。俺の話を聞いて…小十郎、お前が納得出来なかった場合だ。」

「…出来る訳が…!」

「まぁ、聞け。」


そう訴えて始まった、あの日。

政宗は、ゆっくりと自分の状況を打ち明ける。

隠している意味が無い事、【藤次郎】の成そうとしていた事が理解出来ない以上、【政宗】にはどちらにせよ、進む道が無かったからだ。

ある程度の言い分を聞き入れた小十郎も、暫く何も言えずに主君を見つめたままでいた。


「隻眼であった儂は今日、死んだ。それは真だ。しかし俺は、此処に居る。どうする。我が右目、小十郎景綱よ。」


片倉【小十郎】景綱。

政宗家臣団の中でも側近を勤め上げる彼は、誰より政宗を理解している。


「貴方は嘘など、申しますまい。」

「そうだな、特にお前には。」

「仰せのままに、致しましょう。―――ただし、某よりもひとつ、条件がございます。」

「ほう?何だ。」


───────


そうして呑んだ条件が、今日の騒ぎに至っている。

その日は、政宗が“起きた”日から未だ、十日余りの事である。

急ぎで拵えさせた【弦月の前立】を向かいに据えた政宗は、其処に想いを馳せると思い出すように続ける。


「一度は泰平に酔いしれもしたが、武士としては志半ばだった。」

「おうおう、そうだろうな。」

「成実、殿の仰せの最中だ。」

「浮き世に染まり、戦など忘れたと…、信じていた。」


「……。」

「しかし俺の魂は、今そこに戦があると聞いて……うち震えている。心の臓が、この道を行けと…叫んでいるのだ。」


そうして、用意されていた小振りの白外套を羽織る。

かつて共に戦場を駆け抜けた戦友ともの勇敢な佇まいを眼前に、政宗の反骨心も再び、業を成していた。


「夢でも幻でも構わぬ。誰かが再び天を目指せと言うのなら…俺に迷いは無い。」


きっぱりと言い放つと、政宗は二人を見据えた。


“来るのか、来ないのか。”

政宗の両の眼は、ただそれだけを、問うている。


「聞かれるまでも無いよなぁ、小十郎。」

「……無論。」

「場所は?」

本宮もとみやの近きにございます。」


───────


案内あないを、頼む。」

「御意に。」


勝手の違う世界では下手に自分から動く事は出来ない。

あの一幕の中で此の手筈を自ら提案し、無理矢理に支度を整えさせた人物こそ、其処で首を深く沈めていた小十郎であった。


其の甲斐を自負してか。

暫くして、こっそりこんな事を言って来る。


「上手く行きました、政宗さま。」

「ふむ…なかなかやるではないか。其れこそ伊達者だてものよ。」

「はっ。」


政宗は自家製の誉め言葉で労った。

小十郎も満足そうに頷く。


「でさー、藤次郎。」

「どうした。」

「俺、まだ信用してない。」

「…成実!」


「構わぬ、小十郎。…して成実、どうしたいのだ。」

「少し、試合したい。」

「試合か。」

「鈍ってるだろ。腕とか…中身が本当に、戦忘れてるならだけど。」


「一理あるな。」


確かに、生前の政宗は戦を取り上げられてからと云うもの、其の剣を包丁や鉈に持ち変えていた。

謂れも無い疼きを解消するのに裏庭で竹割りなどはやっていたが、どれも戦に匹敵する事象には成り得ない。


名ばかりの武術会も催されたが、真の武士は誰も参加しなかった。

何せ、年甲斐に合わない。不様に敗け果てでもすれば、其れこそ汚名に成り得る時代を、政宗は細々、生き抜いている。


───────


「一本で良い。」

「ふむ…横槍も無いのであれば、断る理由は無いか。」

「政宗さま…!」

「物の準備はそなたにも任せられるが…己を万端とするは己が心掛けよ。」


了承した政宗は、先に見える広場へ馬を駆らせた。

己であって己でない…成実は成実であるのに、己より先に己を気遣って来る。


(不思議なものだ。)


言われるまでもなく、其処に違和感は有り続けているのだが、此れを見抜く人間はまだ、成実を除いて他に居なかった。


(血筋か、“同胞”か…。)


政宗は既に、考えている。

世の中とは―――無と云う事象と無限と云う事象が、幾重にも折り重なって構成されたもの。

其れ其れが互いに縁を持つ事で、永続的に存在の均衡を計っている。


決してそれが、“絆”であってはならない。

無理矢理に繋ぎ止めれば、其れは時に己が身すらも、滅し兼ねないからだ。

立ち向かっても立ち向かっても、常に自分の予想以上の事象から打ちのめされ続け―――


幸か不幸か。

政宗の思考は実に、柔軟化していた。


───────


己と同じ境遇で此処に存在する者が

己以外にも、既に居るのではないだろうか。


確証は勿論、無い。

ただ、そう考えるだけで、己の内に巣食い始めている孤独くらいは打ち消せる。


孤独は辛い。

孤独は…恐ろしい。


身を以て経験した政宗にはいつの日も“楽”が不可欠だった。

其れが今は偶々成実の所作に目を向けている。

其れだけの話だ。


(病のようだな。)


馬を降りた政宗は己を嘲笑う。

物事を始める前から怖じ気付くなど、戦以外には然程、無かった筈だ。


其れなのに―――。


「ごめんな、藤次郎。」

「二言は無い。俺からも頼む。」


何故だろうか。

剣を構える前から、鼓動が高鳴っていく。


(……。)


「では合図は、某が。」


向かい合う二人の間に、小十郎が立った。

先に剣を抜く成実が、切っ先を政宗に向ける。


真剣の一本勝負。

どくん・と、再び政宗の中で何かが燻る。


鏡に倣う様に。

先ずはゆっくりと、剣を抜いた。

何時もの半開の不利も無い。


正々堂々。

本物の、真剣勝負だ。


(何と…有難い事よ――――。)


望んでも叶わなかった

叶う事など期待もしていなかった


ただ当たり前に、在る事。

広い広い、世界からの歓迎。


───────


「───其れまで!」

「……!」

「痛っ…てて。」

「成実!!」


はっと政宗が現実に目を戻した時。

小十郎は成実に駆け寄り、政宗は剣を高く振り上げていた。


(…誰がはじいた。)


成実は剣を落として、余韻が残っているのか、自らの手首を擦っている。


(今のは…)


「怪我は無いか、成実!」

「大丈夫。其れより、藤次郎見てみ。」

「…、…政宗さま…。」

「速過ぎ。剣筋も俺の知ってる藤次郎のより正確だし、こりゃ少しも忘れてないなー。」


(俺、なのか―――?)


思考の最中。

次いで告げられる言葉が、政宗の心の臓に突き刺さった。


「我慢してたって言葉の方が、正しいと思う。」


「達人だな、藤次郎。」

悪戯が成就した子供の様に笑う成実。

小十郎も此れには驚くしか無く、そんな主君に改めて頭を垂れる。


「見事な一本でございました、政宗さま。」

「ちぇ。もう少しまともな打ち合いになると思ってたのになー。」

「此れも慈悲だ、成実。」

「世知辛い。ちゃんと守れるかな…。」


地に突き立つ剣を抜いた成実はそう呟き、刀身を元の鞘に納めた。


───────

(解説欄)後日更新




 



 





 





 

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