~覚醒~

     「藤次郎!」


「っ…?」


懐かしい名を呼ばれながら、【藤次郎】は起きた。

スッと通った鼻筋の、両側で瞬く眼は未だ、僅かなあどけなさを残している。


「私が判りますか、若!」


名を呼んだ男を押し退ける様にして、ぐいと視界を遮るのは。


「……小十郎こじゅうろう

「ああ、若…!よくぞ御無事で!!」


家臣の【小十郎】だ。

言うなり、目覚めたばかりの藤次郎の手を取り、安堵の溜め息を深く、洩らした。


「…俺、……?」


然程悪くもない寝覚めを他所に、周りは騒然としている。

故に、藤次郎は疑問符を乗せて首を傾げた。


「覚えていらっしゃらないのですか。」


覗き込んだ侭の小十郎がまた少し、青冷める。


「近いぞ。何があったかと訊いている」


逆さに映る顔を軽く裏手でいなみ、ゆっくりと体を起こそうとした。


「痛っ…!」

「なりません、彼の【覇王】の一撃をまともに受けたのです。まだ安静にしていなくては。」

「…は?」

「盛大に吹っ飛んでたな、生きてるのが奇跡だぞー。藤次郎。」

成実しげざね…口が過ぎるぞ。若のお身体に障ったら如何する。」


始めに名を呼び続けていた【成実】を宥める小十郎はそうして、また藤次郎を元の通りに横たえた。


───────


漠然だが其処には確かに違和感があった。

周りが大きく見えるのと、視界を遮る二人の、出で立ち。

其の姿が、最近のものとは違う感覚。

何故かはまだ、判らない。


「……。」


溜め息混じり

己が額に当てる、己が手。


視界に入れて、違和感が増した。


「若」

「気分が悪い……」

「誰か、若に白湯さゆを―――」


小十郎が言い掛けた時。


梵天丸ぼんてんまるっ!?」


豪快な足音が近付いたかと思う内に勢いよく障子が開く。


   ズキン


傷が疼いた。

違和感が、寒気に近い感覚にまで研ぎ澄まされていく。


「これは、大殿!」

「何という事だ…梵天丸。あれほど【摩天楼まてんろう】に近付いてはならぬと、きつく申したではないか!」


一同が半歩引いて片膝を付き、堂々たる風格の男に頭を垂れる中。

言葉を受けた藤次郎だけは、訝しげにその人物を見据えたままでいる。


「大殿、申し訳ございませぬ!全ては…守役でありながら止めきれず供を致した、某の責任!!」

「……成実、お前は何をしていた。」


   「……父上」


「何…って……藤次郎と小十郎が行って、俺が行かない訳には…。」

「この…れ者が!!」

「…っ。…申し訳ありません。」


───────


    「―――父上!!」


再び騒然と変わる空気を断ち切ったのも、藤次郎だった。

その身は、小さく震え始めている。


「どうした梵天丸、寒いのか?」

「…いいえ。」

「傷が痛むのか。」

「……いいえ…!」

「ならば、何故泣くのだ。父に、この輝宗に申してみよ。」


「…久しくして、父上にお会いしたものですから、……。」


それ以上は、声にならない。

眼から溢れる涙を、藤次郎は止める事が出来なくなっていた。


「…ははは!何と女子おなごのような事を!!」


息子の言葉をして

思わず剣幕を緩めた【輝宗てるむね】は、一転して豪快に笑う。


「相変わらずだ、梵天…いや、政宗。…よく無事で居てくれた。」


違和感は止まない。

自分の知るものとは、【違う】。

其れだけが真実だと自覚しながら藤次郎はやっと、涙を拭った。


「痛み入る、お言葉。」

「うむ。押し掛けて悪かった。家督を譲れど子は子。一大事と聞いて、肝が冷えたわ!」

「以後、戒めて参ります。」


その言葉に心から安堵し、輝宗は頷くと再び豪快に笑う。


「小十郎!成実!」

「「はっ。」」

「帰る。これからも政宗をよう守り立てよ!!」

「ははっ!!」

「御意に!」


───────


過ぎ去る嵐。


「ぷっはー…殺されるかと思った!空気空気!」


堰を切った様に成実が体勢を崩す。


「我々は慈悲を頂いたのだ、成実。今一度気を引き締め、若をお守りせねば。」

「そういうの好きだなー、小十郎。」

「好き嫌いではない。」

「はいはい。で、藤次郎。どうすんだよー、摩天楼のこと。」


「……失敗…したのか、俺は。」


話の流れを汲み取り、ぼんやりと返す。

涙の乾いた瞳は、何処とも無く下を見ていた。


「気にすんなよ、ありゃ戦とは訳が違うんだからさ。」

「…少し、歩く。」

「お、手伝い要るか?」

「いい。…小十郎」


そうしていつも通り、左手を差し出す。

外出の際は、決まってこのやり取りがある。

劣等感か、罪悪感か。何年経っても、自らの手で其の【帯】だけは、引き寄せる気になれずにいた。


「…は?」

「は、じゃなくて。眼帯。」


言ってもう一度、催促する。


「眼帯?…眼を傷められたのですか?」

「……。」

「若、やはりまだ…お休みになられていた方が宜しいのでは。」

「大丈夫。……じゃあ、鏡。」


「こちらに。」


あっさりと差し出されてしまう鏡。

涙を流した時にはまだ、半信半疑だった真実を


今、確める。


「……何と……。」


少し、複雑な感覚。

いつもより広く見える世界を、藤次郎は始めから疑っていたのだが。


(傷痕すら無いではないか…。)


思わず鏡に触れた。

ほぼ生涯を通して抱えていたコンプレックス―――【右目】は、其処にしっかり、瞬いている。


───────


伊達【藤次郎】政宗。

何の因果か、彼は生まれ落ちて間も無く右目を患い、余生全てを半分の眼でしか見据える事が出来なくなった。

戦乱の世に翻弄されながら、家を守り通した最後の戦国武将。典型的な反骨精神の持ち主で、そのストイックさを後世は【独眼竜】と称えた


…筈、だったのだが。


(ただの竜になってしまった…。)


不思議と満たされる心の贅沢さを堪能しながら、藤次郎は改めて自分の置かれた状況を、見回す。


(仏にでも見入られたのか。確かに、俺は……。)


【死んだ】。

その感覚だけは、はっきり身に残っている。

老いた自分は、死に方も決めていた。誰にも気取られず、部屋で、一人で……ゆっくりと息を吐く。


呼吸が少しずつ浅くなって

夢の中へ深く、潜り込んで行った。


そして訪れた【闇】。

覚めない夢の世界を浮遊して、


そして――――


───────


(そうだ。声。あれは…誰のものだったのか。)


……判る筈もない。

間違い無く、聴き覚えなど無い声だった。


(―――まぁ、良い。)


与えられたなら、再び全うする迄。

庭先に出た藤次郎は、風を浴びながら、両目でしっかり空を仰いだ。


「……何と広く、高い…。」


それは、当に忘れていた感覚である。


(手を伸ばせば、すぐに届きそうだと思っていたが……。)


遠近の整った視界の中に拡がる空は、恐ろしく広大だった。隻眼で仰いだ時は常に、伸ばした手のすぐ先にあったものだ。

そして生前の藤次郎…もとい、【政宗】は、それをしばしば己の抱く野望に重ねていた。


「………成程、遠すぎる。」


失笑の混じるも、変に清々しく。

僅かに淀んで見える空は、かつて諦めた様々な野望を再び、思い起こさせていた。


「…小十郎は居るか。」

「此処に。」

「今から言うことを即刻、実行して欲しいのだが…。」

「…は。して、如何なることにござりましょうか。」


「俺を…独房に繋げ。」


───────

(解説欄)後日更新


 




 


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