番外編

夜市

 呼び込みの声や談笑がどこよりも大きく飛び交い、あちこちから料理や酒の強い匂いが漂ってくる。夜蝶街やちょうがいの南方、中央に続く華蝶かちょう通りから少し外れた一角で開かれる「ひねもす市場」は、花街方面に負けず劣らずの盛況ぶりを見せていた。

 観光客と地元住民、喧騒で溢れかえる市場を、一列になった三人組が蛇のように進んで行く。紺色の小袖に舛花ますはな色の袴、自警団〈見回り番〉の組み合わせを身にまとった三人――先頭から山内、志乃、中谷である。


「あー! いつ来てもうるせぇなぁ、ここはぁ! でも、それが楽しいんだよなぁ!」


 笑いながら、山内が少し荒めの口調で言った、というか怒鳴った。市場の中でも特に賑わっている場所では、結構な声量でないと会話すらままならない。


「志乃、初めての市場、どーおー?」


 声の大きさを変えないまま、顔を後ろに向けて妹分に問いかける。兄貴分たちに挟まれた志乃は若干肩を竦め、困ったように笑っていた。


「……さ……ぎる……と」

「あははは! ぜんっぜん聞こえねー!」


 山内にならって大声を出した志乃だが、彼の言う通り、言葉はほとんど届かなかった。近くの酒場から上がった呵々大笑かかたいしょうが、運悪く被さってしまったので。

 しかし、騒音の激流に慣れていない妹分が疲れていることなど、兄貴分たちにはお見通し。山内は志乃を挟んで後ろを歩いていた中谷に目配せをし、通りから外れた路地に入って行った。


「何回も来た俺たちでも疲れるんだ、お前は特に疲れただろう、志乃」

「またどこか、別の店にでも入って休もうか?」


 騒音が遠くなった辺りで止まり、揃って気遣ってくる兄貴分に、志乃は首を横に振る。


「ありがとうございます。少しばかり疲れたのは確かですが、休憩が必要なほどではありませんので、大丈夫です」

「そう? まあ、志乃は正直者だから、本当だろうけどね。そもそも嘘つくの下手だし」

「嘘をつくのは、あまりよろしくないことなのでは?」

「うっ、純粋な視線が痛い……!」


 胸を抑え、山内は苦しげな顔をする。「どうなさったのでしょう」と、志乃は目線だけで中谷に訊いたが、中谷の返答は首を横に振っての「無視していい」だった。


「ところで兄貴。俺の心配など不要でしょうが、ここから屯所まで、ちゃんと帰れるのでしょうか」


 ぐるりと周囲を見回したのち、内容に反した笑顔のままで志乃が問う。「え?」と表情を戻し、山内も改めて周りを見た。

 入ってきた路地は、前後左右、上下にいくつも道や階段が伸びている。草木の枝、もしくは根を連想させるような場所だった。こんな場所にも店が出ており、賑やかというよりは穏やかな売買が行われている。

 ……が、どこか雰囲気がおかしい。すぐさまそれを察した山内は、ぎぎぎ、と錆び付いた音がしそうな動きで中谷を見た。


「あー、中谷。ここってもしかして」

「そうだな。妖怪側の市場だ」


 片手で目を覆い、「やらかしたわ……」とこぼす山内。彼が進んだ路地は、妖怪たちが店を開く場所だったらしい。

 ひねもす市場は名前の通り、朝夕も昼夜も問わず、一日中何かしらの店が開かれている市だ。特に黄昏時からは、物好きな妖怪たちや、それとはまた違う人ならざるモノたちも店を出す。だが、彼らが扱う品の中には、人間に悪影響を与えるものもあるため、店を出す区画は、場所も空間も別になっているのだ。

 ところが、時には人間が迷い込んでしまうこともある。入ったら二度と出られない、なんてことはないが、運悪く妖怪に気に入られてしまったが最後、どうなるかは分かったものではない。


「はーあ……あのうるさい所を、不慣れな女の子を連れて強行突破してまで近道したってのに。俺の馬鹿、ばーか」

「安心しろ。お前の馬鹿は今に始まったことでないくらい知っている」

「励ましたと思ったらけなしてんじゃねぇか! 俺の相棒だろお前!」

「行くぞ、志乃。親方には理由を話せば分かってもらえるだろうが、早く帰るに越したことはない」

「無視すんなや!」


 ぎゃんぎゃん上がる声を綺麗に無視して、今度は中谷が先頭に立つ。賑わってはいるが混んではいないため、続く二人は横に並んだ。

 堂々と歩いていく人間三人――正確には人間二人、妖雛ようすう一人――の姿は目立つ。向けられる視線の大半は珍しさからくる好奇の色だが、中には「何でこんなところに見回り番が」と言っていそうな、怪訝あるいは疑問の色をしたものも混ざっていた。

 今日は三人とも非番のため、任務で来たわけではない。が、何か悪事を見かければ介入して止めることは、指示が無くてもやることだ。故に三人とも、他に迷い込んでしまった人間がいないかどうか、しっかりと目を光らせながら歩いている。

 と、兄貴分二人と同じく巡らされていた志乃の視線が、一点に留まった。同時に足も止まってしまう。


「あれは……」


 小さな呟きは、ほとんど志乃の口内に溶けて消えていた。

 彼女の目を奪ったのは、上りの階段に続く道の、曲がり角に立っている店。路地にも及ぶ市場の華やかな光に追い立てられ、逃れてきた暗闇のことを証明するように、あるいは寄り添うように。店は控えめな光を灯している。

 その店が扱っているのは、どうやら行灯あんどんのようだった。店頭に大きさも形も様々な品が整列し、紙を通した柔和な光を惜しげもなく放っている。


「――志乃?」


 妹分が足を止めていたことに、山内がまず気付いた。歩み寄ってきた彼に名前を呼ばれて、志乃は我に返る。


「はい、兄貴。何でしょうか」

「それはこっちの台詞だよ。どうしたの、急に立ち止まっちゃって」


 中谷も、山内に続いて戻って来る。二人に謝った後で、志乃は自分が足を止めていたらしいことに目を丸くした。


「俺は足を止めていたのですか」

「気付いてなかったの? そんなに夢中で何を……」


 店に向けられた爽やかな顔が、一瞬にして怪訝な色に染まる。様々な店が出ているとはいえ、行灯が並んだ店はかなり異色だった。


「えぇ……珍しいのは分かるけど、何で? てっきりかんざしとかくしとか、そういうのかと」


 が、山内が怪訝な顔をしたのは、店の異色さだけが理由ではなかったらしい。


「山内の兄貴は、俺がそういった品々を見るとお思いですか?」

「思わないけどそうであってほしかった」


 不思議そうに問われて、山内はがっくりと肩を落とした。その隣にいる中谷は、特に何の反応も示さない。

 彼もまた行灯を売る店が珍しいのか、しばし目を留めていたが、ゆるりと志乃に視線を移した。


「あの中に、欲しいものでもあったのか」

「いえ、そういうわけではなく。以前、親方に言われたことを思い出しまして」

「……また何か、問題を起こしていたのか」

「断じて違います」


 剣呑に細められた目に肩を跳ね、志乃は早口に言う。……やましいことなど一切ないのだが、何か隠していると疑われてしまいそうな狼狽ろうばいぶりだ。

 しかし、山内が言っていた通り、志乃は嘘をつかない。中谷は顔つきを緩めた。……元々が不愛想な顔つきのせいで、違いは分かりにくいが。


「……いつまた巡り会えるかも分からない、珍しい店だ。何か買って行くか」

「えっ。大丈夫か中谷、何でもなさそうな顔して、実はずっと酔っ払っだだだだぁっ!」


 頭をがっしと鷲掴まれ、山内は濁った悲鳴を上げる。無言で彼に握力を掛ける中谷の目には、苛つきの色が表れていた。


「あの、兄貴。よろしいのですか?」

「構わん。俺と山内が払える範囲であれば、何でもいい」


 おずおずと問いかけた志乃に苛立ちが飛び火することはなく、山内の頭も離される。


「いっつつ……そうだよ、志乃。中谷の言う通り、灯りの店……しかも、こんな出し方してる店なんて珍しいし。何かの縁だと思って買い物したら? 今日は志乃の就任を祝うんだし」

「では、お言葉に甘えて」


 新たに笑みを咲かせて、志乃はためらいなく店へ歩み寄って行った。――非番の志乃が、兄貴分に連れられて夜市にやって来たのは、見回り番に参入したこと祝うためだったのだ。

 行灯の店はさほど大きくないように見えていたが、店内はその想像を裏切るほど広い。店頭には至って普通の行灯が並んでいたが、店内には異国の様式らしい、珍しい照明もちらほら見受けられる。

 滅多に見られない珍品に興味をそそられる一方で、志乃は心中、少しばかり首をひねっていた。――こんなにも火が灯されているのに、油やろうの匂いがしない。


「……あー、いらっしゃい」


 来客に気付いたのか、奥の方から店主らしい男が顔を出した。店の雰囲気に反し、男の風貌や声はついさっき起きたかのように気だるそうで、だらしない。

 何をお探しで、という言葉は無く、男は定位置なのか、照明に隠れるようにして置いてあったらしい椅子に腰かけて目を閉じた。……客がいるから一応出たが、最低限の売買以外、やり取りをするつもりは無い。そんな声が聞こえてくるような態度だ。

 けれど、志乃たちはまるで気に留めず、店内をうろうろと歩き回った。志乃が持っていた疑問は、後で兄貴たちに訊けばいいと、既に片付けられてしまっている。


「……おや」


 少女の意識はそのまま、灯されていない小型の行灯の列に傾いた。

 整然と並べられた、小さい故に愛らしい品々。志乃はその中の一つを手に取る。作りこそ普通な角柱の形をしているが、蝶の形に切り抜かれた紙が貼り付けられたものだ。


「兄貴ぃ、これにします」

「お、可愛くていいねぇ。なあ、相棒」

「何が要りますか、店主」

「無視しないでくれる?」


 行灯は見たものの、山内には目もくれず、中谷は未だ気だるそうな男に問うていた。男は閉じていた目を開け、立つことすらせず志乃の手に収まった行灯を一瞥すると。


「何にも要りませんよ、ただの暇つぶしです。どうぞ持って行ってください」


 億劫そうに言って、またすぐに目を閉じてしまった。「えっ」と志乃がうろたえるが、兄貴分たちはそんな素振りを見せもしない。


「では、ありがたく頂戴します」


 中谷は至って普通の調子で言い、山内は「良かったねぇ、志乃」と笑っている。志乃の驚きと疑問は解決されないまま、三人は店を後にした。


「あ、あの、兄貴。よかったのですか、お金を払わなくて」

「うん。暇つぶしだから何も要らない、って言ってたでしょ。だから対価も払わなくていいの。まあ、物品すら要らないって奴は珍しいから、運が良かったね」


 見開いていた目をさらに丸くして、志乃はまだ見えるだろう店を振り返る。――しかし、行灯を並べた異色な店の姿は跡形もなく消え去り、階段の道へ続く入り口だけがあった。


「妖怪って言うよりは、異人さんだったんだろうけどねぇ。異国の行灯があったのも、それなら納得がいく」

「油や蝋の匂いがしなかったのも、それに頼らず火を灯す方法を持っていたからだろうな」


 仕舞いっぱなしだった疑問にも答えられ、志乃は丸くなった目を瞬かせていた。


 夜市に店を出すのは、妖怪だけではない。異界すなわち異国から来た、異人と呼ばれる商人たちもまた、人や妖怪に混じって商品を売っている。――この珍品目当てにやって来る人間が、主に目を付けられ、帰って来られなくなる者たちでもあった。

 店を出、説明を聞きながら、志乃はずっと手妻を見た幼子のような反応をしている。山内はその様子をにこにこと眺めていた。


「確かなのは、幻じゃないってことだね」


 付け加えるように言って、彼は志乃が抱えている行灯を指さす。不思議な店の存在を物語っているのは、確かにこれだけ。


「とまあ、ひねもす市場ではそういうこともあるんだよ。なっ、相棒」

「また気になるところがあったら言え。寄り道の分、走って帰ることになるが」

「だから無視すんなこの野郎。もー、志乃ぉ、中谷がいじめるよぉー」

「なるべく寄り道が無いよう、気を付けますねぇ」

「志乃まで無視!? 待って志乃、兄貴のこと一人にしないでぇー!」


 情けない声が夜空に響く。声を聞いた志乃は珍しく――本当に珍しく、けらけらと面白がるように笑っていた。

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