生命の期限
伊島糸雨
生命の期限
皆、ラベルを貼られている。
そして、
個人のあらゆる差異に区別なく、誰もが一様に独自の
成長し、所属する社会が変わるたびに、私たちは同じ質問を繰り返していく。「製造日は?」「注意事項ある?」
ここまでは社交辞令の定型文。なんのひねりもなく、聞いたところで何の問題もない。気を悪くする理由はないし、同じ集団で付き合っていくのに必要な情報でもあるからだ。
そこから始まって、時間と、労力と、言葉とを重ねた上で、互いに親密さを感じるようになってくると、新たな問いが解禁される。
すなわち、「消費期限、いつ?」
「あたしはね、四十二年後のちょうど今頃」
ユナは特に躊躇う様子もなく、おどけた調子で答えを告げた。高校以来の長い付き合いで、消費期限を話題にするのは初めてだった。
「何、急に……」
持ち上げたグラスを置き、眉根を寄せて問いかけると、彼女は「いやぁ」と言って、
「そろそろ、聞いてもいいかなと思って」
ダメかな、と首を傾げる。
「別に、ダメじゃないけど」
なんで今更、という言外の問いに、彼女は苦笑する。「なんか、不安になって」
「今まで気にならなかったのに?」
「今日、死ぬ前の猫みたいなんだもん」
「私は猫じゃない」
そうなんだけどね、とユナはうっすらと泡の浮いたジョッキを両手で包む。休日、日暮れ前の居酒屋は早くも客に満ちて、くぐもった喧騒は、ノイズ混じりに彩度を欠いて蟠る。
誕生した瞬間、私たちが帰結すべき場所は宇宙レベルで運命論的に決定されるいう。役所が発行する
不透明な未来よりも、より明らかな余生を。結末に向けて過程をデザインし、物語ることができるだけの人生を。そのために、不可避の期限に向けて、自分の存在を消費していく。
消費期限の平均は、一般に六十年程度と言われている。
ユナは世間で見ても長生きな方だし、人生設計もキャリアも磐石と言っていい。彼女のような人は、最後まで余裕を持って生活できるだろう。けれどその一方で、期限が短い人ほど、鮮烈に極端な生き方をしやすいそうだ。
以前、ターミナルケア・プログラムのカウンセラーが、そんなことを言っていた。
ユナは俯いたままガラスの表面を指先で撫ぜている。私はそれを見て思わず苦笑すると、飽きるほど反芻した自分のラベルを、吐き出すように思い浮かべる。
「私はね──」
二年後。
それが私の、
「──二十年後、かな」
顔を上げた彼女は、頬を紅潮させて「よかったぁ……。でも、短いね……」と瞳を潤ませている。大げさだよ、と私は言った。
「まだまだ先だってば」
「いや、二十年とか一瞬だもん……」
一瞬ではないでしょ、と言いかけたけど、彼女の真剣な表情を見て、口を噤んだ。
少しずつ身辺整理をしていく過程で、人間関係も最小限に止めようと思った。親しくない相手から順に繋がりを断ち、最後にはほんの数人だけが残る。その中に、ユナの存在はなくてはならないと考えていた。
仮に真実を告げたとして、彼女はきっと悲しんでくれるだろう。それは間違いなく嬉しいことで、けれど、だからこそ、これからの日々の中に、末期の目を持ち込むようなことはしたくなかった。
死期を悟った猫だなんて、そんなレッテルを貼られるのは、まっぴらごめんだ。
私もユナも、運命の病に侵されている。ここでは誰もが、余命宣告を受けた患者なのだ。
「じゃ、またね」
「うん、また」
帰り道、手を振ってユナと別れた。彼女は立ち止まる私を置いて遠ざかり、やがて、夕焼けの中に消えていく。
懐から取り出したカードには、私の顔写真と、運命のすべてが記されている。
私の生涯は、終末までのモラトリアムだ。
生命附票が、未来を、私を規定し、否応なしに縛り付ける。私はそれに倦んでいたのだ。
藍色の滲む空には、落日が鮮烈な輝きを放って、街も人も、色濃い影を遺していく。
そして、私はカードをへし折った。
私の運命は、私が決める。
生命の期限 伊島糸雨 @shiu_itoh
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