穴蔵夢

模-i

穴蔵夢


 男は目を覚ました。部屋は真っ暗だ。

 外が明るくなるまで時間がある。目覚ましをかけてもう一度寝よう。


 時刻は、丁度れい時であった。


 はて、と思った。男は昨日、夜十一時半に眠りについたのである。これだと、三十分しか寝ていない計算になる。


 男は、ぼんやりしながら枕元、棚の一番下の台に手を伸ばした。スマートフォーンを充電してあったはずだ。


 目がだんだん覚めてきた。電源がつかない。というか電源ボタンが押せない。側面を探るが、それらしい出っ張りはない。男は意味もなく手中の物体を裏返した。


『マフォーの石』


 なんじゃこりゃ、と叫びそうになったが、衝動をすんでのところで抑える。『マフォーの石』を持つ手に冷や汗が滲む。文字はぼんやりと光っていた。


 男はベッドから起き、一昨日新しいのに取り換えた照明のヒモを引っ張った。カチ、カチ、というだけで、電気はつかなかった。


 仕方がない、ケータイで照らして、と思ったが、そのケータイが得体の知れない石板にかわってしまったのである。男はカーテンを開けた。


 わあ、と大声を出した。カーテンを開けても、そこに外の光は無かった。


 


 玄関の方に目をやった。そこには、のっぺりとした壁だけがあった。


 男はがっくりと肩を落とした。


 冷静に考えると、というか混乱がおさまってくると、喉が渇いた気がする。丁度テーブルに牛乳パックとコップがあった。

 パックを持つと、カラと音がした。開けると、中にクルミが入っていた。


 クルミ……

 呟くと、石板が少し明るく光った。


 男は目を見開いた。


 今更石板の光量の変化には驚かなくなった男であるが、それと同時に牛乳パックから文字が浮き出てきたのだから当然の反応と言える。



 文字が浮き出てきた……?


『ク ル ミ』


 男はしばらくクルミ入りパックを手にしながら考えていた。


 突如、左手に持った例の石が振動した。見ると、新しい文字が現れた。


『文字に触れろ』


 ごくりと唾を飲み込み、男は『ク』に手を当てた。実体はないが、『ク』を手で動かすことに成功した。


 もしや。


 男は、『ク』を掴み、『ミ』のあたりへ持っていった。すると、『ミ』が移動して、もともと『ク』があった場所へ。男は手を離した。


『ミ ル ク』


 期待通り、と言ったら変だが、パックの中で、クルミがミルクになった。


 男はミルクを飲みながら考えた。どうやら、文字を並び替えることがカギになるらしい。


 男は、スマートフォーンと言った。


 もう一度大声で言った。


 何も起きない。少し考えて、理由が分かった。男はさっき、と言ったのだ。

 要するに、変わってしまった物体の名を口にして、並び替える必要があるらしい。


「マフォーの石」


 何も起きなかった。


 ……だめだ。

 絶望感と共に、男は用を足したくなった。常温の牛乳なぞ飲むんじゃあない。


 トイレに駆け込む。

 扉を開けると、便座の代わりにトレイが敷いてあった。


「トレイ!」


 文字が表示されるやいなや、男はぎこちない手つきで、しかし急いでトイレを作成した。その結果、かなりの余裕を持って間に合った。


 ふう……


 しかし、水は流せるのだろうか?何せ電気が通っていない状態だ。こういう時はスマフォで調べて解決……


 できない。やはり一刻も早いスマフォの復旧が求められる。しかし、『マフォーの石』から文字を引き出す名称が何なのかが一向に分からない。


 男はスマアトフォオンスマアトフォオンと、ぶつぶつ繰り返した。どうやらトイレという空間は、落ち着きを与える効果があるらしい。

 この空間において、男は「とりあえず思ったことを口に出せば石板が反応するかも」ということを思いつき、実行することにした。


 というか『マフォー』って何だ。魔法まほうではないのか。……マフォーの四文字は使い先が確定しているから、スマホから取り除いて……


 スマートフォーン


 ス  ト  ーン


 ストーン


男は確信を持って声を出した。

「マフォーストーン」



 かくして男はスマフォを取り戻した。

 

 電源を長押し。昨日寝る直前から充電をしておいたので、しばらくは使えそうだ。


 残り1%


 充電器がギリギリ刺さってなかったパターンか?それとも例の電気の制約か?男は頭を抱えた。


 冗談じゃない、窓と扉の謎だって未だ解けずにいるのに。


 ウサギのスリッパに向かってラビットと言ってみたり、玄関で土間と口にしたり、色々やったのだが……


「かいなし、と言ったところか」


 男は渇いた笑い声を出した。こたえ甲斐ききめもないのだ。笑うしかない。涙が出てきた。視界の端にきらり光るものがある。


 涙はすぐに引っ込んだ。潤んだ視界越しにも、その光景が見えたから。


『カ イ ナ シ』


 男の左胸に、文字が浮かんだ。


 男は、もはや手慣れた操作を自身に施した。直後、途方もない悲哀感に襲われた。


 なぜこのことにもっと早く気づかなかったのだろう。並び替えの対象は、ということに。ああ情けない。


 これが悲しいということか。


 しかし、解があるなら取るに足りない感情だ。


 スマフォの時もそうだったが、取り戻したい対象から逆算して考えると上手く行きやすい。


 扉。

 窓。

 電気。


 トビラ。

 マド。

 デンキ。


 刹那、解への道筋が浮かんだ。


 もし、この三つの消失が、だとしたら?


 扉も窓も、外と中を繋ぐもの。出入りを実現するもの。今の状態は、出入りが封じられた状態で……


 「出禁デキン


 男は、再び笑った。今度は、心から笑った。


 部屋に、光が戻った。 


 四


 結論から言うと、玄関の扉を開けた瞬間、男は特にその必要が無いことを思い出した。今日は休日、家でゆっくり過ごす日だ。


 まずは音楽をかけよう。CDでクラシックでも流そう。


「えーっと、あったあった、CD」


 男は、CDケースについたホコリを手で払った。

 直後、例の文字を移動させてしまったことに気づいた。


 身体が浮く感覚。記憶が消えてゆく。

 薄れゆく記憶の中、男は嘯いた。


「おいおい、まさかD.C.ダ・カーポなんてオチじゃねーよな」







 

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