幼馴染と鍋を囲む

月之影心

明日は休日

 俺は本多啓一ほんだけいいち

 普通より少しだけ勉強が出来て、少しだけスポーツが出来て、少しだけ顔の作りが整っている…と思っている大学3年生だ。

 家から通える距離の大学ではあるが、両親から『何事も経験』と4年間は一人暮らしをさせて貰っている。


 季節は冬。

 炬燵の上にはカセットコンロと鍋。

 鍋の中は琥珀色の出汁がくつくつと沸騰し、鶏肉と四角い豆腐、人参、もやし、白菜ら野菜たちが踊っている。




 「お邪魔しまぁ~す!」


 元気よく部屋に入って来たのは酒井美衣さかいみい

 生まれた時から一緒に育ってきた隣に住んでいる幼馴染だ。

 正確には実家の隣だが。

 美衣もまた、同じ大学に通う3年生で、美衣の両親も仲の良いうちの両親に感化されたのか、大切な愛娘に『何事も経験』とのたまって一人暮らしをさせている。

 ただ、美衣の両親も右も左も分からない所へ愛娘を送り出す事に多少の不安を感じたのか、俺と同じマンションなら…と言う事で、親子は離れて暮らすようになったのに、俺と美衣はすぐ傍で住む事となり、結果、親よりも長く一緒に居る存在になっていた。




 「いらっしゃい。」

 「わぁ!いい匂い!」

 「今日は美衣の好きな鶏肉メインの鍋にしたよ。」

 「もぉ~!啓ちゃんそんなに私の事が好きなのぉ~?」

 「美衣『の』好きなって言ったんだよ。しかも鶏肉。」


 くだらないやり取りは毎度の事。

 美衣は向かって左側に座って炬燵に足を突っ込んだ。


 具材に火が通っているのを確認すると、穴の開いたレードルで鍋から豆腐や鶏肉を取り出し、ポン酢の入った取り皿によそっていく。


 「どうぞ。」

 「ありがとう!いただきまぁーす!」


 『熱い』と『美味しい』を交互に口走りながら、あっという間に取り皿の中身を平らげていく美衣。

 さほど大食漢というわけでもないが、こう美味しそうに食べてくれると作った甲斐があったというものだ。

 俺も自分の分を取り皿によそい、出汁の十分に染みた白菜や鶏肉を口に運ぶ。




 鍋は30分ほどで出汁だけになった。


 「ふぅ~!美味しかったぁ!ごちそうさまでした!」

 「お粗末でした。」

 「いやいやぁ~お世辞抜きに美味しかったよ。」

 「それは良かった。今日は何飲む?」


 次の日が休みの日はこうして美衣と食卓を囲む事が定番となっていて、食後の一杯もいつの間にか恒例になっていた。

 普通なら食事をしながら…となるのだが、胃が空っぽの状態でアルコールが入ると酔いやすいので、俺と美衣の場合は食後にしている。


 「たまにはお洒落にワインとか?」

 「いいね。けど美衣、ワイン飲めなかったんじゃない?」

 「まぁ…飲めなくもないけど正直得意ではないかな。」

 「じゃあワインベースのカクテルでも作ろうか?」


 とか言うとかっこ良く聞こえるから不思議。


 「えっ?啓ちゃんカクテルなんか作れるの?」

 「って言ってもシェーカー振ったりするようなものでもないからね。」


 キッチンへ行って、買ってあったボトルワインと冷蔵庫からコーラを出して部屋に戻る。


 「コーラ?」

 「そう。コーラと赤ワインを1:1で割るんだよ。」

 「コーラなら好きだから飲めるかも?」

 「『カリモーチョ』っていうカクテルなんだ。詳しくはGoogle先生に訊いて。」


 それでも美衣が飲めないといけないので、軽くグラス4分の1くらいに赤ワインを注ぎ、ワインの倍程度のコーラを入れてマドラーでゆっくり混ぜる。


 「コーラ多めだからワインは風味程度になるかも。」

 「ありがと。飲んでみる。」


 美衣がグラスに口を付けて、唇を湿らせるようにチビチビとカリモーチョを口の中へ流し込んでいた。


 「あ、ほんのりワインっぽい味もするけど、これ飲めるよ。美味しい!」

 「良かった。」

 「おかわり!」

 「早いよ。」


 再びキッチンに行くと、冷蔵庫からジンジャーエールを取り出して戻る。


 「ジンジャーエール?」

 「そう。これを同じように赤ワインで割る。」


 カリモーチョと同じくグラス4分の1ほど赤ワインを入れて、ゆっくり泡を消しながらジンジャーエールを注ぐ。


 「それは何て言う名前なの?」

 「これは『キティ』って言うんだ。」

 「へぇ~可愛い名前。」

 「キティもカリモーチョと同じく本当は1:1で割るんだけど、これもワインの風味が強く出ると苦手な人は飲みにくいだろうから薄めに作ったよ。」

 「そういう気配りも嬉しいねぇ~。」


 さっきも言ったが、俺も美衣もアルコールはそれほど強くない。

 ただ、両親の元を離れて多少の自由を満喫する中で、美衣の二十歳の誕生日を部屋で祝った際、初めてアルコールで乾杯してからこうして嗜む程度に飲んでいた。

 あくまでも酔う為ではなく雰囲気を楽しむ為なので、ウィスキーでも風味を損なわない程度に水や炭酸水で割るし、割らないで飲む酒は少量に止めている。


 美衣がキティを口の中に流し込む。


 「あ~これも飲みやすいね。」

 「だろ?」

 「さっきのより甘みが無くて後味がさっぱりしてる。」

 「こういうのが一番危ないから気を付けるんだよ。」


 首を少し傾げた美衣が俺を見る。


 「何で?」

 「飲みやすいお酒はいくらでも飲めるから、気が付いたらベロベロに酔ってたりするんだ。まぁ炭酸だとそんなに量は飲めないだろうけど。」

 「あーそれで女の子酔わせちゃってお持ち帰り~ってなっちゃったり?」

 「そういうこと。」


 鍋の熱と少量のアルコールで頬を少し上気させたような美衣がもそもそと炬燵から這い出して俺の隣に足を入れてきた。


 「ちょっ…美衣、狭いよ。」


 俺は狭い炬燵の足と足の間で右側にずれる。

 右足の太腿が炬燵の足に当たった。

 気にも留めず美衣が隣に割り込んで来る。


 「へっへ~」


 キティの入ったグラスを俺の目の高さへ掲げる。


 「そういう事かぁ~もぉ~啓ちゃんならそんな事しなくてもいいのにぃ~」

 「何がよ?」

 「だぁ~かぁ~らぁ~…私を酔わせてお持ち帰りしたいなんてぇ~」


 グラス1杯半のカクテルで酔ったのか?

 口調がいつもの『酔った美衣』になっている。


 「お持ち帰りも何も、美衣が俺の部屋に来てるんじゃないか。」

 「じゃあぁ~…帰れないように?」


 時々美衣はドキッとするような表情を見せる。

 上目遣いで甘えるような視線。


 ハッキリ言って…いや、言わなくても美衣は可愛い。

 大きな目に、エクステも何もしていないのに綺麗に揃った睫毛。

 笑うと目が三日月のようになり、本当に楽しそうに見える。

 真っ直ぐ通った鼻筋の下に、ぽてっとした唇。

 物思いに耽っている時に少し開く様は、大人の色気すら感じる。


 物心付いた頃から可愛い子だと思っていた。

 恋心を抱いた事が無いと言えば嘘になる。

 けど、あまりに長い時間を一緒に過ごしてきた為に、今の『幼馴染』という心地良い関係を崩す必要を感じず、家族のような付き合い方のまま今に至っている。


 「一つ上の階なんだから、帰れなくなることはないだろ。」


 美衣は手に持ったグラスを炬燵の上に置くと、俺の方に体を向けてじっと俺の顔を見て…と言うより睨んでいる。


 「な、何?」


 美衣が『はぁぁぁぁ~』…と大袈裟に溜息を吐く。


 「まったく…啓ちゃんはこれだからモテないんだよ。」

 「いきなり失礼なやつだな。」


 美佳はただでさえ狭い炬燵の一辺で、更に俺の方に体を寄せ、じっと俺の顔を睨んでいたと思ったら、いつもの可愛らしい笑顔を見せた。


 「まぁ、だからこうして一緒に居られるからいいんだけどねぇ~。」


 言いつつ、美衣が俺の体に腕を回して抱き付いてきた。


 「はいはい。」

 「へっへぇ~啓ちゃんはこうして私の抱き枕になるのだぁ~!」


 あぁ…完全に酔ってるな。

 まだ2杯…とは言ってもアルコールに強くない人にすれば十分な量だ。

 俺は『ふぅ…』と小さく溜息を吐くと、自分のグラスを手に取って、炭酸の抜けかけたカリモーチョを飲み干した。

 美衣は俺を抱き枕にして眠ってしまったのだろうか…微動だにしない。

 使用不能にされた左腕をこのまま上に上げておくのも限界なので、そっと美衣の頭に乗せて撫でてやった。


 「ふふっ…頭撫でられるの好きぃ~」

 「起きてたんだ。」


 美衣の顔を覗き込むと、トロンとした目が返ってきた。


 「帰って寝る?」

 「んぅ………」


 美衣は再び俺にぎゅっと抱き付くと、胸に頭をぐりぐりと押し付けてくる。


 「美衣?大丈夫?」

 「………ま……く…」

 「ん?」

 「とま…って…いく…」


 止まって…?


 あぁ『泊まっていく』…ね。


 まぁ、美衣をベッドに寝かせて俺は適当に毛布にくるまれば眠れるか。

 ちょっと寒いかもしれないけど。












 いやいやそういう事じゃねぇわ。




 「1階上がれば自分の部屋なんだから帰ろうよ。」

 「やだ…」

 「やだじゃない。」


 俺の胴体に腕を回してもぞもぞやっている。

 『巻き付いている』という表現がぴったりする。


 「今日はぁ…啓ちゃんのおうちにぃ…泊まってくぅ…」

 「いやいや、そういうわけには…」


 小さい頃はお互いの家で寝泊りした事もあった。

 夜遅くまで騒いで、どちらの両親にも叱られた事も覚えている。

 けど、今は二人とも大人だ。

 軽々しく女性が男性の部屋で一晩を過ごすというのはどうだろう?という考えは古いのだろうか。




 「ねぇ…啓ちゃん…」


 美衣が俺の胸に顔を押し付けてもぞもぞしながら口を開く。


 「ん?」

 「啓ちゃんとはずっと一緒に過ごしてきて…何でも話せてるよねぇ?」

 「そりゃまぁそうだけど、急にどうしたの?」


 ゆっくりと美衣の頭が持ち上がり、トロンとした目で俺を見てくる。


 「啓ちゃんはどうして私とずっと一緒に居てくれるの?」

 「へ?」


 我ながら間抜けな声が出てしまった。


 美衣が再び俺の胸に顔を埋めて言葉を続けた。


 「小学生の頃、男の子に虐められてた時、私を庇って啓ちゃんまで一緒に虐められちゃったのに、それでも一緒に居てくれて…」

 「うん。」


 小学生の男子が可愛い女の子に嫌がらせをする…今思えば、よくある『好きの裏返し』だ。

 当時は美衣が本気で虐められていたと思っていたので、俺も本気でそういう男子から美衣を守ろうとしていたが、それを『かっこつけ』だと毛嫌いされ、美衣とひとまとめで虐められていた。


 「中学生や高校生になって私が色んな人に告白されて疲れ果ててた時も傍に居てくれた…」

 「あぁ…うん。」


 中学に入った頃から、美衣は同級生に限らず、先輩後輩、はたまた他校の生徒まで、それこそ日替わりで告白されていた時期があり、それが高校時代まで続いた。

 告白は、する側も大変な努力と勇気が必要だろうけど、美衣もそれらを断るという精神的な負担が相当大きなものだったのだろう。


 「何かあった時、啓ちゃんはいつも傍に居てくれて、凄く安心したし、嬉しかったの…」

 「そっか。」


 俺は美衣の頭を静かに撫でた。


 「私…啓ちゃんに何もしてあげられていないのに…どうして一緒に居てくれるの?」

 「別に何かして貰いたいから一緒に居るわけじゃないよ。」

 「うん…」

 「一緒に居たかったから…としか言えないな。」


 美衣は俺の体に回した腕にきゅっと力を入れ、より強く抱き付いてきた。


 「いぃっつも…ずぅぅっと一緒に居て、嫌な所もいっぱい見えたでしょ?それでも?」

 「一緒に居たくないくらい嫌な所があったらとっくに離れてるよ。俺、そんなに我慢強くないし。」

 「うん…そっか…」


 今日の美衣は何だか気弱に感じる。

 軽く酔っているせいもあるかもしれないが、いつもはもっと明るいと言うか元気一杯と言うか、こんなにネガティブな事は言わない。


 「何かあったの?」


 気になって訊いてみる。


 「ん?ううん…何も無いよ?何で?」

 「いや、いつもの美衣らしくないと言うか…」

 「そう?話したい事を話せる啓ちゃんと話してるだけ…」

 「ならいいけど。」


 俺の胸に顔を埋めたままの美衣がふふっと笑う。


 「啓ちゃんは我慢強くない…かぁ…」

 「うん。そりゃ世間に迷惑掛からないような我慢はするけど、自分にだけ影響するような事まで我慢してたらストレスだもの。」

 「うんうん。」

 「美衣もそういう部分は我慢しない方がいいよ。」

 「大丈夫…私も自分にだけ影響する事ならそんなに我慢強くないから…あぁ…一つだけ我慢してるかな。」

 「何我慢してるの?」


 美衣がもそっと顔を起こし、真っ直ぐな視線を俺に送ってきた。


 「聞きたい?」

 「そこまで言って言わないつもりかよ。」

 「聞いたら後戻り出来ないよ?」


 一体何を聞かせるつもりなのか。

 ただ、酔いがまだ醒めていないせいか甘えたような口調は変わらないので、圧迫感など微塵も感じられないのだが。


 「いいから言ってみなよ。」

 「うん…あ、そうだっ。」


 美衣は一旦抱き付いていた腕を外して体を起こすと、いつものように三日月のような目をした笑顔で両手をばっと上に上げた。

 あっけに取られる俺。


 「抱っこして?」

 「はい?」

 「いいからぎゅって抱っこして。」


 躊躇する俺を有無を言わさぬ口調の美衣が満面の笑みで見ている。

 酔いが残っているようなので単に甘えた声でしかないのだが。


 「はいはい。」


 前にも何度か、酔った勢いもあって抱っこをねだられた事があったので、以前よりは戸惑いも幾分薄れていた気がする。

 俺は美衣の腕の下に手を通して背中に回すと、そっと美衣の体を抱き寄せた。

 小さな美衣の体から柔らかな感触が腕全体に広がる。

 美衣は俺の首に腕を回し、頬同士をくっ付けるようにしがみついて来る。


 「本当にどうしたの?何か今日の美衣は変だぞ?」

 「いいのっ。」


 暫しの静寂。

 二人の呼吸と微かに服の擦れる音が妙に大きく聞こえる。


 お互いを抱き締めたまま、美衣が俺の耳元で吐息交じりに声を漏らす。




 「あのね…」

 「うん?」

 「………好き…」

 「え?…ん…?」

 「私は啓ちゃんが好き…」

 「あ、あぁ…俺も美衣のこと好き…だよ?」

 「違う…」

 「え?何が?」

 「啓ちゃんともっと一緒に居たい…離れたくないの…」

 「ん?今と同じじゃないのか?」

 「ちょっと違う…」

 「どう違うの?」

 「幼馴染としてじゃなく…もっと大事な人になりたい…」




 いくら鈍感でも、さすがにここまで言われれば美衣の意図する所は理解出来る。


 恋心を抱いた事はあっても、抱かれる事は無いと思っていた。

 こんなに可愛らしくて大勢から告白される子が、家族同様にずっと一緒に過ごして来た子が、俺をそういう対象に見ているとは思っていなかった。

 思ってもいなかった事に多少動揺はしたものの、冗談でも酔った勢いでも無さそうな雰囲気に、ちゃんと答えないといけないと思った。


 俺は美衣を抱き締める腕に少しだけ力を入れ、右手で頭を撫でた。




 「それを我慢してたの?」

 「うん…」

 「そっか…じゃあもっと大事な人にする。」

 「ホントに?」

 「ホントに。」

 「私でいいの?」

 「疑うなよ。」

 「疑ってはいないけど、こんなにあっさり我慢しなくてよくなると思ってなかったから。」

 「俺だって美衣のこと好きだから信じなよ。」




 何でこんなにあっさり言葉が出てくるんだろうかと自分でも驚いた。

 だが、本音である事には違いない。


 美衣は無言で俺の首に巻き付けた腕にきゅっと力を入れて抱き付いていた。




 「これからも…」

 「うん?」




 美衣が俺の耳元で囁く。




 「美味しいお鍋作ってね。」


 「それかよ!」




 『幼馴染の関係』から『もっと大事な関係』になった二人の夜が更けていく。

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