世界で一番大切な女の子

 十二月の空模様はどんよりと暗く、分厚い雲に覆われている。吹き荒ぶ風は冷たく、びしびしと頰に当たるたびに痛みすら感じる。極寒の中庭のベンチに腰を下ろしたおれは、寒さに震えながら先日の柚子とのやりとりを反芻していた。

 柚子に好きな人がいるのは嘘じゃない。でも、おれに応援して欲しいのは嘘。おれが知らない人っていうのも、嘘。そうなると、柚子の好きな奴は一体――?

 ……考えれば考えるほど、おれにとって都合の良すぎる答えしか導き出せない。

 柚子がもし、おれと同じ気持ちでいてくれるとしたら――おれが言うべきことは、もう決まっている。しかしそれなら、どうして柚子は頑なにおれの答えを聞きたがらないのだろうか?


 ――お願い。今は何も訊かないで……。


 震える声で言った柚子は、なんだかやけに思い詰めたような表情をしていた。そんな柚子を問い質すことなど、おれにはできそうもない。柚子にもきっといろいろ思うところがあるのだろうし、おれにとって優先すべきものは柚子の意思以外はないのだ。


「高辻くん、なにボーッとしてるの」


 拗ねたような三橋の声に、おれは慌てて現実に引き戻される。三橋はさらさらのロングヘアを揺らして首を傾けた。おれはできるだけそっけなく聞こえるように「別に」と答えた。

 今日の柚子は、放課後に数学の補習があるのだとしょんぼりしていた。先に帰っててもいいと言われたのだが、おれは当然待つと答えた。どこかで時間を潰そうとウロウロしていたところで、三橋に捕まってしまったのだ。

 二人きりになりたい、とゴネられて、結局おれは三橋と二人で中庭に来た。冷風吹き荒ぶ真冬の中庭は極寒で、人の姿はほとんどない。腰を下ろしたベンチは氷のような冷たさで、どう考えても長話をするには向かなかった。


「あたしといるの、つまらない?」

「別に、楽しくはねーよ」


 にべもないおれの言葉に、三橋は「そっか」と笑って悲しげに目を伏せる。さすがに罪悪感が胸を刺して、おれは三橋から視線を逸らした。中庭を横切った女生徒の群れの中に、ついつい柚子の姿を探してしまう。どうやらまだ補講は終わっていないらしい。


「ねえ高辻くん。大事な話があるの」


 やけにかしこまった表情でそう言われて、おれはなんとなく話の内容を察してしまった。二人きりになりたい、と言われた時点で薄々勘づいてはいたのだ。おれは観念して口を開いた。


「話ってなに」


 冷えた両手を擦り合わせながら問うと、三橋はじっとこちらを見つめてきた。よくよく見ると、なかなか整った顔をしている。瞬きをするたびに、長い睫毛が震えた。


「わかってると思うけど、あたし高辻くんのこと好き」


 白い息を吐きながら、三橋はきっぱりと言い切った。

 予想通りの言葉だったが、やはり多少なりとも動揺した。考えてみれば、女子から告白されるのは生まれてはじめてだ。それでもおれは眉ひとつ動かさず、できるだけ平坦な声で「ごめん」と答える。三橋はアハハ、と渇いた笑いを溢した。


「まあ、そうだよねー。でも、今ならまだワンチャンあるかなーとか思ったんだけどな」

「……おれ、今は柚子のことで手一杯だから。誰かと付き合ったりとか、考えられない」


 柚子の名前を口に出した途端に、三橋の表情から笑みが消えた。歪んだ口元に嫌悪感を滲ませながら「……フラれるのは仕方ないけど、言い訳みたいに幼馴染使われるのはムカつくなあ」と呟く。


「高辻くん、あの子のことが好きなの?」

 

 三橋の問いに対するおれの答えはひとつだ。おれにとって柚子以上に可愛い女の子はいないし、柚子以上に大事な女の子もいない。

 甘いものを食べているときの幸せそうな笑顔が好きだ。おれに「お願い」をするときの、ちょっと甘えた声が好きだ。おれの後ろを健気にちょこちょことついてくる狭い歩幅が好きだ。制服の裾をぎゅっと握りしめてくる小さな手が好きだ。理由を挙げればきりがないけれど、結局のところおれは、柚子以外の女の子が目に入らないだけだ。


「ねえ、なんとか言ってよ」


 それでも、おれは何も言わなかった。この学校には想像以上に噂好きで下世話な人間が多い。自分の預かり知らぬところで、好き勝手なことを言われるのはごめんだ。おれはともかく、柚子のことをあれこれ噂されるのは我慢ならない。朝比奈と同じ轍を踏んでなるものか。

 いつまでっても答えないおれに焦れたのか、三橋は「もういいや」と溜息をついて立ち上がった。


「じゃあまたね、高辻くん。お幸せに」


 やや棘のある口調でそう吐き捨てると、三橋は制服のスカートを揺らして大股で歩いて行った。ぴんと背筋の伸びた後ろ姿は凛としていて、きっと彼女ならもっと他に良い男を見つけるのだろうな、と考える。振った相手にそんなことを思うのは、ちょっと無神経かもしれない。


「朔ちゃーん」


 柚子の声が聞こえて、おれははっと顔を上げた。きょろきょろと周りを見回してみても、彼女の姿はない。空耳かと思っていると、もう一度「さくちゃあん」と名前を呼ばれる。

 頭上を見ると、校舎の二階の窓から柚子が顔を出していた。ニコニコしながら手を振っている姿が可愛くて、おれはみっともなくニヤけてしまう。それと同時に、三橋と二人でいるところを見られてはいなかっただろうか、と不安になってしまった。


「遅くなってごめん、今から行くね!」


 おれが手を振り返すと、柚子はそう言って窓を閉めた。姿が見えなくなってしばらくすると、柚子が小走りに校舎から出てきた。セーラーの上から、先週買ったばかりだというダッフルコートを羽織っている。走る動きに合わせて、ぴょこぴょこと髪が揺れている。おれに駆け寄ってきた柚子は、首に巻いていたマフラーを外して、ふわりと優しく巻きつけてくれた。


「こんな寒いところで待ってたの?」

「いや、大丈夫。おれ寒くないから、マフラーつけとけよ」

「わたし、上着あるから平気だよ。朔ちゃん、チェック似合うね。かわいい」


 柚子はそう言ってくすくす笑ったが、赤いチェック模様のマフラーは、男子高校生が巻くにはどう考えても可愛すぎる。それでも、おれはマフラーを外すことができなかった。

 おれは鞄から黒のマフラーを出すと、柚子の首に巻きつけてやった。柚子のものほど高級感のある素材(たぶんカシミヤってやつ)ではないが、ないよりマシだろう。地味な黒いマフラーを巻いた柚子は、照れ笑いを浮かべた。


「あ、朔ちゃん、自分のマフラー持ってたんだ……」

「いいよ。このまま帰ろうぜ」


 チェックのマフラーはふわふわしていて暖かくて、柚子の匂いがする。柚子は「うん」と頷くと、黒のマフラーに顔を埋めて幸せそうに微笑んだ。どれだけ美人に言い寄られたとしても、おれが一生かけて大切にしたい女の子は、この世界にたった一人しかいないのだ。

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