エゴとチョコレート

 おれの所属している体育委員会は、おおよそ月に一回放課後に集まりがある程度で、体育祭前以外はほぼ活動がない。相方であるバレー部の女子はしっかり者だし、三橋のようにベタベタしてくるタイプでもなかったのでわりと話しやすかった。入学早々ジャンケンに負けて体育委員を押しつけられたおれだったが、今まではのらりくらりと楽をしていたのだ。

 とはいえ体育祭を来週に控えた今は、それなりに忙しかった。母はようやく退院してきたばかりだし、できるだけ早く帰りたいのだが、今週は毎日のように集まりがある。柚子を待たせるのは申し訳なかったが、柚子は「花梨先輩とお喋りしてるからいいよ」と言ってくれた。

 柚子は最近、石蕗花梨とやけに仲が良いらしい。あの無愛想な女に柚子はやたらと懐いているようだが、おそらく朝比奈は石蕗花梨に惚れているのだろうし、柚子にとっては恋敵のようなものだ。それなのに柚子は、朝比奈が石蕗花梨にプレゼントしたネックレスを、ずぶ濡れになってまで探してやるほどのお人好しだ。仲良くするのは構わないけれど、柚子が傷ついたりしなければいいのだが。


「それでは、各自クラスに持ち帰って話し合っておいてください! 解散!」


 おつかれさまでしたあ、という声と共に、バラバラと生徒たちが立ち上がる。おれも教室を出ると、柚子の待つ中庭へと足を向けた。

 また甘いものでも食べているのだろうか。最近の柚子はしょっちゅう甘いものを食べていて、ちょっと顔が丸くなった気がする。おまえの好きなぬいぐるみに似てきたな、と言うと、ほっぺたをさらに膨らませていた。柚子は丸くても、それはそれで可愛いと思う。

 校舎を出て中庭に向かうと、いつものベンチに柚子が座っていた。まるでハムスターのように、両手でシュークリームを持ってもぐもぐと頬張っている。その隣には石蕗花梨と――朝比奈王子がいた。


「あっ、朔ちゃん!」


 柚子は唇の端っこにクリームをくっつけながら、おれに向かって満面の笑みを浮かべた。石蕗花梨は冷たい目でおれを一瞥したあと、すぐに視線を逸らす。朝比奈はにこやかに手を振っていた。


「見て見て! これ、アレクサンド・シモンのシュークリーム! すっごい人気で、夕方には売り切れちゃうの。朝比奈くんが買ってきてくれたんだよ。優しいよねえ」

「蓮見さんがそんなに喜んでくれるなら、昼休みに学校抜け出して並んだ甲斐があったよ」


 すっかり餌付けされたらしい柚子は、ご機嫌な様子でシュークリームの箱を見せびらかしてくる。柚子の両隣に座った二人は、まるで孫を見守る祖父母のような目で柚子を見つめていた。

 ……どういう状況だよ、これ。

 好きな男と恋敵に挟まれた柚子が気の毒で、なんだかむかっ腹が立ってきた。おれはずんずんと歩み寄ると、朝比奈の腕をぐいと掴む。


「おい、ちょっとツラ貸せ」

「さ、朔ちゃん……」

「なに? ガラ悪いなあ……」


 朝比奈は文句を言いつつも、渋々おれについてきた。柚子がオロオロしているのを尻目に、おれは朝比奈を少し離れた校舎の中へと引っ張っていく。柚子たちの姿が見えなくなったところで、おれは切り出した。


「……なんで、おまえがいんの?」

「花梨と蓮見さんがお菓子パーティーするって言うから、仲間に入れてもらったんだ。あそこのシュークリーム、美味しいんだよね」

「んなこたどうでもいいんだよ」

「えー、自分で訊いといて……」


 呆れたように肩を竦める仕草も、嫌味なほど絵になっている。腹が立つくらいに整った顔を、おれは真正面から睨みつけた。


「柚子のことなんとも思ってないなら、期待持たせるようなことすんなよ」

「……なんで、ただの幼馴染がそこまで口出しするの? 高辻くん、蓮見さんのこと応援してるんだよね?」


 痛いところを突かれて、ぐっと言葉に詰まった。

 柚子が望むならば喜んで応援してやる、はずだった。おれが何よりも最優先すべきは、柚子の意思だ。おれは柚子のお願いならなんだって叶えてやりたいし、柚子のためならなんでもする。もちろん、おれのできる範囲で、だ。


「……できるわけねーだろ」


 唇から零れ落ちた本音に、朝比奈は口元を歪めて、うんざりしたような表情で溜息をついた。


「やっとかよ」


 吐き捨てるような響きに、おれはぎょっとした。今の方声は、本当に目の前にいる王子様然とした男から発せられたものなのか? おれが唖然としていると、朝比奈はあからさまな作り笑いを浮かべる。


「ごめんごめん。僕も、日頃素直じゃない幼馴染に辟易してるからつい」

「……やっぱり、そっちがおまえの本性か」

「人聞き悪いなあ。本性とかじゃないよ。相手によって見せる顔を使い分けてるだけ」


 朝比奈は貼りついたような笑みを消して、気怠げに髪を掻きあげた。こんな姿を朝比奈のファンが見たらショックを受けるのではないかと思ったが、これはこれで需要がありそうな気もする。別のコアなファンがつきそうな感じだ。


「高辻くんだって、蓮見さんの前では良い子ぶってるでしょ」

「別に、良い子ぶってなんか」

「ほんとはさっさとフラれて自分に泣きついてこればいい、って思ってるくせに」


 おれは思わず視線を逸らした。「そこまでは思ってない」と答える声には、あまり説得力が感じられない。ややあって、朝比奈はくっくっとおかしそうな笑みを溢した。


「いろいろ言ったけど、僕は高辻くんのこと嫌いじゃないよ。花梨にまったく興味ない男、レアだから」

「そりゃあどうも」


 おれはまったく感情を込めずに礼を述べた。正直、こいつに好かれても嬉しくもなんともない。

 それにしても、朝比奈はあの無愛想な女のどこが良いのだろうか。石蕗花梨はたしかに美人だが、こいつレベルの顔面をもってすれば、よりどりみどりだろうに。

 そこまで考えて、溜息をついた。他の女の子じゃダメなのは、おれも同じだ。どんな美人が目の前に現れようとも、おれだって柚子以外に興味はない。

 朝比奈と共に中庭に戻ると、柚子が不安げにこちらを見つめていた。喧嘩でもしていたのではと心配していたのだろうか。まだほっぺたにクリームがついているのがおかしくて、おれは「ついてる」と頰を拭ってやった。


「帰るぞ、柚子」

「う、うん。朝比奈くん、花梨先輩。お菓子ありがとうございました。美味しかったです」

「またね、ゆずちゃん」

「今度は高辻くんも入れて四人でやろうね」


 いつのまにか人の良さそうな笑みを取り戻した朝比奈を一瞥してから、おれは柚子の手を引いて歩き出した。柚子は小走りにおれを追いかけてくる。


「朔ちゃん、朝比奈くんと仲良くなったの?」

「別に、仲良くはねーよ」

「そうなの? 朝比奈くん、すっごく良い人だよ。王子様って呼ばれるのも、わかるよねえ。シュークリーム美味しかったあ」


 背中越しに聞こえる柚子の声が、楽しげに弾んでいる。おれは前を向いたまま「ふーん」と答えた。柚子が朝比奈を褒めるたびに、ちくちくと心臓を針でつつかれたような痛みが走る。


「……おれだって、柚子のためなら一時間くらい余裕で並べるし」

「え?」

「シュークリームでもケーキでも、柚子の好きなものならいくらでも買ってやるのに」


 そう口走ってから、なんだよこれ死ぬほどみっともねえ、と後悔した。こんなの、ただのくだらないヤキモチだ。おれは柚子を甘やかすことにかけては一流だと自負しているが、こんなところで張り合ってどうする。そもそも、おれと朝比奈じゃ立っている土俵も違うのだ。

 じりじりとせり上がってくる嫉妬心を飲み込んでいると、小走りでおれの隣に並んだ柚子が、斜め下からおれの顔を覗き込んできた。


「わたしね。朔ちゃんがくれるなら、チロルチョコでも嬉しいよ」

「……チロルチョコ馬鹿にすんなよ。きなこもち味、めちゃめちゃうめーだろ」

「こ、言葉のあやだってば……わたしもチロルチョコ好きだよ。あとね、ブラックサンダーも好き。それからね……」


 指折り数えて好きなチョコレート菓子をあれこれ挙げている柚子が可愛くて、おれの頰は知らず緩んでいく。ただそれだけのことで、おれの機嫌は容易く回復してしまった。


 ――朔ちゃんはわたしのこと、応援してくれる?


 ごめんな、柚子。おれ、おまえが早くフラれればいいと思ってる。おれにとって柚子の笑顔以上に優先すべきことはないけれど、おまえのそのお願いは聞いてやれそうにない。

 校門をくぐると、二人並んで長い下り坂を降りていく。街路樹の葉は少しずつ色づき始めていて、落ちた葉をスニーカーで踏むとカサカサと音を立てた。季節が移り変わっていくように、おれたちの関係もずっとこのままではいられない。

 おれは柚子の手を取ると、ぎゅっと握りしめた。「コンビニでチョコ買って帰るか」と言うと、柚子は困ったように眉を下げて「さすがに今日は、カロリーオーバーだよ……」と呟いた。

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