中庭のアフタヌーン・ティー
マドレーヌ、マカロン、カヌレ、エッグタルト。花梨先輩はまるで魔法のように、紙袋から次々とお菓子を出していく。唖然としているわたしの膝の上に、どさどさとそれを乗せて言った。
「ゆずちゃん、よかったらこれ食べて。あとこっちも美味しいよ」
「あ、ありがとうございます……」
放課後、わたしは中庭のベンチで花梨先輩と並んで座っていた。通り過ぎる生徒たちが、ほぼ百パーセント先輩を二度見していく。その気持ちはよくわかる。この世に実在しているのが信じられないほどに、彼女は美しいのだ。しかし先輩は、注がれる視線を完全に無視していた。
朔ちゃんから花梨先輩の連絡先を聞いたわたしは、いただいたフィナンシェのお礼のメッセージを送った。わたしの好きなお店です、と伝えたところ、意外なほどに食いつかれてしまったのだ。どうやら先輩はお菓子が大好きらしい。わたしも甘いものには目がないので、スイーツトークですっかり盛り上がってしまった。
――私のオススメのお菓子用意するから、今度一緒に食べない?
花梨先輩からのお誘いに、わたしは緊張しつつも「はい」と答えた。そんなこんなで、わたしは美女と二人でお菓子パーティーをすることになったのである。中庭のベンチに広げたお菓子が、まるでホテルのラウンジでいただくアフタヌーンティーのように煌びやかになる。やっぱり花梨先輩のオーラはすごい。それにしても、どれもこれもデパ地下にありそうな高級スイーツばかりだけれど、先輩はもしかしてお嬢様なんだろうか。
「わあ、ここのマカロン一回食べたかったんです……!」
「ゆずちゃんオススメのどら焼きも美味しいよ」
「わたし、あったかい紅茶持ってきました」
魔法瓶に入った紅茶をコップに入れて、わたしは花梨先輩に差し出した。彼女は微笑んで「ありがとう」と受け取ってくれる。相変わらずの眩しさだったけれど、そろそろ慣れなければならない。
これは朝比奈くんから聞いた話だけれど、花梨先輩には同性の友人がまったくいないらしい。お菓子パーティーに誘われた話をしたところ、「花梨の奴、蓮見さんと仲良くなれてはしゃいでるんだよ」と苦笑していた。
「石蕗さーん」
怖いもの知らずの男子生徒が、ニヤニヤ笑いながら花梨先輩の名前を呼ぶ。花梨先輩は一瞥もしなかったけれど、男子生徒の一団からはギャハハ、と下品な笑い声が響く。なんだかバカにしているような態度に、わたしはちょっと嫌な気持ちになってしまった。眉を顰めたわたしに気付いたのか、先輩は申し訳なさそうに目を伏せる。
「……ごめんね、柚子ちゃん」
「か、花梨先輩は悪くないです」
「私と居ると、嫌な気持ちさせちゃうよね」
「そんなことないです。わ、わたしも友達少ないので……先輩と一緒に居るの楽しいです。お菓子もおいしい」
そう言ってマドレーヌにかじりつくと、花梨先輩は「いっぱい食べてね」と慈愛に満ちた手つきでわたしの髪を撫でてくれた。聖母マリアが現存していたら、こんな感じなのかもしれない。花梨先輩は男の子に対しては冷たい態度だけれど、わたしにはとっても優しい。
「……今日、朝比奈くんも一緒じゃなくてよかったんですか?」
わたしはマドレーヌを頬張りながら尋ねる。朝比奈くんは今日のお菓子パーティーに参加したがっていたけれど、花梨先輩が断固拒否したのだ。先輩はげんなりしたような表情で、ひらひらと片手を振る。白い指が細くてきれいだ。
「嫌だよ。碧がいたら、すぐ女子が寄ってきて落ち着かない」
「でも先輩は、朝比奈くんのこと好き……んっ」
最後まで言い終わらないうちに、花梨先輩はわたしの口を塞いだ。まるで殺し屋にでも狙われているかのように、キョロキョロと周囲を警戒している。
「こんなところで、滅多なこと言わないで」
「んむ……」
「……本当のことだけど、噂になるのは困る」
「……す、すみません」
わたしはぺこりと頭を下げた。花梨先輩はやっぱり朝比奈くんのファンを警戒してるみたいだ。そういえばわたしに対してもわざわざ「彼女ではない」と弁明してきたし、今までに何度か嫌な思いをしたことがあるのかもしれない。あんなにかっこいい人の幼馴染をするのは、なかなか大変なのだろう。朔ちゃんもかっこいいから、わたしも気をつけよう。
そのとき、傍に置いていたスマートフォンがブーッと震えた。ロックを解除して見ると、朔ちゃんからのメッセージが届いている。
――待ってるから、帰るときにまた連絡して。
……今日は遅くなるから、待たなくてもいいよって言ったのに。わたしは溜息をついて、「先に帰っててね」と送るとにスマホ画面をそっと伏せた。
「彼氏?」
花梨先輩の問いに、わたしはぶんぶんとかぶりを振る。
「ち、違います。わたし、彼氏いません」
「え? じゃあ、あの目つきと態度の悪い男は?」
「さ、朔ちゃんのことですか? 朔ちゃんは、わたしの幼馴染です」
花梨先輩の朔ちゃんへの印象はあんまり良くないみたいだけど、朔ちゃんの方も「あの愛想がなくてつっけんどんな女の先輩」と言っていたのでお互いさまだ。茉由ちゃんといい、朔ちゃんは一部の女の子からのウケが圧倒的に悪い。
「そうなの? ただの幼馴染が、あそこまでする?」
「……朔ちゃんは、病的にわたしに過保護なんです。でもそれは、わたしのこと、好きだからじゃないんです」
そう口に出した途端に、鼻の奥がツンとして、涙が溢れそうになってしまった。誤魔化すように口に放り込んだチョコレートは思っていたよりもビターで、ほろ苦さが口の中に広がっていく。
――柚子が好きな奴とうまくいくように、ちゃんと応援する。おれは何があっても、柚子の味方だから。
馬鹿な嘘をついて、応援して欲しい、だなんてことを言ったのはわたしだ。自業自得だ。それなのにわたしは、堪えきれずに朔ちゃんの前で泣いてしまった。朔ちゃんは本当にわたしのことを何とも思っていないのだと、改めて思い知らされた気がして。
好きな人がいるなんて嘘だよ、とか。わたしが好きなのは朔ちゃんだよ、とか。言うのはきっと簡単だった。それでも、言ってしまったら――何があってもわたしの味方だと豪語する朔ちゃんは、きっと自分を押し殺してでも、わたしの気持ちに応えようとしてしまう。
あの日以来、表面上は普段通りにしているけれど、わたしたちのあいだにはどことなく気まずい空気が流れていた。朔ちゃんは相変わらず過保護ではあったけれど、必要以上にわたしに触れてこなくなったし、わたしの「好きな人」の話を聞きたがった。朔ちゃんに応援されるのが辛くて苦しくて、わたしはなんとなく彼を避けるようになってしまった。
「で、でも、わたしは。朔ちゃんが何とも思ってなかったとしても、朔ちゃんのこと好きなんです」
……何度現実を突きつけられたって、何度打ちのめされたって、絶対に諦めたくない。ぎゅっと握りしめたわたしの手を、花梨先輩はそっと包み込んでくれた。
「……私。女の子とこういう話するの初めて」
「そ、そうなんですか?」
「みんな、私に好きな人の話とかしたがらないの。相談しても、大抵の男の子は私のこと好きになっちゃうから」
一歩間違えれば自信過剰とも取られかねない発言だけど、わたしは素直に「それはそうですよね」と答えた。花梨先輩の顔面には、それだけの説得力がある。
「でも、高辻くんだっけ? あの子は、私に見向きもしなかったから。ずぶ濡れになってるゆずちゃんのことだけ見てた」
花梨先輩はどこか必死な様子で、わたしの手をぎゅっと握りしめている。わたしのことを慰めてようとしてくれているのだ、とわかった。
「少なくとも、私は。この子は、ゆずちゃんのことがすごく好きなんだなって感じたよ」
「花梨先輩……」
「……ごめん。私、恋バナとかしたことないから……なんか、変なこと言ってる?」
不安げに首を傾げた花梨先輩に、わたしはぶんぶんとかぶりを振った。小さな声で「朔ちゃん、あんまり美人に興味がないんです」と答える。
「……でも、ありがとうございます」
ようやく顔を上げたわたしは、まっすぐ花梨先輩の目を見つめた。人と目を合わせるのが苦手なわたしだけれど、先輩とは真正面に向き合いたい。
花梨先輩は至近距離で、わたしの顔をまじまじと見つめた。美女の視線を間近に浴びるのは、なんだかちょっと緊張する。しばしの沈黙の後、花梨先輩はしみじみと「高辻くん、たぶん面食いの部類だと思うな」と呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます