押し殺した本音

 立て続けに美女とイケメンの襲来を受けたおれは、あのあと結局クラスメイトの質問責めに遭ってしまった。まさか三角関係なのでは、いやいや蓮見さんも加えた四角関係だ、などと好き勝手なことを言う輩もいたが、おれはそれを馬鹿馬鹿しいと一蹴した。おれはともかく、柚子を妙な噂に巻き込まれるのは困る。まったくもって迷惑な奴らだ、とおれは憤っていた。

 石蕗花梨はたしかに目を引く美人ではあったが、あまり感じが良いとは言えなかった。無愛想でつっけんどんで、他人を寄せつけない雰囲気がある。あれなら柚子の方がずっと可愛いと思う。テレビに出ている女優よりもアイドルよりも、おれにとっては世界で一番柚子が可愛い。

 放課後にまであれこれ詮索してくるクラスメイトを振り切って、おれは逃げるように教室を後にした。いつもの癖で四組の教室を覗いてから、そういえば柚子は休みだったと思い出す。踵を返そうとしたところで、「高辻」と強い口調で呼び止められた。


「……げ。篠崎」


 思わず眉を顰めたおれに、篠崎は不服そうに「失礼な奴」とこちらを睨みつけてきた。石蕗花梨といい、今日はやけに気の強い女に絡まれる日だ。ほわほわとした柚子の笑顔が、なんだか無性に恋しくなってきた。


「……なに、カツアゲ? おれ、金ねーよ」

「んなわけないでしょ!」

「おれ、早く帰って柚子のとこ行きてーんだけど」

「わかってるわよ。これ、今日の授業のノートだから柚子に渡しておいて」


 篠崎はそう言って、キャンパスノートを乱暴に押しつけてきた。篠崎は気は強いが、実のところ結構面倒見の良いタイプだ。おれが「サンキュ」と受け取ると、「高辻にお礼言われる筋合いない」とバッサリ斬り捨てられる。なんでこいつは、いちいち喧嘩腰なんだ。おれたちが黙って睨み合っていると、一人の男子生徒がひょっこりとおれたちのあいだに割って入った。へらへら笑いを浮かべている充だ。


「なになに? 朔、蓮見さんのお見舞い行くの? 俺も行こうかなー」

「おまえは来んな」

「葛巻は行かなくてもいい!」


 珍しく、おれと篠崎の意見が一致した。篠崎はおれのことも嫌いだが、女たらしを具現化したような充のことはもっと嫌っているようだ。まるで道端のゴミでも見るような目つきで睨みつけられているが、充は気にした様子もない。


「なんだよー、おれは蓮見さんのこと純粋に心配してんのに」

「おまえには下心しかねーだろ」

「なんで朔は良くてオレはダメなの? おまえには下心ないの?」


 充に突っ込まれて、おれは一瞬言葉に詰まった。背筋が凍りつくような篠崎からの視線を感じて、慌てて「ねーよ!」と大声で否定する。


「おれが柚子に下心抱くなんて、あるわけない」


 そうきっぱり言い切ると、舌打ちをした篠崎に背中をグーで殴られた。なんだよ、下心があってもなくてもキレられるのかよ。意味わかんねーよ。


「篠崎、おまえさっきから何なんだよ」

「それはこっちのセリフよ。高辻は、柚子のことどうしたいの?」

「はあ?」

「柚子のことどうこうするつもりもないくせに、幼馴染のポジションだけ死守しようだなんて、ずるいのよ! あたし、あんたのことホント嫌い!」


 篠崎は忌々しげにそう言い放つと、「部活行ってくる!」と肩を怒らせながら歩いていく。唖然としながらその背中を見送っていると、充がくっくっと笑みを零した。


「篠崎のああいう友達想いなとこ、カワイイよな」

「はあ? どこが……」

「オレは別に朔のこと嫌いじゃねえけど、こればっかりは篠崎に同意かなー。おまえ、いつまで気付かないフリするつもり?」


 充は軽く鼻で笑うと、唇の端を歪に吊り上げた。何がだよ、とは訊かなかった。その答えを聞くのが、恐ろしい気がして。

 ぐるぐると、王子の言葉が頭を回る。おれがいつもどんな顔で柚子のことを見ているのか、気付きたくない。腹の中に抱えた醜い欲を、柚子にだけは知られたくない。


「……柚子のこと心配だから、帰る」


 おれは、柚子のただの幼馴染だ。おれの役目は、柚子が幸せになれるように全力で努力することだ。――柚子を幸せにするのは、おれの役目じゃない。

 充はそれ以上は、何も言わなかった。「じゃあなー」と軽く片手を上げた友人に背を向けて、おれは早足に歩き出した。



 電車に乗りこんだおれは、閉じた扉にもたれかかってほっと息をついた。そういえば高校に入学してから、一人で登下校するのははじめてだ。満員電車で柚子を守らなくてもいいのは楽だったけれど、おれの制服の裾をぎゅっと掴む小さな手がないのは、なんとなく寂しいような気持ちになる。

 最寄駅に到着したので、おれは電車を降りて歩き出した。柚子がいないと、普段の半分くらいの時間で自宅に着く。柚子はいつも改札を出るのにもモタモタしているし、歩幅が小さくて歩くのが遅いのだ。しかしおれは、それを煩わしいと思ったことはなかった。

 家に帰る前に、パティスリー・モリというケーキ屋に立ち寄った。甘いものに目のない柚子は、ここのケーキが大好物なのだ。期間限定のモンブランプリンも気になったが、シンプルななめらかプリンをひとつだけ購入する。自分のぶんは、コンビニに売っている百円のプリンでいい。

 会計を終えて店を出たおれは、自分の家を素通りして、隣にある柚子の家のインターホンを押した。ほどなくして「はいはーい」という返事と共に扉が開く。出てきたのが柚子の母さんだったので、おれは驚いた。


「あれ、おばさん。仕事は?」

「うん、早退させてもらったの。朔ちゃん、柚子のお見舞い? ありがとう」


 おれは促されるがままに、柚子の家に足を踏み入れる。おばさんは「今お茶入れるわねー」と言ってキッチンへ向かった。おれはその背中を追いかけて、プリンの入った小さな紙袋を手渡した。


「これ、柚子に。ごめん、おばさんのぶんも買ってこればよかった」

「あら、悪いわね。私の分なら、別に気を遣わなくてもいいわよ」


 おばさんは棚の上から高級そうな紅茶のティーパックを出すと、「これ、いつ貰ったやつだったかな。まあいいか」と首を傾げながらカップにお湯を注いでいく。


「ここのプリン、いいやつじゃない。高かったでしょ」

「おれ、夏休みバイトしてたから大丈夫。あんまりお金使わねーし」

「朔ちゃんはほんとに柚子に甘いわよね……」


 透明なお湯がじわりと赤茶色に染まっていくのを眺めながら、おばさんは嘆息する。


「ねえ、朔ちゃん。柚子の傷のことだけど、朔ちゃんが重荷に感じる必要はないのよ」


 おれはぎくりとした。柚子の母さんから、かつてのおれの所業を責められたことは一度もない。おれが毎日のように柚子を泣かしていた頃は、しょっちゅう叱られたものだが。あの頃のおばさんは怖かったし、当時のおれはおばさんのことをかなり恐れていた。


「……ごめん」


 おれの口からは謝罪が飛び出していた。俯いているおれに、おばさんは「朔ちゃん」と優しくおれの背中を撫でた。気が強そうな美人であるおばさんは、柚子はちっとも似ていないと思っていたけれど、落ち着いたトーンの声は結構似ている。


「おれのこと、恨んでる?」

「まさか、恨んでないわよ。朔ちゃんについて行ったのはあの子なんだから。……でも、まったく気にしてないって言ったら、嘘になるかもしれないわね」


 おばさんはカップからティーパックをさっと引き上げると、流しの三角コーナーに捨てた。大袈裟なガラスの器に入った高そうなプリンと、安っぽいプラスチックに入ったプリンをトレイの上に並べる。紅茶と一緒に、スポーツドリンクのペットボトルを乗せた。おそらく柚子のぶんだろう。


「でもね、そうやって朔ちゃんが柚子のこと甘やかすの、あの子のためにもならないと思うの。あの子もいい加減自立して、朔ちゃん離れしなきゃ。柚子には柚子の、朔ちゃんには朔ちゃんの人生があるんだから」


 おれは何も答えなかった。おれだって、今の関係が普通の幼馴染の域を超えていることはわかっている。これからもずっとこのままでいられるなんて、思っているわけではない。


「はいこれ、柚子の部屋まで持っていって。ゆっくりしていってね」


 手渡されたトレイを受け取って、おれは紅茶をこぼさないように慎重に階段を上っていく。ノックをして「入るぞ」と声をかけてから、柚子の部屋に足を踏み入れた。


「……朔ちゃん。おかえりなさい」


 ベッドに横たわっている柚子が、もぞもぞとタオルケットから顔を出した。ローテーブルの上にトレイを置いてから、柚子の顔を覗き込む。ややほっぺたが赤くなっている気もしたが、今朝会ったときよりも顔色がいい。手の甲で頰に触れてみたけれど、それほど熱く感じなかった。


「もう平気か?」

「うん。全然大丈夫。明日は学校行くね」


 おれが「プリン買ってきた」と言うと、柚子は嬉しそうに上体を起こす。「パティスリー・モリのプリンだ!」と嬉しそうな声を出した。


「期間限定で栗のやつもあったんだけど、ふつうのにした。そっちは今度買ってくる」

「嬉しい、ありがとう。朔ちゃんも一緒に食べよう」

「おれ、自分のも買ってきた」


 おれがコンビニプリンを手に取ると、柚子は申し訳なさそうに眉を下げる。「いつもごめんね」と言ったけれど、おれが好きでやっているのだから柚子が気に病む必要はない。

 プラスチックのスプーンでプリンを口に運んだ柚子は、「美味しい〜」といたく幸せそうに笑った。きゅっと下がった目尻に、ゆるゆると緩んだ頰。引っ込み思案な柚子が、おれだけに見せてくれる笑顔が昔から好きだった。


 ――蓮見さんのこと、誰にも渡したくないって顔してる。

 ――柚子のことどうこうするつもりもないくせに、幼馴染のポジションだけ死守しようだなんて、ずるいのよ!

 ――おまえ、いつまで気付かないフリするつもり?


 ……ごちゃごちゃ、うるせえよ。おれの気持ちなんてどうでもいい。おれの役目は、この笑顔を全力で守ることなのだ。


「柚子」

「うん?」


 名前を呼ぶと、うっとりとプリンに酔いしれていた柚子がこちらを向いた。おれは紅茶で喉を潤してから、ゆっくりと口を開く。


「おれ、柚子のこと応援するから」

「……え……いきなり、どうしたの?」


 柚子は戸惑ったように大きな瞳を瞬かせた。余計な感情が勝手に滲み出てしまわないように、腹に力を込めながら続ける。


「柚子が好きな奴とうまくいくように、ちゃんと応援する。おれは、何があっても柚子の味方だから」


 自分に言い聞かせるように、繰り返す。大丈夫だ、ちゃんと応援できる。キリキリと胸の奥が締めつけられるのを感じながら、おれは慎重に言葉を紡いでいく。

 柚子の頰はいつのまにか真っ白になっていて、プリンを持つ手は小刻みに震えていた。消え入りそうな声で「うん」と頷いた柚子は、それきり黙って俯いてしまった。しばらくののち、ぽたりとタオルケットの上に雫が落ちる。


「ゆ、柚子!?」


 ぎょっとしたおれは、慌てて柚子の顔を覗き込んだ。宝石のように綺麗な柚子の瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちていた。


「ごめん、柚子。おれ、なんか変なこと言った?」


 おれは枕元にあるティッシュを取って、頰を濡らす柚子の涙を拭ってやった。柚子の泣き顔を見るたびに、おれは心臓を握り潰されたような気持ちになる。柚子は小さくしゃくりあげながら、「違うの」と言った。


「ごめん、ごめんね、朔ちゃん……」


 柚子が泣いている理由はわからないけれど、たぶん泣かせたのはおれだ。おれのせいで、柚子が泣いている。おれは彼女の涙を止める方法がわからずに、小刻みに震える手を握ってやることしかできなかった。

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