その水着ちょっと待った
試験終了のチャイムと同時に、わたしはシャーペンを机の上に置いた。時間がちょっぴり足りなくて見直しが充分できなかったのが不安だけれど、わたしにしてはなかなかの手応えを感じている。朔ちゃんは今回かなり張り切って試験勉強をしているようだったから、きっとわたしよりもうんと良い点数を取るのだろう。
後ろに座ってる男子が「あー、やっと終わったー」と溜息をつくのが聞こえた。わたしも同感だ。わたしは清々しい気持ちで、窓の外に目を向ける。
眩しい太陽がさんさんと降り注いでいて、緑色の葉っぱをキラキラと照らしている。きれいに澄み渡った青い空には真っ白い雲が浮かんでいた。窓を開けるときっと、ジージーとうるさい蝉の声が聞こえるのだろう。
期末試験が終わると、夏休みが始まる。今のところ特に予定はないけれど、この夏は頑張って朔ちゃんとの距離を縮めたいところだ。勇気を出して、二人で出かけようって誘ってみようかな。わたしは密かに気合いを入れて、胸の前でぐっと拳を握りしめた。
テストが終わって先生が出て行くと、教室の中はにわかにざわざわと騒がしくなる。わたしの近くにいる女子グループは夏休みの予定を立てているらしく、スマホを片手にきゃあきゃあとはしゃいだ声をあげていた。
「ねーねー海行こうよ、海」
「あたし、こないだ新しい水着買ったよ!」
「えー、どんなやつ?」
彼女たちの会話を盗み聞きしながら、わたしはこれから始まる夏に思いを馳せてみる。海に行きたいと言ったら、朔ちゃんは連れて行ってくれるだろうか。そこまで考えて、はたと思い当たった。
わたしは、よく考えたら水着を持っていない。中学の頃に水泳の授業で使っていたスクール水着はあるけれど、さすがに高校生が遊びに行くのにスクール水着はまずいだろう。ちゃんとしたのを買っておいた方がいいかもしれない。せっかくだから今度のお休みに買いに行こうかな、とわたしは思案した。
「はあ? 水着?」
水着を買おうと思うの、というわたしの言葉に、朔ちゃんは怪訝そうに眉を寄せた。わたしは電車の扉にもたれかかったまま「うん」と頷く。
試験期間中は午前中で授業が終わる。帰宅ラッシュの時刻にはまだ早いので、電車の中はそこまで混雑していない。少し離れた座席では、きれいな身なりのおばさんたちがぺちゃくちゃと楽しげにお喋りをしていた。アハハ、という笑い声がここまで響いてくる。
「そんなの買って、どこに着て行くんだよ」
「……夏休みだもん。ちょっとくらいは着る機会ある……と思う」
「……ふうん」
朔ちゃんはそう言って、ふいとわたしから視線を逸らした。わたしは逃すまいとそれを追いかけて、彼の顔を下から覗き込む。
「さ、朔ちゃんは、どんな水着が好き?」
「……だからおまえは、なんでおれの意見を訊くんだよ。意味ねーだろ」
朔ちゃんはやや照れたように頰を掻いた。朔ちゃんも年頃の男の子だし、水着の好みを訊かれるのはちょっと恥ずかしいのかもしれない。それでもわたしは退くつもりはなかった。お披露目する機会があるかはわからないけど、どうせなら朔ちゃんに可愛いと思ってもらいたい。
わたしはスマートフォンを取り出すと、ブックマークしていた水着の通販サイトを開いた。水着の写真がずらりと並んだ画面を「どれがいいかなあ」と見せると、朔ちゃんはややたじろぐ。
「お、おれが選ぶの?」
「え、だめかな……」
「だめじゃねーけど……」
朔ちゃんは諦めたようにスマホを覗き込むと、人差し指で画面をスクロールしていく。露出の少ない地味なワンピース水着を指差して「こういうのにしろよ」と言うので、わたしはちょっと驚いた。
「朔ちゃん、こういうのが好きなの? 意外だね」
「いや、好き嫌いで言うならそりゃこーゆーのが好きだよ。エロいもん。当たり前だろ」
こーゆーの、と言った朔ちゃんの人差し指の先には、セクシーな黒の三角ビキニがある。かなり布面積が小さくて、ボトムのサイド部分が紐になっている。これを着るのはかなり勇気が要りそうだ。朔ちゃん、こういうのが好きなんだ……男の子だなあ……とわたしはちょっと複雑な気持ちになってしまった。
「せ、セクシーだね……」
「こういうのはやめろよ。柚子にビキニはまだ早い」
きっぱりとそう言った朔ちゃんに、わたしは頰を膨らませた。やっぱり朔ちゃんは、いつまで経ってもわたしのことを子ども扱いしている。「スクール水着でいいんじゃねーの」と追い討ちをかけてくる朔ちゃんをよそに、わたしは「絶対可愛いビキニ買ってやる」と考えていた。
繁華街にあるファッションビルにやって来るのは、朔ちゃんと二人で買い物に来て以来だった。二回目だから迷わずに行けるかも、と思ったけれど、わたしは結局改札口を間違えて、茉由ちゃんと合流するのに手間取ってしまった。茉由ちゃんはしょっちゅうこのあたりに来ているらしく、一人でオロオロしているわたしをすぐに迎えに来てくれた。
迷わず歩いていく茉由ちゃんについて行きながら、わたしは本当に一人では何もできないんだなあと悲しくなってしまった。もっとしっかりしなきゃ、とぱちんと両手で頬を叩く。朔ちゃんだっていつまでも、わたしのそばに居てくれるとは限らないのだから。
目的のファッションビルの中には、期間限定の水着ショップが入っていた。所狭しと飾られた色も形もさまざまな水着に、わたしは圧倒されてしまう。
「水着がいっぱいある……」
「そりゃそうでしょ。柚子、どれにする?」
「び、ビキニにする……!」
勢いこんで答えたわたしに、茉由ちゃんは「お、意外」と目を丸くする。
「柚子のことだから、もっと露出の少ないやつにするかと思った」
「……朔ちゃんが、ビキニ好きって言ってたから」
「高辻……あンのムッツリスケベ」
茉由ちゃんは忌々しそうに顔を歪めると、チッと舌打ちをした。茉由ちゃんはやっぱり、朔ちゃんのことを毛嫌いしているみたいだ。わたしは慌ててフォローを入れる。
「でもわたしには、もっと地味で露出が少ないのにしろって言ってたよ。わたしにビキニはまだ早いからって」
「はあ!? あいつ、ほんっといつまで保護者ヅラする気なの!?」
フォローのつもりが、茉由ちゃんは余計に眉をつり上げた。不満げな表情で腕組みをして、ぷりぷりと肩を怒らせている。わたしはどうどうと茉由ちゃんを宥めるように背中を撫でた。
「朔ちゃんがわたしのこと女の子として見てくれないの、仕方ないと思う。だって、生まれたときからずっと一緒に居るんだもん。でもわたし、この夏は朔ちゃんに女の子として見てもらえるように頑張りたいんだ」
ぐっと胸の前で拳を握りしめたわたしに、茉由ちゃんはやれやれと肩を竦めた。
「仕方ないなあ。高辻のことは死ぬほど気に食わないけど、可愛い柚子がそう言うなら応援してあげますか」
「ありがとう、茉由ちゃん……」
「とりあえず、あのムッツリスケベが卒倒するような、めちゃくちゃ可愛い水着買ってやろ!」
「う、うん」
わたしたちは気合を入れて、ラックに吊り下げられた水着を物色し始める。あまりに真剣なオーラを放っていたからか、店員さんさえも遠巻きにして近寄ってこなかった。
「柚子、これとかどう?」
そう言って、茉由ちゃんはハイネックのビキニを手渡してきた。おへそは出るけれど露出は控えめだし、パレオもついているのでそこまで恥ずかしくないかもしれない。
わたしは少し悩んだけれど、その水着を持って試着室に入った。もぞもぞと服を脱いで着替えると、全身鏡に映る自分の姿を確認する。水着は可愛いけれど、胸のあたりがちょっと窮屈だ。試着室のカーテンから顔だけを出すと、わたしを待っている茉由ちゃんに向かって手招きをした。
「茉由ちゃーん……む、胸がきつい……」
わたしの身長はあまり伸びなかったけれど、何故だか中学二年生になった頃ぐらいから、急激に胸だけが成長し始めた。制服姿だとそれほど目立たないし、普段はあまり気にしていないけれど、可愛い水着が着られないのは残念だ。そういえば、下着も大きいサイズはあまり可愛いデザインのものがない気がする。
茉由ちゃんは「ちょっとごめん」と断ってから、試着室のカーテンを開けた。ハイネックのビキニを着ているわたしをジロジロと見て、うーんと腕組みをする。
「……柚子って、実はめちゃくちゃスタイル良いよね」
「え、そ、そう?」
「細いのに胸おっきいし、腰はきゅっとくびれてるし。全体的に柔らかそうだし……」
直球で褒められて、わたしはなんだか恥ずかしくなってきた。小柄で猫背なわたしは、普段スタイルを褒められることなんてほとんどない。わたしが照れていると、茉由ちゃんはわたしにホルターネックのビキニを押しつけてきた。
「じゃあ次これね」
わたしは茉由ちゃんに言われるがまま、再びカーテンを閉めてホルターネックのビキニに着替えた。胸元に花柄のフリルがついていて可愛いけれど、胸の谷間がしっかり見えていて、結構セクシーなデザインだ。わたしが顔を出すと、茉由ちゃんは再びカーテンを開けた。
「うん、いいじゃん! 可愛いよ!」
「だ、大丈夫かな? まあまあ胸出てるし、ちょっと恥ずかしい……」
「そのくらいなら全然下品じゃないし、大丈夫だと思うけど。似合ってる!」
「……朔ちゃんのこと、悩殺できるかな?」
「できるできる。これに反応しない男、いないって」
力強く頷いた茉由ちゃんを見て、わたしは決意した。朔ちゃんをそう簡単に悩殺できるとは思えないけれど、夏の暑さで多少は正常な判断力を失ってくれることを願うしかない。
「……しっかし柚子、そのあどけない顔から繰り出されるスタイルの破壊力すごいよね」
「そ、そうかなあ」
「私、高辻が柚子に露出すんなって言った本当の理由、なんとなくわかる気がする」
「え?」
「ま、私は高辻のこと嫌いだから言わないけど」
茉由ちゃんはそう言って肩を竦めると、ちょっと意地の悪い笑みを浮かべる。わたしを見つめながら「高辻め、ざまあみろ」と笑う茉由ちゃんはやたらと楽しそうだったけど、わたしにはその理由がさっぱりわからなかった。
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