幼馴染ってやつは

 数日降り続いた雨もようやく止んで、今日は久しぶりのいいお天気だった。「放課後に委員会の集まりがある」という朔ちゃんからの連絡を受けたわたしは、中庭のベンチでのんびりと彼を待つことにする。

 六月の陽射しはかなり夏めいていたけれど、まだそれほど暑さは感じなかった。湿気を含んだ生ぬるい風が、半袖のセーラー服のスカーフを揺らす。

 わたしが一人でぼんやりしているときに考えるのは、大抵朔ちゃんのことだ。勢いに任せて抱きついてしまったことを思い出して、わたしの頰に熱がともる。一応弁解しておくと、下心はなかったのだ。たぶん。ほとんど。いや、ほんのちょっとだけ。

 朔ちゃんの身体はわたしよりもずっと硬くてがっしりしていた。昔は身長だってわたしとほとんど変わらなかったはずなのに、いつのまにこんなに差がついてしまったんだろう。朔ちゃんはわたしとは違う、男の子なんだといまさらのように自覚してしまった。

 ……あのときの朔ちゃん、優しかったなあ。

 わたしの背中を撫でる朔ちゃんの手つきには、わたしと違って下心なんて少しもなくて、一人で意識しているわたしが恥ずかしくなってしまった。朔ちゃんにとって、やっぱりわたしは手のかかる幼馴染でしかないのだ。


 ――蓮見さんに好きな人がいるってわかったことで、蓮見さんも女の子なんだって意識させられたんじゃないかなあ。


 朝比奈くんはそう言っていたけれど、朔ちゃんの態度が殊更変わったようには見えなかった。いつになったら女の子として意識してもらえるんだろう。

 そういえば、朝比奈くんも幼馴染に男として意識されていないと言っていた。あんなにかっこいい人なのに、そんなことってあり得るのかな。彼が片想いしてる幼馴染って、どんな人なんだろう……。

 そんなことをつらつらと考えていると、ふと中庭を横切る女生徒の姿が目に飛び込んできた。その瞬間、わたしははっと息を飲む。ピンと背筋を伸ばして歩くその人が、信じられないくらいの美女だったからだ。

 すらりと細くて長い手足に、つやつやさらさらとしたセミロングの黒髪。雪のように真っ白な肌に、すっと通った鼻筋。ぱっちりとした大きな瞳は、ここから見ても宝石のようにきらきらと輝いている。顔面のパーツが全部あるべき場所に配置されている、という感じだ。透明感があって、でもどこかひやりと冷たい印象があって、まるで水晶でできた女神像のよう。わたしがうっとりと見惚れていると、彼女は足を止めてこちらを向いた。目が合った瞬間に、圧倒的な美に怖気づいてしまって、わたしは慌てて視線を逸らした。

 しばらくして視線を戻したときには、もう美女は中庭からいなくなっていた。詰めていた息をほっと吐き出す。あんなにきれいな人がこの学校にいるなんて知らなかった。いいもの見ちゃったなあ、となんだか得をしたような気持ちになる。

 と、そのとき。ひとりの男子生徒が勢いよく中庭に駆け込んできた。毛並みの良い犬のような髪を乱して息を切らしているのは、朝比奈くんだった。こんなに立て続けにきれいな顔の人たちを見てしまうと、あまりの眩しさに目が潰れてしまうんじゃないだろうか。


「蓮見さん!」


 わたしの存在に気付いたらしい朝比奈くんが、こちらに走ってくる。開口一番、「花梨見なかった!?」と尋ねられた。


「か、かりん?」

「あー、前に話した、僕の幼馴染なんだけど……」


 そこでわたしはピンときた。もしかしなくても、さっきの美女が朝比奈くんの片想い相手だ。


「み、見たかも。セミロングで、ちょっとありえないくらいにきれいな人?」

「そう、それ! あーくそ、また逃げられた!」


 朝比奈くんはガシガシと頭を掻くと、わたしの隣にどかりと腰を下ろす。王子様も「くそ」とか言うんだ。珍しく取り乱している朝比奈くんに、わたしはちょっと驚いた。


「今行ったばっかりだから、すぐ追いつけるかも」

「いや、もういいよ。僕が勝手に探してただけだから」


 朝比奈くんは「ごめんね」と笑った。ようやく、いつもの王子様然とした朝比奈くんに戻った気がする。彼をここまで必死にさせる幼馴染の美女は、いったい何者なんだろうか。


「朝比奈くん、あのきれいな人のことが好きなの?」

「うん。昔からずっと、花梨のことしか見てない」


 なんの躊躇もなく答えた朝比奈くんに、わたしは先ほどの美女の姿を思い出していた。あれだけきれいな人が小さな頃から身近にいたら、他の人が目に入らなくなるのも頷ける。


「なんだか、水晶でできた女神像みたいな人だったね……」


 わたしの感想に、朝比奈くんは一瞬目を見開いた後、肩を揺らしておかしそうに笑った。


「め、女神って。どう考えても女神ってガラじゃないよ。中身はめちゃくちゃボーッとしてるし」

「そ、そうなの? ちょっと怖いくらいにきれいだったから」

「クールビューティーとか氷の王女様とか呼ばれてるらしいけど、そんなガラじゃないからね。誤解されやすいけど、根は良い子だよ」


 ひとつ歳上の幼馴染を「良い子」と形容する朝比奈くんの声には、隠しきれない愛おしさが滲んでいた。本当に彼女のことが好きなのだなあと思い知らされる。わたしはなんだかほっこりして、つられてニコニコ笑ってしまった。


「あの人、ひとつ歳上なんだっけ」

「うん、二年だよ。せっかく追いかけてこの高校入ったのに、花梨の奴いっつもフラフラしててちっとも捕まりやしない」


 拗ねたように唇を尖らせる表情も新鮮だ。朝比奈くんへの親近感が、にわかに高まっていく。


「蓮見さんは? こんなとこで何してたの?」

「あ、朔ちゃんのこと待ってたの。委員会があるからって」

「そっか。何か進展あった?」


 朝比奈くんの問いに、わたしは力なく首を横に振った。ふたりでデートもしたし、不可抗力てはいえ抱きついたりもしてしまったけれど、残念ながらちっとも進展した気はしない。しゅんと眉を下げたわたしに、朝比奈くんは励ますような口調で言った。


「大丈夫だよ。僕より全然、望みあると思う」

「そうかなあ……」

「こないだの遠足で、僕が蓮見さんに話しかけたとき。高辻くん、すごい顔して僕のこと睨んでたよ」

「え?」


 わたしがキョトンと瞬きをすると、朝比奈くんは悪戯っ子のような顔で笑う。彼はこの世の汚れなんて何も知らないような美しい顔をしているけど、そういう表情を浮かべると、ちょっと油断ならないな、という印象を受ける。……もしかしてこの人、結構計算ずくで動いてるんじゃないかな?

 そのときふいに朝比奈くんがわたしの手を取って、ずいと顔を寄せてきた。怖いくらいに整った顔面が間近にあって、わたしの思考は停止する。遠足のときも思ったけれど、この人は他人との距離感がかなり近い。わたしが固まっていると、朝比奈くんは口許に笑みを湛えたまま、小声で囁いた。


「……幼馴染って、ほんと身勝手で面倒臭い生き物だよね」

「へ」


 わたしが間抜けな声を出したそこ瞬間、「柚子!」という大声が背後で響いた。ぐるんと首を回して振り向くと、眉間に皺を寄せた朔ちゃんがずんずんこっちに歩いてくる。


「朔ちゃん。委員会終わったの?」


 わたしの質問には答えず、朔ちゃんはわたしの腕を引いてぐいと立ち上がらせた。朝比奈くんをギロリと睨みつけると、「……どーも」とぶっきらぼうに挨拶をする。朔ちゃんはもともと他人に愛想を振り撒くタイプではないけれど、それにしたってあまりにもひどい態度だ。朝比奈くんはそんな朔ちゃんの態度にも気を悪くした様子はなく、ニコニコ笑っている。


「高辻くん、こんにちは。蓮見さんのこと借りてたよ、ごめんね」

「……別に、柚子はおれのじゃねーから」

「そうなの?」

「そうだよ」


 帰るぞ、と強い力で腕を引かれる。朝比奈くんに向かってぺこりと頭を下げると、彼は満足げな表情でひらひらと手を振っていた。わたしは足早に歩いていく朔ちゃんを、小走りに追いかける。

 中庭を抜けて下駄箱まで来たところで、朔ちゃんはぴたりと足を止める。突然のことに、わたしは勢いよく朔ちゃんの背中に激突してしまった。


「わぶっ」


 わたしは鼻を押さえながら、なんだかぼうっとした様子の朔ちゃんを見上げた。


「ど、どうしたの?」

「……なんでもない」


 朔ちゃんはそう言ってわたしの腕から手を離すと、赤く指の跡が残った二の腕を見て、はっとしたような表情を浮かべた。下唇を噛み締めて、「ごめん」と謝られる。全然痛くなかったし、それよりも朔ちゃんの様子がおかしいことの方が気になる。


「朔ちゃん、なんか怒ってる?」

「……怒る理由、ねーだろ」


 朔ちゃんは苛立ったように、自らの前髪をぐしゃりと握りしめる。怒ってないなら、そんな顔をしないでほしい。

 わたしがオロオロしていると、朔ちゃんはじっとわたしの顔を見て、もう一度「おれが腹を立てる理由なんてない」と、まるで自分に言い聞かせるように呟いた。

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