無自覚デート

 ファッションビルを後にしたわたしたちは、お昼ごはんを食べることにした。服を購入したことで目的はおおむね果たせたのだけれど、わたしはまだ帰りたくはなかったのだ。せっかく二人で遊びに来たのだから、もうちょっとだけデート気分を楽しみたい。

 美味しいお店も探せばたくさんあるのだろうけど、わたしはこの辺りの地理に全然詳しくない。わたしたちは結局、食べ慣れたファーストフード店に入った。休日の街はどこに行ってもすごい人で、わたしはちょっと疲れてしまった。やっと腰を下ろすことができてほっとする。


「柚子、大丈夫?」


 ぼうっとしていると、朔ちゃんが心配そうにわたしの顔を覗き込んでくる。わたしはもう慌てて「全然平気」と笑顔を作った。わたしが疲れたと言ったら、きっと朔ちゃんは今すぐ帰ろうと言うだろう。それは絶対に嫌だ。


「おれ、買ってくる。柚子は何にする?」

「え、わたしも行くよ」

「いいから、柚子はここで席とっといて」


 わたしはお言葉に甘えることにして、朔ちゃんに「……じゃあチーズバーガーのセットにする」と伝えて、お財布を手渡した。朔ちゃんは「オレンジジュースでいいよな」と言って、レジカウンターへと向かう。その後ろ姿を見つめながら、わたしはほうっと息をついた。

 今日の朔ちゃんはシンプルな黒のTシャツ姿だったけれど、それでもものすごく素敵だ。朝からずっと、慣れない場所でオロオロしているわたしの手を引いてスマートにエスコートしてくれた。きっとわたしと違って、こういうところにもよく来ているのだろう。誰と来たのかな、ということはあまり考えないようにした。

 傍目から見たら、朔ちゃんはとびきり優しい彼氏に見えるのだろう。店員さんに「ただの幼馴染です」と答えていた朔ちゃんの声を思い出して、わたしの胸はずきりと痛む。切ないけれど、本当のことなのだから仕方ない。


「おまたせ」


 しばらくして戻ってきた朔ちゃんが、わたしの目の前にトレイを置く。「はい、これやる」と言って手渡されたのは、お子さまセットに付いている小さなオモチャだった。朔ちゃんはやっぱり、いつまでたってもわたしのことを子ども扱いしている。


「……これ、小さい子が頼むやつだよね?」

「チーズバーガーとポテトとオレンジジュースだろ。中身一緒じゃん」


 わたしはむくれてみせたけれど、オマケのオモチャがわたしの好きなキャラクターだったので、それ以上文句は言わなかった。顔がひしゃげていて目の大きい犬のような動物で、スイッチを押すと頭のところがピカピカ光る。間抜けでとっても可愛い。持って帰って、お部屋に飾ることにしよう。


「あとこれ、ホットチョコパイ。柚子好きだろ」

「わあ! ありがとう」


 朔ちゃんは本当にわたしの好みを熟知している。もし蓮見柚子検定なんてものが存在していたら、たぶん一級レベルだろう。そう口に出してみたら、朔ちゃんはおかしそうに「おまえがわかりやすいだけだよ」と笑った。

 朔ちゃんはテリヤキバーガーを注文したらしく、包み紙を剥いてかぶりついている。わたしはチーズバーガーを食べながら、真正面に座る朔ちゃんの顔を見つめていた。

 二人きりのお出かけにドキドキしているのはわたしばかりで、朔ちゃんは普段と少しも変わらない。彼にとってみれば、妹の子守りのようなものなのかもしれない。ふとわたしに視線をやった朔ちゃんは、ぷっと吹き出してこちらに手を伸ばしてくる。


「柚子。ケチャップついてる」


 そう言って朔ちゃんは、わたしの口許を親指で拭った。みるみるうちに顔面に熱が集中して、わたしはそれを誤魔化すようにチーズバーガーを頬張った。朔ちゃんは涼しい顔で、親指についたケチャップをペーパーナプキンで拭いている。やっぱりわたし、女の子扱いされてない。朔ちゃんはわたしのことなんて少しも意識していないのだと、つくづく思い知らされる。

 買い物に誘ったときだって「好きな人に可愛いと思ってもらいたい」と言ったわたしに、朔ちゃんは嫌な顔ひとつしなかった。「柚子の好きな奴はどういうのが好みなんだ」と訊いてくるありさまだ。そんなの、朔ちゃん自身が一番よく知っているのに。

 わたしがチョコパイを食べ終わるのを待ってから、朔ちゃんはトレイを持って立ち上がった。わたしは彼の後ろについて、店を出る。お昼を過ぎて、午前中よりも人の数はもっと増えていた。


「はぐれんなよ」


 朔ちゃんがさりげなくわたしの手を取って、ぎゅっと握りしめる。大きくてごつごつした手の感触に、わたしの心臓はひっくり返りそうになる。わたしがこんなに動揺していても、朔ちゃんはきっと何も感じていない。ただわたしがフラフラどこかに行ってしまわないように捕まえているだけだ。


「……うん」


 それでも、わたしは喜んでしまうのだ。朔ちゃんと手を繋いで歩けるなら方向音痴でよかった、だなんて馬鹿なことを考える。


「柚子、どっか行きたいとこある?」


 わたしが浮かれていると、朔ちゃんがそう尋ねてきた。しまった、何も考えていなかった。とくに用事はないけれど、このまま帰るのは嫌だ。「えーと」と答えながら、わたしは必死で考えを巡らせる。


「……さ、朔ちゃん。わたし、あれやりたい」


 わたしは立ち止まると、ゲームセンターの前にあるUFOキャッチャーを指さした。中にはわたしの好きなキャラのぬいぐるみがすし詰めにされている。ひしゃげた顔が余計に潰れていて、ちょっと可哀想だ。

 朔ちゃんはUFOキャッチャーを一瞥した後、やや呆れたような視線をわたしに向けた。


「……柚子、絶対取れないと思う」

「や、やってみないとわからないもん」

「金の無駄だって。やめとけ」

「お願い、一回だけ」


 わたしは朔ちゃんを引っ張って、UFOキャッチャーの前まで連れて行く。お財布からモタモタと小銭を出して、機械にお金を投入した。アームがクルクルと回転して動き出す。


「ん、あれ……これどうやって動かすの」

「縦の動きがこのボタンだろ。横はこれ」

「あっ、ずれちゃった……」

「あーあ、全然ダメじゃん」

「……じゃあ朔ちゃんが取って」


 呆れたような朔ちゃんの言葉に、つい拗ねたような声が出てしまう。朔ちゃんはあっさり「わかった」と答えて、お札を小銭に両替してきた。

 朔ちゃんはしばらく真剣な表情で目的のぬいぐるみを睨みつけていたけれど、しばらくすると「よし」と頷いてアームを操作し始めた。ぬいぐるみの頭のあたりにアームがひっかかって少し動いたけれど、下には落ちてこなかった。


「あー……ダメだったねえ」

「……こういうのは一発じゃ取れないようにできてんだよ」

「そうなの? じゃあもういいよ、お金もったいない……」

「大丈夫。絶対取るから」


 朔ちゃんはそう言って、唇を舌で湿らせる。まるで獲物を狙う獣のような彼の目つきを見て、わたしは己の失言に気がついた。そういえば彼は、わたしのお願いは何でも聞いてしまう人なのだった。なにがなんでも、ぬいぐるみを手に入れるまで止めないに違いない。

 そこから先は、結構大変だった。朔ちゃんは後半ほとんどムキになっていて、無言でお金を投入し続けていた。少しずつぬいぐるみを動かして、やっとのことで落とし口に押し込むことができたときには、わたしたちは二人とも「やったー!」と叫んでハイタッチした。


「ほら、見ろ! 取れたぞ柚子!」


 朔ちゃんは満面の笑みで、ぬいぐるみを取り上げた。彼がこんなに無邪気にはしゃいでいるところを、わたしは久々に見た気がする。得意げな子どものような表情は、悪戯っ子だった頃の彼を思い起こさせて懐かしい。

 ……そういえば、公園でクマゼミを捕まえた朔ちゃんが、それを見せびらかしてきたこともある。怖くて逃げまどうわたしが面白いのか、朔ちゃんはクマゼミ片手に追いかけ回してきた。今目の前にいる朔ちゃんの表情が、あの日の朔ちゃんのやんちゃな笑顔と重なる。それにしても、このぬいぐるみひとつのために、結構お金を使ってしまったんじゃないだろうか。


「……ごめんね。お金払うよ」

「いいよ。おれが勝手にやったんだし」

「でも……」

「おれは柚子が喜んでくれたらそれでいい」

「う、嬉しいよ。ものすごく嬉しい!」

「だったらもっと笑えよ。頑張って取った甲斐ないだろ」


 今度はもっと上手く取るから、と朔ちゃんは笑って、わたしにぬいぐるみを手渡してくれる。わたしは受け取ったぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。ふかふかしていて気持ちいい。


「……ありがとう、朔ちゃん」

「いいよ。おれも面白かった」

「この子のこと、朔ちゃんだと思って大事にするね」


 そう言って、ぬいぐるみを抱く腕にぎゅーっと力を込める。わたしの胸に押しつけられているぬいぐるみを見て、朔ちゃんは何故だか頰を赤らめて目を逸らした。


「……もしほんとにおれだと思ってるなら、そんなにぎゅっとするのやめて欲しい……」

「え?」

「なんでもねーよ! そろそろ帰るぞ柚子、おばさん心配するだろ」

「う、うん」


 再び朔ちゃんはわたしの手を引いて、足早に歩き出す。その大きな背中に勢いよく抱きつきたくなったけれど、わたしはぐっと堪えて、代わりに腕の中のぬいぐるみにそっと頬擦りをした。

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