彼女の王子様
柚子に「好きな人がいるから応援して欲しい」と言われたおれは、とりあえず柚子の好きな男が誰なのかを特定することにした。
応援するとは言ったが、それは柚子の好きな男がマトモな奴だった場合である。万が一女好きのクズとか、ギャンブル狂いのカスとか、異常性癖の変態だった場合、おれも今後の身の振り方を考えなければならない。もちろん、柚子がそれでもそいつを好きだと言うなら仕方ないが――できるだけ、柚子の前に立ちはだかる不幸の種を取り除いておきたい。
柚子から男の名前を聞き出そうとしたのだが、彼女は頑として教えてくれなかった。情報らしい情報といえば、「朔ちゃんの知らない人だから、言ってもわからないよ」とだけ。おれの知らない奴ということは、小学校や中学校の同級生は除外される。となると、高校に入ってから柚子と知り合った男か。
自分の教室で昼飯を食った後、おれは柚子のいる四組の教室を覗いた。柚子はどこかに行っているのか、姿が見えない。教室後方には大声で騒いでいる男子グループの一団がいた。この中に柚子の好きな男がいるのかもしれないと思うと、つい探るような視線を向けてしまう。
「あれっ、朔。何やってんの?」
じろじろと男どもを値踏みしている不審なおれに声をかけてきたのは、中学からの友人である
「このクラスで、柚子と一番仲良い男誰?」
単刀直入なおれの問いに、充は呆れたように肩を竦めた。
「なに、蓮見さんに寄りつく悪い虫を排除でもしにきた? おまえ、過保護もそこまでいくとやりすぎだぞ」
「別に排除したいとか、そんなんじゃねーって」
おれだってもちろん、柚子の好きな男が品行方正な好青年であれば、喜んで柚子の恋を応援してやる。柚子が幸せになるためならば、おれはどんな努力も惜しまない。
「そんなことより、うちのクラスの女子結構可愛い子多くねえ? 俺のオススメ、あそこにいるスズキさん。胸もかなりでかい」
がしりと肩を組んでくる充を、おれは横目で軽く睨みつけた。こいつは気の良い男ではあるのだが、巨乳に目がなく貞操観念がガバガバなところが玉に瑕である。中学時代からいろんな女子に見境なくちょっかいをかけていた恐ろしい男だ。
本音を言うならおれだって人並に巨乳が好きだが、こういう場で大声で話したりはしないだけの慎みは持ち合わせている。肩に回された手をぺしりと叩き落とすと、充は不満げな表情を浮かべた。
「ノリ悪ィな。朔、彼女作らねぇの?」
「彼女って何で作んの? 粘土?」
「いやいや、冗談抜きで。朔のこといいって言ってる奴、うちのクラスに結構いたぞ」
「それマジで? 全然実感ねーんだけど」
そういえば柚子も似たようなことを言っていた気がする。とはいえ高校に入学してから女子に話しかけられたこともほとんどないし、特に遠巻きにキャーキャー言われている気もしない。
実感の有無は置いておいても、おれだって女の子からモテるのは純粋に嬉しい。しかし、今のおれは世界で一番大事な幼馴染を守ることに忙しくて、彼女を作るどころではないのだ。もし柚子の恋がうまくいって、柚子に彼氏ができたりしたら――そのときはじめて、自分のことを考えてみようと思う。とにかく今は、柚子のことが優先だ。
「で。柚子と一番仲良い男、誰?」
おれのしつこい質問に、充はようやくうーんと腕組みをして考えてくれた。
「蓮見さんおとなしいし、ほとんど男子と喋ってねえよ。いっつも放課後になると恐ろしい番犬が迎えに来るし」
「番犬? なんだそれ」
「……自覚なしかよ。ま、強いて言うなら俺かな? やっぱ中学からの仲だし?」
おれは目を剥いた。申し訳ないが、こいつだけは絶対に嫌だ。もしどうしても柚子が充がいいと言うならば、なんとかして止めるしかない。もちろん、充の息の根をだ。
「みんなあんまり気付いてないけど、蓮見さんってよく見るとすげえ可愛いよなー。わかりにくいけど、胸も意外とあ……」
おれの殺意を察知したのか、充は顔色を変えてぶんぶん首を横に振った。
「いやいや、ごめんうそ。俺と蓮見さん、全然仲良くない」
「よし。命拾いしたな」
「あ。そういや蓮見さん、今日は篠崎と中庭で昼飯食うって言ってたな。会いに行く?」
充の提案に、おれはちょっと悩んだ。篠崎茉由は小学校時代からの柚子の親友で、おれに負けず劣らず柚子のことを大事に思っている。当然おれとも小学校からの付き合いなのだが、篠崎はおれのことをあまり良く思っていないみたいだ。かつてのおれは柚子に意地悪をしてしょっちゅう泣かせており、あまつさえ柚子の額に消えない傷を残したのだから、当然のことだと思う。
それでもおれは、まあいいか、と頷いた。篠崎に冷たい視線を投げつけられるのはいつものことだし、別に痛くも痒くもない。おれは充と共に、中庭へと足を向けた。
花壇に植えられた色とりどりの花の上に、五月の柔らかな日差しが降り注いでいる。植え込みに咲いているツツジの花を見て、そういえば小学校の頃、ツツジの蜜を吸いながら下校していたことを思い出した。色の濃い花の方が蜜が甘かった気がする。当時の柚子もおれの真似をしてツツジを咥えていたけれど、「どっちもおんなじだよ」と言っていた。
中庭のあちこちに、ピクニックよろしく弁当を広げている生徒がおり、昼休みの中庭はそこそこ賑わっている。いくつか並んでいるベンチのうちのひとつに、柚子の姿をすぐに見つけた。声をかけようとして、おれはぴたりと動きを止めた。柚子の隣にいるのが、篠崎ではなかったからだ。
柚子と並んでベンチに腰掛けているのは、おれの知らない男だった。ふわふわとした髪は色素が薄く、太陽に照らされて茶色く輝いている。遠目からでもわかるほどのイケメンで、まるで外国の俳優のような端正な顔立ちだ。おれが怪訝に思っていると、充が口を開いた。
「あれ、王子じゃん」
「王子?」
「七組の
おれや充が「王子」を自称しても失笑されるだけだが、なるほど朝比奈某は、王子の名に恥じない風貌をしている。柚子は王子と何やら話し込んでいるらしく、王子の言葉にはにかんだように頰を染めて微笑んだ。引っ込み思案な柚子が、他人にはめったに見せない笑顔だ。おれはなんとなく胃のあたりが重苦しくなってくるのを感じる。さっき食った弁当の唐揚げのせいだろうか。
普段はおれ以外の男とはマトモに目も合わせない柚子が、王子とは楽しそうに話している。きっとあれが柚子の想い人なのだろう。七組ということは、文系の特進クラスのはずだ。
うちの高校には普通科と特進科があり、特進科はさらにその中でも文系と理系に分かれている。一組から六組からが普通科、七組が文系、八組が理系だ。特進科の偏差値は普通科のそれよりも十ほど高く、部活や委員会にでも入っていない限りはほぼ交流がない。人見知りな柚子が特進科の男とどこで知り合ったのだろうか、と考える。
「……顔も良くて頭も良いとか、出来過ぎだろ。絶対性格悪いって」
「俺が七組の奴から聞いた話では、友達も多いし人望もあるみたいだぞ」
「どうせ、女食い散らかしてるんじゃねーの」
「今んとこ、そういう噂は聞かねえなあ」
実際に女を食い散らかしている充が言うのだから、おそらく王子はそういうタイプではないのだろう。困った、まったく非の打ち所がないではないか。……いやいや、何も困らないな。柚子の惚れた男が良い奴なら、それに越したことはない。
気品に満ちた王子様のような男は、穏やかな陽光に照らされながら優雅に微笑んでいる。こいつは果たして、俺の大事な幼馴染を幸せにしてくれるのだろうか。柚子を泣かせたらブッ殺すぞ、と物騒なことを考えながら、おれは知らず拳を握りしめていた。てのひらに爪が食い込んで、ちくりと痛んだ。
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