第6話 信仰(2)
遥か昔、『竜の腹』は非常に活発な火山だったといわれている。
竜が棲むようになってからは、地上の火山活動はめっきり見られなくなったということだが、その残滓は探せば色々と見つかる。
タラスコ村の温泉も、その一つである。地下深くに今も残るだろうマグマ溜まりの熱により、地下水が温められ、ここら一体の至る所で湧き出しているとのことだ。
僕たちが厄介になる温泉宿以外にも、各家庭で温泉を引いているところは多い。
「到着~! んん~…………ん!」
案内された部屋に少ない荷物を置き、鎧を勢いよく脱ぎ去ったベルが、大きく伸びをした。見ているこちらの息が止まりそうな、長い長い伸びであった。
「やれやれ、これで一心地つくな」
ジョゼットも、自分の鎧をぽいぽいと脱ぎ散らかしていく。それを、ガストンが手早く拾い、まとめていた。
装備を外したジョゼットは、青と白の簡素な服の裾をひらひらさせ、「ふう……」とこれまた長く息をついた。
「さぁて、と。着いて早々で悪いんだけど、ガストンのおっちゃんと少し出かけてくるよ」
「む? そういえば先ほど、鍛冶場がどうとか言っておったな」
山を歩いていた時とほとんど変わらない格好のアンリが、部屋の戸に手をかける。
「おっちゃんの剣が溶けちゃったから、一本適当に打っとこうかなって。ニコラのおじさんが言うには、この村ってあんまり剣を扱ってないみたいでにゃあ。でも、鍛冶場はあるから、貸してくれるって」
「そういえば、アンリさんは鍛冶屋さんでしたね。すっかり忘れてました」
「しっつれいしちゃうなー! おいらの腕前は、手厳しいマルクも『まあまあだな』って褒めてくれるくらいのすごさなんだぞー!」
「いや、アンリさんは剣士として凄すぎて、他に職を持ってる印象が……気を悪くしたのでしたら、ごめんなさい」
「んー、許す!」
にはは、とアンリが陽気に笑う。単純な奴だ。
そして、これだけ山を歩いておいて、すぐに剣を打ちにいける体力があることに、僕は驚愕よりも呆れを覚える。炉に火が残っていたとしても、剣を一本仕上げるとなれば、そう短時間で済ませられる作業ではない。
付き合うガストンもガストンである。律儀にアンリの作業に付き添う必要はない。とはいえ、それでは不義理と首を振るのが、彼の人柄なのだろう。
「ベル、ジョゼット様を頼むぞ」
「了解です。任せてください」
二人だけで村を歩かせるのは不安もあるが、余計な詮索をするような二人ではない。それより、ジョゼットがふらふらと村を探索し始める方が危うい。
僕はアンリとガストンに同行することはなく、部屋を出ていく二人の背中を見送った。
「あの二人の気が合うとは、予想できなかったな」
戸が閉まってからしばらくして、ジョゼットがそんなことを呟いた。
「最初の手合わせの後は、すごい怖い顔してましたもんね、ガストン様」
「あれで負けず嫌いな男だ」
「でも、実利主義というか、有能な人材を放っとけない人ですよ、ガストン様は。私はなんとなく、落ち着くところに落ち着くだろうなって思ってました」
「……もし、今後もアンリを使うつもりなら、心した方がいい。面倒くさいぞ、あいつの相手をするのは」
「ふふ……それはもう、知ってます」
ベルがくすくす笑うと、ジョゼットもまなじりを下げて頷いた。
「貴様とアンリは、付き合いが長いのか? 歳の頃も似たようなものだろう」
質素な木の椅子に腰かけ、ジョゼットが僕に尋ねる。
僕はローブを脱いで壁にかけながら、それに答えた。
「仕事で組んだのは、わりと最近になってからだ。付き合いは十年くらいになるが」
「わあ、結構長いですね。家族ぐるみの交友なんかもあったりして」
「ぐるみってことはないけどね……まあ、アンリのご両親には世話になったんだ。僕は『竜気憑き』になった後、一人でリンドブールに来たから」
ベルが「あっ……」と気まずそうに口を押える。僕は慌てて補足をした。
「いや、大丈夫だ。前にも言ったが、村が滅ぼされたとかそういうことはない。僕の場合、両親も弟も健在だよ。ただ、故郷を離れたというだけで」
「そ、そうなんですね! いやぁ、まずいところを踏み抜いたかと思っちゃいました」
頬を描きながら、ベルが笑う。
ジョゼットはその様子を、何やら含みのある目で見ていた。
「……どうかしたか?」
「いや。貴様らの気の遣い方が、気持ち悪い」
遠回しな言い方とは全く無縁のジョゼットである。容赦のない切り捨て方だった。
「山を歩いていた時から思っていたがな。そのビクビクしたやり取りが気に入らん。同じ境遇なのだろう。もう少し無遠慮にやれんのか」
「デリケートな部分なんですから、気は遣いますよ! っていうか、ジョゼット様がズケズケいきすぎだと思います。だからマルクさんに冷たくされるんです」
「しかし、貴様よりも本音をぶつけられている自信はあるぞ。良いか、ベル。こういう男を相手にするときは……」
言いかけて、「ん?」とジョゼットが視線を泳がせる。
「……?」
訝しむベルの視線を受けて、ジョゼットはポンと手を叩いた。
「そうか。貴様、マルクに惚れておるな?」
しばらくの間、彼女が言っている意味を僕は理解できなかった。ベルの表情も、動くことを忘れていたように思う。多分、数秒間は時が止まっていた。
やがて、ベルの顔がボッと赤くなり、世界が動き出した。
「何を言い出すんですかジョゼット様っ! この会話の流れで、どうしてそうなるんです!」
「慣れんくせに『自分は気配りできます』とアピールしているのは、男にすり寄る手管だろう。そういうのを女らしいと思っているのかもしれんが、合っとらんぞ。素直な体当たりでいった方が、ベルの良さが出る」
「何ですか、男にすり寄るって! そもそも私、男女関係みたいなのとっくに捨ててるって、前に言いましたよね? 身体がこんなだからって、結構深刻な感じでお伝えしたような気がするんですが……!」
「私はその時、『そんな下らんことを気にする男は捨て置け』と言ったはずだ。受け入れてくれる物好きがいたら、そういう仲になってもよかろう」
なあマルクよ、と話を振られる。
できれば、このまま空気になっていたかった。どういう対応をしても、面倒なことになりそうだからだ。
今更ベルの人となりを否定する気はない。好意を持ってくれているというなら、それは素直に嬉しく思う。
とはいえ、僕は彼女が気にしている火傷について、全貌を検めたわけではない。ここで軽々しく頷くというのは、彼女の苦悩をも軽んじるようなものだ。
だからといって、見せてくれというのは論外だ。裸になれなどと要求すれば、ジョゼットに弄られる以前に、ベルから軽蔑されるに違いない。それは御免だ。
仕方なく目を合わせないようにして黙っていると、優しい手つきで肩を叩かれた。
「……マルクよ」
「……なんだ」
「貸し切りらしいな」
「だからどうした」
「二人で湯に浸かってこい」
舐めるような流し目といい、笑いを堪えて尖がった口元と言い、僕が知る中で最高に腹の立つ表情がそこにあった。
あわあわとせわしない手つきで目を隠したり口を覆ったりしているベルの愛嬌とは雲泥の差である。
さっきまで疲れた顔をしていたくせに、急にイキイキとしてきたジョゼットに、心の底から辟易する。何が楽しくて、こんな悪ふざけをするのだろうか。
「ちょ、ちょっとくらいなら……ああ、でも駄目です! やっぱり、まだ!」
だから、そうやって燃料を投下するのはやめてくれ。喜ぶのはジョゼットだけだ。
「ほれ、ベルもこう言っているではないか。貴様らがくっつけば、私もやることが減って楽になるのだ。貴様も好きな実利だぞ。益を得るのは私だが」
「は……?」
どういう意味だ?
彼女の発言の意図が分からず、僕は思わず聞き返してしまう。僕とベルが近づくことと、ジョゼットの仕事が減ることの因果関係が全く不明である。
一方ジョゼットは、僕の理解が及んでいないことに対して首を傾げていた。
「なんだ? ガストンが打診はしたと言っておったぞ」
ガストンが打診、と言われれば、思い当たることは一つしかない。
山から下りた後も、これからの竜の対応に関わってほしい。彼は確か、そのようなことを言っていた。
「……王都に来い、というやつか」
「そうだ。あやつめ、私の判断の前に勝手なことを……とは思ったが、まあ悪い案ではない。意外に思うかもしれんが、私はこれで、貴様のことをそこそこ評価しておるのだぞ」
それはベルも漏らしていたが、あまり信用できない言葉である。便利な奴だとは思っているかもしれないが、同じくらい煩わしい奴だと思われている気がする。
そして、結局さっきの発言からの繋がりは見えてこない。
そんな思いが顔に出ていたのか、ジョゼットは呆れたようにため息をついた。
「あのな、マルク。ガストンも私も、貴様を重用すると言っているのだ。竜については、目下のところ、私が自らに課した最優先課題だからな。その方針決定に、出所不明の馬の骨を噛ませば角が立つだろうが」
それは……まあ、あるのだろう。
もしこれがアンリの話であれば簡単だ。ガストンをも破った剣の腕でもって、いくらかの模擬戦をこなせばいい。彼の有用性は、それだけで目に見えてくる。
一方で、僕にできることは地味だ。呪紋士という生業も、魔術師に比べると知名度が低い。そんなのが急に出てきて王女にあれこれと指図するとあっては、簡単な説明では拭えない不信感が発生する。
「だが、ベルは私の傍付きとして皆に知れ渡っている。同じ小言でも、貴様が言うかベルを通すかで、印象は違うものだ。はじめはベルを間に置き、貴様は段階を踏んで表に出てくればよい、ということだな」
「……それはわかったが、別にくっつける必要はないんじゃ」
「セットにしておいた方がわかりやすいだろうが。私も扱いやすい」
なんとなく言いたいことはわかるのだが、最後のは暴論である。
少なくとも、傍付きであり友人でもあるはずのベルを賭けるほどの正当性があるようには思えなかった。要は、こっちが後付けだ。彼女は単純に、ベルの背を押したいだけなのかもしれない。
「……そもそも僕は、今後も貴方の道楽に付き合うとは一度も言っていないんだがな」
「貴様は来るさ。放っておけば私が何かをしでかすことくらい、貴様もわかってきたはずだ」
「自覚があるなら立ち止まってくれよ」
「それができんから、待ったをかけられる人材を求めておる」
とんだとばっちりである。段々、頭が痛くなってきた。
「それに、これも気になるだろう。私と来るなら、調べさせてやるのも吝かではない」
ジョゼットが指し示すのは、彼女が携行していた装飾剣だ。先の戦いで、竜の分け身をいとも簡単に切り裂いた、不可思議な剣である。
しかし、そこには食いつかないでおく。反応すれば、後々の主導権に関わりそうだ。
そもそも、僕はこの剣について、既にある程度の仮説を立てていた。
「それはもういいよ。多分、大昔の王族が用意した鍵の一つだ」
「鍵? なんだそれは」
「聞きたいなら、無理な勧誘は諦めるんだな」
意趣返しのつもりでそう告げるが、ジョゼットはどこ吹く風である。
「とりあえず聞かせろ。諦めるかどうかは、その話の有用性しだいだ」
傲慢にもほどがある。取引というものを理解しているのだろうか。
いや、わかっていて、踏み倒そうとしているのか。
「それは私もちょっと気になります……けど、マルクさんがこれからも協力してくださるなら、そっちの方が大事ですよ、ジョゼット様。あんまり意地張らないでください。マルクさん、話せないことは無理に話さなくても大丈夫ですからね」
「……」
そして、こっちは意図せずやっているんだろうなぁ、と僕はベルを生温かい目で見る。にやついたジョゼットの目が催促してくるのは見たくなかった。
「……別に話せないわけじゃない。嫌がらせだ。悪かったよ」
「やはりベルには甘いな、くくく」
腹の立つ笑い方だが、折れたのは僕の方なので、悪態をつくのも癪であった。
「話すことは話す。けど、機会はまたにさせてくれ。長くなるし、アンリは……ともかく、ガストンがいないのは、説明が二度手間になって面倒だ。何より、今日はもう疲れた……」
山歩きには慣れているといっても、丸二日の強行軍と竜との戦闘の後である。体力に自信がない僕にしては、よく頑張った方なのだ。この提案は紛れもない、ただの本音だった。
ジョゼットも身体の疲労を思い出したのか、その眼差しからふっと力が抜けた。
「……まあ、それもそうか」
「そうですよ! せっかくの温泉なんですから、難しいことはまた明日にして、ゆっくり休みましょう!」
まったく、この屈託のなさをジョゼットも見習ってほしい。
そんなことを呟こうと思ったが、疲れていたのでやめた。
「混浴してきてもよいぞ」
「それは……その……だめ! やっぱりだめです!」
そのやりとりにつっこむ気概も、今の僕には残されていなかった。
* * *
汗を洗い流し、熱い湯に浸かった後のことは、記憶が曖昧である。とにかく眠気に支配されていた。ベルが夕食にと買ってきてくれたのは、炙った肉をパンで挟んだ軽食で、それが美味かった覚えはあるが、鳥なのか豚なのかも定かではない。夜も更けてからガストンとアンリが戻った時は、まだ起きていた。覚えているのは、ギリギリそこまでだ。
だから、村中がすっかり寝静まった後に、密かに部屋を出ていく影があったことなど、この時の僕は知る由もなかった。
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