第1話 王女と呪紋士(2)

 中央広場の一角、ぐるりと囲う観衆で作られた即興の闘技場。

 その中で、練達の老騎士と年中眠そうな鍛冶屋が対峙していた。


 老騎士ガストンは、右手に長剣、左手にヘビーシールドという騎士団の標準装備である。使いこまれた品ながら、丁寧に手入れされた武装だ。刻まれた真新しい疵は、ここまでの剣戟の激しさを物語っている。対照的に、皺の刻まれた彼の精悍な顔には汗の跡すらない。ただ爛々と光る瞳が対峙する者に向けられていた。


 その視線を一身に受ける鍛冶屋のアンリは、手の甲を巻く革製の籠手以外に、防具らしい防具を付けていなかった。右手には長剣、左手には短剣――ナイフと言った方がしっくりくる、小振りな片刃を握っている。とんとんと絶えず地を蹴る足は、いつもの千鳥足にも見えるが、相手に手を悟らせないための特別な歩法だ。その眠そうな瞼の奥の眼光は、普段の彼からは想像もできない鋭さである。


 二人の立ち会いは、今のところ拮抗していると言えた。


「驚いたな……このような片田舎に、これほどの戦士が潜んでいようとは」


 僕を脇に侍らせる形で試合を見物していたジョゼットは、神妙な顔でそう呟いた。失礼な物言いではあるが、王族のこういう発言にいちいち目くじらを立てても仕方がない。むしろ、素直に相手の技量を認めていることに感心した。


「ジョゼット様はヴォルド宮廷剣術礼法を修めています。箱入りの目と侮ってはいけませんよ」


 僕の表情から考えを察したのか、王女とは逆隣の位置で控えていた女騎士が耳打ちしてきた。


 燃えるような赤い髪に赤銅色の鎧を着込んだ彼女は、僕よりも背が高い、立派な体躯の騎士だった。騎士団標準の銀色のプレートメイルでないことから傭兵の類かと思ったが、そうであれば、これほど王女に近い位置に配されない。重鎮と見えるガストンが試合中なら尚更だ。ゆえに彼女は、例外を認められた特別待遇と考えるのが自然である。


「……失礼、申し遅れました。私はベル。ジョゼット様の身辺警護の任を与る者です」


 またしても、こちらの視線を読んで先回りされる。あまり思考が表情に漏れる方ではないと思っていたが、その自己評価は改めるべきかもしれない。


「随分と……精力的な王女なんだな。自ら武練にも励むとは」


「自分勝手な上に暴力的な方です。貴方も、ジョゼット様のわがままに引っかき回されているクチでしょう? 正直、あまり関わり合いになりたくないタイプですよね」


 こちらの婉曲を知ってか知らずか、ずけずけと評価を下すベル。ジョゼットは横目でその様子をちらりと見ただけで、特にお咎めはなかった。

 なるほど、傍に仕えるだけあって信頼関係は十分に構築しているらしい。


「しかし、私も驚きました。ガストン様とあそこまで打ち合う技量もそうですが、あまり目にすることのない戦い方をするのですね。ええと……」


「アンリだ。大した奴だろう」


 そうでなければ、こんな舞台に引っ張り出しはしない。

 僕は、彼が近衛隊の精鋭にも劣らない能力を持つと判断したからこそ、ジョゼットにこの条件を出したのだ。


「『自分を引き入れたければ、友を倒してみろ』……嫌いじゃありませんよ、そういうの」


 ベルは朗らかに笑って観戦に戻る。僕は、語弊のあるその言い方を訂正しようかと思ったが、面倒くさかったのでやめた。


 僕が王女に出した条件というのは、端的にいえば、彼女の部隊の練度を見せてほしいということだった。本当に竜討伐を試みるだけの力があるのか、この目で判断したいと言ったのだ。僕は近衛隊で一番の戦士を選ぶよう求め、その相手としてアンリを指名した。


 竜との戦いに直接通じる腕試しではないが、ジョゼットは面白がってその提案を快諾した。そうしてアンリと立ち合いを行うことになったのが、僕たちをジョゼットの下へ案内した老騎士・ガストンだったというわけだ。


 かたちとしては、片田舎の鍛冶屋との試合である。これに負けるような程度で竜退治を考えているなら、とてもじゃないが協力できない。そういう話に持っていった。


「ううん、これはもしかしたら……いや、ガストン様に限って……」


 ベルが呑気なことを言っているのは、ガストンが負けることはないという信頼からだろうか。もしくは、別段、僕を引き入れることに拘っていないのかもしれない。考えられることだ。そもそも、本来僕は無名の武器屋手伝いであったはずなのだ。わざわざ絡みついてきたジョゼットの方がおかしい。

 ベルが僕のことをどこまで聞いているのか知らないが、僕が同行しなくとも気に留めない可能性は十分にある。


 一方で、その剣の腕を認められたアンリの勧誘に入ることはありそうだ。それならそれでいい。僕ははじめから、この件を断るためにアンリをけしかけている。彼が身代わりになってくれるのであれば上々だ。


 近衛隊の実力が見たいなど、僕にとっては心にもない方便でしかない。


「お、また動き出しましたよ」


 ベルが身を乗り出す。

 僕は頷いて、距離を詰める両雄に目を移した。


「……む」


 アンリとガストンがぶつかる直前、ジョゼットが僅かに目を細める。この位置から気付くとは、なるほど先ほどの剣術礼法とやらの話も嘘ではないらしい。少なくとも、目は確かだ。


 アンリが、長剣を振りかぶる陰で短剣を鞘に納めたことに、彼女は何らかの予兆を見ている。

 そして、続く結果はすぐに明らかになった。


「ィよいしょ!」


 二人の長剣がぶつかる刹那、アンリが威勢のいい声とともに、短剣を引き抜いた。

 途端に刀身から溢れ出す紅蓮の炎。規模は小さいが、至近距離で顔に向かって放たれた。


 防御しようがしまいが、この拮抗した立ち合いの中ではおしまいだ。


 ガストンのヘビーシールドが炎の槍を散らす。大した反射神経だが、その致命的な隙を見逃すアンリではない。一瞬注意が外れた長剣を弾き飛ばし、そのまま流れるような足払いをかける。即座に老騎士に馬乗りになったアンリは、今しがた抜き放った短剣を首筋に突きつけた。


「悪いねぇ。ずるっこいことした」


 わぁっと沸き立つ即席の闘技場。


 冴えない鍛冶屋が練達の騎士を下したことに村人は惜しみない歓声を浴びせ、騎士たちからも潔い拍手が送られる。このさっぱりとした気風は好ましいと思うが、何にせよ勝負はついた。


「……鞘に納めた後、抜刀時に炎が生まれましたね。あれはやはり……」


 ベルの漏らした言葉に、ジョゼットは口の端を吊り上げる。


「疑いようがなかろう。呪紋を宿した武具、呪紋具だ。……あれも、貴様の品か?」


「さてね。とにかく、約束は約束だ。最高の戦士の練度がこの程度なら、悪いことは言わない。竜に挑むなんて馬鹿げた話は諦めて、さっさと帰るんだな」


 無礼は承知で、厳しい言葉を投げて突き放す。お互いのためだ。時間も命も、無為に浪費するものではない。


「ガストンの力量を見た上でそう言われては、私も返す言葉がないな。うむ、困った」


 無論、僕がガストンと試合をすれば、五秒ともたずに切り伏せられるだろう。彼の技量は決して貶められるような域ではない。


 しかし、竜と対峙するというのは次元が違う話なのだ。

 これで事は穏便に――


「王女様~、おいら降参するね」


 ――済みはしなかった。


「降参? しかし、勝負はどう見ても……」


「いいのいいの。おいら、はじめから勝つ気はなかったんだ」


 戸惑うベルを、弛んだ顔であしらうアンリ。わざわざ相手をのしてからこんなことを言い出すのは、彼なりのプライドの問題だろうか。そんなものがこいつにあったとは驚きだが、今となってはそれもどうだっていい。彼の奇行が何を招くのかわからないほど、僕は能天気な性質ではなかった。


「いいじゃんか、竜退治。マルクの旦那をつけるから、おいらも連れてって」


 わははーと気の抜けた声で提案するアンリ。どこでその話を、と思わず眉間にしわが寄る。対照的に、ジョゼットは満足げにうんうん頷いていた。


「素直な男は良いぞ。腕も申し分ないときた。よし、貴様の同行を許そう」


「やったー」


「そしてマルクよ。もう言い訳はさせんぞ。ルールを決めたのは貴様だ」


 その朗らかな脅迫に、僕は消沈する。

 確かにアンリは、ドラゴンスレイヤーなどという子供だましの称号に憧れてもおかしくはない単純な奴ではある。しかし、まさかこう来るとは。いや、あるいはジョゼットが事前に根回しをしていたのか。そうだとすれば、僕の読み負けだ。直情的なだけと思っていた彼女への評価を改めるべきだろう。


 そもそも、こうなった以上、僕には有効な手札がない。


 僕の肩をポンと叩くベルの顔には同情が浮かぶ。それも甘受せねばなるまいと、僕は目を伏せて首を振った。



* * *



「まだ怒ってるのかよ~ぅ、マルクの旦那ぁ」


「別に」


「怒ってるじゃんかよぉ~。そんなに嫌だなんて、おいら知らなくて……」


 男のしおらしい顔を見たところで何の足しにもならないので、僕はシッシッとアンリを追い払う。王女の道楽に付き合う羽目になったのは自分のせいだ。アンリを責めたところでどうしようもない。


 僕は、普段はほとんど飲まない高い果実酒を呷り、頬杖をついた。


「稀代の呪紋師ともあろうものが、浮かぬ顔だな」


「負け犬の顔を見に来たのか?」


「卑屈な男よ。まあ、負けに無頓着な根性無しよりは上等だ」


 どかっと隣の席に腰掛けたジョゼットは、ミルクがなみなみと注がれたジョッキを掲げた。


 アンリとガストンの決闘の後、王女一行はリンドブールで一番大きな料亭を貸し切り、村人も出入り自由の宴を催していた。王族の顔を一目見ようと多くの村人が押し掛けていたが、肝心のジョゼットは古びた給仕服で歩き回っている。よく手入れされた髪も乱暴なひっつめにしており、快活な表情も相まって、とても王女には見えない。彼女を認識できず、結局すごすごと帰る者は多かった。

 今現在、彼女の身分を語るのは、その尊大な物言いくらいのものだ。


「……あの短時間でアンリを抱き込むとはね。まあ、そういう手が打てる頭があるというのは、嬉しい誤算だったよ」


「ん? ああ、あれか……」


 業腹だが、彼女の周到さは賞賛に値する。僕は素直に、彼女の策を評価した。

 しかし、ジョゼットはあっけらかんとした顔で不吉な言葉を返す。


「私は何もしておらん。そういう手回しは苦手でな。今回はこちらに風が吹いただけだ」


「…………」


 前言撤回。一気に先行きが不安になってきた。

 本当にただ、アンリが気まぐれを起こしただけだったらしい。勝手にジョゼットを良い方向に脚色してしまっていたことに、我ながら恥ずかしくなってきた。


「自分で決めたのだから、夜逃げするなよ」


「……それはしないが、積極的に竜退治を支援するつもりもないからな。あくまで調査の協力だ。竜の恐ろしさを存分に味わってもらい、しかる後に逃げ帰るというのが理想だよ」


「後ろ向きな奴め。自発的に動けとは言わんが、頼まれごとくらいはこなしてみせろよ」


 喉を鳴らしてミルクを飲み干したジョゼットは、そのジョッキで僕の額を小突いた。

 僕も薄桃色をした果実酒を一息に流し込み、渋々ながら頷いた。


「北の禿山……ここの者らは『竜の腹』と言っていたな。そこに竜が棲むというのは、間違いないな?」


 そのなだらかな尾根が、引っくり返って寝ている竜のお腹に見える――というのが、その呼び名の由来だという。『竜の腹』は、この一帯で最も鉱物資源が豊富な山であり、「竜の体内には宝石が詰まっている」という言い伝えになぞらえているともいわれる。


 もっとも、ジョゼットがこの手の逸話に興味があるとは思えない。僕は彼女にそれを説くことなく、ただ頷いておいた。


「……その認識で問題ない。外には出ていかないと思う」


「貴様は遭遇したことがあるのか?」


「……ああ。あまり思い出したくはないね」


 ジョゼットではない本物の給仕が、空になった木製のジョッキに果実酒を注いでくれた。僕はそれを乱暴に喉へ流し、肺の空気を全て吐き出す勢いで息をついた。


「ならば良い。……気分が優れんのなら、気にすることはない。好きに引き上げてくれて構わんぞ」


「ご厚情どうも。まあ、もうしばらくはタダ酒を頂くよ」


 慇懃無礼な僕のお辞儀に、ジョゼットはかえって嬉しそうに笑うと、もう一度僕の額を小突いて去っていった。


 代わりに彼女が座っていた席にやって来たのは、その身辺警護を与るというベルである。

 機嫌のいいジョゼットに半笑いで会釈してから、彼女は僕の隣に腰を下ろした。


「何やら古傷を抉ってしまったようで、申し訳ありません。ジョゼット様も悪気があるわけではないのです。いや……悪意はあるのでしょうが、害意はないというか……」


「古傷ってほどのものじゃないけど、面白半分なのは勘弁してほしいな。……君に言っても仕方がないけど」


「どうぞ、言って楽になるなら私にぶつけてください。私は気にしませんから」


 あの乱暴な主の下にいるとは思えない、懐の深い女性である。

 ふと、自由奔放に歩き回っているジョゼットについていなくていいのだろうかと考えたが、老騎士ガストンの姿を捉えて納得した。彼が目を光らせているのなら問題ない。


「何だか、視線だけで人を殺せそうな顔だな」


「まあ、虫の居所は悪いでしょうね……」


 結果的にジョゼットの思惑が果たされたとはいえ、ガストンが田舎の鍛冶屋に後れを取ったのは揺るぎようのない事実だ。彼ほどのベテランでも、呪紋具を戦闘に用いる相手と立ち会ったことは、ほとんどないだろう。呪紋具が希少であることも一因ではあるが、呪紋具というのはどちらかというと日用品が多く、武器というのは更に稀なのである。


 僕としては、抜刀時の炎に反応できた時点でただ者ではないという印象なのだが、ガストン自身にそう割り切れというのは酷な話だ。


「ガストン様は実直で誠実な方ですが、わりと引きずるタイプなんですよね。竜と戦う時までには、普段通りに戻っていてほしいものですが……」


「そのことだが、君たちはどうやって竜と戦うつもりなんだ? まさか、剣と盾で真正面から挑むわけでもないだろう」


「それは、まあ流石に。弓矢の他に、火薬を使った最新の大筒なんかも持ってきています。でも、はじめは身軽な手勢で威力偵察を行う手筈ですね。貴方には、それに同行してもらいたいのだと、ジョゼット様は仰っていました」


 竜の生態についてはわかっていないことが多い。その戦闘能力についても、詳しく書かれた書物は稀だ。

 まず、竜と出会いながら生存する者が少ないのだ。運良く生きながらえることができた人間というのは、竜の本領を見る前に、その影響下から脱出できた幸運の持ち主に過ぎない。詰まるところ、生存者が知るのは、竜が超常の存在であるという恐怖のみである。


 故に、まず敵の実情を知ることを第一とするのは、間違った判断ではない。


「問題は、その『身軽な手勢』とやらの実態だね。あの王女のことだ。自ら出張ることはまず間違いないだろうけど……」


「私やガストン様、つい先ほど力を示されたアンリさんも、恐らく召集されるでしょう。その他、近衛隊の精鋭が十数名、といったところと推測します」


 『竜の腹』に足を踏み入れ、一周回って帰ってくるくらいなら、訳もない布陣だ。しかし、威力偵察というからには、竜に喧嘩を売るという工程が嫌でも入ってくる。そうすると、無事に戻ることができる可能性はぐんと下がる。


 僕は相変わらず、この討伐自体を無意味で無謀なものだと感じていた。


「……私も、無茶な話だと思っていましたよ」


 また、思考の先回りをされた。ここまで来ると、同調の魔術でも仕込まれているのではないかと邪推するが、彼女がそこまでする理由は今のところ皆無である。


 とりあえずその謎は置いておくとして、僕は彼女の発言の続きを促した。


「私の故郷は、竜に焼かれましたから。あれがどれだけ恐ろしい存在であるか、少しは理解しているつもりです」


 竜の生息地を避けて造られたヴォルド王国だが、竜は移動する災厄だ。気性の荒い奴は、縄張りを離れて暴れることもある。辺境の村が丸ごと蹂躙されるというのは、珍しくはあってもないことではない。その理不尽さは、ジョゼットが蜂起した理由の一つでもある。


「あまり思い出したくもないことなので、深くは語りませんが……ジョゼット様の意気込みは、その恐怖を遠ざけるだけの力がありました。竜からは逃げるしかないという常識を古いものと断じ、前へ進もうという覇気……それを、私はあの人から感じたのです」


 僕を誘い入れようとしたときの真っ直ぐな瞳を思えば、彼女の主張もわからないでもない。個人的には、その脇目も振らない姿勢は危険だと思うのだが、人を惹きつけるというのは頷ける話だ。

 彼女の綻んだ表情を見ていると、改めてそんな思いが浮かんできた。


「あまり古い常識を捨てるばかりというのも、良くない気がするけどなぁ」


「もう! そんなおじいさんみたいなこと言わないで、マルクさんも一緒に新しい時代を見に行きましょうよ!」


 バツが悪いので憎まれ口を叩いてみる。からからと歯を見せてベルが笑う。


 彼女の隣で飲む酒は、先の一気呑みよりは美味しかった。

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