竜気憑きの呪紋士

かんごろう

第1話 王女と呪紋士(1)

 リンドブールの村は、にわかに騒々しくなっていた。


 音に聞こえた大国ヴォルドの領内である。王都から距離があるとはいえ、リンドブールは元々そこまで寂れた村ではない。作物の成長は劣悪だが、鉄や宝石類の産出のおかげで、経済的な厳しさとも無縁である。


 しかし、そうは言っても辺境の村だ。

 銀色のプレートメイルに身を包み、長剣を腰に差した騎士たちが通りを闊歩している様は、日常的とは言えない光景だった。


「こぉんな片田舎に、騎士団の人たちは何しにきたんだろ。マルクの旦那、心当たりは?」


「あるものか。僕は風聞に疎いんだ」


 僕の工房に入り浸っていた鍛冶屋のアンリは、「だよねー」と眠そうな目を更に細めた。

 彼自身、対して興味のない事柄だったのだろう。頬づえをついた姿勢で通りを眺めていたアンリは、やがてこっくりこっくり船を漕ぎ出した。


「寝るなら帰って寝てくれ。もう終わる」


「じゃあ、おいらが寝つくのとどっちが早いか勝負なー」


「別にいいけど、君は勝っても僕に引っ叩かれるだけだぞ」


「そりゃねーですぜ、マルクの旦那ぁ」


 間延びした抗議の声を黙って受け流す。

 そして最後の仕上げを終えると、僕は筆を置いた。


「ほら」


 アンリの愛用している長剣と短剣を鞘に収め、彼の目の前に持っていく。

 アンリはそれを恭しく受け取って、にへらと笑った。


「いつもすまないねぇ。うちのフラムとバンが、ほんとに世話になって」


「整備するのは構わないけど、剣に名前をつけるのは気持ち悪いからやめてほしい」


「この二人はおいらの息子たちだぜぇ? 名無しじゃあ可哀相じゃないか」


 すりすりと剣に頬ずりをする姿は、やはり不気味だ。

 アンリとはそこそこの付き合いになるが、この刃物に対する愛情の注ぎ方には未だに慣れていない。


「それじゃ、おいらは帰るとしよう。ああ、今度また防具持ってくるからいつもの頼むよ」


「まいど、ごひいきに」


 とはいえ、アンリの鍛冶屋はお得意先である。こう見えて有能な面もあるので、多少人間性に難があろうと、目を瞑ることにしている。

 二振りの剣をベルトに差して手を振るアンリに、投げやりにだが、僕も右手を上げた。


「呪紋師マルクはいるか」


 不意に、よく通る声が僕の工房に響き渡った。

 初老の男性の声だ。しかし、僕の知り合いにこれほど元気な爺さんはいない。

 今のリンドブールの状況を思い、僕は憂鬱な気分で戸口を見遣った。


「……何だい」


 扉を開け、律儀に一礼してから工房に入って来たのは、やはり一人の騎士だった。

 使い古されたプレートメイルの左胸には、ヴォルド近衛隊にのみ許される青い紋章が光っている。髪は白髪混じりで、目許の皺も深いが、爛々と輝く眼光の持ち主である。整えられた顎髭やその立ち居振る舞いは、彼が戦士であると同時に、一角の紳士であることを雄弁に語っていた。


「呪紋士マルクは、どちらだ」


高飛車な詰問口調と紙一重だが、堂に入った問いかけである。畏まった印象を与えこそすれ、あまり不快感を催すものではなかった。


「マルクは僕だよ。何の用だい」


「ふむ……」


 品定めするように、老騎士はじっくりと僕を観察する。

 やがて、「ふん」とワシ鼻を鳴らすと、彼は僕に背を向けて歩き出した。


「急な話で悪いが、王女が拝謁を許された。速やかに支度をされよ」


 それだけ告げて、老騎士は入ってきた時と同じく、さっさと外へ出て行く。

 残された僕は、ぱちくりと目を瞬かせているアンリを見遣り、それが聞き間違えではないことを確認した。


「たまげたなぁ……王女様が来てたってんなら、そりゃあ騒ぎになるわけだ」


「こんな辺鄙なところに、何の用が……」


 いや、僕に何をさせようと言うのか。

 机の上に広げたままの仕事道具に目を移し、僕は思考する。


 老騎士は僕を「呪紋士」と呼んでいた。先の誘いは、僕の素性を知った上での言葉と考えていいだろう。かと言って、単に仕事の依頼であれば、わざわざ王女にお目通りする理由にはなり得ない。


「早くしろ。俺はいくらでも待つが、王女はあまり気が長くない」


 どうやら外で待っているらしい。老騎士の声が扉越しに聞こえてきた。一応案内まではしてくれるようだ。


 まあ、考えていても仕方がない。どうせ一市民に拒否権などないのだ。

 僕は渋々立ち上がると、闇色をした外行きのローブに袖を通した。



* * *



 リンドブールの村に、王族をもてなすに足る施設を持つ宿は存在しない。

 さて、では王女はどこにおわすかと思案を巡らせつつ、僕は老騎士の背中を追った。さらに後ろには勝手にアンリがついてきているのだが、老騎士が何も言わないので僕も気にしないことにする。


 老騎士の足は、村の中央広場へと向かっていた。

 視察か周遊か知れないが、王女の旅程とあれば、その荷物の量も相当なものだろう。一行が収まる場所は、中央広場以外にないのかもしれない。


「噴水で水浴びでもしてるのかなぁ。おいらも見ていいのかな」


「……君は少し黙っていた方がいい」


 アンリの囁きが聞こえたのか、老騎士が射殺すような眼光でこちらを見ていた。冗談にしても失礼極まりないが、こののんびりした鍛冶師は、場を和ませようとしてこんなことを言っているのではない。単純に考えなしなのだ。

 僕は老騎士の視線を避けるように、石畳に目を落とした。


 それからしばらく、老騎士が足を止めるまでの間、僕は俯いたまま彼に続いた。


「今戻った。王女はいらっしゃるな?」


 やがて、目的地についたらしい。

 顔を上げると、やはりそこは中央広場であった。噴水の南側に馬車が四台。思ったよりは少ない。


 若い騎士に確認を取った老騎士は、一際大きな馬車へと足を向ける。僕とアンリはその背を追うが、擦れ違いざまに若い騎士から訝しむような視線を向けられた。

 なるほど、僕のお目通りは下まで回っていない事情によるものらしい。普段から千鳥足のような歩みのアンリに対して不信感を覚えた可能性もあるが、明らかに僕も見られている。


 あまり公にしていないということは、面倒な事情が絡んだ仕事だろうか。

 げんなりしながら、僕は老騎士と共に馬車の荷台へと足を踏み入れた。


「呪紋師マルクを連れて参りました」


 老騎士は厚布の仕切りの前で恭しく跪いた。それに倣って、僕もその場で頭を垂れる。


 アンリはついてきていない。荷台に上がるところで、老騎士に摘まみだされたのだ。拝謁を許す気がないなら、もっと早く追い払えばよかったのに。

 僕はそんなことを考えながら、荷台にしては光沢の強い床材を見つめていた。


「御苦労であったな、ガストン。入れ」


「は。失礼いたします」


 厚布の向こうから、澄んだ声が響いた。幼さを残してはいるが、同時に気品も感じさせる。その声は鈴の音というより、刃鳴りを思わせる鋭さを孕んでいた。


 ガストンと呼ばれた老騎士が、丁寧な仕草で厚布を除ける。

 僕は頭を垂れたまま、続く言葉を待った。


「よい。面を上げよ」


 王女の許しを得て、僕は目線を上げる。


「……へぇ」


 思わず、感嘆の声を漏らしてしまった。僕の目に映ったのは、一般的な王女のイメージとは、いささか異なるものだった。


 簡素で頑丈そうな肘かけ椅子に座していたのは、未だ少女と言っても差し支えない風貌の女性である。腰まで届く亜麻色の髪はよく手入れされ、シルクのような艶を見せている。また、豪奢なドレスで着飾っているものと思っていたが、軽装とはいえ鎧を着こんでいた。僅かに青を落としたような白銀の甲冑だ。流石に兜までは被っていないが、額当てとサークレットを折衷したような防具が壁にかかっている。


 その姿は、王女というより女騎士といったほうがしっくりくる佇まいだった。


「私はジョゼット。ヴォルド王国の第十四王女である」


 そう名乗り、王女はにこりと微笑んだ。


 第十四王女――王位継承権で言えば、二十番以降の序列になるだろうか。裏を返せば、上の兄姉程には束縛も制約もされていない立ち位置か。それでもこんな辺鄙なところを訪れるというのは驚きだが、王自らが現れるよりは余程現実味があった。


「貴様がマルクだな。北方一の呪紋士と聞き及んでいる」


 僕が口を開く前に、彼女はそう続けた。聞き及んでいるなどと曖昧な言い方をしながら、その態度は確信に満ちている。知ったような口ぶりが、なんとなく面白くない。


「とんでもない。未だ修行中の身です」


「謙遜はよせ。こちらは調べた上で、貴様を訪ねたのだ」


 僕はあまり名を売るような商売の仕方はしていない。少なくとも王族の耳に入るような業績を残した覚えはない。


 北方一などというのもおかしな話だ。いや、字義としてそれほどの誇張はないかもしれないが、そもそも呪紋士なんて名乗る古い人種は、この国に数えるほどしかいない。彼女の持ち上げ方は、少しずれている。もしや、それほど詳しく調べていないのではなかろうか。


 しかしジョゼットの勝気な瞳は、一切の反論を許さない迫力があった。僕は渋々ながらも、彼女の主張を否定せずに話を進めることにした。


「僕に、どのようなご用件が?」


「うむ、よくぞ聞いてくれた」


 その言葉を待っていたと言わんばかりに、ジョゼットは満悦した様子で頷いた。


 まともに挨拶もしていないが、その点について彼女が気にする気配はない。へりくだった物言いを徹底する必要もなさそうだ。思考が即物的というか、あまり儀礼的なことに拘るタイプではないと見える。


「貴様を呼んだのは他でもない。此度の我々の遠征に同道してもらいたいのだ」


 ゆえに、その言葉も端的であった。飾らず、包み隠さず、彼女は告げた。


「我々の、竜殺しの旅にな」


 竜殺し。


 彼女がさらりと言ってのけた、その言葉に総毛立つ。

 その無知と無謀を語るだけで、僕は一晩だって彼女に説教ができそうだった。


 竜とは、超常の存在の代名詞である。

 その姿は、巨大なトカゲやヘビ、あるいはカメの類を想像する者が多い。しかし、そういった一般的な生物群とは根本的に別次元に在るのが竜である。爪牙の猛毒は石をも溶かし、灼熱の息は鉄をも燃やすという。その威容を目にして生き長らえる者は極稀である。それでもその名が知れ渡っているという事実が、その脅威の度合いを示していた。


 木の竜アルベイラ。

 火の竜ラーヴァ。

 地の竜デュラテール。

 鉄の竜フェラン。

 水の竜ピュリィ。


 ヴォルドに棲む五頭の竜は、恐怖の象徴であると同時に、不可侵の存在として認知されている。恐ろしいが、手の出しようがない。上手く距離をとって暮らしていくしかない。それが一般的な感覚だ。

 だというのに、軽々しく竜殺しなど吹聴できる者が、まさかこのヴォルドの王族に名を連ねているとは思わなかった。


 露骨に嫌そうな顔をしてやると、ジョゼットは「ん?」とかわいらしく小首を傾げた。これまた鼻につく仕草だった。


「なんだ貴様。男の子だろう。もっとわくわくした顔をしてみろ。ドラゴンスレイヤーだぞ」


「それが望みなら、もっと小さな子供に語ってあげるんだな」


「貴様の能力を買ってのスカウトだ。冗談で言っているわけではない」


 冗談だったらどれほどよかっただろうか。嘆息するが、王女はどこ吹く風である。

 大体、能力ってなんだ。このしがない田舎者に、何を期待しているのだ。


「とぼけても無駄だ。調べはついている」


 ジョゼットはすぐ脇にかけてあった盾を手に取った。

 成人男性の肘から指先ほどを直径とした、小振りなラウンドシールドだ。樫で拵えたその盾は女性の手にも扱いやすかろうが、金属部が少なく、防御性能は知れている。間違っても、竜退治に持っていく装備ではないだろう。


 それがただの盾であれば、の話だが。


「貴様の作品だそうだな。『火口に落としても燃えぬ盾』などと嘯かれた品だったが……なるほど、城下町にある大抵のものでは、焦げ目も付かぬ代物であったよ」


 盾を裏返すと、その裏には真っ赤な色で紋様が刻まれていた。

 僕が、アンリを介して世に出した品である。呪紋を宿した耐火の盾だ。


 呪紋によって特殊な性能を付与された道具は、呪紋具と呼ばれ珍重される。現在ではあまり生産されることがないため、新しいものは特に貴重だ。安価な呪紋具も出回ることはあるが、その大部分は、特性が衰えた古いものである。ゆえに、呪紋具の生産はそこそこ稼ぎがいい。


 僕はあまり目立ちたくないがために、わざわざ面倒な手順を踏んで、生産者がわからないようにして出荷している。アンリ以外の奴とは組んだこともない。一品分の稼ぎで半月は生活できるので、大した数を世に出したわけでもなかった。

 とはいえ、王族が本気で調べるのなら隠し通せるものでもない。当然だ。所詮は田舎者の小細工なのだから。


「……それをひたすら作れって言うのかい」


 どうも面白くないので、投げやりにそんな言葉を投げかけてやる。


「馬鹿者が。これを兵士に配るくらいで竜が倒せるなら、苦労はせんわ。そういう意図で貴様に誘いをかけているわけではない。私は貴様の腕が欲しいのだ」


 物好きもいたものだが、理性がまるきり飛んでいるわけではないらしい。盾の量産を命じられたなら、思いっきり笑ってやるところだった。


「敵は竜、神秘の塊よ。ならば、こちらも相応の手札がいる。私の配下の者は、腕っ節には事欠かないが、魔術だ何だといった知識職に乏しくてな。それで、その手のことで一流と言える人材を探していたところ、貴様が引っかかったわけだ」


「僕は魔術師じゃない。呪紋士だ」


「どちらでもよかろう」


 かなり体系が違う二者を並べられるも、その辺りのこだわりは薄いらしい。というか、彼女自身が言っていた知識不足か。王族の教育としてこれはどうなのだろう。


「何、悪いようにはせん。待遇は保障するぞ。旅の完遂の暁には、望みのままの報酬を取らせる用意がある」


「王様になりたいとかでも?」


「たわけが。私の裁量でどうにかなるところまでだ。考えてものを言え」


 大きく出た割に小癪である。任せろと言われたらそれはそれで考えものだが、どうもさっきから波長がずれている気がする。


 そもそもの話、竜退治などという無謀に付き合う気は毛頭ないのだ。

 僕がしかめっ面で黙り込んだからか、ジョゼットも先ほどまでのやや上擦った声音を控え、真剣な面持ちで口を開いた。


「マルクよ……貴様もこの国の民ならば、竜が如何なる脅威であるか理解しているだろう。彼奴等の襲来は、田畑を焼き、家屋を潰し、河川を汚す。我々は、極力竜と生活圏を重ねることのないよう細心の注意を払い、今の国のかたちをつくってきた。それでも、出くわす者は出くわすし、時には気まぐれで村一つが焼かれることもある……理不尽な話ではないか」


 彼女の話に誇張はない。竜の脅威が、大国ヴォルドが古くから抱える悩みの種であるのは確かなのだ。


 このリンドブールも竜の生息域に極めて近い村ではあるが、幸いにしてこの地の竜は直接的な攻撃性に乏しい。穏やかとまでは言わないが、十分に備えていれば暮らしを脅かされることはない。


 しかし、ヴォルドの南部などは、気性の荒い竜が棲みついているという。広い範囲にわたって被害をまき散らす炎の化身は、度々人の営みを破壊してきた。それを憂えた歴代の王が何度も居住域を後退させているが、結局竜の行動域が広がるばかりで、南の人里が竜の脅威から解放されたことはない。


 僕にとっては遠い場所の話だ。しかし、王族にとっては自らの土地と民の問題である。

 彼女の奮起が正当なものであることについては、僕も否定する気はなかった。


「私は、この歪な状態を終わらせたいと思っている。根本的な解決が必要なのだ。そしてそれは、竜殺し以外にあり得ない。彼奴らの時代を終わらせねば、真に人の世など訪れようものか」


 ジョゼットの切れ長の目が、僕を見据えて放さない。

 彼女の手が、いつの間にか僕の手を強く握っていた。


「ついてこい、マルク。貴様に新たな時代を見せてやる」


 凛々しい殺し文句に、僕は天を仰いで目を閉じる。


 反論は、どうにもぼんやりしたものになりそうだった。こうまで無垢な理想に否定で入れば、何を言ってもこっちが悪者になりそうではないか。


 断り辛い。断り辛いが、付き合いたくないのが本心だ。できるできないの話以前に、竜の時代を終わらせるというのは良いことばかりではない。それをこんこんと説いてやるべきだろうか。いやしかし――


「…………条件が一つある」


 僕はしばらく考えてから、ある提案をすることにした。

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