第7話 決戦(1)
「申し上げました通り、わたくし共は貴方がたの活動を止める立場にありません。わたくし共は竜を護っているわけではありませんからね。ですが、貴方がたの手助けをすることもありません。貴方がたが戻ってこなければ、予定通り、明日には竜の婿入りを行います」
「それでよい。騒がせてすまなかったな」
その日のうちに、出発の準備は調えられた。
元より、リンドブールに戻るために旅支度はしていたのだ。装備も特段、新調するものはない。ガストンの新しい剣に、ベルのものと同様の呪紋を施したくらいだ。
少々したためるものがあったので時間をもらったが、それがなければ更に早まったくらいのものである
軽装すぎて竜の討伐に赴く一団にはとても見えないが、強行軍を主張したのはジョゼットだ。僕が頷いた以上、反対の声を上げる者はいない。
「……」
ニコラと共に見送りに来ていたロシェは、無言のまま、ジョゼットの吊り上がった目尻を見上げていた。その感情は正確には読めないが、おそらく彼自身、どういう思いを抱くべきなのかわからずにいるのだろう。
その幼い葛藤を前に、ジョゼットは身を屈めて、彼と目線を合わせた。
「今は、私のやることの意味を知らなくてもいい。明日の夕食のことでも考えておけ」
ジョゼットが歯を見せて笑う。ロシェはしばしの逡巡の後、遠慮がちに頷いた。
「行くぞ。先頭はマルク、殿はアンリだ」
立ち上がったジョゼットは、既に凛とした表情を取り戻していた。
彼女の短い指示に従い、僕たちは村を出発した。太陽は真南をほんの少し過ぎたところだろうか。明るいうちには竜のねぐらにたどり着けるだろう。
もっとも、帰りは間違いなく夜道になるため、野宿の可能性もある。指摘はしたが、そんなことで止まるジョゼットではなかった。
そもそも、無事に帰ることができる保証はない。
「ごめんなさい、マルクさん。さっきは、勝手なことを色々と……」
出発するや否や、後ろに続いたベルから声をかけられる。
正直なところ蒸し返されても困るのだが、ここで頭を下げずにいられないのは彼女らしい。
「気にしないでくれ。話したくなかったのは確かだが、隠し事が多かったのは僕の落ち度だ」
「嘘をついていたのであれば、もう一発二発では済まんかったがな。ギリギリ筋は通しているという評価にしておいてやる」
そして、相変わらず対称的なジョゼットの物言いである。この傲岸不遜な様も、先ほどの激情を見た後だと、まあ可愛げがあるかなと感じるようになってきた。握った拳は今は手甲に覆われているので、一発二発は洒落にならないが。
「それで……段取りについては案があるんだろうな」
「あるわけなかろう。道すがら決めるから知恵を出せ」
「……そんなことだろうと思ったよ」
ジョゼットが急かすままに、取るものも取り敢えず出発したのだ。訊いてはみたものの、この返事は予想できていた。
「基本的には、分け身と戦った時と似たような展開になるんじゃないですか? 竜の規模とか、戦う場所にもよるでしょうけど」
陣形については、ベルの言う通りだろう。前に出るのは、アンリ、ガストン、ベルの三人以外にない。僕が援護に入り、ジョゼットは戦場の俯瞰に徹する。前衛を減らす理由はないし、下手にジョゼットを前に出せば、他の三人の負担となりかねない。
ただ、有効な武器を手にしたとはいえ、戦闘の難度は分け身の時よりも遥かに高いはずだ。
「地の竜デュラテールは、僕たちが倒した分け身とは比べものにならないサイズだ。はじめに出会った奴も大きかったが、あれの十倍はあると思ってくれ。基本的に奴の攻撃に対して防御はできない。触っただけで死ぬくらいの心構えでいてほしい」
後ろに続くガストンやアンリにも聞こえるように、少し声の大きさを上げる。
「それから、今回戦う場所は洞窟になる。本来は真っ暗で戦えたものじゃないんだが、明かりは僕の方で何とかするから安心してくれ。……問題は、広さの方だな」
分け身と戦った時は、かなり開けた場所での立ち回りとなった。隠れる場所はないが、動きを遮る場所もなかった。身の軽いアンリなどは、特に戦いやすかったはずだ。
一方、洞窟内となると自由度は下がる。竜の大きさを考えると、動ける場所はかなり限られるだろう。ジョゼットを安全な場所に立たせられるかどうかも怪しい。恐らく彼女も、戦況を見ながら移動してもらうことになるはずだ。
「狭いところで、防御も不可能っていうのは……辛いですね」
「炎もそうだが、やはり尾が脅威だな。面攻撃を押し付けられるのは避けたい。致命打を狙う前に切断した方がよさそうだ」
「いくら刃が通るからといって、一回二回で切り落とせるものじゃないけどね。方針としては、それでいいと思う」
僕の呪紋が竜本体に対してどれだけ効果があるかというのも未知数だ。効くには効くだろうが、分け身相手ほどの効き目はないというのが僕の予想である。
序盤は乾坤一擲の一撃を狙うよりも、生存率の上がる選択肢を取った方がいい。
尾を落とせば、ひとまず息をつける距離というのもできるだろう。本体の動きは分け身よりも鈍い、はずだ。
そもそもあまり動いているところを見た覚えがないので断言はできないが、あの図体で素早く動くのはまず無理であろう。
「……だが、ここから先は正直予想がつかない。機に応じての対処になる。毒消しは、前回ベルに噛ませたものを、あらかじめ配っておく。量は少ないが、火消しのヴェールも渡すつもりだ。……僕にできるのは、それくらいだと思う」
「まあ、あまり余地のない作戦を固めることもあるまい」
あっさり流されるのも不安だが、理には適っている。細かい作戦で縛り付ければ、とっさの動きを鈍らせる可能性がある。
「だが、竜を倒した後のことは、緻密に計画を練ってくれよ。行き当たりばったりでは、必ずつまづく。ここに暮らす人や動物にとって、あんたのつまづきは死活問題だ」
「無論、手を抜くつもりはない。もっとも、私は先の見通しを立てるのは下手なのでな。貴様にも働いてもらうぞ」
「……」
僕は無言で彼女の言葉を受け流す。
安易に頷くことはできなかった。
思うことはあれど、まずは竜だ。戦うと決めた以上、全霊で臨まなければ先はない。
周囲の景色は、緑の少ない岩石地帯へと差し掛かっていた。
* * *
地の竜のねぐらは、僕が神子を務めた十年前と変わっていなかった。植物はもちろん、動物の気配もない。かといって、もの悲しい寂れた様子とはかけ離れた巨大な洞穴だ。
陽はまだ高いが、ねぐらの中は真夜中かと錯覚するほど暗い。地の底に続く虚のようだと僕は思う。日常とはどこか位相のずれたこの雰囲気に、ある種の神聖さを感じる者がいるのも頷ける。
「穴の深さはどれくらいだ?」
「数分と歩かない。はじめから、慎重にな」
以前入ったときは襲われることはなかったが、それは儀式での話である。
竜の神子は、ねぐらの奥にある祭壇に座ることで、毒素を帯びた竜のマナを引き受けることになる。その儀式の流れを竜が理解しているとは思えないが、これまで婿入りに失敗がないことを思うと、代々の神子が竜に直接殺傷されることはなかったのだろう。
だが、十歳の少年が一人で歩いてくるのと、武装した大人の一団が立ち入るのでは、竜の警戒度も違うはずだ。ねぐらに入った段階で、戦闘態勢となっていると仮定しておいた方がいい。
「突入するぞ。覚悟はよいな?」
「無論です」
「いつでも行けますよ」
「おいらも~」
ジョゼットの最終確認に、各々が声を返す。ほどほどの緊張感と、僅かな脱力感。良い状態だ。
僕は黒曜石の杖を握る右手に力を入れなおすと、先頭に立って洞穴に足を踏み入れた。
ちりちりと肌を焦がすような幻痛を覚える。行動には支障ない。むしろ、僕の中を流れる竜のマナが高揚しているような、妙な感覚があった。
そしてそれは、歩を進めるたびにじわじわと昂っていく。
暗がりの中、小さなランプの光だけでは、十歩先すらおぼろげだ。
それでも、時が来れば容易にわかった。
ねぐらの奥にたどり着いたこと。この先に、竜が待っていることが。
「いくぞ」
左手に握りしめていた薬包を、そっと地面に置く。そして、水筒の水で濡らした杖の石突で、思い切りその包みを貫いた。
パパパパパパン!
トーンの高い炸裂音が響き渡り、輝く粒が勢いよく弾け飛んだ。その大半は僕たちの頭上へと一直線に伸びていき、天井の岩へと突き刺さる。
岩にとりついた粒を中心に、急激な速度で光が増殖を始める。
竜洞で育っていた、自ら発光するヒカリゴケだ。
呪紋によって発生したヒカリゴケは、洞穴に充満する濃いマナを得て、たちどころに天井を埋め尽くした。
竜のねぐらの全容が、僕たちの目に飛び込んでくる。
その奥でゆっくりと首をもたげさせる、地の竜デュラテールの巨体も。
オオオオオオオ――…………ン
頭からつま先まで抜けるような、重厚な吠え声が空気を震わせる。
視界の端で、祭壇の上にあった黒い塊が、ボロボロと崩れ落ちていた。
静かに役目を果たした先代の神子に対し、僕は僅かな黙祷を捧げた。
「かかれぇ!」
ジョゼットの号令と共に、後続の三人が一斉に動き出した。
恐らく僕と同じものを見てしまったのだろう。彼女の号令は、怒号ともとれる叫び声だった。
「アンリ!」
「あいよぉ!」
ガストンとアンリが弾かれたように散開する。ベルは僕たちの前に出て、少し間をおいてからガストンに続いた。
アンリが動いたのは、竜の頭側である。今回、アンリだけが対竜呪紋の武器を持っていない。一応提案はしてみたが、使い慣れた双剣から鞍替えする気持ちはなかったようだ。
恐らく、それは正しい判断だ。敵の出方が不明な以上、応用の利く小道具を持った前衛が一人くらい居た方がいい。
そのため、アンリは攻撃の主軸から離れて陽動に回る。分け身との戦いでも、最終的に竜の注意を引く役を担ったのは、攻撃が派手で遠距離戦もこなせるアンリだった。また、ベルとガストンが彼を上回る決定力を手にしたのであれば、最も身軽な彼を陽動に使うのが自然な流れである。
ガストンとベルは、手筈通り、まずは竜の尾へと狙いを定めて移動していた。ベルが抜くのは騎士団の支給品、ガストンの手にあるのはアンリ特注の長剣だ。どちらも、僕が施した対竜呪紋を帯びている。
ジョゼットが持つ本物の竜殺しは、まだ彼女の手にある。あまり戦力の出し惜しみをするべきではないが、こればかりは正真正銘の切り札だ。不確定要素の多い開幕から抜くものではないと主張したのは、前衛の中核を務めるガストンであった。ジョゼットは彼に剣を預けるつもりだったようだが、その意見を聞き入れ、時が来るまでは自分で持つことを了承した。
「さて……」
懐に左手を入れ、竜の出方に目を光らせる。
地の竜デュラテールの姿かたちは、分け身と大差ないものだ。頑丈そうな太く短い首と、角のある亀のような頭部。手足はあまり長くないが、広い可動域で器用に動く。翼は飛ぶには貧弱だが、竜自身のサイズも相まって、羽ばたくだけで恐ろしい暴風を起こすことができるだろう。背中は岩肌のようにゴツゴツとしており、尾は長くしなやかだ。
しかし、それにしてもでかい。頭だけでも、ちょっとした小屋くらいの容積がある。尾の長さは、初日に出会った分け身の全長を優に超えている。
尾の根元に近づけば、恐らく逃げ場を失う。だが、先端は鞭のように高速で振るわれ、剣で捉えることは難しいだろう。その辺りをどう攻めるかについては、僕に意見できることもなく、ガストンたちに任せるしかなかった。
「おりゃぁ! こっちだぁ!」
アンリが早速、大玉の火球を竜に放った。風を呑んで威勢を増した炎の塊が、竜の顔面で弾ける。
そこらの岩石なら砕いてしまいそうな衝撃だが、竜の頭は無傷だ。アンリとて、それは想定済みだろう。目を引くことができれば、それでいいのだ。
目論見通り、竜の視線がアンリを捉える。その巨大な顎がガバリと開き、凶悪な光が漏れた。
溢れ出た炎の渦は、アンリの大玉をせせら笑うかのような規模で彼を襲った。
「っくう!」
身を翻すアンリの肩の辺りに、薄く水のカーテンが張っていた。
アンリは、僕が渡した火消しのヴェールを衣服に擦り込んでいる。正直、その使い方はどうなのかと思っていたが、彼の勝負勘の方が正しかったということだろう。
本家の火炎は、規模も大きいが速度も並ではなかった。アンリには、分け身と戦った時の感覚が残っていたはずだ。ヴェールを消費したものの、この初撃を受け流せたのは大きい。
ちらりとガストンの方を見ると、竜の尾の側に大回りしながら、豆岩を各所に設置していた。どこまで通用するかはわからないが、目くらましの手段を求めるガストンに、僕が渡しておいたものだ。
そして、ベルは豆岩の一つに身を隠しながら、何やら穴を掘っている。岩石を容易に裁断できる能力を得た魔剣を使い、それはもうせっせと掘り返していた。
視線を移すと、ガストンも穴を掘り始めている。
(……塹壕か)
面制圧を行う尾の振り抜きを、地下に潜ってやり過ごそうということだろう。危険なことには変わりないが、悪い手ではない。尾がただ揺らめいているだけの今のうちに一太刀浴びせたいという気持ちもあるだろうが、しくじれば詰んでしまう可能性がある。継続可能な戦法の準備から入るという、二人の騎士の判断は正しい。
ガストンがジョゼットの剣を拒んだ理由の一つにも合点がいった。ジョゼットの剣は、竜は斬れるが岩石は斬れない。
さて、どうやらあちらはまだ、積極的な支援を必要としていない。
僕は竜の視線を誘導するアンリの方に移動を開始した。
「そーれ、こっちだ! 次は~、あっちだ!」
アンリは小規模な火球を周辺に巻きながら、不規則に動き回っている。自分自身に注意を引き続けていては、命がいくつあっても足りないと判断したのだろう。音と光を散らし、竜の興味を分散させる手と見える。
その甲斐あってか、竜の照準がバラけている。初撃ほど炎が集中していない。
ならば、それを手伝うとしよう。
「アンリ、火を寄越せ!」
声をかけつつ、小石ほどの球体を斜めに投げ上げる。
アンリは即座に反応して、短剣から火球を放った。
炎は狙い過たずに球体と接触する。その瞬間、炸裂音とともに、そこから派手な火花が飛び散った。
「うっひゃぁ! びっくりした!」
球体が炸裂した場所に向かって、竜の炎が一直線に伸びる。僕とアンリから離れた場所に攻撃を誘導できるのなら、それが一番安全だ。
竜は恐らく、視覚情報だけで僕たちを捉えているわけではない。何せ、僕がヒカリゴケを生やすまで、この洞穴は真っ暗だったのだ。音や匂い、加えてマナの動きで対象を認識しているのだろう。となれば、やかましい上にマナの変化が激しいこの爆竹玉は、竜の気を引くのに実に適している。
「このまま時間を稼ぐぞ!」
「りょーかい、助かるぜい!」
アンリが竜に牽制の火球をぶつける合間を見て、僕は爆竹玉を投げ、竜の攻撃を誘導する。これで、アンリの負担が多少は減るはずだ。
幸い、分け身のように本体が突進してくる様子はない。動けないということではないだろうが、この巨大さだ。自身が鈍重であることは理解しているのかもしれない。
(このままいけば、まだしばらくはかく乱できそうだ……)
しかし、その考えが甘かったことを、すぐに僕は思い知ることになる。
「マルク! 竜の背が赤くなっている!」
後ろに控えたジョゼットが叫ぶのと、アンリが火球を竜の頭に打ち込むのは、ほぼ同時だった。
(何がくる!?)
竜の行動を見極めるため、爆竹玉を投げることを躊躇う。それが失敗だった。
「ッぐあ!」
アンリの立っていたところに、水しぶきと蒸気が散った。炎の直撃だ。
ほとんど何も見えなかったが、超高速に加速した炎の矢を打ち出したのだと推測する。アンリが後方に吹っ飛んでいることから、物理的な衝撃として、かなりのものだったのだろう。
反面、熱量はそれほどではなかったのか、衣服が焼け焦げているくらいで済んでいる。
しかし、まずい。今の攻撃で、アンリが擦り込んだヴェールの粉は尽きているだろう。次弾をかわせなければおしまいだ。
「尾がくるぞ!」
「くそ! ここでか!」
僕は倒れたアンリに向かって全力で走り出す。
竜が身体を転回させ始めた。この位置では、尾の先端が十分届いてしまう。地面に転がるアンリに辿り着いたところで、どうかわせばいいだろうか。ガストンたちは――
僕は頭の中でひらめいた策を実行すべく、懐を探った。
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