第5話 分け身(1)

 結局、休息中に竜が近づいてくることはなかった。恐らく、もう追いかけてきているわけではないのだろう。

 いっそ転進するという意見も上がったが、万一に備えて、そのまま進み続けることに決まった。


 木棒が燃え尽きるのと時を同じくして、僕たちは再び出発した。


 昨日とは異なり、道程は穏やかであった。

 ベルは相変わらずの明るさで振る舞い、ジョゼットは口数が減ったようだが、竜洞の珍しい生態には興味を示していた。そんな二人を、一歩下がったところで見守るガストン。アンリはふらふら左右に振れながら歩いている。いつものことだ。

 控え目な談笑と、その下で僅かに走らせた緊張感。こういう道中も悪くないものだと、僕はぼんやりと考えていた。


 そして、体感にして半日も歩いた頃だろうか。

 ようやく、僕たちの前に陽の光が差し込んできた。


「ジョゼット様! 外! 外ですよ!」


「見ればわかるわ、やかましい。外に出た程度ではしゃぎすぎだ」


「そんなこと言って、ジョゼット様も声が弾んでますよ」


「弾んでおらん」


「誤魔化さなくてもいいじゃないですか~」


 ベルとジョゼットが歩みを速め、競うように竜洞の出口を目指す。

 僕も、ゆっくりと二人の背を追った。


「さぁて、どこに出るかにゃあ」


 後ろを歩くアンリの呟きに、僕は小さく頷く。

 今回通った竜洞は、それほど曲がりくねっていた印象はないが、そこそこの長さがあった。ぐるりと回ってリンドブール側に出るかもしれないし、完全に逆側に出るかもしれない。ある程度土地勘のある場所に出ることができれば楽なのだが――


「皆さん、備えて!」


 ベルの鋭い警告が、僕の思考を断ち切った。

 ガストンの眼の色が変わり、足早に外へ飛び出す。アンリも、普段の弛んだ笑みを引っ込めて、僕を追い越していった。

 僕は竜洞の壁面に背を預け、外の様子を窺った。


「……マルクさんの懸念が当たりましたね」


 竜洞の外は、開けた荒地になっている。

 そして、そこでずっしりとした巨躯を持ち上げたのは、紛れもなく竜であった。


「気付かれているな。穴に戻るか?」


 ガストンの提案に、ジョゼットが露骨に嫌そうな顔をする。

 もっとも、僕もジョゼットを説き伏せる気はなかった。昨日は緊急避難の意味合いで竜洞に突入したが、ただ逃げるなら地上を行っても変わりない。むしろ、人間である僕たちは、地上の方が動きやすい。

 それに、目の前の竜は――


「待て。あやつ、小さくないか?」


 最初に気付いたのは、意外にもジョゼットだった。

 ベルが一瞬ジョゼットの方を見て、改めて竜に向き直り顔をしかめる。ガストンの反応も似たようなものだった。

 明所に出たことで、目がくらんでいるというわけではない。思ったよりも遠くにいるということもない。


 明らかに、昨日出会った時よりも竜が小さいのである。体長でいえば、半分もないほどだ。


「どういうことだ、マルク。奴らは大きさを変えられるのか?」


「……気候によって、多少は変わるかもな。だが、あれはそういうのじゃない」


「そういうのでなければ、どういう……」


「ジョゼット様!」


 ベルがジョゼットをぐいっと引っ張り、身をかわす。直後、竜の放った炎が地面に当たって弾けた。


 小さかろうが、竜は竜だ。規模は違えど、機能は同じである。

 僕は舌打ちをして竜洞から飛び出した。竜がこちらに接近している。このまま穴の中で待機するのは危険だ。


 そうしてから、僕はひとまずジョゼットとベルの二人と合流する。

 アンリとガストンは、示し合わせてもいないだろうに、素早く竜の両翼に回っていた。あの二人の動きについていこうとしても、足手まといにしかならない。


 アンリが放った風の刃が、竜の退化した羽根に直撃する。被膜の一部を千切られた竜の注意は、アンリの方へと向いた。

 その隙を突くように、改めてジョゼットが僕に尋ねる。


「聞かせろ、マルク。あれはどういうことだ」


「あれは、僕たちが昨日出会った奴じゃない。……別の個体だ」


「待ってください! それじゃあ、この山には竜が何体もいるってことですか……?」


「……その質問に答えるのは、少し難しい」


「よかろう、細かいことは後でいい。今必要な情報を出せ」


 ジョゼットの注文は簡潔だ。どこまで要るのかの判断も、こちらに任せてくれた。

 僕は小さく頷いて、彼女に応じた。


「本来の意味での竜、つまり地の竜デュラテールは唯一の存在だ。一体しか存在しないし、代替わりもしない。だが、デュラテールは分け身を作り出すことができる。何体もな。はじめに遭遇したでかい奴も、あれは分け身であって本体じゃない」


 本当は、この話をするつもりはなかった。故に、僕ははじめに出会った分け身を竜と呼んでいた。


 嘘をついていたわけではない。リンドブールの者にとって、竜とはあの分け身のことを指す。地の竜デュラテールは、ほとんど表で活動することがない。竜洞を掘るのも、分け身の方だ。リンドブールの住人で、本体について詳しく知る者は少ない。

 分け身とはいえ、その能力は普通の生物のそれから逸脱している。頑強な鱗、尋常ならざる筋力、炎の息と毒の爪牙。基本的に、戦って無事に済むような相手ではない。

 そういう意味で、彼らはやはり竜と分類すべきなのだろう。


「……あの程度のサイズなら、討ち果たせそうなものだが」


「不可能ではないだろうな」


 実際、今回の相手はアンリの攻撃で傷を付けることができている。最初に遭遇したものよりも、存在の規模と強度が遙かに低い。


 ガストンが、爪を盾でいなしながら強襲し、小さな目玉に一閃を入れる。血や、それに類する体液が噴き出す様子はないが、竜は耳をつんざくような咆哮を上げた。


 間違いなく、効いている。


「……決めたぞ」


 ジョゼットが暴れる竜を見つめながら言う。その後に続く言葉は、なんとなく予想できた。


「あの小さな分け身の竜を仕留める。それをもって、今回の遠征の目的を果たしたものとして、一時撤収だ。はじめに出会った分け身や、デュラテール本体については、その沙汰を一旦保留とする」


 まあ、その辺りが落とし処か。僕は彼女の言葉に、自分を納得させる。


 ここまで明に暗に竜についての再考を勧めてきたが、彼女にもプライドがあり、体裁もある。成果もなしに退くというのは、やはり気乗りするものではなかっただろう。

 そういう意味では、ちょうどいい相手が見つかったということか。分け身とは言え戦いたくないのが本音なのだが、この辺りで僕も一度折れなければ、平行線を辿るかもしれない。


 仕方なく、僕は彼女の提案に頷いてみせた。


「あれも相当危険だということを忘れるな。慎重に、周到に当たるぞ」


「無論だ。ベル、聞いていたな」


「ええ。かしこまりました」


 ベルが荷物を放り、長剣に手をかける。ジョゼットも、腰の細剣を抜いて構えた。

 あまり実用性が考えられているようには見えない装飾過多の剣だが、指摘するのは止めておいた。本人も最前線に出る気ではないらしい。身の程をわきまえている分、考えなしに突っ込まれるよりは良い。


「ガストン! このまま此奴を仕留める! 気を引き締めよ!」


「アンリも聞いたな! そういうことだ!」


 竜の気を引きながら散発的な攻撃を繰り返していた二人は返事こそしなかったが、その言葉が届いていることはすぐにわかった。


 両者は前線に駆けたベルと一度合流し、短く言葉を交わしたかと思うと、すぐに散開した。アンリとガストンが竜の両横、ベルが正面をそれぞれ陣取る。


 合理的な布陣だ。竜の尾の一撃は強力であり、また、攻撃の起こりがわかり辛い。そもそも背中側の鱗が強靭なため、背後を取ることに旨みがない。正面に囮を置き、両側面からの攻撃を主体とするのが最も理に適っている。

 そして、ベルの身体が竜の炎にも耐え得ることは既に実証済みだ。


「僕も少し前に出る。ジョゼット、貴方は僕たち全員が視界に入る位置を保ちながら、状況に目を光らせてくれ。妙な動きがあれば、とりあえず大声を出せ。そこから何を拾うかは、前で判断する」


「よかろう。行ってこい」


 僕は鞄をまさぐりながら、できるだけ竜を刺激しないような速度で、ベルの斜め後ろについた。竜はあからさまに警戒しながら、しゅうしゅうと息を漏らしている。


「ベル、君は耐え凌ぐのが仕事と考えていいか?」


 念のため、布陣の意図を確認しておく。

 ベルは竜から目を離さずに、小さく頷いた。


「はい。攻めはお二人に任せました」


「支援する。後ろにつくが、気にするな。自分の身は守るから、君からの援護も不要だ」


「ありがたいです。死なないでくださいね」


「まだ空の果てに行くつもりはない」


「何ですか、それ」


 表情は見えないが、頬の動きで彼女が笑ったのはわかった。


「うらぁぁあ!」


 ベルは雄叫びを上げつつ、剣と盾をぶつけてガンガンと音を鳴らした。

 様子を見ていた竜が、力を溜めるように姿勢を低くして、負けじと咆哮を上げた。喉の奥にちろちろと光る橙色の影。炎がくる。

 ベルは即座に横に跳び、僕も続いた。凶悪なまでの熱量が、先程まで僕たちがいた場所を焼く。赤熱した岩石の臭いが鼻をついた。


 竜は炎が外れたと見ると、今度は接近を試みた。短い足で地を蹴り、ベルの方に向かう。鈍重に見えて、なかなか速い。

 しかし、今の竜は前しか見ていない。


「ちょいさぁ!」


 アンリが側面から飛び込み、風を纏った長剣で竜の前足を狙った。竜の突進の勢いも生かした斬撃だ。僕がやれば剣を持った腕が粉砕しそうだが、風が手許への衝撃を緩和しているらしい。こういった応用には、実に頭が回る男である。

 しかし、それだけしても竜の外皮を突破するには至らない。竜の突進も止まらない。


 ベルは少しの距離を後退してから、横に走り出した。竜はそれを追うように、身体をくねらせて旋回する。

 良い体勢だ。僕は左手に忍ばせていた小瓶を、竜の外脚側の地面に投げつけた。

 小瓶が割れた瞬間、竜が踏ん張っていた地面がぬかるみに変わった。足を取られた竜は、旋回していたこともあって、大きくバランスを崩す。転倒して、腹が露になった。


「おおぉっ!」


 一気に距離を詰めたガストンが、渾身の力で竜の腹に長剣を突き立てる。硬質な音が響くが、刃は確かに入った。


 ガアアアァァッ!


 身をよじり、暴れる竜。ガストンは剣を握って離脱しようとしたが、すぐに手を離し、身一つで後ろに跳んだ。尾が掠めたものの、盾でいなしている。肩から着地したガストンは、すぐに転がりながら身を起こした。


「マルクの旦那、狙い目はあるんか」


 ガストンの猛撃の間に、アンリが僕のところに移動してきて尋ねた。


「目は刃が通ったし、腹も効いたっぽいけどよ。まだまだピンピンしてる。ちょっと致命傷のイメージが湧かんぜ、これは」


「首を落とせないか?」


「冗談きついなぁ、旦那ぁ」


 確認したことはないが、竜に心臓のような重要な器官があるかどうかは怪しい。分け身であれば尚更だ。


 竜の分け身は、生き物というより現象に近い。高濃度のマナが岩を纏って動いているような状態なのだ。生物のように振る舞う以上、ある程度は肉体に縛られているはずだが、中身の損傷がどれほど活動に影響を与えるかはわからない。

 四肢を奪って首を落とせば、物理的に無力化できるとは思うが、ここまでの戦闘を見る限り、それはかなり難易度が高い。


「マルク! アンリ! おかしな音がしておるぞ!」


 僕らとて目を放していたわけではないが、ジョゼットの警告に、改めて竜の様子に目を向ける。起き上がった竜は身を震わせながら、ごぼごぼと妙な音を漏らしていた。


「こっちだ、こらぁ!」


 ベルが竜の注意を引くべく、再び盾と剣で音を鳴らす。

しかし、竜の視線が動かない。ベルは竜の横から接近し、その横面に盾を叩きつけた。


「ベル、下がれ!」


 竜の目が、ぎょろりとベルを捉えた。同時に、喉の異音の正体に見当がつく。

ベルが距離を離そうと地面を蹴るのと、竜が口から紫色の液体を吐き出すのは、ほぼ同時だった。


「アンリ、距離を保ちながら気を引いてくれ」


「うい、りょーかい」


「ガストン! しばらくあいつに近づくな!」


 僕はローブの襟元で鼻と口を覆い、ベルの方に走った。

 ベルは素早く竜から離れていたが、次第にふらつき、僕が傍に寄った時には、尻餅をついて倒れこんでいた。


「これを噛め、少し楽になる」


 鞄から取り出した葉を、青白い顔をしたベルの口に突っ込む。ベルは素直にそれを受け入れ、むぐむぐと咀嚼した。


「あれは毒液だ。飛沫がついたか、揮発したものでもこの効力なのか……」


「……助かります。うう、きもちわる……」


 爪に毒があることは伝えていたが、口から吐き出すことがあるというのは、僕も知らなかった。ベルが炎に耐性を持つからといって、安易に正面に置くべきではなかったか。

 僕はベルを引きずるようにして、アンリが竜を誘導する方向とは逆側に移動した。


「カムフラージュする。効くかはわからんが、気休めにはなるだろう」


 鞄から、以前にも使った石に変性する豆を取り出した。

 今回は黒曜石の杖で成長を促進することはしない。育ち過ぎれば、それはそれで目立ってしまう。


「ああ、でも結構楽になってきました。あの葉っぱ、凄いですね」


「動けるようになっても、無理はするなよ。……ジョゼットも、ちゃんと我慢していることだしな」


 ベルが倒れたら血相を変えて飛び込んでくるかと思ったが、ジョゼットは竜の戦闘の監視に徹していた。ちらちらとこちらを気にしている様子はあるが、まあ自制している方だろう。


「わかりました。……あ、そうだマルクさん。これをガストン様に」


 ベルが、自分の長剣を抜いて僕に渡す。

 ガストンはアンリから長剣を借りたようだが、代わりにアンリが短剣一つの状態となっている。しかも、ガストンはアンリのように鞘走りで風を起こす技術を習得していない。

 今は距離を保っているだけなので問題はないが、これでは攻勢に転じるのは難しいだろう。アンリについては、守勢に回るのも危険である。


「君が丸腰になるが、いいのか?」


「大丈夫です。動けるようになったらジョゼット様を呼びつけて、あのやたら高そうな剣を貸してもらいますよ」


「それはいい」


 僕はベルから長剣を受け取った。思ったより重い。僕は杖をベルトのホルダーに刺すと、両手で剣を持ち直した。


「ガストン!」


 機を見て声をかけ、長剣を掲げながら、ガストンの方に走る。ガストンはすぐに意図を察したらしく、持っていた剣をアンリの方向に投げつつ、こちらに駆け寄って来た。


「くぉら、大事に使えー!」


 アンリが喚いているが、ガストンの投擲は正確なもので、無事にキャッチはしていた。


「ベルからだ」


「助かる。奴は大丈夫なのか?」


「解毒のために拵えた葉を噛ませた。直撃したわけではないし、じきに回復するだろう」


「わかった。世話をかけるな」


 ガストンは言い残し、改めて竜の方へ向かった。

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