第4話 竜気憑き

 遅いな、というガストンの呟きに、僕は顔を上げた。


 ジョゼットとベルのことだ。そういえば、なかなか戻ってこない。

 ベルがついているなら、あまり遠くに行かないだろう。そう思っていたが、ジョゼットの猛進ぶりについては先ほど聞いたばかりである。料理の仕込みを始めていたアンリを残し、僕とガストンは連れ立って捜索に出かけた。


 程なくして道が二又に分かれている場所に辿り着き、僕たちは顔を見合わせる。


「竜洞には分岐もあるのか」


「いや、片方は天然ものだな。ヒカリゴケがほとんど生えていない。竜が掘り進んでいるときに、ぶつかったんだろう」


 こちらは道が暗いので、簡易な照明を持つ僕が担当することにした。ガストンには竜洞の本道を当たってもらう。あまり進みすぎないように伝えると、「おまえもな」と返された。


 僕は、呪紋で処理したヒカリゴケの胞子を撒きながら、黒曜石の杖で成長を促進させ、明かりの代わりにして進んだ。何やら水の匂いがする。竜洞は基本的に乾燥しているので、湿りけの変化はわかりやすい。


 その原因はすぐに判明した。

 急に道が開けたかと思うと、巨大な地底湖が広がっていたのだ。


「……『竜の腹』にこんなところがあったとは、知らなかったな」


 誰にともなく呟きつつ、ゆっくりと辺りを見回す。少し離れたところに、小さな明かりが見えた。ベルが持っていたランプの光だ。どうやらこちらの道で当たりらしい。

 僕は小走りでランプの方へと向かい、大きめに声を張った。


「おい、二人とも! 探検したいのはわかるが、一言断って……」


「ひゃっ……!」


 ベルの裏返った声を聞いて、僕は急停止のちに急転回する。

 迂闊だった。単純に、珍しいものを見つけて、周囲を歩き回っているだけだと思っていた。

 ランプの光が動かない時点で察するべきだった。


 二人は水浴びをしていたのだ。


「……すまない」


 埃っぽい洞窟歩きだ。身体を洗いたくなる気分はよくわかる。

 幸い、ジョゼットの姿は見えなかった。ちょうど陰になる場所にいたのかもしれない。王女の水浴びなんぞを見た日には、打ち首を覚悟する必要すらある。


 しかし、だ。

 どうやらそれよりも深刻なものを見てしまったらしい。とっさに背を向けたが、目に焼き付いてしまった。


「……こちらこそ、すみません。見苦しいものを見せてしまいました」


 僕が駆け寄ったとき、ベルはこちらに背を向けていた。


 その背中一面が、赤黒く生々しい火傷の痕で覆われていたのだ。

 背中だけではない。右腕も酷いものだった。むしろ、健常な皮膚がほとんど見えなかった。


(そうか……なんとなく、繋がった気がする)


 背後の水音を聞きながら、僕は酒盛りで彼女と話したことを思い出す。

 竜の炎をも寄せ付けない、強力な耐火能力。生きているのが不思議なほどの、尋常ではない火傷の痕。そして、竜に故郷を焼かれたという過去。


 衣服を身にまとい、鎧を抱えたベルが僕の隣にやってきた。ちらとその表情を窺う拍子に、胸元が垣間見えた。鎖骨のすぐ下まで、赤黒く変色していた。


「……それは、竜の炎に焼かれた痕だな」


「はい」


「炎を寄せ付けなくなったのは、その火傷を負ってからだろう」


「その通りです」


 淡々と答えるベルに、僕は自分の推測が外れていないことを確信する。


「『竜気憑き』か……」


「ふふ……そんな風に呼ばれると、なんだか英雄譚の主人公みたい」


 明朗快活なベルにそぐわない、儚げな笑みが浮かぶ。

 返す言葉を見つけられず、黙ったまま彼女を見つめていた僕は、不意に後ろから頭を叩かれてつんのめった。


「阿呆が。男なら気の利いた言葉の一つや二つかけてみせろ」


 いつの間にやら、呆れ顔のジョゼットが佇んでいた。僕は「すまない」と繰り返し、今度は彼女に蹴られた。


「ええい、女々しい奴め。ほれ、どうせ私を捜しに来たんだろう。さっさと戻るぞ」


 ジョゼットに促され、僕はよろよろと立ち上がる。

 ベルは首元まで衣服を整え、手袋もはめた、普段の格好に戻っていた。


「そうですね。この話は、落ち着いてからにしましょう」


 そう言って歩き出したベルの表情には、朗らかさが戻っていた。ジョゼットの調子に当てられたのだろうか。まあ、元気を出してくれるに越したことはないのだが。

 考えていると再びジョゼットに蹴りを入れられたので、僕は慌ててベルの後を追いかけることとなった。



* * *



「んー、これは意外と……筋張ってますけど、なかなか味に深みが……」


「貴様はまた適当なことを……素直に生臭いと言えばよかろう」


「いやいや! きっとこれが獣肉の良さってやつなんです! そうでしょ?」


「竜洞ウサギの肉はクサイから、村の連中もあんまり食うためには獲らんのだよね~」


「あれぇ……?」


 気を遣っただろうに、その相手からにべもなく切り捨てられるベル。その姿には哀愁を覚える。アンリにこういった機微を求めてはいけないのだ。

 ちなみに、アンリの下拵えは悪くなかった。香草と共に煮込んだとはいえ、生臭い程度で済んでいるのはそのためだ。これくらいなら、肉の個性として楽しめなくもない。


「麦酒が欲しくなるな」


 咀嚼していた肉を飲み込んでから、ガストンがそんな言葉を零す。


「……作ってみるか」


「できるんですか!?」


 素っ頓狂な声を上げるのは、もちろんベルである。


「呪紋でリンゴ酒を作ってみたことはある。リリおばさんに仕組みを聞いて……」


「でも、麦酒と果実酒ってかなり製法が違うらしいですよ。いや、リンゴならできるってのもすごいですけど……」


「いや、いい。言ってみただけだ。さすがにこの状況で酒は飲めん」


「貴様は律儀よな、ガストン。任務中の酒なぞ、言わんだけで皆やっておるぞ。なあ、ベル」


「ええ!? いや、私は……お店でもお酒って書いてない、弱いやつだから……」


 あわあわと手を振るベルの姿に、ジョゼットが大笑する。

 その和やかな空気に、こっそりと胸を撫で下ろしている自分がいた。


「まあ、貴様の場合は酔いつぶれて男に連れ込まれでもしたら騒ぎになるからな。自制しておくことだ」


「うう……そういう蒸し返し方は意地が悪いです……」


 ジョゼットの方も、あまり暗い雰囲気で話を進めたくないという思いがあったのかもしれない。腹も満たされて明るくなってきたところを見計らって、彼女はベルに水を向けた。


 アンリは何のことだか見当もつかないようで、きょとんとしていた。当然だ。僕だって、完全防備のベルしか見ていなかったら気付かなかった。

 一方で、ガストンは心当たりがあったらしい。眉根を寄せた複雑な表情で、手元のウサギの骨に目を落としていた。


「……まあ、そうですね。後で話すって言っちゃいましたし」


 ベルは決心したように頷くと、食事中もそのままだった右手の手袋を外した。


「うわぁ……こりゃあ……」


 手の甲から五指に走る赤黒い火傷痕に、さしものアンリも顔を曇らせる。改めて見たその生々しさに、僕も直視を避けたい気分になっていた。


「……背中側は、ほとんどがこうです。右半身は前も真っ赤。首から上が無事なのは奇跡ですね、ほんと」


「いや、そんな負傷で生きてる方が奇跡っていうか……ああ、そういうことかぁ。マルクの旦那がしょぼくれて帰ってきたのは……」


 アンリはどこか納得のいったような顔で、ベルと僕を見比べた。


「ああ。ベルは『竜気憑き』だよ」


 『竜気憑き』――それは、寝物語の冒険譚で、たまさかに登場する存在である。実在を認められ、正式にそう呼ばれているわけではない。一般的には、おとぎ話の中の存在だ。

 竜によって殺されたはずの人間が蘇生を果たした時、その者を『竜気憑き』という。何をもって蘇生するかについては、作品によってまちまちなので詳細は不明である。個人的な推論はあるが、それはひとまず置いておこう。


 蘇生した『竜気憑き』は、特異な能力を発現するのがおきまりの展開だ。それは岩をも割る剛力であったり、動物との会話術であったり、冷気を意のままに操ったりと、バリエーションは多岐に渡る。そういった能力を活用して、最後は『竜気憑き』となるきっかけになった竜を討伐する――ヴォルド王国の創作における竜殺しの英雄譚は、この手のものが多い。


 そして、こういった物語というのは、えてして実際の出来事をベースにしているものだ。


 ヴォルド王国で竜が打ち倒されたという記録はない。しかし、竜の蹂躙から生き延びた人間が不思議な力を手にしたという例自体は存在しているのである。

 現に今、目の前に座るベルがそうだ。


「私の故郷は、火の竜ラーヴァの襲撃を受けました。私はその時に焼け出された孤児なんです。この火傷はその時のもの。そしてそれ以来、いくら火で炙っても衣服すら燃えなくなりました」


 熱いことは熱いんですけどね、とベルは苦笑して見せる。

 この耐火能力は、まさしく『竜気憑き』としての特性だ。恐らく彼女の死の間際、竜が放出する火のマナが大量に入り込み、生命活動を疑似的に再開させたのだろう。

 そして恐らく、その竜に由来するマナが、炎を弾く鎧の正体だ。


「……差支えなければ、でいいんだが。もう少し事情を聞かせてもらってもいいか。その後は、一体どうやって生き延びたんだ?」


 あまり語りたくないことかもしれない。しかしここまで聞いたなら、できるだけ事情を把握しておきたいという思いがあった。


 彼女は自分を孤児だといっていた。年端もいかない時期に村が丸ごと焼かれたとあっては、たとえ一人生き残ったとして、その後の生活は絶望的だ。

 しかしベルは、今では立派な王女のお傍付きである。

 ジョゼットがベルを拾ったにしても、二人の年齢はやや離れている。ベルが孤児となったのが十代前半としても、その時のジョゼットの年齢は一桁だろう。ベルの村の襲撃と、二人の出会いの間には時間差があるはずだ。


「私の生まれは、ヴォルド領の南の方にありました。広い草原に面した、温暖な地域でしたが……今は次第に砂漠に呑まれていると聞きます。村を襲ったのは、さっきも言いましたが……火の竜ラーヴァです」


 火の竜は、気性が荒い上に活発な竜だ。単純な被害を数えれば、他の四頭のものを合計してもなお足りない。それだけ、人間に敵対的な脅威である。


「竜が現れたのは、本当に突然でしたので……正直なところ、その時のことはあまり覚えていません。ただ、熱くて、痛くて、喉が渇いて……気がついたときには、私は揺れる馬車の中で寝かされていました」


 それは、村に出入りしていた旅芸人一座の馬車だったという。

 竜の襲来のことなど知らずにやって来て、壊滅した村を前に当惑していたところ、ふらふら彷徨う彼女を見つけ、保護したのだそうだ。


「意識があったかどうかもわかりませんが、よく歩く力が残っていたものです。座長さんも、私の身体の有様を見て、信じられないと言っていました」


 これほどの大火傷を負えば、人間は普通動くことができない。座長とやらはさぞ仰天したことだろう。そもそも死からの蘇生を果たしているはずなので、今更それをどうこう言っても仕方ないのだが。


「帰る場所を失った私ですが、ありがたいことに、一座に置いてもらえることになりました。幸い私は元々身のこなしに自信がありましたし、この体質も自覚してからは役に立ちました。火を扱った芸は、派手で人気がありますからね」


 代わりに危険も大きい演目だが、ベルは火による負傷の心配がない。それはそれで重用されたことだろう。顔にまで火傷があれば客商売に支障は出ようが、不幸中の幸いというか、首から上に目立った火傷痕はない。


 そして、日々の糧以外の事情についても合点がいったことがあった。彼女の安定した体幹と俊敏な動きは、この時期に育まれたのだろう。


「そうやって、五年ほどは一座に身を寄せていたでしょうか。王都での興行の折に、ジョゼット様とお会いしました。後から知ったのですが、ジョゼット様はお忍びでご覧になっていたそうで」


「そこでスカウトされたわけか」


「まあ、有体に言えば。拉致に近かったですけど」


 ジョゼットの方を見ると、彼女は悪びれもせず、煮えた香草を食んでいる。

 一方で、隣に座るガストンが、居心地悪そうに目を逸らした。なるほど。ジョゼットがけしかけたのはガストンか。


「しかしまた、旅芸人を引き抜くとは、どういう魂胆だったんだ? それほどベルの動きが良かったのか?」


「いや。竜がなんとかと言うから、気になってな。手下にしようと思ったのだ」


 ガストンは身のこなしに惚れておったがな、と付け加えるジョゼット。

 彼女の言っている意味がよくわからず、僕はベルの方を見て首を傾げる。

 すると彼女は、歯切れの悪い調子でそれに答えた。


「ほら……前口上ってあるじゃないですか。『厳寒の大地が生んだ驚異の野性児!』とか、『王都の裏路地から這い上がった執念の天才!』とか……まあそういう。ショーですからね。やるんですよ」


「……それはわかる」


「それが私の場合、『竜の炎も恐れた奇跡の女!』って感じで紹介されてて……あの、火を扱ってたんで、ハッタリが効いてていいねってことで……そしたら、当時から竜に興味津々だったジョゼット様は、もう居ても立ってもいられなくなったみたいで……」


 そして拉致したわけだ。物騒すぎる。


「それでよく首を縦に振ったな」


「もちろん最初は断りましたよ。絶対危ないお姫様だと思いましたからね。それに、一座の皆さんには恩があります。抜ける気はさらさらありませんでした」


 それが正常な反応だ。この理不尽がまかり通ると思っているジョゼットがおかしい。


「意外なことに、ジョゼット様はそこで一度引き下がりました」


「信じられん」


 ジョゼットが投げたウサギの骨が、僕の頭にこつんとぶつかった。


「その代わり、というのも変ですけど、ジョゼット様は竜の話を聞きたいと仰いました。竜の炎云々は本当なのか、竜と遭遇したことがあるのか、何でもいいから知っていることはないか。すごい勢いで尋ねられて、面食らったのを覚えています」


 ジョゼットにとっての主目的はそっちだったのだろうが、当時のベルはそんな事情を知る由もない。兵士としてのスカウトかと思っていたのだから、当惑するに決まっている。


「実際のところ、私は何を話せばいいのかわかりませんでした。そもそも、竜のことをあまり覚えていませんでしたからね」


 そしたら、と言葉を繋ぐベルの顔がほころぶ。


「先に、ジョゼット様が話し出したんです。竜による被害のこと、民のこと、国のこと、そして、竜を討伐するという途方もない野望……ジョゼット様、まだこーんなに小さかったのに。大真面目にそんなことを話すんですよ。真っ直ぐに、キラキラした眼で……」


 暗い影のように付きまとってきた存在を、きっと倒すのだと豪語する少女の姿。それは、ベル自身思いもよらない、救いだったのだという。


「……気付いたら、それに応えるように、私も自分のことを話していました。竜に襲われた時のことだけじゃないです。この身体の事も、失われた故郷のことも、一座での暮らしのことも……関係あることもないことも、断片的なものも曖昧なものも、全部。何故か……この人はそれを受け止めてくれると思ったんです」


 僕の想像になるが、一座の仲間は、ベルの過去の話題を避けていたわけではないだろう。そうでなければ、先程の前口上は出てこない。過ぎたものとして、面白おかしい話題の一つとして塗りつぶしにかかった。それはそれで一つの優しさである。


 ただ、あの炎の中で感じた果てのない恐怖も、故郷の美しい夕焼けをもう見ることができないという寂しさも、ベルは胸の内に凍らせておくしかなかった。

 その全てを、吐き出すことができた。ベルは、それだけの器を小さな暴君の中に見たのだ。


「まあ、そういった顛末なんです。その程度のことなんですが……私は不覚にも、ジョゼット様に自分を捧げたいと思ってしまいました」


 冗談めかしているが、このやり取りがベルにとって転機だったことは疑いようがない。言葉通り、ベルはジョゼットに全力で仕えてきたのだ。


 その思いの熱は、今もまったく冷めていないのだろう。

 かつて自分の世界を丸ごと焼き払った竜の炎に、ためらいなく身を晒すほど――ベルは今でも、ジョゼットを大切にしているのだから。


「あの、私からもいいでしょうか」


 得意げなジョゼットを眺めながら、少しは評価を改めてもいいかなと考えていたところ、ベルが再び口を開いた。


「どうした?」


「えっと……間違っていたら申し訳ないんですが」


「構わない。言ってくれ」


「マルクさんも、その、『竜気憑き』だったりするのでしょうか」


 ほう、とジョゼットが息を漏らす。

 なるほど、そうなるか。


「いえ、そのですね。平均的な呪紋士の方がどんな感じか、あんまり知らないんですけど……素人目で見るとマルクさんの呪紋は結構とんでもないものに見えます。岩になる豆とか、水の湧く鍋もそうですけど……ほら、竜の炎を防いだ水のカーテンも、あれは呪紋で作ったんじゃないですか? そう考えると、マルクさんこそ『竜気憑き』の力を持ってそうだなって……」


「そういえば、呪紋士以前に竜の事情に精通し過ぎているな、貴様は。個人的な因縁でもあるのではないか?」


 ベルの言葉に、ジョゼットも同調する。

 適当に受け流せる雰囲気ではない。それに、隠し通す必要性もない。

 僕は素直に、二人の質問に答えることにした。


「……確かに、僕も『竜気憑き』だよ」


「やっぱり!」


 ベルの表情がパッと明るくなる。

 同じ境遇の人間に会ったのは初めてのはずだ。単純に、仲間がいたことが嬉しいのだろう。その気持ちはわからなくもない。


「あっ……すみません。マルクさんも、つらい記憶があるはずですよね。一度は竜に……その……殺されているわけですし……」


「気にしないでくれ。僕も当時のことをよく覚えているわけじゃない。それに僕の場合、一人で死んで、一人で蘇っただけの話だ」


 村を丸ごと焼かれるような悲惨なことはなかった。そこまでの経緯はどうあれ、状況としてはベルよりもずっとマシだ。

 それを話すと、ベルはほっとした顔で微笑んだ。


「それで、貴様はどんな異能を得たというのだ。地の竜にやられたのであれば……なんだ、岩に頭をぶつけても死なぬ……とか?」


「そんな局所的なものだったら、僕は一生それに気付かず暮らしていただろうな」


 からかっているとしか思えないジョゼットの推測を切り捨てる。

 しかし、実際のところ僕にできることは地味だ。結局何かしら冷やかされるんだろうな、と憂鬱になりながら、僕は彼女の質問に答えた。


「注視すれば、マナが見える」


「……それだけか?」


「それだけだ」


「つまらんなぁ」


 がっかりされた。笑われた方がまだ良かったかもしれない。

 本来不可視のものを観測できるわけだから、驚くべき能力ではある。しかし、それだけでは何の役にも立たない力だ。いや、天気予測くらいはできるだろうが、そういう程度のものである。


「……そうか。呪紋士にしても多芸に過ぎると思っていたが、おまえの呪紋は我流で作り上げたものなのか」


 そして察しがいいのはガストンである。

 彼の発言にベルは首を傾げ、ジョゼットは「ほう」と感心したように頷いた。


「え、ジョゼット様はどういうことかわかるんですか」


「よくはわからん。だが、呪紋はマナの変換器なのだろう。新しいものを開発するのであれば、見えた方がやりやすいのは当然だ」


「う……ん? そう言われたらそうかも?」


 ベルの理解はぼんやりしているようだが、ジョゼットの言葉は正しい。


 呪紋は廃れ気味な文化ではあるが、一応学問としての体を成している。

 例えば、入力のマナは描く薬品で決まり、出力のマナは呪紋の形状で決まるというのが、呪紋の基本の一つである。一般に流通する材料での薬品の調合や、呪紋の基礎形状については、辺境ならば書物として残っているところもあるだろう。もっとも、望んだ性能を発揮させるには、かなりの努力を必要とする。


 呪紋は、僅かでも形状が変われば予想外の反応を起こす。作ろうとした水が蒸気になったり氷になったり、場合によっては墨が出てくることだってある。数段飛ばして炎を噴くことすらあり得る。呪紋の開発は、本来非常に危険な行為なのだ。


 しかし僕は、現象を起こす前段階であるマナの挙動が見える。既知の呪紋の出来栄えを正確に把握できるのはもちろん、新しいものを作る際のリスクが大きく下がる。極端な話、試したら大爆発した、などという危険は一切を排除できるのだ。


 そういうわけで、自分で勝手に試しては実用しているのが、僕の呪紋だ。はじめはもちろん基礎を当たったが、大部分はガストンの言うとおり我流である。


「そういうわけで、まあ重宝はしている」


「なるほどな。殺されておきながら、竜に対して敵意が薄い理由も察しがついた」


「そうか。わかってくれたなら、さっさと討伐を諦めて帰ろう」


 ジョゼットが面白くなさそうに鼻を鳴らす。

 そんな彼女の様子に、ベルが苦笑気味に声をかける。


「やっぱり、ジョゼット様が言っていた通りですね」


「なに?」


「マルクを飼いたいが、竜について何か譲歩しないと難しいかもしれん……って言ってたじゃないですかあ痛ぁ!」


 ベルの眉間に、ジョゼットが投げたウサギの骨が直撃する。

 ジョゼットは赤い顔で僕を睨みつけた後、フンとそっぽを向いた。


「……寝る。見張りを回すなら、その時起こせ」


 ジョゼットはそのまま焚火に背を向けると、数歩離れたところでマントにくるまって寝転がった。


「あれでジョゼット様は、結構マルクさんを気に入っているんですよ」


「……意外だ」


 僕の隣にやってきて、ひそひそと耳打ちするベルは楽しげだ。僕も悪い気はしない。


 それにしても、概ねガストンの絵図通りになってきた。

 そっとガストンの方を見ると、彼は下手くそなウインクで応じた。くそう、案外愛嬌があるじゃないか。

 しかし、そんなことに言及するのも嫌だったので、僕は丸まったジョゼットの方を指し示して尋ねた。


「お姫様が、あんなので寝られるのか?」


「ジョゼット様は、それなりに旅慣れている。気にする必要はない」


「それよりも、アンリさんがさっきから焚火に倒れこみそうになっているんですが……」


 ベルに言われて、そういえばお調子者がやたら静かだったことに気付く。茶々を入れてこないと思ったら、食べながら寝ていたらしい。

 真面目な話をしていてもお構いなしである。いや、むしろ真面目な話だから寝たのか。

 僕はアンリを引き倒すように、焚火と逆側に横たえた。


「見張りは私たちで回しましょうか」


「そうだな。ベル、眠くなったら起こせ」


「またガストン様は……真ん中はきついんですから、私がやりますって。マルクさん、最初と最後どちらがいいですか?」


「なら、最後にさせてもらうかな……。ガストン、こいつに火をつけておいてくれ。一時間ごとに火の色が変わり、七時間で燃え尽きる。交代の目安だ」


「そんなものまであるのか……。わかった、使わせてもらう」


 ガストンに渡したのは、時報せの木棒だ。何せ、洞窟の中である。星も太陽も見えやしない。


 僕は、ガストンが木棒に火をつけたのを確認してから、ローブにくるまって眼を閉じた。

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