第3話 竜洞(1)

「そろそろ休みましょう。マルクさんが限界です」


「ふぅ……ふぅ……まあ、仕方あるまい」


「……面目ない」


 ベルの言葉に緊張の糸が切れ、僕は尻もちをつくように座り込んだ。僕のペースに合わせていたからか、ジョゼットを除く残り三人は、ろくに息を上げてもいない。


「そんな顔をするな。撤退の一番の功労者が貴様だということは、皆理解している。不得手の一つも見せてくれなければ、こちらの立つ瀬がない」


「……どうも」


 意外にも、擁護の言葉をかけたのはガストンだった。頑固で気難しい男だと思っていたが、義理には厚いようである。はじめの撤退劇で速やかに同調してくれたことといい、案外柔軟な思考の持ち主なのかもしれない。


「どれくらい離したでしょうか。竜自身は、あまり素早い動きはしていなかったように思いますが」


「それに、あの豆で作った壁は嫌々抜けようとしている様子だった。尾でも何でもぶつければ突破できるだろうに、爪で恐る恐る削っていたな。短くない時間が稼げたはずだ」


「まあ、しばらくは大丈夫と信じるしかないにゃあ」


 アンリが僕の隣に腰を下ろし、んーっと伸びをした。それに倣うように、ジョゼットとベルも、手近な岩片を椅子代わりにする。ガストンは、岩壁に背を預けるに留めていた。


「ところでマルクよ。この穴、竜洞といったか。どれくらいの長さがあるものなのだ?」


「ものによるな。短いものなら半日もかからず抜けられるが、長いものだと三日以上歩いても穴の中って場合もある」


「そうなると、食料の方が心配になってくるな。それから飲み水か」


「一度、荷物を開いて共有するべきかもしれませんね」


 背負っていた大きな革袋、腰に下げていた小さな物入れ、そして甲冑の中に収納していたらしい小物を、ベルがポイポイ取り出していく。ガストンが頷いて背嚢を下ろし、僕も自分の鞄を開いた。ジョゼットとアンリは手ぶらだった。


「大荷物を戦闘中に捨ててしまったのが堪えるな」


「仕方がないさ。とっさに拾う判断ができたベルが出来すぎだ」


「それにしてもマルクさんの荷物、なんだか訳がわからないものばっかりですね……」


 ガストンとベルの荷物は、食料品や鍋、縄・布・衣類等がほとんどだ。普通の旅道具である。対して、僕の鞄は目いっぱい呪紋具と製作器具を詰め込んできているので、なるほど異常に見えるだろう。無数の絵筆とか、色鮮やかな溶液とか、怪しげな粉末とか小瓶とか――憲兵の取り調べを受けたら無実の罪を被せられそうだ。


 もちろん、ふざけて持ってきたわけではない。どれも大事な仕事道具である。


「そういえば、旅の供に呪紋士がいると楽ができると聞いたことがあるな。昔組んだ傭兵が、泥水を澄んだ飲み水に変える器を持っている奴を連れていた」


 ガストンが僕の荷物を眺めながらそんなことを呟く。

 呪紋士が作る道具は、「魔法の武器」よりも「不思議な日用品」が多い。ガストンが言うような呪紋具を持っている者もいるだろう。


 もっとも、その男が呪紋士なのか、単に呪紋具を持っている一般人なのかは判然としないが。


「おっと。北方一の呪紋師マルクの旦那は、そんなしょぼくれた道具は作らねえぜ」


「……おい」


 調子に乗るアンリの頭を軽く小突く。そんな大それた肩書を自称した覚えはない。ジョゼットが勝手に言っているだけだ。

 しかし、ベルが純粋に興味の眼差しを向けてくる。こちらが委縮するほどに無垢な瞳だ。


 僕は少し迷って、小ぶりな手鍋を選んで差し出した。


「これは? マルクさんの荷物の中では、珍しく普通のものに見えますが」


「火にくべてみるといい。水ができる」


「できる? できるってどういう……」


 怪訝な顔をするベルに、それをアンリの方に向けるよう促す。それを見たアンリは、心得たとばかりに、短剣を抜いて炎を灯した。彼はそのまま何も入っていない手鍋を炙り始める。


「あのぉ、これは……」


「ほらほら、来た来たぁ!」


 鍋の底がぽこぽこと泡立ったかと思うと、みるみるうちに水が湧き始める。目を丸くするベルの前で鍋に水が満ちるまで、十数秒とかからなかった。


「え? えぇ!? なんっ、どういう仕組みですかこれ!」


「別に驚くこともなかろう。王都の魔術師共も、むにゃむにゃ唱えるだけで水くらい出す」


「うーん、そうなんですけど……これはちょっと、また別ものといいますか……」


 はしゃぎぶりに水を差され、ベルがもにょもにょと口ごもる。相変わらず、意地の悪いことをする女である。


「と、言うよりだ。この際聞くが、呪紋とは何なのだ。魔術と何が違う」


「おい、そこからか」


「そうは言うがな、ベルやガストンとて説明できるほど精通しているわけではなかろう。王都ではあまり見かけんのだ、呪紋士というやつは」


 ジョゼットの発言に、バツが悪そうに眼を逸らすベル。ガストンは何か言おうと口を開きかけたが、主を立たせるためか、そのまま無言を通した。

 確かに呪紋を扱う人間は少ない。辺境にはいるようだが、王都は魔術師の勢力が圧倒的で、ほとんど呪紋士がいない。王族の教養としては知っていてほしい気がしたが、この王女のことだ。興味のないことは右から左に聞き流していそうである。


 今のところ、竜が追い付いてくる気配はない。少しくらい雑談を挟んでもいいだろう。その間は休めるし。

 僕はアンリから手鍋を受け取り、裏に刻まれた呪紋が見えるように掲げた。


「まず前提として、魔術というのはある種の技能のことを指す。真言、舞踊、魔法陣……何を介するかは流派によるが、何らかの方法で大気中のマナを集めて現象と成す。火を起こしたり、水を湧かせたり、といったようにな。マナはわかる……んだったか?」


「実体を持たない力の源……でしたっけ。万物の最小単位、なんて話も聞いたことがあります」


 今回はベルが返答する。ジョゼットよりは、正しい捉え方だった。


「僕は後者だと思っているが、まあそれはこの際どちらでもいい。要は、そのままでは使えないエネルギーの粒が、元々この世界には溢れているということだな。マナが一定の濃度を超えると、現象として僕たちの目に見えるようになる。このマナの濃度の操作、特定のマナの結集を行う技術体系のことを、魔術という」


 ふむふむと頷くベルと、「それはわかる」と無碍にするジョゼット。教えろと言ってきたのはあんただろうと言いたいところだが、話が進まないので口には出さないでおく。


「対して呪紋は、主に変換器としての性格が強い。大気中のマナ、そしてマナによって発生する現象そのものを変換する」


「変換、ですか?」


「さっきの鍋であれば、火にくべることで水を生んだだろう。乱暴な言い方になるが、この紋様を通すことで、火のマナを水のマナに変換したんだ」


 鍋の裏側に描かれた、流線形の赤い紋様を指し示し、僕は言葉を続ける。


「呪紋の利点は、一度施せば誰でも使えるということだ。使用者に関係なく、入力に対する出力が決まっている。故に呪紋というのは、紋様を描く技能ではなく、記された紋様それ自体を指す」


「魔術はマナを結集させるワザ、呪紋はマナを変換するモノ、というわけか」


 この端的なまとめ方を聞くに、やはりガストンは一定の知識を持っていたらしい。僕の説明に首をかしげていたベルも、彼の表現に「なるほど!」と納得したようだった。

 ジョゼットの方はというと、こめかみに指を立てて考え込んでいたが、しばらくしてから怪訝そうな顔で口を開いた。


「素人目で見た時の話になるが、魔術は何もないところからものを出すな。実際は周りに散らばっているマナを使うわけだが、普通の人間にそれは知覚できん」


「そうだな。魔術が学問というより神秘として扱われる由縁だ」


「一方で、呪紋は変換だと貴様は言った。火を水に変える、植物を石に変える……アンリの剣は何だろうな。抜刀の風か?」


「あれは金属粉だ。鞘に細工がしてある」


 風は呪紋起動の入力として使いづらい。暴発のリスクが高いのだ。

 僕の回答に、ジョゼットは少し考えてから、くるくると人差し指を回した。


「この場に散乱しているマナを、魔術のように使うことはできんのか? 素人目で見た、無から有への変換だ」


「できなくはないが、得意でもない。いや、正確に言うなら、変換はできるが結局知覚できない。呪紋には、魔術のようにマナを結集する効果はないんだ」


 変換の過程でマナを増加させることはできる。現象を為すまでマナを増やし続けるというのは可能であるが、それは長期的な話だ。竜による環境変化の極小版とでも言おうか。


「ふむ……地味だな」


「ジョゼット様!」


 少しは歯に衣を着せてほしいものだが、彼女の感想は真っ当なものだ。魔術が栄えて呪紋が廃れた理由の一因でもある。

 単純に、魔術の方が華があるのだ。


「しかも、魔術師は魔術師自身が評価されて持て囃される傾向にあるが、呪紋士はその辺りも不遇だからな……」


「どういうことですか?」


「一回呪紋を施してしまえば、その道具は誰でも使えるんだ。呪紋士が死のうと関係ない。それは呪紋の大きな強みでもあるんだが、生産者への評価は薄れてしまう」


 魔法の剣で竜を倒した英雄がいたとして、多くの人々が畏敬の念を抱くのは、英雄に対してである。それがいくら優れた名剣であったとしても、その制作者は、偉業とは遠い位置に置かれがちだ。

 一方で、魔術師であれば話は変わる。備えた技能と起こす結果が近い距離にあるので、魔術師本人が評価されやすい。


「侘しいものだ。まあ、呪紋が廃れているのはそれだけが理由じゃないが……」


「見かけによらず、貴様も苦労しておるのだな」


 どうにも腹の立つ気遣い方であるが、彼女の言動を正面から受け止めていると疲れてしまうのは理解してきた。

 僕は語調を変えず、あくまで補足といった体で続けた。


「言っておくが、僕は呪紋が魔術よりも有用だと思ったから、こっちの道に入ったんだ。変な同情は不要だよ」


 実際、手持ちの呪紋具の中には、今後の道中で役に立ちそうなものがいくつもある。ジョゼットには侮られているような気がするが、見返す機会もあるだろう。


 というより、なんで見返さなきゃいけないような立ち位置に見られているんだ。さっき助けてやったのに。

 なんだか理不尽なものを感じたが、深く考えると気が滅入りそうである。


 ぼくは話を切り上げると、鍋の水気を拭って鞄にしまいこんだ。


「そろそろ移動しよう。手持ちは大体把握した」


「それがいいだろねぇ。幸い、まだ足音は聞こえないけども」


 口を挟んでこないと思ったら、アンリは地面に耳を当てて、竜の追跡に対する警戒をしていたらしい。こういうところで抜け目ないのが、この男の頼りになるところである。


「狭い場所で待ち伏せすれば、首を獲れんだろうか」


「腰抜かしてたのをもう忘れたんだとしたら、大したもんだ。さっさと行くぞ」


 ジョゼットの妄言は早目に切り捨てておく。


 ベルとガストンが手早く荷物をまとめるのを確認し、僕たちは再び進み始めた。

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