月が私を指差している

椎名めぐみ

月が私を指差している

うちの犬はもうトロトロと歩き、骨も浮き出てきていて残された命として考えなければならないことは明らかだが、心残りのないようにさえしておけば、まぁそう嘆き悲しむほどのことにはならない。生まれた瞬間から分かりきっていたことだし、あの犬はこの世を恨んでいたわけでもない。よく分からないうちに生まれて来、そう苦もなく、ゆっくりと元気が無くなっていくということ。世界をそのことの繰り返しに出来れば、おおよそ何を思い詰めることもない。幸せも歓喜もこの世には足りている。ゆっくりとでいいから何処かに進んでいくことを忘れさえしなければ、急ぐ必要はない。一緒に居たいと思ったときに、嫌になるまで一緒に居ること。悔いを残さないには、それだけでいい。


『未練』という理性の発明品は、是非とも生きているうちに楽しみ尽くしておきたいものだ。こんなことわざわざ言うのも馬鹿らしいが、やっぱり、小説は人生よりも奇だと思う。人生は、気が狂うほどではないけど、楽しむには少し単純すぎる。『期待』という未来への借金は、滞らないうちに返しておいた方がいい。努力なんてもってのほかだ。もし努力の鞭を自分に打ってしまえば、あなたは必ず見返りを求める。でも世界は、あなたの努力には無関心にそこにある。自分自身に褒美を与える計画性があなたにないのなら、あなたの努力は、報われない努力の無意味の蟻塚をこの世に一つ増やすだけのことに過ぎなくなってしまう。努力の見返りは、世界からは絶対に支払われない。見返りを求めない努力、それは俗に言う『夢中』というやつだ。


時折こういう人を見かける。あたり構わず未練をばら撒き、死ぬときの後悔を増幅させるためだけに生きている人を。そういう人が求める「劇的な死」には、私は付き合いきれない。言っておくべきなんだろうか? 「あなたが思っているほど、あなたの死を私は悲しみませんよ」と。人生に面白いものが溢れていることは、どうやっても否定出来ない。例えばインディーズゲームのthe coma2は名作だった。vtuberのエルフのえるのゲーム実況は他の実況者と一線を画していて全く退屈しない。家でつくる抹茶ラテはスターバックスのものより美味しく染み渡る。ゲームセンターで遊ぶダンスラッシュは膝を悪くするまでやめられない。映画館に行けば、たいてい一つか二つは気になるモノがある。ネットを開けば、どれだけ莫大な量の才能がひしめいていることか。これらをしらみつぶしに楽しんでいくんだから、死ぬ頃には未練を覚える体力もない。仮に私が今死ぬとして、どうゆう未練があるかというと、

①シン・エヴァンゲリオンを見てないこと

② Devespressoの新作を遊べないこと

とはいえ、人生は終わるのに、世界が続いていく不思議さは胸苦しいものにちがいない。自分の一語一句に、誰も反応してくれないということ。私の周りにはたくさんの人が居て、そんな経験はないから想像だけど、やはり分かりやすい絶望の形な気がする。でもそれはTwitterを始めれば消える程度の苦しみな気もする。ゲーム実況を見るとか。


何かの拍子に生まれてきた私が、死後、これまた何かの拍子にまた産まれてくるのは当たり前のことだ。人生が一度きりだという考えこそ、私には戸籍名という大流行の新興宗教でしかないようにみえる。問題はそんなことではなくて、自分自身に執着する楽しさとどう共存するかという点にある。何者かに成る喜び。これは人生においてもかなりハードコアな楽しみだけど、そうゆう成功体験を命と切り離して見る技術というのはほとんどの人が持っていない。私にもない。偶然居る今の人生を、当然の前提にしてしまっている。違う生き方というモノに対しては、ほんとうに程度の低い想像力しか持っていない。この世の経営者には決してなれない自分のフトコロの狭さ。どことなくこんなふうに人生について書いて、人生においての最大の厄介ごとを誤魔化している。自分が何者なのかを同定しようとしてくる強烈な矢印を、こうやってふらふらとかわしているのだ。このゴマカシはまだしばらく続く。



足が悪く目の見えない老婆が、心のうちに、何も分からないまま立ち尽くす少年になった自分を見いだす。そうゆう無責任を大切にしたい。

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