第27鬼 鬼《メイ》


 俺はポケットの小銃、頭幻響を鬼に向けた。向けた? 向けざるを得なかった? 向けてしまった? 俺が一体何をしたいのか分からなくなっている。


 唐突に、あの夕暮れの日の血の匂いが、血の味が、脳裏に蘇る。どうして、どうして、メイは海和を殺した? 溢れ出る感情が収まらない! 抑えようと思っても、抑えきれない! あんなに仲よくしていたのに……


 鬼になっている俺は、興奮しているのだろうか、体中が熱い、目の前の鬼を倒してしまわなければ収まりがつかない。そう直感した。


 許さない、俺たちが守ってきたんだ。俺たちの平穏を返してくれ! 俺たちはお前たちのせいで!


 あれほど愛していたはずだった鬼の方を見つめる。


「どうして……あたしに、それを向けているの……」


 困惑した表情の彼女、俺は今どんな顔をしているのだろうか。彼女が怖がっている、それが伝わってくる。


「こうするしか……ないからだ……」


 一語一語噛みしめる様に、重い口を開いた。諭すように、彼女に思いが伝わるように、ゆっくりと話した。


 俺は目の前の少女に銃口を向ける。俺の手は震えている。怖い? 嫌なのか? これは「本当」ではない? 分からない。でも、彼女に向けるしかないのだ。


 少女は悲しそうな目でただこちらを見つめるばかりだ。人と鬼とが分かり合えると目で訴えているようにも見える。彼女の頬からは涙が伝っているように見えた。


 だけど、それは幻想だ。彼女が泣くはずがない。彼女は俺を殺そうとしているんだ。


 彼女は鬼で、俺は人間だ。


 分かり合うことはできない。彼女には彼女の世界があり、正義があるだろう。俺にだって成さねばならない使命がある。目の前に転がる少女たち、名も知らぬ少女たちは、俺に一縷の希望を託して死んでいったに違いない。俺はその希望を背負って生きている。ここで根絶やしにしないと二度とチャンスはないかもしれない。


 でも……


 迷い、躊躇い。


 あれほど会いたかった、会いたいと願っていた彼女に再び会うことができて喜びを感じているこの気持ちだって「本当」だ。彼女のことを大切に思っていたことも事実だ。俺には、俺が、「本当」はどうしたかったのか……分からない。


 残された選択肢は引き金を引くことしかなかった。心の奥で「撃て」と命じられている気がした。何が善で何が悪なのか、分からない。


 こういう時、どうすれば良いんだろう。もう一度和解して、やり直して、全て水に流せば良かったのだろうか。


 それができたならば、それが可能だったならば、俺がこんなに苦しむことはなかっただろう。



――バン!



 少女の額に一発の弾丸が命中する。少女は避けようとすれば、簡単に避けられたはずだ。なのに、それをしなかった。


 彼女は殺されることが分かっていたのだろうか。


 殺されることを望んでいたのだろうか。


 今となっては分からない。


 少年は今までの過去を清算するように、静かに銃口を下ろした。目の前には少女だったものが、愛していた存在が、ただそこにあった。



「これで……よかったんだよな……」



 ふっと体から力が抜けてゆく。緊張して強張っていた筋肉が忽ち本来の動きを取り戻す。少年は後悔と安堵が混ぜこぜになった心でその場にへたり込んだ。途端に少年は今まで彼女と過ごした時間を、無意識に、乱雑に、想起する。思い出したくもないのに、もう忘れたいはずなのに、抑えようとしても溢れて満ちて、少年の心に隙間なく充溢する。




 俺の目から涙が伝っている。俺が悲しむ資格なんてないのに。彼女を殺さなきゃと思っていたはずなのに。どうして。



 いや、分かっている。これは……



 恋だ。


 俺は空から落ちてきた少女に、俺は恋をした。


 「本当」は好きだった。


 あの音新乃萌生が……


 あの無邪気で自由で気ままで一緒にいるとなぜか笑顔になれる、メイのことが……


 俺はどうすれば良いのか分からない。このまま自分も、死んでしまえたら楽になれるのに……


 メイのことを思い出す。


 空から突然落ちて来た少女、メイ。


 俺はただ、これからも一緒に隣で笑ってくれるだけで良かった。こんな言い方気持ち悪がられるかもしれないが、「本当」にそう思っていた。


 全て自分の都合のようにいかなかった。守りたいと思ったものを何一つ守ることができなかった。


少しくらい良い夢を見させてくれたって良いじゃないか。


ご褒美をくれたって良いじゃないか。


 これじゃ、今まで戦ってきた意味がない……


 俺の物語に意味はなかったのか。


 何一つ、俺の思い通りにいかなかった。これはきっと失敗した世界だ。きっと別の世界の俺はもっとうまくやってくれているだろう。一つの選択ミスで失敗する未来だってあるだろう。きっとこれはそんな人生だったんだろう。


 そう考えることにした。


 ただ一人、濁池ダムに佇む少年。赤在煉。全てが終わってもなお、とめどない涙のように浩々と水が流れ出ていた。



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