第28鬼 ――まだ、何も終わってないのにね。


 あれから蒼守市内に鬼が出ることはなくなった。


 まるで今までの体験は夢だったかのように、ぱったりと、きっぱりとなくなった。ファンタジーの世界から帰還し、現実と空想が明確に線引きされたような感覚。


 赤在 煉、十六歳、趣味読書、帰宅部。これでまた俺は、どこにでもいる平凡な高校生となった。


 鬼の犠牲となった人間は多数いるだろうが、俺たちがそれを認識することはできない。俺たちが手に入れた平穏はその名前も分からない英雄たちが戦ってくれたことで手に入れたものだ。


 桃太郎が村に平和を取り戻した後、ひっそりと消えてゆくように、俺もひっそりと誰にも見つかることなく一生を終えるのだろう。



 俺はやった、精一杯やり切った。



 こうやって後日談として、綺麗な締めとはいかないが振り返って、反省して、鑑みて、俺の冒険は幕引きだ。カーテンコールだってないし、スタッフロールだってない。粛々とただ俺だけが知っているこの世に住まう話だ。


 だが、ただ一人、それを許さない人間がいた。


 クラスで暇そうにしているのを見兼ねて、声を掛けてくる人間。ただ一人、俺が健闘し、奮闘していたことを知っている人間。


「赤在、お疲れ~」


 舞草羽凪だ。俺に鬼退治の代わりを依頼してきた人物。骨折したと言う足もすっかり完治したようで、病院で会った時よりも元気そうに見えた。


「どうだった? 鬼退治」


 舞草は嬉しそうに俺に笑顔を向ける。


「お前が思ってるほど良いものなんかじゃない……」


 財宝を持ち帰ることもなければ、一緒に戦った仲間さえも無事ではなかった。いわゆる、辛勝と言うやつだ。


「自分ができることなんて、たかがしれてる。何かをやってやったって思っても、それって周りから見たら大したことじゃなかったりする。どう? 自分がこの街を守ったって言う自覚ある? この世界を救ったヒーローになれた充足感みたいなの、ある?」


 ずけずけと舞草は言った。こいつは一体何が言いたいんだ。


「実際、俺がいなかったら……」


 言いかけた言葉に重ねて、舞草は言った。


「分かってるよ。赤在はよくやった。赤在のおかげでこの街に、『一時的』に平和が戻った。ほんとありがとね。いやあ、ほんと助かったよ」


 舞草は妙に嫌な言い回しで俺に話をしていた。


「『一時的』ってどう言う……」


「言葉の通り。まだ鬼はいるし、この人殺しは終わっていない。でもさ、赤在はさ、なんだかんだ終わらせたつもりでエピローグじみたものを語ってさ、適当に、良い感じに終わらせようとしている」


――まだ、何も終わってないのにね。


 まだ終わっていない? この戦いが? そんなはずはない。俺は確かに鬼が動かなくなっているのを確認した。現に鬼だってあれ以降出ていない。全て終わったのだと思っていた。


「ほら、やっぱり。恋した女の子と悲劇的にお別れしたくらいで、終わりだと思ってる。そんな自分に酔っている。これまで、自分の都合のいいように、自分の思った通りに物語は進まないことが分かっていたはずなのに。結局勘違いしちゃってる。おめでたいよね、ほんと。いい加減学習した方が良いよ。ハッピーエンドのお話みたいに綺麗な終わりを迎えるお話の方が少ないってことに」


 捲し立てるように、舞草は言った。まるで物語はこれで終わらないと言わんばかりに、まだ俺は戦わないといけないとでも言うように。


「俺はもう終わったんだ。俺は戦って、勝って、終わったんだ」


 確固とした自信が揺らぐ。物語に続きがあるって言うのか……


「赤在、まだ鬼になれる? なれるならまだ役目はあるってこと」


 そう言って、自身の首筋をトントンと指差しする舞草。


「噛めって言うのか……」


 あれ以来、吸血衝動は収まっていた。だからこそ、自分がまた鬼になれるのか分からなかった。


 心の中で鬼になれませんようにと願っていることに気づく。


 俺は普通の日常を取り戻したと思っていた。そう、思いたかった。


「さあ……どうぞ……」


 自分の運命さだめが、決められているような気がした。俺はいたって普通の人間だ。特別な血筋でもなければ、憤懣を持ち憎悪を抱く人間なんかでもない。こうやって冒険できたこと自体奇跡なんだ。


もう、終わっていいだろ。


もう、終わりでいいだろ。


 普通の人間には荷が重すぎる。そんなの勇者にでも任せておけばいい。また違う人間を探したっていいじゃないか。どうして俺なんだよ。もうこんな辛い思いはしたくない。思えば思うほど、俺自身まだ役目を終えていないと言う思いが募ってくるのを感じた。


 舞草の綺麗な柔肌を見て、あの時の情動が蘇った。


――カプリ。


 ツーっと勢いよく血を吸う。メイの血を吸ったあの時の気持ちが甦る。

複雑な思いだ。思い出したくないはずなのに、俺はこの感覚を心の底では求めていた気がした。


 熱い、熱い、熱い。


 脳が震える、頭が痛い、額が疼く。抑えきれない感情を具現化したようにまた再びあの忌まわしい角が顕現する。


――俺は以前のようにまた、鬼になった。


 鬼になってしまった。


「俺は……」


 舞草は別段驚いた様子もなく言った。


「まだ、終わってないよ。赤在。まだ、メイ・ジャドジュールの妹だって、海和神社に潜む土地鬼だって、クラスのあの目立たない女の子に住まう鬼だとか、赤在の家にだって鬼は隠れている。まだまだ、序章が終わったに過ぎない。こんなのシリーズものの第一巻に過ぎないよ。赤在がやんなきゃ誰がやるの? 赤在はまだまだやることいっぱいなんだから。こんなところで勝手にお話を畳んでもらっちゃ困るんだけど」


 どうやら舞草の話が全て本当なら、まだまだ鬼は俺の近くにたくさん潜んでいるようだった。


 舞草が健気に丁寧に一体一体鬼を狩っていた理由がなんとなく分かった。彼女はこうやって俺のような人間を増やしていたんだ。そうして脈々と鬼退治する人間を、自分を助けてくれる人間を、集めていたのだ。


「舞草は一体何者なんだ……?」


 どうしてそこまで鬼について知っていたのか疑問だった。鬼について知りすぎている、そして、鬼と適度に距離を置いているように見えた。


「あーし? あーしは鬼だっていったじゃん」


 俺の物語を進行する鬼、俺はあることに気が付いた。


「お前を倒せば、俺は、俺自身の物語を終えることができる……違うか」


「あーあ、赤在もそう言うタイプ? あーしと決着つけて終わらそうとする性質なの?」


 「赤在も」、彼女はそう言った。きっと俺以外の人間とも戦ってきたのだろう。


「言っとくけど、そうやって強制終了したにんげんがたくさんいたよ。退くなら今のうちだよ」


 舞草は牽制をする。まるで俺と戦うことを避けるように。


「どうも、こう言うのって好きじゃないんだけど……」


 またあの鼻を刺す臭いだ。あれほど嫌になっていたのに。


 懐かしい、そう思ってしまった。


「あの日のことを思い出す、もう思い出したくないのに……って?」


 舞草はけらけらと笑っていた。


「赤在がどうなろうと、どうしようと、鬼である限り話は進行する。赤在がどう思っているかなんて関係ないんだよ……」


「でも、お前を倒さないと、収まりがつかないんだよッ!」


 自分の人生が他人の思い通りになっていたと知って平気でいられる人間は少ないだろう。ここまでの選択が、自分の意思ではなかった。ここまでの道のりが、誰かの思惑通りだった。そんな虚しいことあってはならない。俺と彼女の物語が作り話であってはならない。あらかじめ作られていた脚本だったなんて信じない。


 俺はたしかにあの時、運命を感じたんだ。


 彼女と偶然出会って、人生を変えられたんだ。


「…………」


 無言で舞草に銃口を向ける俺。


 今なら迷わずに引き金を引くことができる。


 だって目の前にいるのは鬼だから。


 俺が倒すべき敵だから。



――バン!



 俺は、無事に、舞草羽凪と言う鬼、自らの運命を弄ぶ鬼を打倒した。


 これでまた、本当に平穏な日々を取り戻した。



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