第26鬼 死は或いは泰山より重く、或いは鴻毛よりも軽し。



 死は或いは泰山より重く、或いは鴻毛よりも軽し。命は重んじて惜しむ場合と、潔く捨てる場合がある。


 他の人間のために必要だった死だって、逆に、何の価値もない死だってある。死んだ先の世界なんて死人にしか分からない。


 世間一般では、誰かに必要とされて生きると言うことが是とされている。人の役に立つ人間になれなんて言葉が良く使われるように、自己有用感を高めることが幸せにつながる行為だと教えられてきた。


 スピード違反を取り締まる警察官は、違反者に罰を与え交通事故の犠牲者を増やさない社会を作る為に役立っている。にも関わらず、世間からはまるでその行為が悪行のように扱われ疎まれている。世の中を誤りのない幸福な世界へと導くことに寄与していると言うのに、忌み嫌われている。それは、過度な摘発、行き過ぎた正義が世間に迎合できないからだ。


 真面目な委員長が疎まれるのだって、それと同じ。自分は教室と言う世界の秩序を守っている。悪い人間を、規則に反する人間を、糾し、断罪しているだけなのに嫌悪の眼差しを向けられる。


 周りからは「教師に媚を売っている」だとか「点数稼ぎ」だとか心無い言葉を浴びせられる。


 皆、白ではなくグレーを好む。水清ければ魚棲まずなんて言葉もあるけど、実際みんな悪いことがしたいし、だらしない方が気持ち良かったりする。人に矯正されることが心地よい人間などいない。「今勉強しようとしていたのに」と逆切れする子どもも、「そんなの分かってる。あなたに言われる筋合いはない」と反論する大人も、みんな一緒だ。分かっているけどそこまで求めていない。適度に楽をして手を抜いて生活しないと息がつまってしまう。


 みんなは分かりきった正論が嫌いなんだ。正しいと分かっていても、それが自分に不都合だと分かると否定したくなる。


 こんなことだってきっとみんな分かっている。自分が気持ちの良いような範囲をお互い忖度しながら突き詰めないといけなかった。強行して押し付けた正義に意味なんてなかった。


 海和湊は死の間際、そんなことを思った。自分の生涯を振り返り、省察していた。

 私は規則を破ったけれど、人間としての矜持を、尊厳を捨てたけれど、世の中のために戦わなければならない。


 私の死、無駄にならないと良いな……


 海和の願いとは裏腹に、彼女の死は徒死。海和湊の規律を重んじる行為に意味がなかったように、まったくこの物語に意味を成さない死だった。テレビの中で通り魔に殺される可哀そうな人間のように虚しい最期だった。


 この世の中の全ての人間が必要とされるわけではない。そんな現実を突きつけられた気がした。


 そのくらい、あっという間に、鮮やかに、意味なく無下に、彼女は殺された。


「…………」


 海和湊の首が、音新乃萌生によって噛み千切られていた。絞殺、目にもとまらぬ速さで行われたその惨たらしい惨殺は、俺を激高されるのには十分だった。


「お前……」


 怒りでどうにかなりそうだと言う表現が良く使われたりするものだが、俺にはこの感情が怒りなのか何なのかすら分からなかった。メイの皮を被った化け物、俺はこの目の前の鬼を葬らないといけない。


「メイ……お前もやる気になった……」


――の……か?


 続いてメイはゾウダの首に思い切り噛みついた。首の肉がどんどん削ぎ落される。血が湧き水のように噴出する。今まで血肉となった人間の怨嗟の声が聞こえるような黒い禍々しい血液。無数の墓標のような黒々とした骨。それら全てが鬼の悍ましい様態を一層示していた。鬼の体がぐちゃぐちゃに攪拌され、肉塊へと姿を変えていく様を俺はただ見せつけられた。


 鬼同士戦っている。と言うより一方的にゾウダがやられている。だが、ゾウダ・ロベルジュリアは何事もないように笑っていた。


「ばばばッ!」


 首の皮一枚程度しか残っていないゾウダの首筋に、メイは蹴りを入れて頭をサッカーボールのように飛ばした。


 目の前で何が起こっているのか、思考が追いつかない。ゾウダは死んだのか? メイが殺したのか? 俺は、メイを殺すために今まで戦っていたんだっけ? 俺は、「本当」はどうしたいんだっけ?

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