第25鬼 ――■■■■

「緋莉! ひまりー!」


 鬼は俺たちの予想通り、ゾウダ・ロベルジュリアだった。あの時に彼女は言った。百パーセント負ける、と。その通りに彼女は負けた。俺と言う存在を庇って。


 彼女は一体何を思っていたのだろうか。何になりたかったのだろうか。今は彼女を慮ることすらもできない。


――山内緋莉と言う存在が虚空に消え失せたからだ。


 作戦は色々と計算され、最善を尽くされ、俺たちのパフォーマンスが最大限に引き出されるように組まれていた。俺たちの最大出力と、相手の力量とを天秤にかけた結果、こちらの犠牲が多少なりとも出ることは想定していた。コラテラルダメージも計算されていたのだ。


 だから、誰かの命と引き換えに、討伐できることも分かっていた。誰かが犠牲になることは理解していた。


 でもどこかで、海和湊、山内緋莉が生き続けることを当然のことだと思い込んでいた。自分の周りの人間は死なない、そんな甘い考えが俺を付けて回っていたのだ。


 俺の思い人、出席番号三十二番山内緋莉は名誉の戦死を遂げた。


 緋莉はあの時、既に自分はここで終わることが分かっていたのだろうか。だから俺にあんなことを言ったのだろうか。いや、いくら賢くたって自分がいつ死ぬかなんて分かるわけがない。人はいつか死ぬ、それが早いか遅いかだけのことだ。いつ死んでもいいように、いつでも覚悟をしておくべきだったのだ。特に俺たちは。


 クラスにいた出席番号三十二番山内緋莉のことを思い出す。常にクールで、休み時間は本を読んでいて、でもやっぱり俺にはそれが寂しい光景だとは思えなかった。自分の意思でその選択をしている。自分で後悔のないように生きている気がしていた。


 鬼を一緒に討伐するようになって、あの滅多に見れなかった笑顔をたくさん見るようになった。教室の緋莉も、鬼の緋莉もどちらも同じ山内緋莉だ。彼女はただ一人の俺の初恋の人だった。初めて心を動かされて、初めて仲良くなりたいと心から願った人間だ。


 そんな山内緋莉を俺が忘れるわけがない、記憶の欠片は俺の心に残るはずだ。みんなが忘れたって、俺だけは忘れない。忘れることはない。山内緋莉が生きた意味は俺が背負う、背負ってやる、そう思っていた。


なのに、それなのに……


――■■■■(山内緋莉)。


「目の前に転がる少女は一体誰だ。俺たちの他に戦っていた人間がいたのか。あの鬼の餌となった人間がいるのだろうか」


「わざわざ、見逃してやったのに……人間ってのはつくづく馬鹿だな」


 俺は両手に力を込める。思い切り、爪を立て、ゾウダの心臓部分の肉に突き立てた。ゾウダは余裕の笑みで不気味に笑う。


「どうする? 人間? せいぜい足掻け」


 ごつごつとした胸筋を勢いよく切り裂く。裂帛の気合でこじ開けた中に、鬼の心臓が見えた。


「今だ!」


 心臓に、ゼロ距離で、頭幻響を一斉射撃する。心臓に弾が直接捻じれてめり込む。鬼の大きな心臓が赤い木の実のようにバチンと弾けて血飛沫が舞う。


「これが……人間の力だ!」


 力強く俺は鬼に向けて声をあげた。ゾウダは口から大量の血液を吐き出した。溢れた血が口から漏れ出し、辺りに大きな血だまりができていた。


「人間……」


 ゾウダは俺たちの力を見誤っていた。俺たちにこんな武器があるなんて思いもしなかった。虚を突かれて、致命傷を負った。


そうだ、俺たちだってやれる。


――それは幻想だ。


「う……が……」


 呼吸ができない。奴は首を絞めようなんて思っていない。ただ、つまんで、掴み上げただけだ。なのに、俺は死にそうになっている。


 たしかに、はっきりと、確実に心臓をぶち抜いた。筋肉の壁に阻まれることなく、鬼の心臓を貫いた。なのに、なぜ、こいつは動いている?


「ばばばっ」


 鬼は何が楽しいのか、俺を掴みながら笑っていた。俺は思い切り投げ飛ばされ、壁に思い切りぶつかった。人間は鬼に敵わないのか。


 いや、まだだ。


「赤在さん、アレ、行きます!」


 染矢夢会はこの作戦が通用しなかった場合に用意していた方法を遂行しようとした。打ち合わせ通り、遊塚と細砂が鬼の動きを止めに動いた。鬼は依然としてその場から動こうとすらしない。


「これでッ!」


 染矢の人生を賭した一撃。染矢ごと鬼と共に葬り去る文字通り命懸けの一撃。染矢は全身に頭幻響の弾を用意している。それを全て鬼とともに破裂させる。言うなれば、ダイナマイトを抱えて自爆するようなものだ。


 逃げることはできない。ここで殺さないと、この悲しい連鎖は終わらない。染矢だって普通の生活を送る権利があった。だけど、彼女はこの街の平和のために命を捧げた。尊い犠牲だ。この小さな命で、この大きな脅威が取り除かれるなら、父だって本望だろう。娘が無事に使命を果たし、任務を遂行したのだ。これで、万事がうまくいく。これで、俺たちも解放される。


 ああ、やっと、終わるんだ。


「赤在さん……神っていると思いますか?」


 不意に、染矢の言葉を思い出す。彼女は神の存在を信じていた。死ぬべき人間は死に、生きるべき人間は生きると言う、彼女の人生観。


「…………」


 神がいるってんなら、この状況、どうにかしてくれよ!


 生きるべき人間は生きる。染矢夢会はその生きるべき人間ではなかった。


「どうして……」


 目の前の染矢夢会の残骸。ゾウダによってぺしゃんこに潰されたその姿は、無惨を通り越して、無常を感じさせる。


――きっと俺もこうやって死ぬのだろう。


 無意味で無駄な足掻きだった。遅かれ早かれ、人類はこの鬼に淘汰されるだろう。俺たちがこうやって必死になったって、ただの時間稼ぎにしかならなかった。


 全滅エンドのバッドエンドだと、誰かが言っていた気がする。


――■■■■(染矢夢会)、■■■■(細砂都麦)、■■■(遊塚享)。


 海和湊と赤在煉の二名のみが生存する、濁池ダム。目の前にある四人の遺骸。俺たちはこの四人のことを知っていたはずなのに、思い出すことができない。


「赤在くん。私、もう……」


 海和が情けない声を出して震えている。小さな顔に不釣り合いな角が寂しく上を向いている。俺たちが偽物の鬼になったところで、「本当」の鬼には勝てっこなかった。その事実を改めて思い知った。


「ゾウダ・ロベルジュリア……メイは……どこにいるんだ?」


 末期の言葉がこんな言葉になるなんて、俺も予想だにしなかった。俺はどこまでメイのことが好きなんだよ。



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