第24鬼 赤在くん、あなたは絶対に負けちゃダメなんだから……


「はぁっ……!」


 ここで女子の喘ぎ声を想像した読者がいたら、全力で謝罪しよう。申し訳ない。首筋に噛みつかれて、甘い吐息を漏らしているのは俺だ。なぜ俺がこのようなことになっているかと言えば、あの海和湊が一大決心をしたからだ。


 ついに、あの人間の尊厳を、矜持を保ち続けていた海和湊が、一時的、限定的ではあるが、人間であることを捨てた。あの純鬼、強大で尊大な鬼の王を見ている手前、全力で相手をしないのは忍びない、全力を出さないで負けるのは不本意だと言う彼女の考えだ。いかにも彼女らしい、真面目で真っすぐな考えだと言えるだろう。


「鬼になった気分は?」


 彼女は頭の上に発生した二本の突起物を必死に長い髪で隠しながら恥ずかしそうにしている。


「あんまりジロジロ見ないでくれる……」


 まるで水着姿なんかを見られているかのような恥じらい、この角がそれほど格好の悪いものには見えなかったが、彼女的には違反の証、人間を捨てた証明であったため、角を見せつけたくなかったのだろう。にしても、なぜかいけないことをしてしまった気がする。今までで一番しおらしい、乙女の姿となった海和湊を見たかもしれない。それぐらいに弱体化し、しおらしくなってていた。


「それで戦うんだから、もっとしゃきっとする!」


 緋莉がそう言って海和に喝を入れた。海和はその一言で覚悟を決めたようで背筋をビシッと立ててあの刀知心剣を手にした。


「よし! これで大丈夫!」


 俺たちは濁池ダムに到着した。山奥にあるこのダムはまた俺たちの記憶から意図的に消去されていたようで、道には車はおろか、人一人すらいない。あの地曳学院のように人の記憶を改ざんしてこの場所を住処としていたのだろう。


「リグ……一体どんな鬼が……」


 この感じ、あの時と同じ悪寒がする。良くないものが潜んでいるのが分かる。溢れ出る瘴気、コンクリートの断崖絶壁が、俺たちに逃げ場はないぞと言う現実を突きつけているようだ。


 轟轟と流れ出る水に圧倒される。こんなことに気を取られている場合ではないのは分かっている。だけど、なぜか、これから直面する現実と対峙したくないと言う思いが湧き上がってくる。


 俺は戦うのが怖いのだろうか。一度間近で見ているのだから当然だろう。あの強大な力に挑むのだ。覚悟したと言ったってまたすぐ揺らいでしまうのだろう。


 こんな気持ちじゃダメだと、自分で気合を入れ直すために深く息を吸った。


「みなさん、きっとこれからはなるようにしかなりません。私たちの誰かが鬼を退治すれば私たち人類の勝ちです」


 染矢夢会は落ち着いた声色で言った。きっと俺たちと同じように緊張し、恐怖を感じているはずなのに、それを全く感じさせない。


 昨日、彼女は言っていた。生き残る者はどんな絶望的な状況であろうと生き残ると。死ぬことさえも、自分で選んでいるようで選んでいない。神の思し召し、人事を尽くせば天命が下ると言うことを信じているのだ。


 扉を開けて管理棟の内部に入る。中はやけにひんやりとしている。コンクリートの天井からぽたぽたと垂れた水滴が首筋に当たった。


「うわっ!」


「なんなの! 驚かさないでよ!」


 遊塚享に全力でお叱りを受ける俺。だってびっくりしたんだもん、仕方ないじゃん!


「止まってください!」


 扉の奥から音が聞こえる。何かが折れる音、そして、あの時と同じ血と腐肉の臭い、確実に鬼がいる。


「みなさん、覚悟は良いですか?」


 染矢夢会は俺たちに最終確認を行った。


「はい」


「もちろん……」


「うん」


 各自言われるまでもなかった。俺はまたすうっと深呼吸をする。鬼と戦う。人類に仇なす鬼を成敗する。


「それでは、突入!」


 扉を開けて、俺たちは中に飛び込んだ。





 物語の主役は自分だなんて、言ってしまうのは簡単だ。自分の人生は自分が主役、そうに決まっている。だけど私は、自分が主役になるためには悲劇的な結末を迎えるしかないと思っていた。何か人よりも不幸な出来事に見舞われて、そんな絶望的状況からでも必死に、一途に這い上がって、何かを成す。そんなストーリーが必要だと、本気でそう思っていた。


 この間突然、私は鬼になって、この街を守ることになった。一体何がどうなっているんだと言う話だけれど、本当の話だ。私はそんな不幸な状況を悲しむことはなかった。自分にもスポットライトが当たるチャンスだと思ったから。自分の生きる価値、存在する意味ができた気がしたから。


 今まで枯れ木だった人生に色が加わった。あの日からみんなで過ごした毎日で暇だと思った日はなかった。スリリングでラジカルな非日常。人生ってこんなに面白かったんだって思った。


 でも、私は想像するのが怖かった。小説では失敗したって、苦い終わりになったって、そこで本を閉じればまた元通り、現実に戻ることができる。


 だけど、実際この世界ではビターな終わり、バッドで救いのない終幕を迎えることになったらどうだろう。一度きりの人生なんだからコンティニューはない、そこで終わり、あろうが何だろうが山内緋莉の物語の続きを見ることはできない。そう言う危うさが、現実にはある。


 それでも、ほんの少しでも、誰かの役に立てたのなら、誰かの人生に一ピースでも影響を与えることができたのなら、それはそれで、私の人生に意味があったと言えるだろう。不慮の事故、突然の死を迎えることになったとしても、後悔をすることなく気持ちよく笑って死ぬことができるだろう。


 悲劇のヒロインが死後に評価されたり、後世に語り継がれたりするのは、その存在が、誰かの目に留まっていたからだ。何者かの記憶に残り続けていたからだ。何かを成したと言う事実が、傷跡のように誰かに刻み付けられていたからだ。


 仮に今回、私が鬼にやられて存在ごと抹消されれば、悲劇のヒロインにだってなれなくなる。最初からそんな人間いなかった。せっかく積み上げたものが全て消え、また振り出しに戻ってしまう。


 せっかく人生の見せ場が来たんだ。つまらない人生から、ジュブナイル小説のように成長できる冒険できる物語の一部になれるんだ。


 こんなところで、こんな場面で、私のお話が終わっていいわけがないし。終わらせたくない!


 でも、もしも、終わっちゃったら? ここであっけなく死んじゃったら?


 ゲームの電源を引き抜かれるみたいにブチっと全て一瞬でブラックアウトして、セーブーデータが残らない人生。やっぱり枯れ木は枯れ木らしくバキッと折られて朽ちるんだ。


 それも、私らしいか。


 ははは。


 私はどうやらここまでのようだ。


 なーんて、もう赤在くんには聞こえないだろうな。私あんな意地悪な質問しちゃってごめんね。人に聞いた手前、自分はどうだったんだろって思い返してみたらさ、ちょっとは好きになったと思うよ。赤在くんのこと。私、幸せだった。こうやってみんなに忘れられるんだと思うとさ、悲しくなっちゃうけどさ、死んだら一緒だし。残された人を悲しませることにならないって考えるとさ、案外悪くないかもって思う。


 赤在くんは私のどんなところを好きになってくれたんだろう。自分で聞くなんて恥ずかしくできなかったけれど、やっぱり今思えば聞いとけばよかったなって思う。

赤在くん、キミがもう一度、メイに会えたならば、私がこうやって命を賭して、あなたを守った意味があったと言えるんだから。


 赤在くん、あなたは絶対に負けちゃダメなんだから……


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