第23鬼 ――そんなの、狂ってる。
夕焼けがまぶしい。俺は自身の日常を随分と遠い所に置いてきてしまった気がする。世は変わりゆくことは分かっているのに。
どうも、この時間になると感傷的になってしまう。自分に何ができるんだと言う弱い思いと、自分が世界を変えてやると言う強い自信が交錯する。
帰り道、海和と別れを告げて、山内緋莉と二人きりになった。こうやって山内さんと二人で歩く日が来るなんて、まるで夢のようだった。俺は何を話せば良いのか、話題の選択に困っていた。
「赤在くん」
山内さんはいつもとは違う真面目な表情で俺の名を呼ぶ。
「……ん?」
俺はその問いかけに何気なく答えた。すると、山内さんが噴飯もののセリフを言ってのけた。
「私のこと……今でも好き?」
「……!?!?」
一体これはどういう風の吹き回しなのだろうか。何かの罰ゲームで、俺の真意を確かめないといけないことになったのだろうか。はたまた、俺は知らぬ間に山内さんルートを進行していたと言うのだろうか。皆目見当がつかない。一体俺はどこでそんなルート選択を……
もしも、そう、もしもだ。仮に山内さんルートに突入しているのなら、ここで取る選択肢は一つ。思い切り大きな声で、
――もちろん、好きだ。
そう答えれば良いだけだ。そう愛を伝えれば良いだけだ。
だけど、どうしてだろう、それができない。その言葉を言おうとすると心がもやもやする。しこりのような、本心ではないような。
俺は迷っているのだろうか、何を? どうして? なぜ?
「…………」
黙って俺の返答を待つ山内さん。俺の胸の鼓動が早くなる。俺は、いきなりそんなこと言われて答えに困っているのだろうか。俺は山内緋莉が好きだ。その事実は変わらない。だからこそ、即答すれば良いのだ。君が好きだと言えばいいだけだ。
だけど、それが出来ないのは……
「ま、そうだよね……分かってる、分かってるよ」
俺が口を噤んでいるのを見兼ねた山内さんが口を開いた。分かっている、何を分かっているって言うんだ。聡明で賢明な山内さんなら何でも分かるんだろうけど、俺に分かるように、説明してくれよ。何が分かるって言うんだ。
「分かるって、何が……」
いや、俺も本当は分かっている。どうして山内さんの目の前で答えることができなかったのか、これは緊張とか、迷いとか、そんな感情じゃない。それは……
「……メイ、絶対に助けようね」
「メイは関係な……」
山内さんの言葉を遮ろうとしたがそれができなかった。分かっている。
――俺はメイのことが好きになっていた。
その気持ちに蓋をして気づかないふりをしていた。仲間だとか友達だとか都合のいい言葉で誤魔化していた。
でも、山内さんはそれを許してくれなかった。最初はただの親切心だったのかもしれない。元の世界に戻してやろう、そう思っていただけだったのかもしれない。いつしかその気持ちは変わっていた。ゾウダと言う鬼と出会って、メイと離れ離れになって、メイのことをより一層愛おしく思った。メイに会いたいと思った。その気持ちが好きと言う気持ち以外の何だと言うのだ。
最初から分かっていた。だけど、それに無頓着なフリをした。真剣に向き合うのが恥ずかしかったから。ダサいと思ったから。
山内さんは、自分の「本当」の気持ちと向き合え、そう言いたかったのかもしれない。好きから逃げるなと言いたかったのかもしれない。でも、こんなのも俺の考えすぎなのかもしれない。
彼女、山内緋莉はただ俺をしっかりと見据えていた。いつものように掴みどころも捉えどころもない、ふわふわした感じじゃなくて、本音が見えない感じじゃなくて、しっかりとそこに立っているような、言葉でうまく良い表すことができないが、何かはっきりとした心みたいなものを感じた。
「山内さん! 俺! メイを助けたい!」
「知ってる知ってる。あと、私のことは、緋莉でいいよ」
そう言っていつものように少しクールな感じで手を振りながら、彼女は去って行った。緋莉呼びの許可が下りたということは、山内さんは俺に対して少しは好感度が上がったと考えて良いのだろうか。
「ありがとう! 緋莉!」
素直に、恥じらいなく、俺は彼女の名を呼ぶ。心の中でつかえていた何かが消えてゆくのが分かった。見えない何かが取り払われて前に進めた気がした。
※
「あたし、殺したよ」
「それがどうした。そんなの当然だ」
ゾウダはむしゃむしゃと肉を食らい、大胆に人骨をしゃぶりながら言った。
「これってさ、人間全部食べたら終わるの?」
「まあ、そんなところだ。鬼なんて、滅多なことがなきゃ死なないし、ぼちぼちやればいい」
ここから数百年、ちまちまと人間を減らして駆除して、食べ物がなくなったらまた別のところに言って生き物を食らう。人間が提唱する摂理に弱肉強食と言うものがある。弱いものは強いものに食われると言う摂理だ。人間は食物連鎖の頂点に長らく君臨し、様々な生き物の命を奪って生きてきた。
「だから、殺されたって文句は言わないだろう」
人間を殺すうち、顔の判別すらつかなくなってきた。ただの獲物、殺すべき標的としか思えなくなってきた。害虫を駆除するのにいちいち対象のことを気にし、気に病む人間などいないように、あたし自身も感覚が鈍くなってきている。あの人間の薄い血を啜るのにもうんざりする。これが鬼になるってことなのだろうか。
最近、最初からあたしは鬼だったと思い込むようになった。あの赤在、海和、山内の四人で過ごした日々も、遠い日のことのように思える。まるで夢のような日々。自分がもしも人間だったらあんな風にして過ごしていたのかもしれないと言う夢物語。
でも、あたしはそんな夢物語を生きていた。あたしはメイ・ジャドジュール。そして、音新乃萌生。そして、鬼同沙昏だ。
あたしの中にある考えが浮かんだ。
「そうだよね……そうするべきなのかも……」
心の中で自己と対話する。自分の中の自分に語りかけると、もう一人の自分が答える。
――そんなの、狂ってる。
心の中のもう一人の自分、鬼同沙昏が言っている。たしかに、こんなことを考え付くなんてどうかしていると思う。きっとそうなんだろう。いくらでも狂っていると言えば良い。
――違う。
心の中にいたはずの鬼同沙昏が唐突に消えた。
これは弱い自分。
臆病で、新しい一歩を踏み出せない弱い心の自分だ。
もう鬼同沙昏はいない。
人間と一体になっているから、きっと、こんなことさえも怖れるんだ。
――やってやる。
なんと言われようと、あたしがやりたいことをやる。それが、間違った選択だったとしても、救いのない選択だったとしても……
「本当」の気持ちってどこにあるんだろう……
メイ・ジャドジュールは暗闇の中で静かに呟いた。ダムが湛えきれない水を排している音だけが静かに響いていた。
※
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